現在のボリビアに約1万5千年前に実在した、プマプンク遺跡の記事を紹介します。
とにかく、プマプンクは規格外だ。ヨーロッパの人間が拾ってきた石を直列に並べたり、円状に並べたりして、やいのやいの喜んでいるその1万年前には緻密な設計をなされたプマプンクが建てられたことになる。そんなこと、あり得ない。石器時代にどうすればこのような遺跡を造れるというのか。
人類の歴史は全く解明できていないようですね。事実を元にした人類史の解明を期待したいですね。


2017.09.282015.04.11
驚くスペイン人征服者に原住民は笑って言った。作ったのは我々じゃない、ここは我々が来るより遙か昔に建てられのだ――と。ここは巨人がラッパの音を使って一晩で作ったのだ――と。
学者も言う。「確かに1万5千年前、ギザのピラミッドより1万年以上古い、最終氷期、後期石器時代。だが……あり得ない」
超古代テクノロジーの証が残る場所、そこは天空の廃墟プマプンク。
プマプンク遺跡――失われたオーバーテクノロジー
神は積み木遊びをするか

南米はチチカカ湖。
標高は富士山の頂上より高い3890メートルに位置し、天空の湖と呼ばれる神秘の湖だ。
16世紀にこの付近を訪れたスペイン人征服者たちは、驚きを隠せなかった。
そこに彼らの知っている『遺跡』というイメージから大きく逸脱した遺跡を見たからだ。
ゆうに10トンは超えるであろう巨石があちこちの土に埋もれ、それらにはどのようにして加工したかもわからない精巧精密な細工が施されている。巨大な基壇らしきもの。一枚岩で造られた巨大な門。並べられたH型をしたブロック。
高原地帯で周囲に石もなく、木々さえも生えていない。その荒野とも言うべき場所に、打ち棄てられた遺跡――過去には立派だったであろう建築物の廃墟群がひっそりと眠っていた。

この廃墟群はティワナクと呼ばれる。
ピーター・ジェイムズは著書の中でこう表現している。
「これほどの高度では過去も現在も人間の活動の痕跡はきわめてマレで、あったとしても風景に比べるとひどく見劣りがしてしまう。だが、ボリビアのティアワナク遺跡だけは別だ」
まさに他の遺跡とは毛色が違った。
新大陸で略奪や虐殺を行っていた征服者や探検家――つまりはコンキスタドールであった、ペドロ・デ・シエサ・デ・レオンは後に執筆した年代記の中でティワナク遺跡群に辿り着いた時の感想をこう述べている。
「装飾や彫刻の素晴らしさのみならず、これほどの大きな石をどうやって運んだのか想像も出来ない」
プマプンクの代名詞とも言えるH型ブロック。
精緻を極める細工は経年劣化が進む現在にあっても、依然として驚異的である。
ほぼ直角を描く角や、滑らかな表面処理をして、工作機械なしでは不可能と評する研究家もいる。正統考古学ではこれらを石のハンマーと青銅のノミで造ったとしている。
そしてシエサ・デ・レオン以降に訪れた征服者達も同じような脅威を感じ、17世紀に訪れたベルナベ・コボ神父は、言い伝え通り巨人族が造ったに違いない――と所感を述べている。
地元のインディオであるアイマラ族は、自分たちが造ったのではないと言うし、実際に彼らにその能力はないだろうと探検家達は考えた。
では誰がこのような壮大な遺跡を造り、そして忽然と姿を消したのか。
アイマラ族は言う。伝承通り、巨人族が造った。巨石はラッパの音により空中に浮き、運ばれたのだ、と。
様々な探検家や研究者が訪れたが、誰しもが首をひねるばかりだった。
1863年。アメリカ人考古学者のエフライム・スクワイヤーはティワナクの遺跡群を見て回り、こんな事を言った。
「あれほど数学的な正確さと、見事な技術で切り出された石はティワナク遺跡以外では見たことがない」

たしかに数学的であった。
石材の角はほぼ90度の直角に切られており、石がまるで機械で加工されたようだった。
曲がることなく直線に引かれた溝の中には、等間隔に並ぶ小さな穴。あまりにも高度な加工技術だった。
プマプンクに残された石材の中で、『H型ブロック』と呼ばれるものがある。
これもやはり精密な造形をしており、それが遺跡のあちらこちらに打ち棄てられていた。
どういった用途でこのH型ブロックが用いられる予定だったのかは不明で、現代もなお議論が続いている。
ある論者は言う。
ブロックはプレハブ工法の建材にも見えます。この工法を行うには工程計画や設計がつきものです。プマプンクは高地に住んだ先住民アイマラ族によって作られた神殿跡だと考古学会では考えられています。しかしアイマラは石器時代に生きた人々で、文字を持ちませんでしたから、設計など絶対に不可能です。石器時代の人々がプレハブ工法を行えたとは思えませんから、ブロックの精度の高さは不思議としか言い様がありません。
同じ大きさ、同じ形、つまりは同一規格の建材を用いて建設するのがプレハブ工法だ。
このH型ブロックがそのプレハブ工法用の建材だったのではないかと言う。
こんな古代の人々が、プレハブ式工法を?
いや、古代、古代と言うけれど、具体的にいつ頃なのだろうか?
これに対し、考古学者で探検家でもあるアーサー・ポスナンスキーは50年に及ぶティワナク研究の成果として、以下の年代を割りだした。
――約1万5千年前。
これは尋常な数字ではない。1万5千年前というと、地球はようやく氷河期の終わりにさしかかり、人類が後期石器時代に突入した頃だ。まさに有史以前だ。
そして、他の科学者、【具体的にはハンス・ルーデンドルフ博士(ポツダム天文台)、フリードリッヒ・ベッカー博士(ヴァティカン天文台)、アーノルド・コールシュッター博士(ボン大学)、ロルフ・ミュラー博士(ポツダム天体物理学研究所)の4博士】 による3年間に及ぶ綿密な検証が行われた。
その結果、博士たちはポスナンスキーの意見は基本的に正しいと結論づけた。
数字だけではピンと来ないかと思われるので、以下に簡単な図表を用意した。有名な遺跡がいつ頃造られたのか、これらと比較してプマプンクの『ありえなさ』を実感してみよう。
下に向かうにつれて現代に近づきます。









とにかく、プマプンクは規格外だ。
ヨーロッパの人間が拾ってきた石を直列に並べたり、円状に並べたりして、やいのやいの喜んでいるその1万年前には緻密な設計をなされたプマプンクが建てられたことになる。
そんなこと、あり得ない。石器時代にどうすればこのような遺跡を造れるというのか。
誰もがそう思う。
そして一部の人はこんな風にも思う。
ティワナクの人々は、なにかしら素晴らしいテクノロジーを持っていたのではないか。
もしかしたら、そのテクノロジーは、地球外からもたらされたのではないか。
遙か古代、地球は異星人の来訪を受けたのではないか。
そして人類は彼らから先端技術を授けられたのではないか。人類は、慌ただしい歴史の中でそのテクノロジーを失ったのではないか。
そんな風に考える人たちがいる。
そう、古代宇宙飛行士説だ。
オーバー&ロストテクノロジー
ここでプマプンクに関する基本的な部分に目を向けてみよう。
プマプンクは現地のアイマラ族の言葉で『The Door of the Puma』という意味だ。ピューマはご存じネコ科の大型肉食獣である。
そしてその場所。
Photoshopを導入して嬉しくて仕方がないオカクロ特捜部は頑張って古地図風のモノを作成した。
が――上手く使いこなせなかった。PSがオカクロにとってのオーバーテクノロジーであった。

ティワナクという呼び名は、現代にあっては管区と村名、そして過去の時代や文化、そして遺跡名という広い意味を持つ。
混乱を避けるために説明しておけば、遺跡に関し、大きな枠組みでティワナク遺跡という遺跡群があり、その中の小ジャンルとしてプマプンク、アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などがあるということになる。 ただティワナク遺跡の中にプマプンクを含めるべきかどうか、少し考える必要がある。

距離が離れているからだ。
アカパナ、カラササヤ、半地下神殿などは近接して建てられているが、プマプンクだけは1㎞ほど離れている。これをしてプマプンクだけは別の時代に建てられたという論者もいる。
たしかに他のティワナクの遺跡と比較して、プマプンクはどこか毛色が違うようにも思える。
比較画像を見ていたただければ、その違和感を感じていただけるかと思う。
アカパナ、カラササヤ、半地下神殿。そのどれも言うまでもなく立派な遺跡であるし、見事な造形である。
だがそれらと並べてみれば、プマプンクだけ作りたい物のベクトルが違うように感じられはしないだろうか。
この『特異感』からか、こんな主張が生まれる。
プマプンクはティワナク遺跡群から切り離して考えるべきだ――と。
もっと言えば、プマプンクを造った者とティワナクを造った者は別の存在である、と。
原住民であるアイマラ族も言ったではないか、「自分たちが造ったんじゃない」と――。
そう、プマプンクだけは別の時代に建てられた――。
実際に、プマプンクは発掘調査が遅れているためか、誰が何のためにために建てたか明確なことはわかっていない。
そして、「巨石をいかにして運んだか」という点においても、いまひとつ明確になっていない。
プマプンクの石を切り出した石切場は、プマプンクから直線距離にして80㎞ほど離れた山中であると言うことは判明しているが、その運搬方法については学者の間でも足並みが揃っていない。
木の丸太をコロにして運んだと言う意見には、「樹木限界線を超えた場所で荒涼たる荒野である。そもそも木がないすよ」とケチがつく。
最近になって「巨石は運河を利用してイカダで運ばれた」という説があがったが、運河の総延長が20㎞しかなく、それもチチカカ湖とティワナクを結ぶだけのものであったため、これも弱いように思える。
運搬は厳しく、加工は困難。そしてその高度なテクノロジーを持った民族は何処へともなく、消えた。
こうなってくると、一部の有識者は天を指さしてニヤリと笑う。
遙か太古のティワナク人は、異星人の来訪を受け、彼らにテクノロジーを授かった――。
あるいはこの遺跡を造ったのが異星人なのではないか――。
そんな古代宇宙飛行士説の論者が主張する話に耳を傾けてみよう。
ここ数年、もっともHOTな論者で古代宇宙飛行士説を扱う専門誌『Legendary Times』を発行するジョルジョ・ツォカロスは荒廃したプマプンクを以下ように観察する。

古代宇宙飛行士説の論者、ジョルジョ・ツォカロス(Georgio A. Tsoukalos)
楽しそうに無茶苦茶な主張を語るからか、懐疑派、ビリーバーを問わず世界中の諸兄から大人気だ。
胸に光るブローチはオーパーツ界隈で有名な『コロンビアの黄金ジェット』。不思議なものへの愛情が伝わってきます。
画像:古代の宇宙人
「プマプンクはこれを建設した宇宙人の手で故意に破壊されたと私は考えています。宇宙人は地球を離れて次の任務へ向かう前にここを壊していったのです。どんな破壊行為が行われたのかは想像しがたいのですが、宇宙人は地球を去る前にここで宇宙戦争を行っていたのではないかと思います」
もうね、好き。
やはりこれぐらいブッ飛んで貰わないと、満足できない。戦争まで飛躍するのがチャレンジブルではあるが、旗幟鮮明な人物だ。
彼ら古代宇宙飛行士説論者に言わせればプマプンクの緻密な石加工は機械によってのみ可能で、十数トンにも届く巨石の運搬にももちろん地球外テクノロジーが用いられたと言うことになる。
そもそも、プマプンク自体、宇宙人が建てた遺跡であり、それを人間たちがマネて造ったのがティワナク遺跡なのだと。
このティワナク周辺には『ビラコチャ』という創造神の伝説が語り継がれている。
ビラコチャは豊富なアゴ髭をたくわえた大柄な白人男で、アンデスの人々に農業、牧畜の知識を授け、時には病気の治癒もした。
興味深いのが、このビラコチャが『大洪水』を起こしたとされる話だ。
遙か古代、創造神は世界を創ろうとした。初めに大地と空を作り、石から巨人も作った。はじめは上手くいっていたが、やがて巨人同士が仲間割れを始め、働くことを拒否した。
そして、その報いとして創造主は世界に大洪水を起こし滅亡させた。ある者は溺れ死に、ある者は石になった。箱の中に入っていた男女二人だけが助かった。
その大洪水が一段落した後、創造主は人間の姿となってチチカカ湖に降臨し、ティワナクを拠点にアンデスのほうぼうを訪ね知識を授けた。時が来ると、ビラコチャは海の泡と消えた。
世界中で確認できる大洪水伝説がアンデスの山中にもあるのは実に興味深い。
大洪水をノアにだけ告げてエコ贔屓したキリスト教圏の神と違い、ビラコチャは根絶やし狙いでいっている。なんだか冷酷残忍なようであるが、本来、平等とはこのようなことを言う。
ちなみにこの創造主ビラコチャ伝説はティワナク周辺だけでなくアンデス全域に広がっており、後に発祥するインカ帝国もビラコチャを創造神としていた。16世紀以降に侵略してきたスペイン人に無理やりキリスト教化されるまでビラコチャ信仰は生きていた。
創造神ビラコチャの図。
土台がアカパナ遺跡の形状になっており、両足の左右にコンドルが描かれている。アカパナは天文台であったとされ、コンドルは南十字星の4ッ星を戴き、アカパナ・ピラミッドの上を通過してゆく。
太陽と同じ位置に立つビラコチャは、どこか完全武装したハニワを思わせる。どう贔屓目に見ても白人には見えない。もう諸兄らにもフルアーマー・ハニワにしか見えないはずだ。
このビラコチャの創世神話を古代宇宙飛行士説論者に解説して貰えば以下のようになる。
宇宙人ビラコチャが地球にやってくる。プマプンクに降り立つ。
↓
せっかくなので、着陸基地としてプマプンク設営。
↓
実験的に自分たちに似た生き物を作り(ゼカリア・シッチンによれば、金の採掘を手伝わせるため)、どうなるのか宇宙から研究観察。
↓
なんだよ、ニンゲンたちはなんだか文明を発展させるどころか、争い始めたじゃないか! やだこれ醜い!
↓
もう見たくない。実験は失敗。 リセット、リセット。
↓
大洪水。
↓
もう一度やり直そう。今度は変に争わないよう、ちょっとだけ入れ知恵して、農業とか教えてみよっか?
↓
なんだか飽きたし帰ります。なんかようわからんけど、誰とするかもわからんけど、戦争もしときますね。
↓
プマプンク、壊しちゃった……なんかゴメンね……。
↓
そして現代へ。
一聞しただけでは荒唐無稽な話に思えるが、やはり荒唐無稽な話である。
だが宇宙人はともかく、ロストテクノロジーの可能性まで一緒くたにして否定するのも誠実とは言えない。
古代宇宙飛行士説にしても、オカクロは頭ごなしに否定はしない。大事なのは真理を探求すること。
ガリレオは笑われた。エジソンは疎まれた。だが正しかった。アダムスキーを笑ったのは正しかった。
世界中の大人が冷笑しても、オカルト・クロニクルはこれらの問題に最後まで真摯に付き合ってゆきたいと思う。
では次ページでは失われた技術と神々の居た証拠を整理してみよう。
新大陸の旧世界
プマプンクにおける一連の『ありえなさ』の主張ををもう一度整理してみよう。
1―高度な石材の加工を見てみなさい。当時のアイマラ族には不可能な加工だった。硬い安山岩にこれほどの加工をするには、なんらかの工作機械が必要だ。レーザー加工機、あるいはダイヤモンドカッター、あとドリルとかね。だが当時の人々には機械なんてない。つまり奴ら、ですよ。
2―10トンを超える巨石を当時の人々に運べたはずがない。えっ? 木のコロでコロコロと、だって? 馬鹿言うな丸太にする木がないんだぞ? 運河? さらにバカげた考えだね。ラッパの音で運んだんだよ。つまり、宇宙から来た『奴ら』ですよ。
3―ポスナンスキーと学者が導き出した『1万5千年前』という科学的結論があるだろ。俺たちが不出来なドルメン作って喜ぶ1万年前だぜ? つまり、奴ら、です。
4―プマプンク周辺には神話に出てくる大洪水の形跡があったんだぜ。チチカカ湖には海にしかいないはずのタツノオトシゴが生息してるんだぜ? 溺れ死んだとおぼしき死体も発掘されたんだぜ? 遺跡の破壊はそのせいなんだぜ? つまり? そう奴らだぜ。
5―めちゃくちゃ天文学に通じていたのは知ってるかい? 1年が365日だと知ってたんだぜ? この時代に太陽暦を用いてたんだぜ? ティワナクで発掘された太陽の門には暦が刻まれてて、日付は紀元前2万7千年頃になってるんだぜ? もう言わなくても良いと思うけど、あえて言うね。奴ら、ですよ。
6―唐突にティワナク人は消えたんだぜ? これだけ高度な技術と知識を持っていながら、先史ティワナクの人々はこの地を放棄し、消えたんだぜ? 君だって思わないか? 彼らは奴らだ、って。
7―文字を持たないのに、これだけ発展するのは無理なんだぜ? 工程計画や設計すら出来ないんだから。もう言わなくてもわかるね? そう奴らですよ。
8―プマプンクのH型ブロックとか意味不明じゃん? こんな精密な同一規格なモノなんてプレハブ式工法で使うしかないでしょう? さあ、答えをどうぞ。そう正解、奴らですね。
ポンセ像
手に持っているものは聖なる杯と草から抽出した薬剤だとされる。
9―ティワナクの諸遺跡とプマプンクって明らかに使われた技術や設計思想が違うよね? えっ? 奴らが作った? 奇遇だね、やはり君もそう思うんだね。
10―半地下神殿の壁面には沢山の顔のレリーフが彫られているんだ。その顔は全然画一的じゃなくて、いろんな人種が掘られてる。黄色人種も、白人も黒人も。そして『奴ら』にしか見えない顔も。当時の人々が世界中の人種を知悉しているワケもない。帆船はもちろん、飛行機もなく、当時の人々は南米から外へ出られないからだ。……代わりに言ってくれないか? そう、君の言うとおり、奴らだ。
11―ティワナクの方に、ポンセ像というのが発掘されたけど、これってモアイっぽいよね。飛躍するかもだけど、モアイってコトは奴らだと考えていいよね。太古のイースター島や、ティワナクに奴らが来てたってコトだよね。サンタイザベル事件のヘッチャラ星人とも似てるよね。
12―チチカカ湖とティワナクは、神話の舞台になった場所なんだぜ? 南米大陸版エデンの園みたいなもんだぜ? 太古のティワナクに『なにか』が降り立った。人々はその『なにか』を目撃したことを神話化し、語り継いだ――と考えると、すごくロマンチックだし科学的でもあるよね。筋が通ってるよね。じゃあ、『なにか』ってなんだったんだろうね。ふふ、君も言いたくてウズウズしてると思うけれど、懐疑論者が寄ってくるから、その『なにか』についてはあえて言わないでおこうよ。
という事である。
なるほど。
だが、『奴ら』はともかく、本当に当時の人たちに加工は不可能だったのでしょうか?
その疑問に応えるべく、『古代の宇宙人』という番組でジョルジョ・ツォカロスが工学技術者の元に訪れ、検証を行っている。
検証では、プマプンクから持ち出した石材片をレーザー加工機とダイヤモンドカッターで切断した。

遺跡のモノをこんな風に持ち出して良いのかはともかく、結果は興味深いものとなった。
顕微鏡を使って太古の昔に切断された面と現代の技術で切られた断面とを比較する。

比較すると明白な違いが確認できる。
技師のクリストファー・ダンは各断面を以下のように評価した。
「レーザーによる切断面にはガラス化作用が起こっています。そしてもちろんダイヤモンドカッターによる切り口には丸いノコの跡が残っていますね。古代人が切断した箇所には全く別の工法が用いられたに違いないと思われます」
経年による劣化を考慮すべきではあるが、実に興味深い。
だが、疑い深い諸兄らは、頭の上に疑問符を浮かべ、やがて、いつものように憤るかも知れない。
「なんだよ! レーザーともダイヤモンドカッターでもない、って、それ結局の所、古代宇宙飛行士説でいう機械で工作したはずって主張となんだか矛盾してるじゃないか!」と。
ごもっともではあるが、レーザーでもダイヤモンドカッターでもない、未知の地球外テクノロジーが用いられたのだ――と言われればそれまでだ。番組ではそこには触れない。そんなことは取るに足らないことなのだ。
個人的にはダイヤモンドカッターが一番美しいと思う。
番組では、さらにH型ブロックの謎にも迫る。
ミニチュアの模型を作り、H型ブロックがいかなる用途に使われたのか推察する。
H型ブロックを調べてみれば、微妙に角度が取られている事がわかった。
これは木材などを接合する『蟻継ぎ』という建築工法に違いない――。

これを踏まえて、どのような用途があるか、考える。
そこで技師のクリストファー・ダンがツォカロスを思索の高みへと導いた。

まさにドアの動くトコ、つまりは蝶番ではないか!
なんだかロマンがあって格好いい仮説ではあるが、部品が見つかっていないし、桁外れの重量である石材を支える棒軸には何を使ったというのか。
そんなツォカロスにさらなる情報が!

もう、プレハブ式工法とか、そういう次元の話ではなくなっている。
そもそもUFOに滑走路が必要なのか、それとも古代人が飛行機に乗っていたのか、あるいは宇宙人が飛行機に乗っていたのか、何だかよくわからなくなってくる。が、それはいい。
あんまり画面キャプしまくっても怒られそうなので、このへんにしておく。
実に面白い番組なので懐疑派肯定派、肉食系草食系を問わずオススメです。
H型ブロックが何の用途に使われていたかは判然としないが、古代宇宙飛行士説論者の言う事にも一理あるように思える。
現在では、ティワナクの石工たちは青銅の留め金を使って、石壁のブロックを繋ぎ合わせる技法を完成させていたという考え方が定説になっている。
キレイに開けた穴に陶器製の柄杓で溶かした青銅を注ぎ、冷えて固まるまで待った。
画像元:National Geographic
正統考古学をやっている学者が、細かい細工に関して「石材同士をつなぎ合わせるためではない」とどこかに書いていたが(ソースは失念)、現在では「繋ぎ合わせたろうね」という事になっており、考古学者がなんだか頼りなく思えてしまう。これも古代宇宙飛行士説が横行する遠因かも知れない。
とはいえ、宇宙人来訪を無条件に信じられるほど我々は純粋でもない。
ここで懐疑論的な目で見てみよう。
神は揺りかごを揺らすか
プマプンクのような、学者の間でも足並みが揃いにくい案件に対し、懐疑論者の出来ることはきっと多くない。
懐疑論者と信奉者の会話は以下のようになろう。
懐疑論者「学者の見解では、紀元前400年~紀元1000年ぐらいが妥当なんだわ。高度な技術だけど、この年代ならあり得なくもないワケよ」
信奉者「それも、『今の学説では』の話だろ。昔は学者も紀元800年以降に作られたと言ってたくせに、どんどん遡ってきてるし。どうせ新発見でまた覆るのさ」
懐疑論者「そうかも知れないが、そうでないかも知れない。とはいえ安易な子供じみた発想に飛びつかず、証拠に基づいて、蓋然性をもって判断すべきだ。オーライ?」
信奉者「論破された、くそー。覚えてろ」
フォーティアン「人類同士、醜い争いはおやめなさい。大洪水が来ますよ? この案件は、もちろん宇宙人などによるものではない。太古にタイムスリップした近代文明人によって成されたに違いないのだから。それが誰かって? もちろんロアノーク植民地から消えた人々さ」
懐疑論者「なんだって-!!」
軽薄な冗談はともかく、頼りとすべき専門家たちが新発見により見識をあらためたり、学説を引っ込めたりする以上、妄信的にそれらを頼ることもビリーバーと大差ないこと。
日本でも『神の手』で色々とひっくり返った事を考えれば、考古学などと言うモノは特に闇が深いと思う。
とはいえ、凝り固まらず、新発見に合わせて学説を修正変更して行けるのは健全であるとも言える。
あまり健全ではないオカルト・クロニクルとしては、そのうちASIOSさんが『謎解き超常現象シリーズ』でバッサリ斬ってくれることも期待しつつ、底意地悪くプマプンクにおけるオーバーテクノロジーおよび古代宇宙飛行士説に向き合ってみたい。
国内にプマプンクのロストテクノロジーについて懐疑的な立場から観察したサイトが見あたらないので、ここはバランスを取るためオカルトクロニクルが懐疑します。
1―高度な石材の加工。これらは当時のアイマラ族には不可能な加工である。安山岩にこれほどの加工をするにはなんらかの工作機械が必要。 たしかに高度な加工である。
だが加工にダイヤモンドカッターが必要だった、と断じるのは誠実ではない。ダイヤモンドのモース硬度を10として、安山岩は5~6。そしてプマプンクで使用された石材には砂岩も多く含まれる。その砂岩のモース硬度は2。
そもそも機械を使わなくとも、同じ南米のマチュピチュでも使われた敲製(ペッキング)という手法であれば、同じ硬度の石材があれば加工は可能である。
大きな石を小さな石で叩き続ける事により整形することができ、滑らかな表面加工には砂を用いる。正統考古学のほうでは、この敲製と砂による研磨により精巧な加工を行ったとしている。
同じインカのマチュピチュに使用された技術である以上、地球外まで教えをこう必要はなさそうだ。
ただ、それを差し引いても高度な技術だとは思う。
切り出された後に放置された石。
画像元:Who Taught the Inca Stonemasons Their Skills?
2―10トンを超える巨石をいかにして運搬したか。んでラッパ。 あまり触れられないが、石切場には切り出した後に放棄されたと思われる石材が牽引痕を残して転がっている。
大ざっぱに切り出して、コロなどで時間をかけてティワナクまで運び、それから加工したと考えるのがシンプルだ。
ちなみに、「ラッパの音で宙に浮いた」という話を読んだ瞬間、「なんで太古の人がラッパの音を知ってるんすか? 発明されたのもっと後じゃね? ひょっとして、この神話が成立したのが近代になってから――トカじゃないんすか?」などとオカルト・クロニクル特捜部はたいそう訝りました。が、調べてみれば太陽の門の隅にラッパ吹きの姿が刻まれており、少なくとも太陽の門が作られたときにはラッパという概念は存在していたようです。疑ってすみませんでした。
なんでもトランペッターが1年の始まりと終わりを表現しているそうで。
3―ポスナンスキーと学者が導き出した『1万5千年前』という科学的結論 これはティワナクが高度な天文学的知識を持っていたという考えに立脚しており、1945年に出版された『ティワナク――アメリカの人間の揺りかご』にて、黄道傾斜による年代測定結果を発表している。
コレに関しては『古代文明の謎はどこまで解けたか〈1〉Skeptic library』から引用したい。皆神龍太郎先生が監修したSkeptic libraryシリーズだ。
ポスナンスキーの説は天文学を利用した年代推定に基づいている。カラササヤとして知られる高台になった神殿はもともと夏至と冬至および春分・秋分の太陽の方向を性格に指していたが、いまではずれてしまっている、とポスナンスキーはいう。
地軸がゆっくりと揺らいでいるため、何千年も経つうちに太陽の方向と合わなくなってくる。この変化は規則的なので、ポスナンスキーはカラササヤが太陽の方向と合致していたはずの時期を算出できた。最後に合っていたのは、紀元前1万5千年頃だった。1920年代にドイツの著名な天文学者たちのグループがポスナンスキーの数字をチェックし、正しいことを確認した。これは、ティアワナコが最終氷期の間に建設されたことを意味する。
このきわめて古い年代の傍証が、予期しない方向から現れた。太陽の門には、今日見られる動物とはかけ離れた、奇妙な生き物の姿が刻まれている。土器や金属製品にも、それと同じ奇怪な獣が描かれている。
サイとカバを混ぜあわせたようなその獣を、1930年代の生物学者はトクソドンだと考えた。トクソドンは1万1千年ほど前、最終氷期の終わりに絶滅した種の1つだ。
お、なんかすごいことになってきたぞ!
と…と……トクソドン!?
最終氷期の終わりに絶滅した種というなら、ちょうどプマプンクの年代と被るじゃないスか!

Skeptic libraryと題された、いかにも懐疑論者向けのシリーズで、ついに驚異的な事実が認められるのか!
フォート先生! ドイル先生! 俺たち、とうとうやりましたよ!
と期待しても、それは虚しい。
(長くキチンとした根拠。略)
このため、ポスナンスキーによる年代測定は、神殿が天文台だったという根拠に乏しい説を受け入れ、現に存在する放射性炭素法を無視することにしないかぎり、妥当なものとはならない。
「計算自体は正しいんだろうけど……前提がちょっとね」――という事らしい。
ちなみにトクソドンや他の動物についても
「ああアレね。ああいうシンボルマークみたいになっている形からなら、何でも連想できるんじゃない? 見たいモノを見るよニンゲンって生き物は」
――と言うことらしい。
なんだか冷たい。
フォート先生……。ドイル先生……。俺たちまた駄目でした。
トクソドンの図。
1万年前に絶滅したと考えられている。 名前は凄そうなのに、何だか地味だ。こう地味だと、もうカバでもサイでもどっちでもいい。
画像元:神々の指紋
正統な考古学では、ティワナクの年代は紀元前400年から紀元1000年前後とされている。ここが妥当な線らしい。
とはいえ、また新発見で覆るかも知れないゆえ、ロマンは残っている。
4―プマプンク周辺には大洪水の形跡があった。 ポスナンスキーは言う。
「だれでもこの近辺を掘ってみると良い。破壊的な水の力と地層の激しい動きによって、様々な骨や陶器や、宝石や、道具や農具がごちゃまぜになり、堆積したことがわかるだろう 」これに関連して、『プマプンクは港だった』というグラハム・ハンコックなどの主張もあるのですが、実際は違うそうです。大洪水も無かったそうです。
逆に大干魃があった。
大洪水で『高い山以外は全て沈んだ』とされ、『その名残でチチカカ湖にはタツノオトシゴが生息している』と繋がるポスナンスキー発の話もあるが、これも実際にタツノオトシゴ生息は確認されていない。
ポスナンスキーはタツノオトシゴの干物を渡されて担がれたということだ。
ただチチカカ湖の水位は10メートル近く変動している。
破壊や荒廃については、18世紀。オヤルデブロというスペイン人が採掘権を買い取り、金を探してティワナクを乱掘したのが1つ。近代になってボリビア軍がプマプンクを砲撃の練習台にしたという笑えないのが1つ。
しかしその破壊や荒廃のために調査が遅れ、謎の遺跡となっているのは人間の業の深さかもですね。
太陽の門”Gateway of the Sun”
巨大な一枚岩から作り上げられたティワナクの代名詞だ。門の上部に描かれた様々なモチーフからティワナク文明の多くの謎が紐解かれた。 上部中央にビラコチャが見える。
画像元:Wikipedia
5―天文学に通じていた。ティワナクで発掘された太陽の門には暦が刻まれてて、日付は紀元前2万7千年頃になっていた。 前半は事実である。太陽の門に刻まれた刻印や、像に刻まれたマークから1年を365日としていたのは間違いない。
だが紀元前2万7千年頃というのが、どこからきた数字かわからなかった。古代の宇宙人情報なのだが、『1万5千年前』を間違ってナレーションしたのかも。
6―唐突にティワナク人は消えた。 事実である。1100年頃にティワナクの人々はこの地を後にしている。
これは調べたら少し興味深い。ティワナクは農業で栄え、官僚制まで導入した高度な文明だったとされるが、その農業経済を支えていたのがスカ・コリュという耕作方法だった。冗長になるので説明は割愛するが、西暦1000年頃から干ばつによってこの耕作方法が使えなくなり、食料不足から衰退したということになっている。
そして、ちりぢりバラバラになりながら、一部の人々は山岳地帯のヒモコ(jimoko)に移住し、山にトンネルを掘って地下都市を形成した。
しかしなぜ、食糧不足でティワナクを後にしたのに、チチカカ湖周辺を何十㎞も離れ、ティワナク以上に食料の乏しいであろう荒涼たる山岳地帯へ移住したのか。正直よくわからない。こういうのも調べてみると案外面白いかも知れない。
7―ティワナク人、文字持たない。 数字などを記録する方法は持っていた。ヒモの結び目で情報を残したようだ。
8―H型ブロック。こんな精密な同一規格なモノなんてプレハブ式工法で使うしかない。 コレに関して、古代宇宙飛行士説が一部正しかったと言えるかも知れない。
学者達の想像力が追いついていなかった、ないしプレ・インカの技術力を甘く見ていた、ということだろう。

現代的解釈におけるビラコチャ。
ものすごく人間ぽく、かつ格好よくなりました。信仰したくなります。顔はちゃんと白い。
画像元:deviantart.com by GENZOMAN
プレハブ式、とまでは行かないかも知れないが、ブロックを計画的に作成利用するメソッドは確立されていた。
9―ティワナクの諸遺跡とプマプンクは設計思想が違うのではないか。 個人的には同感である。なんだか不思議だと思う。同じ、祭祀を行うための建造物なのに。
10―半地下神殿の壁面には世界中の人種の顔が掘られている。 ビラコチャを祀るための神殿である。ビラコチャは世界中の人々を創造したと言う事になっており、なにも不思議ではない――。と懐疑派は結ぶのかも知れない。ビラコチャが創造した世界中の人を、ティワナクの人々が想像で彫ったのだと。
だが、このプレ・インカ時代の人々は南米大陸から出なかったであろうに、『世界には3種類に大別できない様々な人種が存在する』という発想がどうして生まれたのだろうか。少し不思議だ。
島外を知らなかったポリネシアの人々は白人の来訪に、コレもニンゲンか、と驚いたときく。
だが異星人グレイの顔とされている白い顔の彫刻は、個人的にはビラコチャだと思います。白いし。
言わせて貰えば、ああいうシンボルマークみたいになっている形からなら、何でも連想できるんじゃなかろうか。見たいモノを見るんじゃないでしょうかニンゲンって生き物は。
というわけで、半地下神殿の白い顔比較+半地下神殿からオカクロも見たいモノを見てみた。

自画自賛ではあるが、真に迫っていると思う。すごく楽しそうだ。
「なんだよ! 半地下神殿って世界中の人類っていうか、ちょっと時代遅れになったタイプの宇宙人ばっかじゃねぇかよ!」と諸兄は憤りそうであるが、仕方のない事なのである。人は見たいものを見ると聞きます。
半地下神殿の顔を見ていると、よほどグレイとされた白い顔のほうが人間らしい顔つきをしているように思えてならない。
これらをして『世界中の人種』と言うのは少し無理があるのでは無かろうか。
どうせなら、もっと飛躍させて『全宇宙の知的生命体』とすればロマンがあると思う。
11―ポンセ像はモアイ。モアイはヘッチャラ星人。 似てるッすよね。
ちなみに、ティワナク人=アトランティス人という説もありました。あれ? これって話が繋がって……。
12―ティワナクは、神話の土地。何かが来た場所。 近年になって、Googleアースで衛星写真を見たら、チチカカ湖の北に位置する湖の湖底に遺跡らしきモノが見えると話題になった。創造神ビラコチャは湖底から出てきたと言うので、ちょっぴり興味深い。

確かに何かあるように見えるが、湖底遺跡にしてはあまりにも規模がでかすぎないすか。
でもなんだか格好いい。クリックで拡大。
画像元:Underwater Anomalies in The Andes of Peru
そして、月刊ムー情報で、『ティワナクの呪い』というのも報じられていた。発掘に関わった者たちに死や病気にはじまる不幸が訪れているのだという。アルゼンチンの学生と、トラック運転手が被害にあったそうだ。これらに関しては調べてもいない。
というワケで古代宇宙飛行士説の挙げる一方的な主張に関して、ある程度は「異議アリ!」できたかなと。
太古の地球に宇宙人が来たかどうかは別として、積極的に『プマプンク=地球外テクノロジー』説を採る必要はなさそうだ。ロストテクノロジーを否定するものではないが。
すこし余談になるが、様々な書籍をあたり、様々な情報に目を通して、オカクロ特捜部は思いました。
考古学とは結構曖昧な世界であるな、と。
たとえば、先に挙げたスカ・コリュという耕作方法なのだが、ティワナクの大繁栄を完全に支えられる奇跡の耕作法! と少し古い資料では評価されている。
『1993年にスカ・コリュの実用性を検証するため、ボリビアの高原で大規模な実験が行われた。実際にスカ・コリュで農作物を育ててみたところ、収穫量はこの地域で今日行われている一般的な栽培法の最大10倍にもなった。すごいぜ、ティワナキー!』
といった事が学者先生方の口から飛び出しているが、実際にはこれは短期的な成功でしかなかった。この栽培手法では連作による大幅な効率低下が年々進む上、作業の手間が通常栽培のソレよりはるかにかかることが判明している。
農業について門外漢である考古学者が先走った結果、というわけだ。
スカ・コリュが行われていたのは事実だが、夢の栽培法というわけではなかった。となると、この畑での生産量を元に計算されていた人口予測が修正されることにもなる。
スカ・コリュが異常気象による干ばつで機能不全に陥り、ティワナクは衰退した、という大上段の仮説もそのうち修正されるかも知れない。
これだけアヤフヤな世界ならば、『現時点での定説』を絶対の真理のように扱い、様々な異説を『非科学的』と、切り捨てるのが果たして学問として誠実なありようなのだろうか。
ということで前置きが長くなりましたが、以上を踏まえて、オカルト・クロニクルもここまでの調査で得られた情報を元に、勝手に針小棒大な仮説を立て、考古学会に新風を吹き込みたいと思います。
まずティワナク遺跡が作られ、それからプマプンクが作られた。
プマプンクが高度な技術で作られてるのは別に地球外テクノロジーが使われたわけでなく、たんにティワナク人の技術に習熟がかかったために過ぎない。
そしてプマプンクがティワナク中心部から離れた場所に建てられたのは、その頃にはティワナク遺跡がティワナク人にとって黒歴史になっていたからに違いない。「あんな未熟なの見るのも恥ずかしい!」である。テクノロジーじゃなく、黒歴史をロストしたい。創作家には良くあることである。
そして、なぜ未完成で放棄されたか。これは自信をもって言わせていただく。飽きたからである。三日坊主は誰でも経験があるはずだ。古代人も現代人も地球人なのだ。
では破壊や――ティワナク滅亡の原因は何だったのか?
それはもちろんフラッとやってきた宇宙人による襲撃である。奴らだ。
学問として誠実であるべきなので、どうかこんなオカクロ説も無視しないでほしい。誰かに検証して欲しい。
とまぁ、懐疑論者ですら疑ってくれなさそうな仮説はともかく、最後にジョルジョ・ツォカロスの言葉を借りてこの項を閉じたい。
どんなモノであろうと、新たなアイデアを探求してゆく事に価値があるんです。
ジョルジョ・ツォカロス
世界中が彼の理屈や仮説を笑っても、この言葉だけは誰も笑えまい。
何度間違っても誤っても見失っても、事実を拠りどころにして探求するなら、それには価値ある。きっと。
コメント