日本の歴史江戸と武蔵野の水不足を救った玉川上水
アメリカの日本史学者スーザン・ハンレー(ワシントン大学名誉教授)は、著書『江戸時代の遺産』でこう述べています。__________ 一七世紀中頃から一九世紀中頃にかけて、首都の公衆衛生は、給水の量についても、ゴミ処理についても、日本のほうが西洋よりも上であって、その結果人口規模や死亡率からしても、都市の住民にとってさらに健康的な住環境になっていたことはまず間違いない。・・・行政当局が都市での公衆衛生の水準を設定し、維持するのに大きな役割を果たしたのであった。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄No.1382 江戸と武蔵野の水不足を救った玉川上水 水騒動まで起こっていた江戸と、水のない荒れ地の武蔵野を救うために43キロもの上水道が開削された。■1.玉川上水を何としても成功させようとする幕府の覚悟 関東郡代・伊奈忠治(いな・ただはる)は鍬(くわ)を三度、砂山に振り下ろすと、鍬を置いて、参列者に顔を向けました。__________本日、四月四日をもって徳川四代将軍家綱公の御名のもと、ここ羽村から玉川上水の普請をはじめる。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 時に1653年。4代将軍・家綱がわずか12歳で父・家光の将軍職を継...
