「数の力」で政策を進めることは民主主義の大原則ではないのか、なぜケチをつけるのか

現代の日本
「数の力」で政策を進めることは民主主義の大原則ではないのか、なぜケチをつけるのか | JBpress (ジェイビープレス)
今回の衆議院選の自民党の大勝の原因はまず、高市総理の毅然とした政策への期待以外に、岸田、石破の前政権が暗くじめじめしてひどかったこと、が挙げられる。 さらにその上、立憲民主党と公明(1/4)

「数の力」で政策を進めることは民主主義の大原則ではないのか、なぜケチをつけるのか

 今回の衆議院選の自民党の大勝の原因はまず、高市総理の毅然とした政策への期待以外に、岸田、石破の前政権が暗くじめじめしてひどかったこと、が挙げられる。

 さらにその上、立憲民主党と公明党の血迷った新党が設立され、自滅したことが大きな原因である。中国のねちねちしたケチくさい嫌がらせも、それに輪をかけた。

 首相周辺は「よかった。最高の勝ち方だ」と安堵した。

 ところが早速、自民党のなかから「さすがに勝ちすぎだと思う」とか、「ここまで大勝すると反動が怖い」などと話す中堅議員が出現した。

 なかには「高市さんに反対しにくい空気ができてしまう」という声も出ているという(またこんな反高市の否定的意見を必死で探し回る記者が多いのだ)。

 世の中には、前向きな話をすると、かならずマイナスなことをいっては腐し、水を差したがる人間がいるものである。

 こんな連中は、前向きで積極的な考えが自分にあるわけではなく、ただただ相手を腐したいだけなのだ。

 自分もその組織の一員のくせに、「もし失敗したら、負けたら、売れなかったら、どうするんだ」といい、自分だけいい気になっているのである。

「反対しにくい空気」ができると困るのは

 なにが「さすがに勝ちすぎだと思う」とびびってるんだ。なにが「ここまで大勝すると反動が怖い」だ。なにが「高市さんに反対しにくい空気ができてしまう」だ。

 反対したいことがなにかあるのか。

 あるのだ。

 党内の、こんなに勝って「悔しいのお」(©高橋洋一)の反高市派の存在である。

 石破茂前首相が今回の選挙結果に、「白紙委任とは違う」「多くの議席をいただいたからといって、何をしてもいいという話にはならない」と釘を刺した。

 岩屋毅前外務大臣も「(高市政権が)間違った方向に行きそうな時には、ブレーキを踏むことを心掛けないといけない」といった。

 あきらかに「勝ちすぎ」たことの弊害でしかないこの二人は、「志を同じくする人と相談して」反高市の党内グループを作らねば、と考えているようだ(13日、岩屋は、これは「新党」結成でない、「総理は支えていく」などの釈明文を出したが、信用できない。例えば、これまでスパイ防止法の制定について、口では「慎重」といいながら、実際的には反対してきたからである)。

 それにしても、日本のほとんどのテレビ局や新聞社が、かくも露骨に反高市の姿勢を隠さないことに驚く。隠さないどころか、テレ朝の大越健介みたいなケンカ腰のものまでいる。諸君は「人民日報」か、CCTV(中国中央電視台)か。

 大勢が判明したのち、TBSの選挙特番で太田光が「もし(消費税0%に)できなかった場合、高市総理はどういう風に責任を取るんでしょうか?」と問うた。

 これが太田本人が考えた質問かどうか知らないが、まだなにも始まってもいないのに、このざまである。

形式的な批判はもう聞き飽きた

 選挙翌朝の2月9日、羽鳥慎一モーニングショーで、政治評論家としての影響力が薄れてきた田崎史郎が、「こわいのは(自民党の)暴走だ」とケチをつけている。

 大丈夫だよ、田崎クン。高市総理はプーチンや習近平じゃないのだから。

 同じく2月9日の毎日新聞の一面に、政治部長の高山佑という人の「分断深めてはならぬ」という記事が載っている。

 いわく、首相は「国論を二分するような大胆な政策・改革」を進めるというが、「『白紙委任』を得たとばかりに『数の力』で押し切ることがあってはならない」。

 しかしこんな形式的な批判は、もう聞き飽きた。なんの役にも立たないし、そんなつまらんことなら、すでに君らの好きな石破・岸田がいっているよ。

 高山はさらに「説明責任をしっかり果たしながら少数意見に耳を傾け、合意形成を図ることは民主主義の要諦だ」という。

 これでどうだ! と思っているようだが、これもただの常套句だ。

 少数意見を聴き、「合意形成を図ることは民主主義の要諦だ」というのはいい。

 しかしそんなことよりも、選挙で多数を取り、その「数の力」で政策を“推し進める”ことは、民主主義の大原則ではないか。

 この世のほとんどのことを決めているのが、「数の力」(多数決、資産、売上高、販売部数、視聴率、再生回数)である。

 毎日新聞政治部長は「世論の分断を深めてはならない」というが、いったいなにを恐れているのか。

「責任ある積極財政、国家安全保障戦略など安保関連3文書の改定、スパイ防止法制定、国旗損壊罪創設」などの政策を「押し切る」べきではない、といいたいのだ。

 ようするに、自分たちが嫌いな政策をやるな、といっているだけである。

 同日の「独断専行に陥れば信失う」という社説も、端からケチのつけ放題だ。

「個別の政策論争よりも人気投票に持ち込んで『突風』を起こすことに成功した」と嫌味をいい、歳出拡大の財源や日中関係の打開策を問い、NHKの党首討論の欠席にアヤをつけ、「独断専行」ではなく「丁寧に合意形成を図る政権運営が求められる」と締めている。

 楽でいいねえ、日本の「ジャーナリスト」は。

議論が尽くされ、合意が形成されたことがあるのか

 中央大学法科大学院教授で弁護士の野村修也は、X(旧ツイッター)でこのようにつぶやいている。

「左派系メディアは、日本を蔑める発言や綺麗事で人間の欲望やビジネスを批判する発言こそが、知識人の証と勘違いするのは止めた方がいい。例えばスパイ防止法について、言論の自由を盾に議論することすら許さない姿勢は止めて、弊害を防ぐ作り方を考えた上で無理かどうかを発信する姿勢に転ずべきだ」

 まさにそのとおりである。

 これまでにこの国で、議論が尽くされ、合意が形成されたことなどあるのか。

 政権側だけが悪いのではない。「リベラル」の側だって、自分たちの主張は絶対に枉(ま)げる気はないのである。

 なにが「合意形成」だろうか。

 形式的なきれいごとをいって、文句ばっかり垂れて、もう暗いのだ。

 わたしは学生時代から、「リベラル」を自任していた。

「リベラル」といっても、きちんとした思想的裏付けがあったわけではなく、単純に、弱いものや小さいものの味方、といった程度だった。不公平や不公正も嫌いで、いじめをするやつや、いばってるやつが嫌いだった。

 だがその一方で、死刑は賛成、もちろん総理の靖国参拝も賛成、人権は相手の人権を尊重する人間にしかない、と考える「リベラル」だった。

 しかし定年後、その「リベラル」から転向したのである。「リベラル」がインチキでうそつきばかりで、ただの権威主義者とわかったからである

希望のある社説は書けないのか

 元TBSキャスターで立憲民主党の杉尾秀哉参院議員はXで、「相手のトンデモ候補を勝たせる訳には参りません。どうか有権者の皆様は賢明なご判断を!」と、この言説が逆効果になることも知らず(なぜわからないのだろう)、安住淳を応援した。

 立憲民主党(に限らないが)には杉尾や小西洋之をはじめ、この手の議員がいっぱいいる。かれらは、他人を見下し「トンデモ」と侮辱するという、品性の低い人間なのだ。

 中道改革連合の野田佳彦共同代表は、大敗の責任を問われ、「万死に値する」といっていたから、当然、最低限でも議員辞職をするのかと思えば、口先だけでいい逃れて居直り、単に代表辞職をしただけで、澄ました顔をしている。

 自分たちの言葉のウソに鈍感で平気なのが、政治家や「リベラリスト」なのだ。

「平和安保法制」を「戦争法案」といい換えて国民を脅し、憲法改正をいうと、「戦争のできる国にしょうとしている」と世迷い言をいう。

 新聞は、自国の政府を、貶め、腐すような陰々滅々とした社説を書くのではなく、もっと明るい、希望のある社説は書けないのかね。

 たとえば、国連から、米ソ中のならずもの国家が占めている常任理事国という制度はなくしたほうがいいと訴えるよう、政府に提言したらどうか。

 戦前の国際連盟で、日本が唯一、人種差別撤廃法案を提議したようにである。

 また、どんな歴史的根拠も現実的根拠もない、「1つの中国」という妄言を退け、世界が台湾を正当な国家として承認するように(現在、承認国は12か国)日本政府に求め、さらにG7で根回しをしたほうがいいのではないか、と提言してはどうか。

 マスコミは報道だ、ジャーナリストだと威張っているし、凡百の政治家たちも国民がバカに見えてしようがないらしい。

 かれらは結局、自分のことや、自分たちの立場(会社、党)しか考えていないのである。弱者や少数者の味方のフリをしていても、所詮他人事なのだ。

 わたしには、本気で日本と日本人のことを1番に考えているのは、高市早苗総理のように見えるのである。

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