「私たちは何者だったのか」を知る喜び ~ 寺田恵子『日本書紀1 神代-世界の始まり』から

日本の文化
JOG(1372) 「私たちは何者だったのか」を知る喜び ~ 寺田恵子『日本書紀1 神代-世界の始まり』から|『国際派日本人養成講座』主宰・伊勢雅臣
日本の国柄を規定した3つの詔勅には、「戦闘」に関わるものはない。 過去号閲覧: 無料メール受信: ■1.私たちは何者だったのか、を知る喜び 『古事記』に比べると、長くて難解な『日本書紀』を、古代人の精神を活き活きと甦らせつつ解説した、まことに「面白い」本が登場しました。学習院女子大学講師・寺田恵子氏による『全現代語訳+解説 日本書紀』の第一巻『神代-世界の始まり』です。  寺田氏は大学での講義のほかに、社

JOG(1372) 「私たちは何者だったのか」を知る喜び ~ 寺田恵子『日本書紀1 神代-世界の始まり』から

 日本の国柄を規定した3つの詔勅には、「戦闘」に関わるものはない。

■1.私たちは何者だったのか、を知る喜び

『古事記』に比べると、長くて難解な『日本書紀』を、古代人の精神を活き活きと甦らせつつ解説した、まことに「面白い」本が登場しました。学習院女子大学講師・寺田恵子氏による『全現代語訳+解説 日本書紀』の第一巻『神代-世界の始まり』です。

 寺田氏は大学での講義のほかに、社会人相手に『日本書紀』全30巻を8~9年かけて購読する講座を2度も実施されています。
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 学生や社会人講座の受講生からも「こんなに面白い物だとは思わなかった」「とても興味深い」「もっと読みたい」という言葉を何度も聞きました。・・・
 また、日本書紀は私に人間について、男性や女性のあり方について、また日本や日本文化について考えるきっかけを与えてくれました。そういう面白さや考え方をもっと多くの人々と共有できたら・・・[寺田、p235]
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 氏の講座は私も一度だけ拝聴したことがありますが、それは単なる知識としての「面白さ」ではなく、古代の文章から先人たちの心ばえがまざまざと見えてきて、我が先人たちはこういう考え方、感じ方をしていたのかが分かる「面白さ」なのです。私たちは何者だったのか、を知る喜びなのです。

 今回、その第一巻が発刊されたのを機に、氏の解説を頼りに日本神話に込められた我が先人たちの心ばえの一端を辿ってみましょう。

■2.三大神勅には「戦闘」に関するものはない

 この本で私が最も「面白い」と思ったのは、アマテラス大神が皇室の子孫に下された3つの詔(みことのり)には、「戦闘」に関わるものはない、という指摘です。3つの神勅とは、我が国の国柄を研究する国学や国体学で常に中核をなすものですが、このような指摘は私にとっては初めてのものでした。

 ちなみに、3つの神勅とは以下のようなものです。

・「天壌無窮の神勅」: アマテラス大神の子孫である歴代の天皇が我が国を永遠に「知らす」べきこと
・「宝鏡奉斎の神勅」: 鏡をアマテラス大神の代わりに、歴代天皇がそばに置いて、祀ること
・「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」: アマテラス大神が育てた神聖な田の稲穂を歴代天皇に委ねること。

 この3つの神勅は、「統治」「祭祀」「生産」の3つの機能をアマテラス大神の子孫である歴代天皇に命じたものです。

 フランスの言語学者・神話学者ジョルジュ・デュメジルはインド・ヨーロッパ語族の社会および神話における統治機能は「祭祀」「戦闘」「生産」の3つに区分されると主張しました。その後、この3機能は、インド・ヨーロッパ語族に限らず、他語族にも普遍的に存在するとの研究が積み重ねられました。

 しかし、アマテラス大神の神勅には、「祭祀」と「生産」はあっても、「戦闘」はありません。

 神話学者・吉田敦彦氏はアマテラス大神を戦いを望まない穏やかな性格の女神とし、世界の神話においてこのような平和的な女神が神々の頂点に君臨する例はほかにない、と指摘しています。[寺田、p185]

 メソポタミア神話のマルドゥク、ギリシア神話のゼウス、北欧神話のオーディンなど、これらの神々は男神でほとんどが戦いを勝ち抜いてその地位を獲得したのに対して、アマテラスは女神で、戦わずに最高神の地位を得ています。

 そもそも太陽神が女性で、月の神が男性という設定自体が、世界でも少数派であり、かつ非常に古い信仰の形が残ったものと欧米の神話研究者が指摘しています。

 近年、急速に進みつつある遺伝子解析によって、縄文人は東ユーラシア人の祖先集団であるとの結論が出されており[JOG(1355)]、かつ、1万年以上もの平和な時代を過ごしてきました。そのような縄文人たちの歩みと、アマテラス大神を平和な太陽の女神とする日本神話とは、見事にマッチしているように思えます。

■3.剣は「農耕を守る大地の力」

 三種の神器、「鏡」「剣(つるぎ)」「玉」は祭祀、戦闘、生産の三つに当てはまりそうですが、この点はどうでしょうか?

「鏡」「玉」はアマテラス大神がスサノヲの乱行で天の石窟(いわや)に閉じこもってしまわれた際に、お出ましいただくための一計として大きな榊(さかき)の木に鏡と玉をかけたという由来が語られています。

「剣」は、その後、スサノヲが出雲の地に追放されて、そこで奇稲田姫(クシイナダヒメ)を救うためにヤマタノオロチを退治して、その尾から出てきたものです。スサノヲはこの剣をアマテラス大神に献上して、三種の神器の一つとなったものです。したがって、「『剣』は元来は、アマテラス大神には関わらない神器」と寺田氏は指摘されています。

 クシイナダヒメは稲田の女神であり、ヤマタノオロチは暴れ川である斐伊川(ひいかわ)そのものを体現した神だという説が有力です。斐伊川の上流はいくつにも枝分かれしているので、まさに八頭八尾のヤマタノオロチのイメージです。その暴れ川を退治して、稲田の女神を救ったスサオノヲは農耕の守り神と考えられるのです。

 また、斐伊川の上流は砂鉄がとれるので、そこから鉄剣が出てきた、という物語に合致しています。

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 この草薙の剣は、地上の農耕の侵害者を倒して得た剣であり。 農耕を守る大地の力を象徴する剣と考えられます。この剣は天に献上され、やがて天孫降臨の時、天孫ホノニニギの命の携えて来る品の一つとして再び地上に登場するのです。[寺田、p135]
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 ホノニニギとは、「稲穂のにぎにぎしく実る様子」を表しており、地上に豊作をもたらす神でした。そのホノニニギが草薙剣を持って地上に下ったということは、農耕の守り神スサノヲの「農耕を守る大地の力」をも授けられていた、と考えられます。

 地球の寒冷化によって、狩猟採集で生活できた縄文時代は終わり、水田農耕に頼らざるをえなくなりました。大陸からも難民が押し寄せ、水争い、土地争いが起こります。「剣」とは、そういう時代に平和を守る力を象徴したものだったのではないでしょうか。

■4.なぜアマテラス大神の子孫が葦原中国を治める資格があるのか?

 スサノヲの子孫が大国主神(おおくにぬしのかみ)で、葦原中国に農耕を広めますが、いまだそこは様々な邪神の巣くう秩序なき地でした。アマテラス大神はこの国を平定しようと、二柱の神を使者として、大国主神に国譲りの交渉をさせます。

 しかし、これは乱れた別の国を自分たちの力で平定しようというお節介、あるいは侵略ではありません。孫神ホノニニギを降臨させる時の『天壌無窮の詔勅』では、こうあります。

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葦原千五百秋瑞穂国(あしはらのちいほあきのみずほのくに、葦原中国)は、我が子孫が君主たるべき地である。[寺田、p165]
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 ここではなぜ「我が子孫が君主たるべき地」か、理由が述べられていません。寺田氏は、そのはるか前の物語に、その理由が伏線として示されていることを指摘されます。

 それはスサノヲが父母のイザナギ、イザナミから命ぜられて「根の国」に赴く前に、姉のアマテラス大神に会いに行った時のことです。あまりにも猛々しいスサノヲに、アマテラス大神は「高天原を奪う気では」と疑い、武装して待ち構えます。

 スサノヲは「自分は悪い心は持っていない」として、それを証明するために、誓約(うけい)を提案します。アマテラスがスサノヲの十握剣(とつかのつるぎ)を3つに折り、噛んで吹き出すと、3柱の女神が生まれました。一方、スサノヲがアマテラスのまとった玉飾りを噛んで吹き出すと、5柱の男神が誕生しました。スサノヲが生んだ神が男子であったことから、その心の潔白が証明されました。

 ここでアマテラス大神は、「生まれた神々の元となった物根(ものざね)の玉飾りは自分のものであったので、五柱の男神はすべて私の子である」と引き取って、養育されました。

 この五柱の長男がオシホミミで、さらにその子がホノニニギ、葦原中国に降臨を命ぜられた天孫です。ホノニニギはアマテラスの直系であるとともに、スサノヲが生んだ神として葦原中国を治める霊能を持っている、という事が示されています。

 玉飾りを噛んで吹き出したら5柱の男神が生まれた、などというのは、現代人からは想像もできない物語ですが、統治の正統性に関しては、現代人以上に緻密な思考が織り込まれています。

■5.山の神の娘や海神の娘を娶って、その霊能を受け継ぐ

 神武天皇は、様々な部族を従えて国家統一を果たしますが、日本神話では、それらの部族が皇室と先祖が繋がっているという論理で、皇室の国家統一の正統性が説明されています。皇孫ホノニニギが地上に降りてから、神武天皇までの4代の系譜を見てみましょう。

(1)ホノニニギの尊: カシツ姫(別名コノハナノサクヤ姫)を娶(めと)る。カシツ(鹿葦)は九州南部の地名。姫は天つ神(高天原の神)が山の神、オオヤマツミを娶って生まれた。

(2)ヒコホホデミの尊: 母カシツ姫を通じて、山の神の血筋が流れ込んでいることで、山を治める霊能を受け継ぎます。ヒコホホデミは海神(ワタツミ)の娘、豊玉姫(トヨタマヒメ)を娶ります。

(3)ウガヤフキアエズの尊:母・豊玉姫を通じて海神の霊能を受け継いでいます。また、同じく海神の娘・タマヨリ姫を娶ります。

(4)カムヤマトイワレビコの尊:ウガヤフキアエズの第4子で、後の神武天皇です。

 こうして、天の神アマテラス大神の孫神ホノニニギに、山の神、海の神の血筋が流れ込みます。「神の娘を娶ることが、その神の持っている様々な権能を受け継ぐことになるという話型は日本書紀や古事記の神話には多く出てくるパターン」と寺田氏は指摘しています。

 これは、たとえば、現代でも商家の創業者の娘が婿を迎えて、次代の主人になって貰うという慣習も見られます。日本人にはなじみ深いパターンです。

■6.共通の祖先を持つ事で他部族を統合する道

 (2)のヒコホホデミが山幸彦で、その兄・ホノスソリの命が海幸彦です。弟が兄から借りた釣り針をなくしてしまった事から起きたトラブルの物語が伝えられています。諍(いさか)いの結果、兄のホノスソリの命はヒコホホデミに服従を約束し、九州西南部を本拠地としていた隼人(ハヤト)族の祖先となります。

 この物語から、隼人族は皇室の系図に姻戚として位置づけられています。釣り針を巡って一悶着あったこと、隼人族の服属は完全に平和的なものではなかったと想像されますが、結果的に隼人族も皇室の一支族として、面目が考慮されています。

 同じパターンは、大国主神の国譲りにも見られます。大国主神の先祖のスサノヲはアマテラス大神の弟とされています。こうしたパターンについて、寺田氏はこう指摘されています。
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 日本古代の神話、伝説においては、敵対したり、その存在に葛藤(かっとう)を抱える相手との関係を語る場合、これを排除したり殲滅(せんめつ)したりせず、系譜上でその血筋と統合するということがしばしば見られます。・・・
 そこには、それが最善の方法であるという考え方があったに違いありません。排除してしまえば、その場はシンプルに支配に成功するかもしれませんが、敵対する勢力の抱えている人的資源もまた失われてしまいます。また、長く遺恨を抱える可能性もあったでしょう。
けれども、元々われわれは同じ血筋で兄弟姉妹だったのだという形で統合していく道を選べば、その勢力の血筋は統治する側と同等のものとして尊重される形となり、その人々を活かす形にもなったのではないでしょうか。[寺田、p202]
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■7.縄文社会の実態を反映した日本神話

 部族どうしの祖先が共通しているとする日本神話の考え方は、縄文社会を考えると、上記の統合方法は単なる思いつきとも思えません。それは縄文社会の伝統に根ざしていたのではないか、と考えられるのです。

 まず、縄文人たちは列島全体で同じ言語を話していたようです。アイヌ語は縄文語の直系だとされていますが、日本各地でアイヌ語で解釈でき、かつ地形とも整合する地名がいくつも見つかっています[JOG(1295)]。ということは、縄文人たちは日本列島全体で、同じ言語を話していた、という可能性が高いのです。

 また、青森県の三内丸山遺跡で沖縄の南西諸島でとれるイモガイが見つかったりしています。縄文人たちは日本列島を自在に行き来しながら、交易していたようです。

 部族内の血が濃くならないよう、嫁をやりとりすることも行われていたでしょう。とすれば、縄文人たちは諸部族には別れていても、先祖は同じ血の繋がった同胞だと感じていたでしょう。

 それが地球の寒冷化によって、水田耕作に頼らざるをえなくなり、土地争い、水争いを避けるために一つの国家にまとまる必要が出てきました。国家統合の際に、多少の勢力争いはあったとしても、決着がつけば、お互い血の繋がった同胞として融和統合を図る、という知恵が働いたのも自然なことだったでしょう。

 日本神話には、そんな縄文人たちの心ばえが現れている。寺田氏の著書を読みながら、そんな「面白さ」も勝手に味わいました。
(文責 伊勢雅臣)

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