縄文時代

人類史

「石棒の聖地」岐阜・飛騨市宮川町 縄文時代の遺跡から1056本出土

文字文化もなく、ましてや科学もなく、精神世界が暮らしや生活の中心を占めていた縄文時代。「石棒の聖地」、飛騨市宮川で石棒に思いを巡らすと、イマジネーションは無限に広がりそうだ。 「石棒の聖地」岐阜・飛騨市宮川町 縄文時代の遺跡から1056本出土  「石棒(せきぼう)」って知ってますか? 現代からおよそ1万2千~5千年前に当たる縄文時代の祭(さい)祀(し)、祭礼の道具と推測され、一族の繁栄を願う男根を模したものだ。国内の縄文時代の遺跡では、各集落跡に数個見つかっているが、飛騨市宮川町では一つの遺跡でそれまでの常識、記録をはるかにしのぐ1056本を発掘。決して広くない研究規模ではあるが石棒研究の「聖地」とも位置づけられる。なぜ飛騨市宮川なのか、なぜそんなに大量に見つかったのか。無料クイズで毎日脳トレ!入口はこちら  1056本の石棒が見つかった塩屋金清神社遺跡と至近距離にある飛騨みやがわ考古民俗館。公営でありながら市の方針で普段は無人の施設に足を運ぶと、長さ1メートル超という超巨大な石棒が、回転するテーブルの上に鎮座していた。「なんで回転しているんですかね。謎です」。案内してくれた市職員がけ...
日本の歴史

日本人祖先の「3系統説」、従来の定説に修正迫る ゲノム解析で進化人類学は「人類、日本人の本質」を探究

日本人祖先の「3系統説」、従来の定説に修正迫る ゲノム解析で進化人類学は「人類、日本人の本質」を探究  「日本人の祖先はどこからやってきたのか」。このロマンに満ちた問いに対しては、祖先は縄文人と大陸から渡来した弥生人が混血したとする「二重構造モデル」が長くほぼ定説となっていた。そこに日本人のゲノム(全遺伝情報)を解析する技術を駆使した研究が盛んになり、最近の、また近年の研究がその説を修正しつつある。  日本人3000人以上のゲノムを解析した結果、日本人の祖先は3つの系統に分けられる可能性が高いことが分かったと理化学研究所(理研)などの研究グループが4月に発表した。この研究とは別に金沢大学などの研究グループは遺跡から出土した人骨のゲノム解析から「現代日本人は大陸から渡ってきた3つの集団を祖先に持つ」と発表し、「三重構造モデル」を提唱している。  理研グループの「3つの祖先系統」説は「三重構造モデル」と見方が重なり、従来の「二重構造モデル」の修正を迫るものだ。日本人の祖先を探究する進化人類学はDNA解析、ゲノム解析の技術という有力手段を手にして、大陸からさまざまな人々が渡来して現代の日本人...
縄文時代

共生と循環の縄文文化

日本人の「心」の基底部には「縄文の心」「世界観」が現代にも連綿と流れているように思います。西欧を中心とした自然収奪型文明と根本的に違う、自然との循環と共生の世界観を基底とする「自然循環型文明」は次代の「世界観」「文明」の鑑となるのではないでしょうか。 約5500年前から1500年間栄えた青森県の巨大集落跡、三内丸山遺跡の発掘は、原日本人のイメージに衝撃を与えた。 共生と循環の縄文文化 ■1.三内丸山遺跡の衝撃■  約5500年前から1500年間、縄文時代前期から中葉にかけて栄えた青森県の巨大集落跡、三内丸山遺跡の発掘は、原日本人のイメージに衝撃を与えた。高さ10m以上、長さ最大32mもの巨大木造建築が整然と並び、近くには人工的に栽培されたクリ林が生い茂る。新潟から日本海を越えて取り寄せたヒスイに穴をあけて、首飾りを作る、等々。  縄文時代といえば、従来は、たとえば次のように描写されていた。  今から2400年前、水田による稲作が北九州に伝わった。中国の稲作が、おもに朝鮮半島南部から、人々の移住とともに伝わったのである。米づくりが始まると、人々は採集や狩りのくらしから、計画的に食料を生産...
日本の文化

古来、日本には、歌で病を治す方法があった!「相手を想い、祈りを込めて歌うこと」

🔵相手を想い、祈りを込めて歌うこと 古来、縄文の時代より、日本には歌を歌うことで病を治す方法があったといいます。 その歌の名は、【天地(あわ)の歌。】 「あ」ではじまり、「わ」で終わるこの歌は、縄文時代から受け継がれたものです。 書籍や文献では言葉が乱れ、心が乱れたことを心配した「イサナギ」と「イサナミ」が農業とともに歌い広めていったとあります。しかし、その、古事記や日本書紀自体が書き換えられた可能性もあるので、「誰が」広めていったかは定かではないですが、当時、「あ」を「あ」と発音するのだと、歌い広めていった人物達がいたことは確かだろうと思います。 国を統合するには、言葉を統合すること。そこに注目した人物がいたのだと思います。(参考のサイトには、当時の文字があり、口のカタチが文字になっています。) 「あ」は、空を。「い」は、風を。「う」は、火を。「え」は、水を。「お」は、大地を。 🔵日本語は、宇宙の五大要素を内に秘めた言葉だと言われます。 まさしく、自然を観念化する中で進化してきた民族なのです。 音は力であり、言霊は生きる力です。 人の身体は背中が表です。その表である背中に向かって、天...
縄文時代

縄文人のこころ ~ 日本人の「三つ子の魂」

縄文人のこころ ~ 日本人の「三つ子の魂」 人類学、宗教学など、様々なアプローチから明かされつつある縄文人の精神は、現代日本人の原型。 ■1.「自然と共生してきた日本文化の原点、日本人の原像」 「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産への登録が内定しました。産経新聞は評価されたポイントをこう紹介しています。 __________ なかでも評価されたのは縄文文化の高い独自性である。世界では、農耕・牧畜が始まって、移動生活から定住生活に移ることが多い。ところが日本では、稲作が伝わる前に縄文人は狩猟や採集生活をしながら定住していた。 豊富な海山の恵みを享受し、三内丸山遺跡ではクリを栽培していたこともわかっている。精神文化を示す祭祀(さいし)遺跡に、漆や天然のアスファルトの使用など高い技術で生活文化をはぐくんだ。障害がありながら成長した人骨も発見され介護を受けていたとみられる。 そうした暮らしはゆるやかに発展しながら1万年以上続いた。自然と共生してきた日本文化の原点、日本人の原像といえよう。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  近年、縄文文化は考古学だけでなく、文化人類学や宗教学など様々な分野からも研究され...
縄文時代

人類史上最古でかつ最高の文明は縄文文明?・・・世界に遺された縄文人の足跡

人類史上最古でかつ最高の文明は縄文文明? 人類史において最初に起きたのは、下記の4つの文明とされてます。・中国文明(紀元前14000年から紀元前12000年頃)・インダス文明(紀元前7000年頃)・メソポタミア文明(紀元前5500年頃)・エジプト文明(紀元前5000年頃) しかし、最近は日本国内で大量の石器、土器、遺跡が発見され、日本の縄文文明、石器文明こそが人類史上最古でかつ最高の文明だったのではないかと言われ始めています。以下に紹介する記事では、日本の国外に目を向け、「南太平洋のバヌアツ、南米エクアドルなど、世界各地で縄文土器が発見されている」と言う事実から、縄文人が世界中に文明を広めていったのではないか、と言う仮説を立てています。 No.1300 世界に遺された縄文人の足跡 南太平洋のバヌアツ、南米エクアドルなど、世界各地で縄文土器が発見されている。 ■1.縄文人は元祖「国際派日本人」!?  あけましておめでとうございます。新年の第1号は、お正月らしく夢とロマンのあるテーマから始めましょう。縄文人たちの足跡が世界のあちこちで見つかっており、どうやら彼らは遠洋航海の技術を持って世界...