日本人は独特な感性を持っています。
まず、日本語は他に類を見ない構造を持っています。昔から使われている「大和言葉」があり、外国から入ってきてこれを咀嚼し自らのものとした「外来語」もあり、これらを包含して日本語が出来上がっています。
これらの「言葉」が私たち日本人の「情緒」と「思考」の基盤を作っています。
同じように、空間の把握方法や自然の捉え方にも特殊性があるようです。
日本人の世界観は、人も自然もすべての対象を和合し包含し絡合する感覚なのかもしれませんね。
このような視点で、日本の美と世界の見方を比較した記事を紹介します。
日本の美、日本人の感性と世界の見方(西洋との比較)
最近、「あの日本独特の良〜い雰囲気を出しているものはそうだろう」と思う事が多々あったので、色々と漁ってみた。
日本と海外の「美」
まず、今の「うつくしい」という意味は昔からずっと同じ意味で使われてきたものではなかった。
万葉集の時代では、「うつくし」は親や妻子に対する愛情を表す言葉であったし、平安時代になると、竹取物語の「三寸ばかりになる人うつくしうだった」や枕草子「なにもなに」 「近いものはみなうつくし」から分かるように「近いもの」「可憐なもの」への愛情を表す言葉としては変わった。そして、室町時代になって今と同じ意味での「美しい」へと変化した。
では反対に、今だという「美」に当たる言葉は昔は何だったのか?
奈良時代では、「くわし」。 (正確には「緻密な」という意味)
平安時代では、「きよし」。 (正確には「清い」「汚されない」)
このように、昔から日本人は小さい、愛らしい、細かい、清い、潔いものや余計なものがないものへ美を感じていた事が分かる。また、盆栽や枯山水など、自然を小さな世界で表現するのも日本ならではである。
これはヨーロッパや中国と比べて全く違う。 西洋の筋肉隆々の彫刻作品や力や意義を表すかのような巨大な建築を見ればわかるように、西洋では「豊か」「大きい」「力」 「善」というように「力強く大きい」という美しい感覚がある。中国でも、「美」という感じは「羊の大」を表しているので、大きいものが美だった。ヴェルサイユ宮殿の庭は花壇は左右対称、木はぴったり三角錐、噴水などの人工的なものがあり、とにかく広い。町には注目モニュメントがそびえ立っているのは西洋では当たり前である。
日本人の女性が小さくて恋人がいい理由にもこういうのが関係してるんだろうなぁって思った。
屏風絵から見る日本人の空間の見方
見たら分かるように、風景を描いた屏風絵は遠近法が使われていない。だから、よく屏風絵は写実性に欠けると批判される。ある一点からの視点から考えた場合は写実現実が欠ける。する視点において描かれており、全ての細かい部分までが緻密に描かれている。 日本人は西洋のように空間を切り取るのではなく、空間すべてを連続したものと捉えていたことがわかっている。一部の空間は全体の一部でありながら、拡大して見ることも出来る。
西洋は視点(自分)と対象が離れている。
連続した時間
連続した空間だけでなく、日本人は同じ絵の中に連続した時間も取り入れた。 絵巻物は左から右へと時間とともに絵が変化していく。 また、1つの絵に同じ場所の四季を取り入れるしているものもある。
生きた空間や建築から見る日本人と自然
日本の建築は木と梁で作られていて開放的である。 日本が高温多湿で風通しが良いほうが良いことや木が豊富にあったことも理由の1つだが、日本人の自然日本の伝統的な家は玄関や窓、壁という概念がなく、常に自然に向かって進んでいます。は居間になり、客間になり、寝室にもなる融通自在のものだった。また、家は庭とセットで内部と外部が連続している。
反対に、西洋は寒さが厳しかったので自然とは遮断された内部空間が必要だった事に加え、国境が地続きで外は皆敵なので物理的な障壁も必要だったから石を積み立てて独立空間自然とは決して言われた生活だったが、窓のステンドグラスや壁にかけられる絵画など芸術が発達した。
自然の素晴らしさを日本人を愛するは花見や紅葉狩りに外に出て、自然と一体となって深く頑張ってきたが、西洋では自然を遮断して、我々人間が自然も全てをコントロールするんだという姿勢を感じる。
見た対照的な姿勢は花の絵を比べてすぐわかる
琳派と西洋
日本琳派と西洋の画家たちの違いは一目でわかる。 自然に生えているものをそのままの形で描いているのか、自然から認められた花瓶に生けられた室内の花を描いているのかということ。
また、日本の絵の面白いところは対象だけを取り出して描いているところ。 花と川以外は金箔で余計なものは描かないという日本の美学が現れている。に川も木も空も景色のすべてを描いたのが日本では今日はなかった。
日本には1つのものにじっくり集中するという傾向があるのかもしれません。詳しくはまだわかりませんが、音楽でも西洋はいろんな音階を積み上げて音楽を作っていきますが、日本では1つの音に対するこだわりが非常に強いらしい。
その状況の美と体系的な美
西洋では黄金比や幾何学で美を体系的にとらえようとした。美を順序づけて、「美とはこういうものです」というように、本質自体に美があった。に関わらずいつでも美しいものだったのである。
反対に日本は、美しいと感じる心の世界だった。美と感じたその全てが美の対象になるので、不完全なものや古いでさえ美になる。
「古池や蛙飛び込む水の音」は、カエルや池が良いのではなく、その一瞬の状況に美しいと感じたものである。
まとめ
なるほど。まあ、みんな日本の良さを認識しよう。よく、海外と比べて日本は遅れてるだの、海外はこうなのに日本のやり方はどうなのこうのって話や、日本人は主張しないとか、なんかいろいろあるあるけど、そのまま日本人らしくいきませんか? それによる弊害も確かにあるかもしれないけど、日本人だからこその良いところだってたくさんある。
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