◎≪ WEB 熱線 ≫― アジアの街角から ―
亜細亜の図書館 ――――――――――――――――――― hideおじさん
ーーー今回の主役は人間ではない。主役は私たちの「日本」である。
「亜細亜の図書館」かつて日本がこう呼ばれていたことをご存知だろうか。
インドのノーベル経済学賞を受賞したアマーティア・センはこう言っている。
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日本は、まだ経済の足腰もしっかりしていない頃から教育に力を入れ、諸外国
の文献をせっせと翻訳し、20世紀の入り口での出版物の量は米国の2倍に達
していた。
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日清日露戦争後には、アジア各地の留学生が大挙して日本に渡ってきた。アジ
アの独立、近代化の中で、ひときわ光を放つ人物の多くが日本で学んでいる。
私たちが学校の歴史で学ぶアジアの人物で、日本と無関係な者はほとんどいな
い。
特に中国においては、孫文しかり、蒋介石しかり、文化面では魯迅など教科書
で習う中国人の全てが日本の恩恵に与っているといっても過言ではない。
アジアの近代化運動も、日本が本拠地であったこともある。多くのアジア人が
日本で学び、祖国の発展の夢を描いていた。日本はまだまだ貧しいながらも、
彼らを差別することなく迎え、民間人も彼らの「夢」に協力していた。
日本が訳した欧米の知識は「漢字語」という姿に変え、中国へももたらされ、
ベトナムやタイへも形を変えて伝わっていった。「近代文化の種」それが新し
い漢字語でもあった。
アジアの近代化は日本発、まさに「亜細亜の図書館」‥‥それが日本だった。
日本における「教育」、これはある意味「文化」といえるものかもしれない。
昔から、どんなに貧乏でも、「教育だけは」という話は巷にあふれている。
江戸時代、出島のオランダ商館長が、高札に書かれていることを一般庶民が普
通に読んで理解していることに驚いた、とその手記に残すほど江戸時代の識字
率は高かった。
諸説あるが、江戸後期で男子が約8割、女子は2割、農村地区でも約2割が読
み書きができたといわれる。この教育という「文化」があったからこそ、明治
維新後、いち早く近代化が進み「亜細亜の図書館」となりえたのではないだろ
うか。
余談だが、戦後GHQで、「日本は識字率が低いから軍国主義になった」と、
全く無知なことを言う担当官がおり、「国語を英語に替える」と息巻いたらし
い。「それならテストしてみろ!」となり、結果参加者ほぼ100%の識字率
だったことに驚き「アメリカより高い」と漏らしたそうである。
こうした「亜細亜の図書館」と呼ばれるようなレベルを維持できたのは、国と
自治体が「予算の40%以上をつぎ込んだからだ」と先のアマーティア・セン
は言っている。
ではそのお金がいったいどこからきたかというと、日本国民の税金であった。
欧米は、国家予算の多くを植民地からの収益で賄った。
人頭税、塩・アルコールの専売、人が亡くなれば葬式税まで取った。
挙句には阿片を専売にして大儲けした国もある。
かのルーズベルト大統領の母方は麻薬商人だった。その資金で大統領になった
と悪口も言われていた。その大統領が「日本は中国で阿片を売っている」と批
判していた。自分たちは植民地からきっちり収益をあげておきながらである。
戦前の日本の税制をみると、これら欧米の植民地税制とあまり変わりないのだ
が、それを、統治した台湾や朝鮮にではなく内地住民に課した。植民地と同じ
ような税金を国民は黙って払った。
さらには、本来収入源であるはずの植民地に、時には国家予算の1/3をつぎ
込むということもやった。最終的に日本は、有史以来初めて「植民地をもった
国が、結果その経営は赤字だった」ということで、
歴史に不名誉(?)な名を刻むことにもなった。
現在の日本は、果たして「亜細亜の図書館」といえるのだろうか。
戦前を否定し、貶[けな]すのは簡単である。教育も「皇国教育だ」と頭から批
判するのもよい。
今と比べものにならないぐらい貧乏でありながらも、大きな軍隊を持ち、併合
地に投資し、さらに教育の充実を計った戦前の日本。ーーー来日し、日本で夢
を描いたアジアの人々も大勢いた。
現代は、民主的な教育を受け、みな大学にも行ける。国として経済的にも富み
ODAという名で世界中にお金を出している。ーーーアジアの人々に多大なる
苦痛を与えたと反省もして、日本にしかできない国際貢献をしなければと言う
人もいる。
しかし、それが、戦前の日本のように彼らに「夢」を与えているのだろうか?
アジアがいま望む「夢」とは何か?いまだからこそ戦前に学ぶことがあるので
はないだろうか。
戦前、多くのアジア人が「亜細亜の図書館」と尊敬していた日本を忘れてはな
らない。
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