日本の歴史

日本の歴史

国宝級の副葬品を次々と発見! 奈良「富雄丸山古墳」は誰の墓なのか?

AIざっくり要約 富雄丸山古墳では、国宝級の副葬品が次々と発見されている。最長の2m37cmの「蛇行剣」や盾の形をした「だ龍文盾形銅鏡」など、技術力の高さを示す品々が出土した。 発見された「三角縁神獣鏡」は、卑弥呼の時代に中国から贈られた鏡の可能性がある。このことから、富雄丸山古墳は4世紀後半の重要人物の墓と考えられている。 富雄丸山古墳に埋葬された人物は、ヤマト王権の成立期にあたる4世紀の重要人物で、大阪の平野部の勢力に大きな影響力を持っていた可能性がある。この人物の正体が明らかになることで、日本史に新たな重要人物が増えることになる。 国宝級の副葬品を次々と発見! 奈良「富雄丸山古墳」は誰の墓なのか? 「蛇行剣」「盾形銅鏡」「三角縁神獣鏡」などが次々と発見されている富雄丸山古墳 昨年から今年にかけて、国宝級の副葬品が次々と発見されている日本最大の円墳、富雄丸山古墳。そこには誰が眠っているのか? その謎に迫った! * * *■最大の円墳、最長の剣、特殊な盾を持つ人物とは? 奈良県の富雄丸山古墳で、国宝級の副葬品が相次いで発見されている。 昨年はヘビのようにクネクネと曲がった2m37㎝の...
日本の歴史

【古代史ミステリー】なぜ、『古事記』と『日本書紀』は内容が異なるのか?

『古事記』と『日本書紀』は日本の歴史を学び、考える上で欠かせない書物です。古代より昭和の太平洋戦争敗戦まで、日本の歴史は、この二つの歴史書を元にされていました。戦後、神話であり、フィクションであるとして軽視されてきましたが、史実に基づく記述もかなり多いと思います。 その内容はもとより、まず「何故、同時期に二つの歴史書が編纂されたのか? 編纂する必要があったのか?」を考える必要があります。 『古事記』と『日本書紀』は現存する最古の歴史書である。ともに、天武天皇の時代に編纂が始められ、8世紀の初め、すなわち、奈良時代の初期に成立している。 歴史書の編纂は国家的な大事業であり、大変な負担であったと思われる。それにもかかわらず、2種類の歴史書の編纂がほぼ同時並行で進められているのは、それなりの理由があったと考えざるを得ない。 ★以下の記事から考察すると・古事記は、日本国内に対して、天皇の正当性を訴え、国家統合を図るために編纂された。・日本書紀は、外国(中国や朝鮮)に対して、日本の歴史を知らしめるために編纂された。・・・と言う仮説が成立します。この二つの歴史書、古事記、日本書紀については、さらに...
日本の歴史

古墳の見方 古墳の数は16万基、コンビニの約3倍!

日本に存在する古墳の数は16万基から20万基と言われています。日本において古墳が作られた時代を古墳時代と呼ばれ、日本の歴史における弥生時代に続く考古学上の時期区分であり、前方後円墳に代表される古墳が盛んに造られた時代を指します。 古墳の建造は畿内、瀬戸内海沿岸の地域から始まり、全国各地に広まっています。一般的に、古墳はその地域の指導者や有力者の墓だと言われています。或いは水田や水路の造成残土を活用したモノだという説もあります。いずれにしても、古墳が全国各地に存在すると言うことは、各地域に指導者や有力者がいた、そして、それぞれの地域で自治を行っていた・・・墓であれ、土木工事であれ、集団統合されていたと言うことではないでしょうか。当時、大和朝廷が日本全国を統治していた、と言うイメージより各地域が自治を行い、大和朝廷が緩やかな統治、統合を行っていた・・・このような国のイメージが近いように思います。江戸時代も同様で、各藩が独自に自立した、地方自治を行っていて、徳川幕府は緩やかに各地域を統治していたのが事実です。 西洋社会における国家体制のように、古代からの支配・被支配の関係だけが国家のシステム...
日本の文化

江戸時代に観る本物の医師の姿と西洋人も恐れた武士道の真髄とは?

江戸時代の日本は、社会システムを始めその芸術・文化も世界最先端であり最高のモノでした。 又、「医は仁術」「医は仁術なり」という「医は、人命を救う博愛の道である」ことを意味する格言があります。これは、特に江戸時代に盛んに用いられましたが、その思想的基盤は平安時代まで遡ることができ、また西洋近代医学を取り入れた後も、長く日本の医療倫理の中心的標語として用いられてきました。(wikipediaより) さらに、「武士道」という日本固有の規範があります。武士道に通ずる考えは、武力を持つ者は鍛錬・行使・身の処し方などを徹底すべきであり、独りよがりや私事へ存念するような見苦しいものではあってはならないとする日本独自の規範意識が根本にあります。「独りよがりであってはならない」との考えの対象は、次第に、より普遍的な対象・・・民衆・生き物・学問・芸術・世の中の伝統などへ向かいました。一方、武士は命をかけて組織へ殉ずることが近世には美化されていきました。江戸時代には、支配階級である武士には文武両道の鍛錬と自分の命を以って徹底責任を取るべきことが求められるに至っています。武士が私事で刀を抜くことは重大な責任を...
日本の歴史

アメリカの「正義」に問う。原爆投下は一体何のためだったのか? 映画【オッペンハイマー】に因み

アカデミー賞7部門を受賞した映画【オッペンハイマー】が3月末から日本で公開されています。 第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。これに参加した J・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。冷戦、赤狩り―激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれてゆくのだった―。世界の運命を握ったオッペンハイマーの栄光と没落、その生涯とは。今を生きる私たちに、物語は問いかける。 「何故、原爆を開発したのか?」「何故、日本が降伏することを知りながら広島、長崎の2カ所に原爆を投下したのか?」・・・現在では、米国と日本の公的資料からほぼ解明されていると思います。・当時の最大敵国ソ連、及び全世界に向けての米国軍事力の優位性誇示・原爆、水爆の実戦上の威力、効果の実験、確認・日本に躊躇無く投下したのは、白人至上主義(黄色人種に対する差別意識)・・・他 映画【オッペンハイマー】では、ここまで内容は描かれていないように思います。私達日本人...
日本の文化

外国人だから見える日本の美点。「和の国」が世界中を感動させる理由

「人情」とは他者への思いやりの心、「恩」とは他者から受けた思いやりに対する感謝の心、そして「義理」とはその恩をお返ししなければ、という心。こういう心を一人ひとりが豊かに持っているからこそ、お互いに助け合う「大いなる和の国」が維持されてきたのである。 今日のグローバル社会において、日本は、他の世界と共有するものをたくさん持っているという事実にもっと気がつくべきだと思います。 ここで紹介した人々が共感した「大いなる和の国」の光景は、まさに「幸福な国民国家のあり方」として、他の世界と共有しうる理想であろう。 外国人だから見える日本の美点。「和の国」が世界中を感動させる理由 スクランブル交差点を行き交う人々、街中での外国人に対する視線、お墓で遊ぶ子どもたち。そんな「日常的な風景」に、来日した外国人たちが感動を覚えていることをご存知でしょうか。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、彼らの言を取り上げながら日本人一人ひとりが持つべき「誇り」について考察しています。 国柄探訪: 外国人の見た「大いなる和の国」 高層ビルのレストランで、アメリカから来た老夫妻と...
日本の歴史

最も歓迎された外国人 ーインドネシア独立に命を捧げた日本人たち

訓示の内容は、アジアを解放するために日本軍はインドネシアに来たが、独立は自分の力で成し遂げるものである。しかしインドネシアは教育や軍事などあらゆる面で遅れているので、いますぐ独立はできないだろう、日本軍は知っていることをすべて教えるので、1日も早く学んで立派に独立してほしい、というものでした。 最も歓迎された外国人 ーインドネシア独立に命を捧げた日本人たち 1600年代から300年以上もオランダの植民地であったインドネシア。その後日本の軍政支配下に置かれたことはご存知のとおりですが、日本軍はインドネシアの独立に大いに貢献したといいます。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、後に彼の国で要人となった2人のインドネシア人の証言を引きつつ、日本の軍政の実態を明らかにしています。 インドネシア独立を担った人々が語る日本人との心の交流 大東亜戦争というものは、本来なら私たちインドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。もしあの時私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。 1950...
日本の歴史

日本を分割占領から救った、スリランカ代表の「愛」の演説

この日は、私達が日本に対する勝利を祝うものです。しかし、私達は日本によって得られたものがあります。それは愛国心という心でした。それは、日本によって全てのアジアの国々にもたらされたのでした。 戦争によってアジアの国々、インドネシアやインド、スリランカ、ビルマなどは自らに対する自信と民族主義の意識を得たのです。私達は日本に、このことを感謝しなければなりません。 日本を分割占領から救った、スリランカ代表の「愛」の演説 1951年に開かれた、日本の運命を左右する「サンフランシスコ講和会議」。その席上、日本を分割占領から救ってくれたのが、当時スリランカ代表を務めていたジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏でした。なぜスリランカは日本を擁護してくれたのでしょうか。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』に、知られざる両国友好の歴史が綴られています。 日本とスリランカの間には、互いに助け合った長い友好の歴史がある 1951(昭和26)年9月6日午前11時、スリランカ代表のJ・R・ジャヤワルダナの演説が始まった。舞台は米国サンフランシスコ講和会議である。 51カ国か...
日本の歴史

国王からも爵位。日本人「ニシオカ」はなぜブータンで国葬されたのか?

2011(平成23)年、第5代ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が国賓として来日し、国会で演説した。その中に次のような一部があった。 ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。 国王にそう言わせたのは、自らの祖父と父と2代に渡ってブータンに尽くした西岡の一生が脳裏にあったのかも知れない。 国王からも爵位。日本人「ニシオカ」はなぜブータンで国葬されたのか? 世界一幸福な国と言われるブータン。そんな国の民たちの「幸せ」に大きく貢献した日本人がいたのをご存知でしょうか。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』に、ブータンの農業発展に人生を捧げ、国民のみならず国王の信頼も厚かった「ブータン農業の父・西岡京治」の輝かしい功績が紹介されています。 人物探訪:「ブータン農業の父」、西岡京治 1992(平成4)年3月26日、ブータンで1人の日本人が国...
日本の歴史

齢94歳。ネパールで最高栄誉を受けた日本人「コンドウ」さんの偉業

「真の国際協力は深い人間愛であり、決して物資、金品の一方的供給ではない。支援を受ける人々が心から感謝し、自らが立ち上がる努力をはらう時、初めてその真価が現われるのである」と言い、「ボランティアやNPOもこういう日本人の根性を勉強しなければいけない」と笑う。 齢94歳。ネパールで最高栄誉を受けた日本人「コンドウ」さんの偉業 ネパール国内どこを歩いても「近藤バジェ(おじいさん)」と声をかけられ、現地の人々から愛されている日本人がいることをご存知でしょうか? 無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、90歳をこえてもなおネパールの地で現地の人々のために生き続ける、近藤亨さんの知られざる偉大な功績が紹介されています。 近藤亨~ネパールを救った現代の二宮尊徳 ネパールで十数年も国際協力事業団(JICA)の果樹栽培専門家として現地指導をしてきた近藤亨(とおる)さんが定年を迎え、無事に帰国をしたのを祝って、東京で盛大な帰国祝賀会が開かれた。平成3(1991)年のことである。 ブラジルから駆けつけた学友の佐藤隆・元農相はじめ、各界の名士の祝辞が続いた後、近藤さんが...
日本の歴史

戦後日本人に埋め込まれた「自虐史観洗脳装置」WGIPとは

私達日本人は、特に戦後、本来の日本人の世界観、価値観、文化を見失ってきたのではないでしょうか?その原因は、主にGHQによる洗脳にあることをご存知でしょうか。 日本人の精神を腑抜けにし、二度とアメリカに立ち向かってくることがないようにに作成されたプログラムが「WGIP(War Guilt Information Program)である。 このような洗脳から脱却し、日本人が古代より脈々と引き継がれてきた、世界観、歴史観、文化を取り戻すべき時代になったのではないでしょうか? 戦後日本人に埋め込まれた「自虐史観洗脳装置」WGIPとは ゆがめられた史実を取り戻そう。 子供たちの未来のために今なお続くGHQ(占領軍)の洗脳政策から解放されることが必要だ。 日本が敗戦後、GHQにより我々日本人が知らないところで洗脳されていたことをご存知でしょうか。 1945年8月15日、昭和天皇が玉音放送で日本の敗戦を告げてから15日後に連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立った。 この時を境にして日本という国はアジアを侵略した「悪の侵略国家」であり、迷惑をかけた国の批判はしてはいけない...
日本の歴史

台湾が親日な理由は彼らにあった。台湾の発展に尽くした日本人列伝

台湾が親日な理由は彼らにあった。台湾の発展に尽くした日本人列伝 かつて日清戦争で勝利をおさめた日本は台湾を50年もの間統治していましたが、日台間には現在まで大きないさかいもなく友好関係を築いています。それは、以前「台湾で最も尊敬される日本人。命がけで東洋一のダムを作った男がいた」という記事でもご紹介した八田與一をはじめとする、統治時代に台湾のために尽くした日本人たちの努力の証であると言えるかもしれません。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、そんな先人たちの姿が詳しく紹介されています。 台湾につくした日本人列伝 1999年の台湾大地震では、日本がかなり目立った働きをした。地震発生当日の夜には、日本からの緊急援助隊が一番乗りし、「空港で1秒間も休まずに災害現場に駆けつけた」(地元マスコミ)。規模も合計125人と最大、機材も最新鋭、訓練、規律も最高とあって、地元マスコミに高く評価された。 ファイバースコープや生存者の呼吸を電磁波で探知する「シリウス」と呼ばれるハイテク機器、赤外線探知機、さらに大型の切断器具などの最新鋭装備だけでなく、発見された遺体...
世界各国の歴史

台湾で最も尊敬される日本人。命がけで東洋一のダムを作った男がいた

台湾で最も尊敬される日本人。命がけで東洋一のダムを作った男がいた image by: Wikimedia Commons 大正時代、台湾の人々の生活を豊かにしようと奮闘した日本人がいました。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、台湾に東洋一とも言われるダム建設をした日本人技師「八田與一(はった よいち)」の感動秘話が紹介されています。今も語り継がれる八田氏の人情味溢れる活躍ぶりは、台湾と日本の固い絆、そして日本人としての誇りを再確認させてくれます。 戦前の台湾で東洋一のダムを作った日本人 台湾南部の古都・台南市から東北にバスで1時間20分ほど行くと、台湾第2の烏山頭ダムに着く。湖畔にはホテルが建ち、満々と水をたたえた湖水にはボートも浮かぶ観光地になっている。 このダムを見下ろす北岸に、日本式の墓があり、「八田與一、外代樹之墓」と刻まれている。墓の前には作業着姿で腰を下ろし、片膝を立てた八田の銅像が建っている。墓も銅像も、このダムを造った八田與一を敬愛する地元農民が作ったものだ。 1996年、地元の農民たちと日本人が集まって、墓前で50回目の慰霊...
日本の歴史

6千人のユダヤ人を救った杉原千畝と難民を温かく迎えた誇るべき日本

この記事の内容は有名な話なので、ご存知の方も多いと思います。主人公である「杉原千畝氏」は諜報外交官としての高い手腕と崇高な志をもたれていたようです。「自分がどう動くことが国益に叶うのか」を自問自答して行動されていたという事実は今の日本に必要な「志」を示しているように思います。 6千人のユダヤ人を救った杉原千畝と難民を温かく迎えた誇るべき日本 みなさんは、6000人ものユダヤ難民にビザを発行し多くの命を救った「杉原千畝(ちうね)」という人物をご存知ですか? 日本のシンドラーとの異名をもつ彼は、諜報外交官としても一流だったそうです。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、そんな杉原の情報収集能力にも注目し紹介しています。 杉原ビザは、諜報外交官としての手腕と国益への志から生まれた 先の大戦前、バルト三国の1つ、リトアニアの領事代理となり、ソ連のポーランド侵略から逃れてきたユダヤ人難民約6,000名に日本通過ビザを発給して命を救った杉原千畝(ちうね)の功績が国際的に知られつつある。 シカゴ近郊で、ユダヤ人受難の記録を展示するイリノイ・ホロコースト博物館...
日本の歴史

日本人も驚き。「英語ができないのは、幸福な国の証」だった

歴史のある国、民族の文化的基盤は「母国語」にあります。人類は、数万年前の「言葉」のない時代に「世界観」「文化」を共有、継承するために、集団、民族の中で「言葉」を生み出してきました。しかし、近世の植民地化=支配により宗主国の「言葉」や「文化」を強要され、長い歴史の中で育まれれきた「文化」「民族の基盤」を破壊された国は少なくありません。 日本はこのようなことがなく、現在も自国の文化が継承されています。このような恵まれた環境にある事に感謝し、自覚と自信を持つことが重要ではないでしょうか。 英語力のグローバルなテスト、TOEICの2010年の平均点で、日本はアジアの30カ国中27位と低迷している。しかし、アジアの上位5位を見るとシンガポール、インド、マレーシア、パキスタン、フィリピンとなっている。この5カ国の共通点はイギリスやアメリカなど英語国の植民地になっていたことだ。これらの国では前節で述べたように、大学教育は英語で受けるというばかりでなく、今でも旧宗主国が政治、経済、文化的な影響力を持っている。だから英米に留学したり、移住したり、英米企業の現地法人に勤めたり、という事で、英語を使わざるを...
日本の歴史

ユダヤ人難民と北海道を守った樋口季一郎とは。旧陸軍中将の生涯

太平洋戦争時の日本や当時の大日本帝国軍に対しては否定的な面の情報ばかりが取沙汰されているように思います。今回は「ユダヤ人難民と北海道の分断をソ連から救った、旧陸軍中 将樋口季一郎」の記事を紹介します。 当時の日本を取り囲む世界状況や国内状況をしっかり把握したうえで、事実を掴むことが必要ですね。又、歴史を学ぶ上でも、このような事実は重要ではないでしょうか? 2020(令和2)年9月、北海道石狩市に1人の旧陸軍中将を称える記念館が開館。彼の名前は、樋口季一郎(ひぐちきいちろう)。1938(昭和13)年、多数のユダヤ人難民を救出しました。ユダヤ人難民救出と言えば、「命のビザ」を発行した外交官・杉原千畝が有名ですが、樋口はその2年前に救出を行っています。また1945(昭和20)年、終戦後に関わらず千島列島の占守(しゅむしゅ)島に侵攻したソ連軍と戦い、北海道を守りました。今回はそんな彼の生涯を紹介します。 樋口季一郎記念館長に伺う、設立への思い 樋口季一郎記念館は、北海道石狩市内にある「古民家の宿Solii」(古民家の一棟貸しを行う宿泊施設)内の、蔵を再生して開館。館長の江崎幹夫さんに、記念館を...
日本の歴史

トルコと日本の交流の歴史と長きにわたる友好関係

世界有数の親日国として知られているトルコ。明治次第から現在まで友好関係は続いています。このような関係に関する記事の紹介です。 トルコは世界有数の親日国として有名です。トルコに旅行をしたら、みんな親切でフレンドリーに接してくれ、日本語を話せるトルコ人も多い、という評判もよく耳にします。実は、トルコと日本の交流の歴史はとても長く深いのです。 本記事では、日本とトルコが深い関係になった出来事や日本とトルコの交流のきっかけとなった歴史的エピソードなどについてご紹介します。 トルコと日本の交流のはじまりは?絆が深まった理由 トルコと日本の最初の交流は1873年にまで遡ります。当時、フランスに滞在していた岩倉具視率いる総勢107名の使節団「岩倉使節団」が、立会裁判諸制度の視察にイスタンブールに訪問したのが最初の交流です。岩倉使節団には、かの有名な大久保利通や伊藤博文も参加していました。 その後も日本は度々トルコを訪問し、当時の外相や皇帝スルタン・アブデュルハミト2世に面会するなどの交流を図ってきました。トルコと日本の交流が更に深まったきっかけは、1890年に起きたトルコ船の日本での遭難事件です。こ...
日本の歴史

日本は何度もベルギーに助けられていた。2国の知られざる「絆」の歴史

日清戦争、第1次世界大戦、関東大震災から現在にまで続く、日本とベルギーの関係の記事を紹介します。 国、民族の関係は、歴史の中に様々な出来事があって、現在はあまり知られていないこともたくさんあります。歴史を学ぶには、このような関係を読み解くことも重要なことではないでしょうか。 今年で友好150周年を迎える日本とベルギー。先日、首都ブリュッセルで起きた連続テロ事件で悲しみに包まれるベルギーの人たちに、私たちが力になれることはないのでしょうか? 無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、日本とベルギーが古くは大正時代から、お互いの苦難を何度も支え合って乗り越えた「絆」の歴史を紹介しています。 日本・ベルギー交流史 東京墨田区にある東京都復興記念館には、有島生馬が描いた1枚の絵が掲げられている。どす黒い煙が上がる暗い色調の中で傷ついた人々がうごめき、地面には多くの死体が横たわり、キャンバスの右脇には1台の車が停車。その側に双眼鏡を手にした山本権兵衛首相が描かれている。 この絵は言うまでもなく関東大震災を描いたものだが、山本首相の傍らに白い夏服を着た外国紳士...
日本の歴史

杉山龍丸 インドで緑地化に献身したグリーン・ファーザー

インドには二人の偉大な父親がいると言われる。一人は、英国からの独立に力を尽くした「独立の父」ガンジー。もう一人は、日本人ながらインドの国土緑地化のために命がけで奔走した「緑の父」杉山龍丸。この偉業を伝える記事の紹介です。 インドで緑地化に献身したグリーン・ファーザー  インドには二人の偉大な父親がいると言われる。一人は、英国からの独立に力を尽くした「独立の父」、ガンジー。そしてもう一人は、日本人ながらインドの国土緑地化のために命がけで奔走した「緑の父」、杉山龍丸である。 大正8年(1919年)、福岡市で三人兄弟の長男として誕生した龍丸の人生を語るには、彼の祖父と父の存在が欠かせない。祖父の茂丸は、政財界で活躍。アジアの国々の独立に向けた運動を助け、人々が豊かに暮らすために働いた。また幻想文学の第一人者「夢野久作」として知られる父の泰道は、文学を究めながらも「これからはアジアの時代。アジアの国々が独立した後に必要となる農業指導者を養成するため、農園をつくりたい」という茂丸の思いに従い、4万6000坪の敷地を得て農園を営んだ。そんな祖父と父の姿を見ながら育った龍丸にはおのずと「アジアの人々...
世界各国の歴史

海の武士道!戦時中に敵兵を救った「工藤俊作」の物語!

日本人の価値観、世界観は他国と比較して特殊なモノなのかも知れません。戦時中であっても、敵であっても、規範や秩序を重視し、他者にも思いを寄せることが出来る。 このような実例の記事を紹介します。 今回の記事は、偉人のお墓巡り特集です。 そして、長い記事ですが本当に日本人なら知っておくべき内容なので、最後まで読んでいただくようお願いいたします!!! やってきたのは、埼玉県川口市にある薬林寺というお寺。 恐らく地元の人しか知らないような寺だと思うこの寺に、多くの日本人に知ってほしいとある偉大な男が眠っています。 その男の名は、「工藤俊作」。 山形県の出身で、広島県の江田島にある海軍学校を卒業し、駆逐艦「雷(いかずち)」の船長になった方です。 私の家は神奈川県の川崎市ですが、工藤俊作のお墓参りをすべく、埼玉県の川口市までやって来ました。 そして、こちらが工藤のお墓。 先人として立派なことをして下さった工藤俊作に、祈りを捧げてきました。 では、工藤はどんなことを成し遂げたのか? それは、日本人の誰もが知らなかった、世界の海軍史の中でも歴史に残る感動の物語だったのです。 その物語を以下で紹介したいと...