JOG(1458) 米軍の語学教育の「虎の穴」から日本を見れば

米軍の徹底した語学学校で教えていた日本人から見た日本の英語・国語教育のおかしさ
■1.語学教育の「虎の穴」
伊勢: 花子ちゃん、「虎の穴」って聞いたことがあるかな?
花子: いえ、ないですけど。何ですか、それ?
伊勢: ずいぶん前にヒットしたプロレスの漫画『タイガーマスク』に出てくる、地獄の特訓でレスラーを育てる組織だ。実は、語学教育にも「虎の穴」がある。米軍のDefense Language Institute Foreign Language Center(国防総省外国語学校、略称DLIFLC)だ。
そこで日本語教官として教えていた堀之内達也さんが、体験記と語学教育のポイントをエッセイ風にまとめた本を出している。[堀之内]
花子: へえ! 日本人の先生がアメリカ軍で日本語を教えていたんですね。どんな学校なんですか?
伊勢: 方言を含めると40以上の言語が教授され、学生数は2500人に及ぶ。米国の対外関係を反映して、中国語、朝鮮語、ペルシャ語、アラビア語、アフガニスタンのパシュトー語やダーリ語などの学科が花形だ。
花子: 2500人も! すごい人数ですね。クラスは何人くらいなんですか?
伊勢: 1クラスは4~6人。そして日本語なら、わずか64週間でマスターするため、連日6~7時間の詰め込み教育を受けている。
花子: 64週間って…1年ちょっとですよね? そんな短期間で日本語をマスターできるんですか?
伊勢: それが「虎の穴」たるゆえんだよ。まずはひらがなとカタカナを、それぞれたった1週間で完璧に覚えさせることから始まって、半年ほどの基礎学習が済んだら、すぐに、インターネットから拾った日本語のニュースを読んだり聞いたりするトレーニングに入る。
■2.「虎の穴」の卒業生たちの活躍ぶり
花子: そこを卒業した人たちは、その語学力をどんなところで活用するんですか?
伊勢: たとえば、堀之内先生が育てた日本語のエキスパートたちは、「海外地域担当士官」として、東日本大震災の米軍の「トモダチ作戦」でも、自衛隊との調整役で大活躍した。
花子: あ! トモダチ作戦て、聞いたことあります!
伊勢: そうだろう。米軍の活躍で圧巻だったのは、仙台空港の「奪回作戦」だった。堀之内先生が、津波で空港が孤立した様子をテレビで見ながら、これを元に戻すのに何週間かかるのだろうと心配していたら、海兵隊のパラシュート部隊が降り立ち、自衛隊と協力して、あっという間に瓦礫を撤去して、軍用機の離着陸を可能にしてしまった。
花子: すごい! でも、それと語学学校とどう関係があるんですか?
伊勢: 自衛隊と米軍との間で、まずは仙台空港の「奪回」が重要であるという共通認識を持ち、そして、そのためにはどんな作業をどういう順番で進めるべきか、そのために双方のもてる装備や人員をどう活用すべきか、というコミュニケーションが迅速な共同作業のためには不可欠だ。
花子: なるほど! 言葉が通じないと、協力できないですもんね。
伊勢: その通り。自衛隊側にも当然、英語を使える隊員がいるけど、米軍側にも日本語の達者な将校がいて、互いの考え方をよく理解していたら、効率的な共同作業が進められる。
これがさらに台湾有事などで日米の大規模の共同作戦が必要となったら、その価値は計り知れない。そのために、40もの言語で、常時2500人もの将兵に対し、日本語なら64週間でマスターさせるという「虎の穴」を作っているところに米軍の底力が感じられる。
■3.「虎の穴」の3つのポイント
花子: 先生、でもどうして「虎の穴」って呼ばれるほど、そんなに短期間で語学が身につくんですか?
伊勢: そこが重要だね。実は語学教育の「虎の穴」に必要な3つのポイントがあると、堀之内先生は指摘している。「詰め込み」「継続」「環境」だ。
まず1つ目の「詰め込み」は連日6~7時間の詰め込み教育をすることだ。
花子: 毎日6時間以上! 学校の授業を全部、語学に振り向けているようなものですね。
伊勢: そうだね。そして2つ目の「継続」とは、そういう詰め込み教育を64週間も続けることだ。1日や2日じゃない。1年以上、毎日続けるんだ。
花子: うわあ…私なら途中で挫折しちゃいそうです。
伊勢: そして3つ目が「環境」。その言語を使わざるを得ない状況に置かれることだ。日本語なら、日本語にどっぷり浸かって、日本語で会話をし、日本語のニュースを読んだり、聞いたりする環境だ。
花子: つまり、授業以外の時間も日本語漬けってことですか?
伊勢: その通り。この3つが揃って初めて、64週間で日本語をマスターできる「虎の穴」になるんだ。どれか1つ欠けても、同じ効果は得られないだろう。
■4.「日本の教育界は、アメリカの失敗を真似するのが好き」
花子: でも、先生。大人になってからの語学学習は、そんなに苦労しなければ身につかないのでしょうけど、もっと幼い頃からやっていれば、二つの言語を母国語のように自由に話せるバイリンガルになれるのではないでしょうか? それで日本の小学校でも英語の授業が始まったのではなかったですか?
伊勢: 実はそれが大きな迷信なんだ。幼少期から英語を始めればバイリンガルになれるという考え方は、すでにアメリカで失敗しているのだよ。
花子: えっ? でも早く始めた方がいいって、よく聞きますけど…
伊勢: そう思うだろう? でも現実は違う。こういう事実があるんだ。
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実際、学校でのバイリンガル教育が困難であることは、移民が多いカリフォルニア州がそれをあきらめ、ESL(English as a Second Language)、ELD(English Language Development)教育に転換させたことでも明らかです。
そもそも英語に似ている単語が多く、英語よりはるかに難しい文法を使いこなすスペイン語圏の子供に対してでさえ、バイリンガル教育で英語を教えることが難しかったということです。どうも日本の教育界は、アメリカの失敗を真似するのが好きなようです。[堀之内、p31]
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花子: カリフォルニア州って、中南米からの移民がたくさんいるんですよね? そこでもバイリンガル教育は難しかったんですか?
伊勢: そうなんだ。中南米からの子供たちに授業を英語とスペイン語で同時に行ったりして、早く英語を身につけさせようとしたが、結局失敗した。その代わりに進められたESL(English as a Second Language)は、英語を母語としない人々が英語を外国語として学ぶ教育プログラムだ。
ELD(English Language Development)も、英語を母語としない学習者のために、学校で実施され、学業内容と並行して英語を習得させるプログラムだ。どちらも、母国語とは違う外国語として体系的に教えるやり方だ。
花子: じゃあ、ESLやELDなら上手くいってるんですか?
伊勢: それが、まだまだ課題は多いようだ。こんな問題があるんだよ。
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ところで、アメリカの高校でも中退の増加が問題になっています。その理由のひとつは、実は英語力の欠如なのです。
保護者や家族が英語話者でない場合(多くの場合、スペイン語話者)、子供は学校でESLの授業で丁寧に英語を学んでいても、家庭で英語を使わないために、英語力が伸びなくなってしまうのです。[堀之内、p110]
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花子: あ! さっきの「環境」ですね! 学校で勉強しても、家で使わないとダメなんだ…
伊勢: その通りだ。そしてここからが重要なんだが、スペイン語よりもはるかに英語とは異質な日本語を母国語とする小学生たちが、しかも家庭でも日本語しか話さないのに、週に1、2時間、英語を勉強したからと言って、バイリンガルになれるはずがないのだ。
■5.本当の英語力が必要なのは、国民の数パーセント
花子: 小学校から英語を学ぶ無意味さはよく分かりましたけど、「虎の穴」方式だって、私たち普通の中学生には無理ですよね? 1年以上も毎日6~7時間も英語漬けになるなんて…
伊勢: その通りだ。ここで考えなければならないのは、「虎の穴」方式で本物の英語力を身につける必要があるのは日本人の数%に過ぎないということだ。外交官、商社マン、留学生や駐在員などだね。それ以外のほとんどの国民は英語など使う機会はほとんどない。花子ちゃんのお父さんは、町でお蕎麦屋さんをやっているけど、英語を使う機会なんかあるかな?
花子: 地元では人気のある蕎麦屋ですけど、外国の観光客なんかまったく来ないので、全然ありません!
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JOG(934) 国際派日本人にお勧めの英語勉強法
「英語ができなければダメ」という強迫観念から、まず抜けだそう。
https://note.com/jog_jp/n/nd29c817a48ef
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伊勢: そうだろう。それが大方の日本人の状況だ。それ以外の数パーセントは高校か大学の後で「虎の穴」方式で鍛えれば良い。私自身も中学、高校、大学と普通の英語教育を受けただけで、アメリカに行き、そこでまさに「虎の穴」方式で一日中英語で授業を受け、英語の教科書を毎日何十ページも読み、さらにはグループワークでアメリカ人学生たちと議論をした。
はじめの3カ月なんか、授業はまったく聞き取れなかったけど、その後はなんとかこなせるようになった。だから、「虎の穴」方式の有効性は身に染みて分かっている。ところが、日本国民の大半は、そんな必要はないんだ。たしかに、海外旅行に行ったり、観光で来日する外国人と接する国民は多いだろうが、その程度の英会話は中学の英語力で十分だ。
しかも、会話はスマホで電子翻訳ができる世の中になっているから、それを使えば良い。全国民に小学校の国語や社会などの授業時間を犠牲にして、物になるはずもない英語教育をするのは愚の骨頂だね。
花子: じゃあ、私たちはどうすればいいんですか?
伊勢: まずは日本語の言語能力、思考能力を磨いて、その上で、中学高校で文法や読み書き中心の英語をやれば良い。その過程で、学ぶべきなのは、英会話能力ではなく、英語の歴史文化だ。外国の文化を学ぶことによって、自分たちの文化伝統もより深く分かるようになる。
ところが、その日本語すら、おかしくなっている、というのは、堀之内先生が外国人に日本語を教えていて痛感したところだという。
■6.小学校で習うべき尊敬語、謙譲語もできないテレビ局員
花子: 「日本語がおかしくなっている」って、具体的にはどういうことなんですか?
伊勢: 堀之内先生はこんなテレビ番組の例を挙げている。
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レポーターが人気のあるレストランに行って、おいしそうな料理を紹介します。ナレーションも映像と共に流れているとしましょう。・・・
ナレーション「○○ご自慢の△△。店内は満員。ほとんどのお客さんが△△をいただいています」。
レポーター 「いただいている人にお話を聞いてみましょう。すみません、お食事中失礼します。お話を聞いていいですか。△△の味はどうですか」。・・・
どこがおかしいかわかりますか。おかしいところだらけですが。[堀之内、p13]
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花子: えっ! 普通のテレビの番組だと思いますけど。
伊勢: おかしいのは「お客さんがいただいています」という表現だ。
「いただく」は「食べる」の謙譲語で、尊敬語は「召し上がる」だ。自分が食べる場合は「いただく」という謙譲語を使い、お客さんが食べるなら「召し上がる」という尊敬語を使わなければならない。
謙譲語も尊敬語も、外国語にはほとんどない、日本語の文化的特性だが、その違いも分からずに、なんでも「いただく」と言えば、丁寧だと思い込んでいる貧弱な日本語能力なんだよ。堀之内先生はこう言っている。
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公共の電波を使って情報を流している以上、放送局には、情報を公平に偏りなく伝えるとともに、日本語を正しく使う責任もあるはずです。特にNHKにはそれを強く求めたいです。[堀之内、p15]
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■7.全国民が学ぶべきは日本語と日本文化
伊勢: そもそも小学校国語の学習指導要領では、5、6学年で「相手と自分との関係を意識しながら、尊敬語や謙譲語などの敬語について理解することが重要である」と規定されているんだよ。
花子: 私も小学校で習ったんでしょうけど、すっかり忘れていました。
伊勢: 敬語、謙譲語はまさに「相手と自分との関係」から使い分けられるもので、この関係を意識して、共同体の中で細やかな思いやりを働かせることが、日本文化の世界にも稀な特質なんだ。
何でも「いただく」で済ませているテレビ局員などは、小学校レベルの国語すらできていないことになる。全国の小学生に毎週、英語の勉強で1,2時間割くよりも、国語をしっかり教える方が、はるかに国民の品位を上げるのに役立つだろう。
花子: 本当にそうですね! 私も国語をもっとしっかり勉強します!
伊勢: そうそう。まずは母国語をしっかり身につけることが、何よりも大切なんだよ。母国語もあやふやな人間が、それよりもレベルの高い外国語を話せるはずがないんだ。



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