中国の歴史

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中国革命75年

中国革命75年 2024/10/The_first_flag_of_China.jpg.webp 1949年10月1日、中国共産党の指導者、毛沢東(1893-1976)は、中華人民共和国(PRC)の建国を発表しました。30万人の人々が天安門広場に集まり、新政府を歓迎し、新しい指導部に挨拶しました。毛沢東は最初の発表を行った後、中華人民共和国の新しい国旗を掲揚し、続いて軍司令官の朱徳が人民解放軍の軍を閲兵しました。同様の祝賀行事が中国の他の地域でも開催されました。中華人民共和国の建国により、帝国主義に対する1世紀にわたる屈辱(1839年の第一次アヘン戦争に始まる)と長い第二次世界大戦(1931年の日本軍の満州侵攻に始まる)が終わりを迎えました。その10日前、中国人民政治協商会議第1回全体会議で毛沢東は「我々の活動は人類の歴史に刻まれるものとなり、人類の4分の1を占める中国人民が今や立ち上がったことを示すものとなると、我々は皆確信している」と語っていた。 新しい国家である中華人民共和国の名称に含まれる言葉は重要だ。人民と共和国だ。共和国という言葉は、清王朝(1644-1911)を終わらせ、...
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日中戦争に引きずり込まれた日本

日中戦争は、スターリンがシナリオ書き、毛沢東が実現させたものであった。この点を踏まえないと、日本軍は無謀なシナ侵略を目指して、泥沼にはまった、という東書版の歴史解釈になってしまう。  育鵬社版の記述では、「何者かの銃撃を受け」「日本軍将校殺害をきっかけに」と、第三者の策謀を示唆する記述が散見されるが、近い将来、この点を正面から書けるようになった時、日本はなぜ共産党の策謀にはまったのか、という真の反省ができるようになる。 No.1031 歴史教科書読み比べ(43) 日中戦争に引きずり込まれた日本  日本はどのように、日中戦争に引きずりこまれていったのか? ■1.スターリンの天才  東京書籍(東書)版は「日中戦争の開始と長期化」の項の冒頭で、次のように書く。 __________ 満州を支配下に置いた日本は さらに中国北部に侵入しました。中国では,国民政府(国民党)と共産党との内戦が行われていましたが,抗日運動が盛り上がる中,毛沢東が率いる共産党は,蒋介石を指導者とする国民党に協力を呼びかけ,1936(昭和11)年に内戦を停止しました。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  育鵬社版で、これに対応する記述...
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中国共産党には日本に「歴史問題を反省せよ」という資格はない 中国人民は別

毛沢東は日中戦争の間、日本軍と密かに連絡し合い、国民党を弱体化させることしか考えていなかったからだ。  日本が中国と戦争をしていた時の中国は国民党が政権与党である「中華民国」で、毛沢東は何としても国民党軍を率いる蒋介石を倒し、自分が天下を取って共産党による「新中国」を誕生させようとしていた。  だから日本が「中華民国」の国民党軍と戦ってくれるのは、毛沢東にとっては非常にありがたいことで、上海に駐在し「岩井公館」を運営していた日本外務省系列の岩井英一氏の下にスパイを送り込んでいたのである。 中国共産党には日本に「歴史問題を反省せよ」という資格はない 中国人民は別 中国共産党党旗(写真:ロイター/アフロ)  8月15日、日本の現職閣僚が靖国神社に参拝したことや岸田首相の全国戦没者追悼式における式辞などに関して、中国では「日本は依然として戦争を反省していない」という批判が沸き起こっている。  一般中国人民がそれを言うならまだ理解できるが、中国共産党にだけは、日本に反省を促す資格はない。なぜなら日中戦争中、毛沢東は日本軍の侵略行為を利用し、日本の外務省在外公館と接触して、日本と戦っている国民党...
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イギリスの1世紀にわたるアヘン密売と中国の屈辱の世紀(1839-1949)

イギリスの1世紀にわたるアヘン密売と中国の屈辱の世紀(1839-1949) 中国人にとって、「屈辱の世紀」のトラウマは、過去の敗北と新植民地主義の隷属状態を露骨に思い起こさせるものであり、また、西​​洋の独善的な偽善と傲慢さを思い起こさせるものでもある。 1500 年、インドと中国は世界で最も進んだ文明国でした。その後、ヨーロッパ人がやって来ました。彼らは最終的に、アメリカ大陸やアフリカと同様に、両国で略奪と破壊を行いました。インドと中国にとって、主犯は英国で、工業化された軍事力に支えられた国家主導の麻薬密売に依存していました。大英帝国は、アフリカからの奴隷貿易が徐々に衰退した後、世界貿易の主力製品となったアヘンの世界最大の生産国および輸出国でした。彼らの「文明」は中国に屈辱の世紀をもたらし、毛沢東が率いた人民革命でようやく終わりを迎えました。この歴史的トラウマと、それを克服して国を再建するための闘いは、今日の中国人の心に刻み込まれています。 イギリス人が「文化」を持ち込む前は、世界貿易の 25% がインドで行われていました。イギリス人がインドを去った頃には、その割合は 1% 未満でし...