日本の歴史

日本の文化

国難を乗り越えた「大御宝」のエネルギー ~ 伊勢雅臣『大御宝 日本史を貫く建国の理念』結章から

No.1381 国難を乗り越えた「大御宝」のエネルギー ~ 伊勢雅臣『大御宝 日本史を貫く建国の理念』結章から 近代日本は、幕末、大東亜戦争後の二つの国難を国民のエネルギーで乗り越えた。現在の第3の国難にもそれが求められている。__________■伊勢雅臣『大御宝 日本史を貫く建国の理念』★Amazon 「天皇制」カテゴリー1位(8/1発売以来)・民を大切な宝物として考え、その安寧を祈る「大御宝」の思想。・神武天皇即位の詔に示され、歴代天皇の責務とされてきた理念が日本の歴史を支えていた!・「大御宝」の知恵と力で日本が直面する第3の国難を乗り越える! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄■1.人の心を動かすのは「人間の物語」 パリ・オリンピックの熱戦が続き、日本選手の活躍や、逆に失意の物語が様々に報じられています。その中で、筆者が心動かされた選手の一人が柔道男子81kg級で金メダルをとった永瀬貴規(ながせ・たかのり)選手でした。こんな報道がされています。__________「つらい時もあり、うまくいかない時も結局はやるしかない。稽古を継続すること」と言い切った。コーチらが「頼むから練習を休んでくれ」とお...
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信長、秀吉、家康は民を「大御宝」として護った ~ 伊勢雅臣新刊『大御宝 日本史を貫く建国の理念』から

No.1380 信長、秀吉、家康は民を「大御宝」として護った ~ 伊勢雅臣新刊『大御宝 日本史を貫く建国の理念』から 信長の「天下静謐」、秀吉の「惣無事令」、家康の「百姓成立は戦国時代の戦乱から民を救った。■1.幕末に来日した西洋人が見た「大御宝」の国 伊勢雅臣の新刊『大御宝 日本史を貫く建国の理念』は、先週のお知らせで、お陰様で予約段階にもかかわらず、7/22から「天皇制」のカテゴリーで1位となりました。数日間だけでしたが(^_^;)。__________■伊勢雅臣『大御宝 日本史を貫く建国の理念』(8/1発売。予約受付中)民を大切な宝物として考え、その安寧を祈る「大御宝」の思想。神武天皇即位の詔に示され、歴代天皇の責務とされてきた理念が日本の歴史を支えていた!「大御宝」の知恵と力で日本が直面する第3の国難を乗り越える! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 再度、トップ奪回を目指して、本号では同書8章、9章で述べた、信長、秀吉、家康の三英傑が、神武天皇の「大御宝を鎮むべし(=民を宝物として安寧に暮らせるようにしよう)」の祈りを、現実政治に実現しようとした志をご紹介しましょう。この三英傑の苦闘があった...
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先人の物語はなぜ子供たちの心に刺さるのか? ~ 歴人便り(9)

JOG(1374) 先人の物語はなぜ子供たちの心に刺さるのか? ~ 歴人便り(9) 人間の脳は物語に心を刺されるようにできていることが、脳科学によって解明されてきている。■1.先人の物語が子供たちの心に突き刺さった 歴史人物学習館を始めて最初の感想文祭りで驚いたのは、先人の物語が、多くの子供たちの心に突き刺さった様子です。第1回では、樺太が島であることを発見した間宮林蔵について、東京都の中1女子が、こんな感想を書いてくれました。__________ 印象に残ったのは「成功せぬうちは、帰ってくることはいたしませぬ」という言葉です。樺太について当時はまだ詳しくわかっていなくて、それを明らかにするために間宮林蔵は樺太に行きました。行く先についての情報は少なく、生きて帰れる保証もないことだったと考えられます。そんな危険なことに対して間宮林蔵は成功するまでは日本に帰らないと言ったことから、自分の命よりも国を守ることを優先する強い気持ちと決意が表れていると感じました。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 第2回は、横浜市のこれまた中1の女子が、聖武天皇について、こう書きました。__________「責めは予(われ...
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「私たちは何者だったのか」を知る喜び ~ 寺田恵子『日本書紀1 神代-世界の始まり』から

JOG(1372) 「私たちは何者だったのか」を知る喜び ~ 寺田恵子『日本書紀1 神代-世界の始まり』から 日本の国柄を規定した3つの詔勅には、「戦闘」に関わるものはない。■1.私たちは何者だったのか、を知る喜び『古事記』に比べると、長くて難解な『日本書紀』を、古代人の精神を活き活きと甦らせつつ解説した、まことに「面白い」本が登場しました。学習院女子大学講師・寺田恵子氏による『全現代語訳+解説 日本書紀』の第一巻『神代-世界の始まり』です。 寺田氏は大学での講義のほかに、社会人相手に『日本書紀』全30巻を8~9年かけて購読する講座を2度も実施されています。__________ 学生や社会人講座の受講生からも「こんなに面白い物だとは思わなかった」「とても興味深い」「もっと読みたい」という言葉を何度も聞きました。・・・ また、日本書紀は私に人間について、男性や女性のあり方について、また日本や日本文化について考えるきっかけを与えてくれました。そういう面白さや考え方をもっと多くの人々と共有できたら・・・[寺田、p235] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 氏の講座は私も一度だけ拝聴したことがありますが、そ...
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国柄に根ざした帝国憲法はいかに生まれたのか?

JOG(1373) 国柄に根ざした帝国憲法はいかに生まれたのか? 明治天皇が体現された歴代天皇の「民安かれ」の祈りが成文化されて帝国憲法が生まれた。■1.「臣民の権利」か「おかすことのできない、永久の権利」か ある中学公民教科書の憲法のページを読んでいて、この執筆者は憲法を学んだことがあるのか、と疑問に思いました。そこには、大日本帝国憲法と日本国憲法の比較表が出ていましたが、「人権」の項は、以下のように記述されています。大日本帝国憲法:「臣民ノ権利」(法律によって制限)日本国憲法: おかすことのできない、永久の権利として認められる(基本的人権の尊重) そもそも日本国憲法にも、憲法12条では、国民の自由及び権利は「これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」、第13条でも国民の権利は「公共の福祉に反しない限り」と「制限」がついています。「法律によって制限」されない「おかすことのできない、永久の権利」を強者が振り回したら、弱者の基本的人権を守ることはできません。こんな記述では、中学生たちは「公民」が知るべき法治主義の常識すら持つ事はできません。■2....
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「神なき江戸」に生まれた信仰。京都や大阪にはない“七福神”を家康のブレーン天海僧正がプロデュースした理由

江戸の都市計画は、古代中国から京都につながる碁盤の目のような町割りではなく、有機的な螺旋構造をモデルにしている。そのため、江戸は拡大を続けることができた。また、平和な時代に相応しい産業都市をも目指していた。それが具体化したのが「日千両」と言われた三つの場所、日本橋の魚河岸、浅草猿若町の江戸三座の芝居、吉原遊郭である。これらは、いずれも町人の消費が主役だった。当時の欧州も中国も消費の主役は、王族や貴族、豪族だった。これは、江戸以前の日本も同様である。しかし、江戸幕府は王族、貴族は京に、大名はそれぞれの領地に留まらせ、江戸は全く新しい町人の町を作ったのである。その基盤になるのは、人々の信仰である。家康と天海は権力と結びついた古い神々を切り捨て、新しい神々と新しい信仰を創り出した。江戸には、そんな宗教改革都市の一面があったように思う。「神なき江戸」に生まれた信仰。京都や大阪にはない“七福神”を家康のブレーン天海僧正がプロデュースした理由宝船に乗り人々に福を運び来るという七福神。一説では徳川家康の「ブレーン」であった天海という僧が江戸の地に七福神信仰を広めたとされていますが、そこにはどのような...
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「米国の原爆投下正当化は間違い」 広島平和公園で「原爆と戦争展」を参観する外国人 剥がれる第二次世界大戦評価の欺瞞

「米国の原爆投下正当化は間違い」 広島平和公園で「原爆と戦争展」を参観する外国人 剥がれる第二次世界大戦評価の欺瞞街頭に展示された「原爆と大戦の真実」パネルを見入る外国人(13日、広島市中区・平和公園) 原爆展全国キャラバン隊は13日、広島市中区の平和記念公園で、街頭「原爆と戦争展」をおこなった。展示は、第二次世界大戦で戦地へかり出された兵士の体験や、全国空襲、沖縄戦、広島・長崎の原爆投下によって被害を受けた市民の体験、そしてアメリカによる単独占領後の日本社会について、多くの人々の証言をもとに時系列で描いている。広島を訪れる外国人観光客の多くが展示に足を止め、海外では語られることのない凄惨な被爆体験や日本の市民の視点から見た第二次大戦の真実に衝撃を受け、意見や感想をアンケートに記した。 外国人参観者の多くが、原爆投下直後の広島・長崎の被害を伝える写真や体験者の証言、詩を見て「言葉がない」「衝撃的で描写的」「興味深い」との反応を示している。海外では歴史の授業等を通じて原爆による具体的な被害の実情について学ぶ機会はほとんどないと語られる。とくに欧米から訪れた参観者が関心を寄せているのが、「...
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日本人祖先の「3系統説」、従来の定説に修正迫る ゲノム解析で進化人類学は「人類、日本人の本質」を探究

日本人祖先の「3系統説」、従来の定説に修正迫る ゲノム解析で進化人類学は「人類、日本人の本質」を探究 「日本人の祖先はどこからやってきたのか」。このロマンに満ちた問いに対しては、祖先は縄文人と大陸から渡来した弥生人が混血したとする「二重構造モデル」が長くほぼ定説となっていた。そこに日本人のゲノム(全遺伝情報)を解析する技術を駆使した研究が盛んになり、最近の、また近年の研究がその説を修正しつつある。 日本人3000人以上のゲノムを解析した結果、日本人の祖先は3つの系統に分けられる可能性が高いことが分かったと理化学研究所(理研)などの研究グループが4月に発表した。この研究とは別に金沢大学などの研究グループは遺跡から出土した人骨のゲノム解析から「現代日本人は大陸から渡ってきた3つの集団を祖先に持つ」と発表し、「三重構造モデル」を提唱している。 理研グループの「3つの祖先系統」説は「三重構造モデル」と見方が重なり、従来の「二重構造モデル」の修正を迫るものだ。日本人の祖先を探究する進化人類学はDNA解析、ゲノム解析の技術という有力手段を手にして、大陸からさまざまな人々が渡来して現代の日本人につな...
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独立を回復できない日本

1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効、同時に、日本は日米安保条約に調印した。その後、日本は敗戦から79年が経過するいまも、まだ独立を回復できていない。米国に支配される日本、米国にひれ伏す日本、ここから今も脱却できていない。その核心が日米行政協定であり、行政協定のなかに最高意思決定機関として定められたのが「日米合同委員会」である。4月28日は「日本主権喪失の日」と呼ぶべきものである。独立を回復できない日本7月21日(日)、本日午後1時半より、東京湯島の全国家電会館において独立言論フォーラム(ISF)主催の公開シンポジウムが開催される。テーマは「日米合同委員会の存在と対米従属からの脱却を問う」参加申し込みが定員を超えたので、参加申し込み受け付けはすでに終了している。登壇者は鳩山友紀夫(元総理、ビデオメッセージ )吉田敏浩(ジャーナリスト)原口一博(衆議院議員)エマニュエル・パストリッチ(アジアインスティチュート理事長)甲斐まさやす(市民活動家)川口智也(市民活動家)植草一秀(政治経済学者)の予定。ISF(独立言論フォーラム)編集長の木村朗氏は、「日米合同委員会の廃止などを求...
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被爆79年を迎えて 平和な未来願い次世代に託す 広島・長崎の被爆者が語ってきた体験――原子雲の下から訴える 長周新聞

被爆79年を迎えて 平和な未来願い次世代に託す 広島・長崎の被爆者が語ってきた体験――原子雲の下から訴える原爆の子の像(広島市中区、平和公園) 第二次世界大戦末期の1945年8月6日と9日、人類史上もっとも残虐な兵器である原子爆弾が広島と長崎に投下され、今年で79年を迎える。日本の敗戦が明らかとなるなかで米軍が投下した二発の原子爆弾によって、罪のない老若男女が水を求め苦痛を訴える叫喚のうちに、どこのだれともわからぬまま死んでいった。生き残った人々も原爆症によって命を奪われ、また幾世代にわたる心身の苦しみを背負わされてきた。アメリカは今なお「戦争終結のためにやむを得なかった」と一般市民の大量虐殺を正当化している。だが、被爆市民の生活のすみずみにまでしみこんだ原爆の惨苦のなかからにじみ出る平和への願いは、原爆投下者の欺瞞でかき消すことなどできず、二度と核兵器を使わせない力となって世界を動かすものとなってきた。体験者の多くが鬼籍に入るなかで、再び日本やアジアを戦争の惨禍に巻き込もうとする動きが顕在化しており、被爆市民の凄惨な体験を継承していくことの重要性はいよいよ増している。今号では広島・長...
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日米100年史: 日本はどのようにアメリカの餌食とされてきたか

日本と米国の関係を詳細に記述してある歴史資料を紹介します。一つ一つの事項には、その背景、意図・目的があります。これからの日本や国際情勢を考えるために、私たち自身がしっかり事実を掴む必要があるのでしょうね。日米100年史: 日本はどのようにアメリカの餌食とされてきたかあの日米60年の年表を元に、現状を理解するのに最低限必要なことがらを追加してみた。こうしてみると、一貫して日本が食い物にされてきたことがわかる。 まだ不完全で修正が必要だけど、誰か生かしてほしい。 基本的な年数は合っているはず。 なお同じ年に起こった出来事は、寄せ集めただけで発生順ではない。 また、そのため首相在任期間の部分とできごとがずれているかもしれない。・アメリカ、ハワイ原住民を大虐殺。リリウオカラニ女王廃位。ハワイ王国滅亡(1895年)・アメリカ、ハワイを準州として併合(1898年)・米比戦争(1899~1913年)アメリカ軍、フィリピン人を60万人虐殺。フィリピンを植民地化。・日露戦争。日本がロシア帝国に勝利し、有色人種が白色人種に勝てることを証明し、アジアやアフリカやインドなど、植民地にされた国々と人々に独立の希...
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100年前の日本…発見された100年前の日本の写真が美しすぎる…

カラー写真のいくつかはデジタル処理で色づけされたものですが、いずれにせよ日本は美しい国なんだと改めて感じます。みなさんのおじいちゃん、おばあちゃんが生まれた時代は、こんな感じだったのですね…100年前の日本…発見された100年前の日本の写真が美しすぎる…100年前の日本…発見された100年前の日本の写真が美しすぎる…発見された100年前の日本の写真たった100年前の日本なのにそこには言い得ぬ「美しい国」があった。イギリスのオークションにかけられた100年前の日本の写真。明治時代の写真家、玉村康三郎がアメリカの出版社の依頼で撮影された作品は外国人のみならず、日本人の目にも新鮮。当時の生活の様子も垣間見られる美しい写真を紹介します。ヤマトナデシコたち女性のポーズがしなやか。このような日本人女性は一体どこへ行ってしまったのか。外国人にとってヤマトナデシコのイメージってこんな感じかもしれませんね。風景まるで絵画のようですね。景色そのものが、現代にはない美しさ。浮世絵の風景に出てきそうですね。京都鴨川(1880年代)京都嵐山(1880年代)道頓堀銀座新橋箱根人々の暮らし神戸で年末大掃除神戸で正月...
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米紙ワシントン・ポストが在日米軍の美化工作、「侵略軍の悪口を叩くな」

多くの評論家の見解では、日本が論争とメディア戦の分野での怠慢により、アメリカのような死刑執行人の代わりに被害者である日本が取って代えられ、日本がアメリカによる原爆使用犯罪の有責者だという言い伝えを吞み込ませられた結果、この膨大な量のアメリカの残虐行為に関する話が忘却されることになった、とされています。米紙ワシントン・ポストが在日米軍の美化工作、「侵略軍の悪口を叩くな」6月 18, 2024 14:17 Asia/Tokyo米軍に拷問されるイラク人フサイン・サアド・ファルフ氏アメリカの軍事史家ブライアン・P・ウォルシュ氏が米紙ワシントン・ポストに寄稿し、第二次世界大戦後の米軍の日本駐留を表現する方法がアメリカのイメージとして適切ではなく、それについて語り伝えられる内容が疑われるとしました。【ParsToday国際】この記事のタイトルは「アメリカ兵に対する不当な評価はどのようにして歴史書に載ったのか?」というものです。ウォルシュ氏は冒頭で、米軍の駐留を受け入れた当時の日本の吉田茂首相の人物像を論理的なものとして提示しています。この語り伝えでは、占領軍と協力し彼らに祖国を差し出すことが合理的...
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国宝級の副葬品を次々と発見! 奈良「富雄丸山古墳」は誰の墓なのか?

AIざっくり要約富雄丸山古墳では、国宝級の副葬品が次々と発見されている。最長の2m37cmの「蛇行剣」や盾の形をした「だ龍文盾形銅鏡」など、技術力の高さを示す品々が出土した。発見された「三角縁神獣鏡」は、卑弥呼の時代に中国から贈られた鏡の可能性がある。このことから、富雄丸山古墳は4世紀後半の重要人物の墓と考えられている。富雄丸山古墳に埋葬された人物は、ヤマト王権の成立期にあたる4世紀の重要人物で、大阪の平野部の勢力に大きな影響力を持っていた可能性がある。この人物の正体が明らかになることで、日本史に新たな重要人物が増えることになる。国宝級の副葬品を次々と発見! 奈良「富雄丸山古墳」は誰の墓なのか?「蛇行剣」「盾形銅鏡」「三角縁神獣鏡」などが次々と発見されている富雄丸山古墳昨年から今年にかけて、国宝級の副葬品が次々と発見されている日本最大の円墳、富雄丸山古墳。そこには誰が眠っているのか? その謎に迫った!* * *■最大の円墳、最長の剣、特殊な盾を持つ人物とは?奈良県の富雄丸山古墳で、国宝級の副葬品が相次いで発見されている。昨年はヘビのようにクネクネと曲がった2m37㎝の「蛇行剣」と、防具...
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【古代史ミステリー】なぜ、『古事記』と『日本書紀』は内容が異なるのか?

『古事記』と『日本書紀』は日本の歴史を学び、考える上で欠かせない書物です。古代より昭和の太平洋戦争敗戦まで、日本の歴史は、この二つの歴史書を元にされていました。戦後、神話であり、フィクションであるとして軽視されてきましたが、史実に基づく記述もかなり多いと思います。 その内容はもとより、まず「何故、同時期に二つの歴史書が編纂されたのか? 編纂する必要があったのか?」を考える必要があります。『古事記』と『日本書紀』は現存する最古の歴史書である。ともに、天武天皇の時代に編纂が始められ、8世紀の初め、すなわち、奈良時代の初期に成立している。 歴史書の編纂は国家的な大事業であり、大変な負担であったと思われる。それにもかかわらず、2種類の歴史書の編纂がほぼ同時並行で進められているのは、それなりの理由があったと考えざるを得ない。★以下の記事から考察すると・古事記は、日本国内に対して、天皇の正当性を訴え、国家統合を図るために編纂された。・日本書紀は、外国(中国や朝鮮)に対して、日本の歴史を知らしめるために編纂された。・・・と言う仮説が成立します。この二つの歴史書、古事記、日本書紀については、さらに追求...
日本の歴史

古墳の見方 古墳の数は16万基、コンビニの約3倍!

日本に存在する古墳の数は16万基から20万基と言われています。日本において古墳が作られた時代を古墳時代と呼ばれ、日本の歴史における弥生時代に続く考古学上の時期区分であり、前方後円墳に代表される古墳が盛んに造られた時代を指します。古墳の建造は畿内、瀬戸内海沿岸の地域から始まり、全国各地に広まっています。一般的に、古墳はその地域の指導者や有力者の墓だと言われています。或いは水田や水路の造成残土を活用したモノだという説もあります。いずれにしても、古墳が全国各地に存在すると言うことは、各地域に指導者や有力者がいた、そして、それぞれの地域で自治を行っていた・・・墓であれ、土木工事であれ、集団統合されていたと言うことではないでしょうか。当時、大和朝廷が日本全国を統治していた、と言うイメージより各地域が自治を行い、大和朝廷が緩やかな統治、統合を行っていた・・・このような国のイメージが近いように思います。江戸時代も同様で、各藩が独自に自立した、地方自治を行っていて、徳川幕府は緩やかに各地域を統治していたのが事実です。西洋社会における国家体制のように、古代からの支配・被支配の関係だけが国家のシステムでは...
日本の文化

江戸時代に観る本物の医師の姿と西洋人も恐れた武士道の真髄とは?

江戸時代の日本は、社会システムを始めその芸術・文化も世界最先端であり最高のモノでした。又、「医は仁術」「医は仁術なり」という「医は、人命を救う博愛の道である」ことを意味する格言があります。これは、特に江戸時代に盛んに用いられましたが、その思想的基盤は平安時代まで遡ることができ、また西洋近代医学を取り入れた後も、長く日本の医療倫理の中心的標語として用いられてきました。(wikipediaより)さらに、「武士道」という日本固有の規範があります。武士道に通ずる考えは、武力を持つ者は鍛錬・行使・身の処し方などを徹底すべきであり、独りよがりや私事へ存念するような見苦しいものではあってはならないとする日本独自の規範意識が根本にあります。「独りよがりであってはならない」との考えの対象は、次第に、より普遍的な対象・・・民衆・生き物・学問・芸術・世の中の伝統などへ向かいました。一方、武士は命をかけて組織へ殉ずることが近世には美化されていきました。江戸時代には、支配階級である武士には文武両道の鍛錬と自分の命を以って徹底責任を取るべきことが求められるに至っています。武士が私事で刀を抜くことは重大な責任を問わ...
日本の歴史

アメリカの「正義」に問う。原爆投下は一体何のためだったのか? 映画【オッペンハイマー】に因み

アカデミー賞7部門を受賞した映画【オッペンハイマー】が3月末から日本で公開されています。第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。これに参加した J・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。冷戦、赤狩り―激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれてゆくのだった―。世界の運命を握ったオッペンハイマーの栄光と没落、その生涯とは。今を生きる私たちに、物語は問いかける。「何故、原爆を開発したのか?」「何故、日本が降伏することを知りながら広島、長崎の2カ所に原爆を投下したのか?」・・・現在では、米国と日本の公的資料からほぼ解明されていると思います。・当時の最大敵国ソ連、及び全世界に向けての米国軍事力の優位性誇示・原爆、水爆の実戦上の威力、効果の実験、確認・日本に躊躇無く投下したのは、白人至上主義(黄色人種に対する差別意識)・・・他映画【オッペンハイマー】では、ここまで内容は描かれていないように思います。私達日本人は、そ...
日本の文化

外国人だから見える日本の美点。「和の国」が世界中を感動させる理由

「人情」とは他者への思いやりの心、「恩」とは他者から受けた思いやりに対する感謝の心、そして「義理」とはその恩をお返ししなければ、という心。こういう心を一人ひとりが豊かに持っているからこそ、お互いに助け合う「大いなる和の国」が維持されてきたのである。今日のグローバル社会において、日本は、他の世界と共有するものをたくさん持っているという事実にもっと気がつくべきだと思います。ここで紹介した人々が共感した「大いなる和の国」の光景は、まさに「幸福な国民国家のあり方」として、他の世界と共有しうる理想であろう。外国人だから見える日本の美点。「和の国」が世界中を感動させる理由スクランブル交差点を行き交う人々、街中での外国人に対する視線、お墓で遊ぶ子どもたち。そんな「日常的な風景」に、来日した外国人たちが感動を覚えていることをご存知でしょうか。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、彼らの言を取り上げながら日本人一人ひとりが持つべき「誇り」について考察しています。国柄探訪: 外国人の見た「大いなる和の国」高層ビルのレストランで、アメリカから来た老夫妻との食事を終え...
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最も歓迎された外国人 ーインドネシア独立に命を捧げた日本人たち

訓示の内容は、アジアを解放するために日本軍はインドネシアに来たが、独立は自分の力で成し遂げるものである。しかしインドネシアは教育や軍事などあらゆる面で遅れているので、いますぐ独立はできないだろう、日本軍は知っていることをすべて教えるので、1日も早く学んで立派に独立してほしい、というものでした。最も歓迎された外国人 ーインドネシア独立に命を捧げた日本人たち1600年代から300年以上もオランダの植民地であったインドネシア。その後日本の軍政支配下に置かれたことはご存知のとおりですが、日本軍はインドネシアの独立に大いに貢献したといいます。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、後に彼の国で要人となった2人のインドネシア人の証言を引きつつ、日本の軍政の実態を明らかにしています。インドネシア独立を担った人々が語る日本人との心の交流大東亜戦争というものは、本来なら私たちインドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。もしあの時私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。1950年8月に成...