
イスラエルの拡大(2)
イスラエルの拡大(2)2025年3月28日 田中 宇この記事は「イスラエルの拡大」の続きです。英国は第一次大戦でオスマントルコを倒す戦いにユダヤ人の協力を得るため、戦争後半の1917年、オスマン帝国の一部だったパレスチナにユダヤ人が国家(イスラエル)を作ることを支持したバルフォア宣言を発表した。この宣言でイスラエルの建国が正当化されたが、パレスチナがどこからどこまでを指すのか、その後の紛糾の種になった。シオニスト(ユダヤ建国運動家)の中の右派・過激派(今のリクードや西岸入植者)は、パレスチナを、旧約聖書に出てくる「約束の地」と同等の「ユーフラテス川からナイル川まで(2つの川にはさまれた土地)」と拡大解釈した。(西岸を併合するイスラエル)この解釈だと、今のイスラエルや西岸ガザだけでなく、シリア、レバノン、ヨルダン、エジプトまでが「パレスチナ」に含まれる。英国はバルフォア宣言の1前半年(1916年)にフランスを誘い、オスマン帝国の地中海岸を英領パレスチナと仏領シリアに分割する「サイクス・ピコ協定」を結び、ユダヤ人に渡すはずの土地の北半分をフランスに与え、建国されるイスラエルの国土を半減...