日本の歴史

日本の歴史

日本を分割占領から救った、スリランカ代表の「愛」の演説

この日は、私達が日本に対する勝利を祝うものです。しかし、私達は日本によって得られたものがあります。それは愛国心という心でした。それは、日本によって全てのアジアの国々にもたらされたのでした。戦争によってアジアの国々、インドネシアやインド、スリランカ、ビルマなどは自らに対する自信と民族主義の意識を得たのです。私達は日本に、このことを感謝しなければなりません。日本を分割占領から救った、スリランカ代表の「愛」の演説1951年に開かれた、日本の運命を左右する「サンフランシスコ講和会議」。その席上、日本を分割占領から救ってくれたのが、当時スリランカ代表を務めていたジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏でした。なぜスリランカは日本を擁護してくれたのでしょうか。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』に、知られざる両国友好の歴史が綴られています。日本とスリランカの間には、互いに助け合った長い友好の歴史がある1951(昭和26)年9月6日午前11時、スリランカ代表のJ・R・ジャヤワルダナの演説が始まった。舞台は米国サンフランシスコ講和会議である。51カ国からの代表が集...
日本の歴史

国王からも爵位。日本人「ニシオカ」はなぜブータンで国葬されたのか?

2011(平成23)年、第5代ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が国賓として来日し、国会で演説した。その中に次のような一部があった。ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。国王にそう言わせたのは、自らの祖父と父と2代に渡ってブータンに尽くした西岡の一生が脳裏にあったのかも知れない。国王からも爵位。日本人「ニシオカ」はなぜブータンで国葬されたのか?世界一幸福な国と言われるブータン。そんな国の民たちの「幸せ」に大きく貢献した日本人がいたのをご存知でしょうか。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』に、ブータンの農業発展に人生を捧げ、国民のみならず国王の信頼も厚かった「ブータン農業の父・西岡京治」の輝かしい功績が紹介されています。人物探訪:「ブータン農業の父」、西岡京治1992(平成4)年3月26日、ブータンで1人の日本人が国葬に付された...
日本の歴史

齢94歳。ネパールで最高栄誉を受けた日本人「コンドウ」さんの偉業

「真の国際協力は深い人間愛であり、決して物資、金品の一方的供給ではない。支援を受ける人々が心から感謝し、自らが立ち上がる努力をはらう時、初めてその真価が現われるのである」と言い、「ボランティアやNPOもこういう日本人の根性を勉強しなければいけない」と笑う。齢94歳。ネパールで最高栄誉を受けた日本人「コンドウ」さんの偉業ネパール国内どこを歩いても「近藤バジェ(おじいさん)」と声をかけられ、現地の人々から愛されている日本人がいることをご存知でしょうか? 無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、90歳をこえてもなおネパールの地で現地の人々のために生き続ける、近藤亨さんの知られざる偉大な功績が紹介されています。近藤亨~ネパールを救った現代の二宮尊徳ネパールで十数年も国際協力事業団(JICA)の果樹栽培専門家として現地指導をしてきた近藤亨(とおる)さんが定年を迎え、無事に帰国をしたのを祝って、東京で盛大な帰国祝賀会が開かれた。平成3(1991)年のことである。ブラジルから駆けつけた学友の佐藤隆・元農相はじめ、各界の名士の祝辞が続いた後、近藤さんが答辞に立っ...
日本の歴史

戦後日本人に埋め込まれた「自虐史観洗脳装置」WGIPとは

私達日本人は、特に戦後、本来の日本人の世界観、価値観、文化を見失ってきたのではないでしょうか?その原因は、主にGHQによる洗脳にあることをご存知でしょうか。日本人の精神を腑抜けにし、二度とアメリカに立ち向かってくることがないようにに作成されたプログラムが「WGIP(War Guilt Information Program)である。このような洗脳から脱却し、日本人が古代より脈々と引き継がれてきた、世界観、歴史観、文化を取り戻すべき時代になったのではないでしょうか?戦後日本人に埋め込まれた「自虐史観洗脳装置」WGIPとはゆがめられた史実を取り戻そう。子供たちの未来のために今なお続くGHQ(占領軍)の洗脳政策から解放されることが必要だ。日本が敗戦後、GHQにより我々日本人が知らないところで洗脳されていたことをご存知でしょうか。1945年8月15日、昭和天皇が玉音放送で日本の敗戦を告げてから15日後に連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立った。この時を境にして日本という国はアジアを侵略した「悪の侵略国家」であり、迷惑をかけた国の批判はしてはいけない、またその罪を背...
日本の歴史

台湾が親日な理由は彼らにあった。台湾の発展に尽くした日本人列伝

台湾が親日な理由は彼らにあった。台湾の発展に尽くした日本人列伝かつて日清戦争で勝利をおさめた日本は台湾を50年もの間統治していましたが、日台間には現在まで大きないさかいもなく友好関係を築いています。それは、以前「台湾で最も尊敬される日本人。命がけで東洋一のダムを作った男がいた」という記事でもご紹介した八田與一をはじめとする、統治時代に台湾のために尽くした日本人たちの努力の証であると言えるかもしれません。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、そんな先人たちの姿が詳しく紹介されています。台湾につくした日本人列伝1999年の台湾大地震では、日本がかなり目立った働きをした。地震発生当日の夜には、日本からの緊急援助隊が一番乗りし、「空港で1秒間も休まずに災害現場に駆けつけた」(地元マスコミ)。規模も合計125人と最大、機材も最新鋭、訓練、規律も最高とあって、地元マスコミに高く評価された。ファイバースコープや生存者の呼吸を電磁波で探知する「シリウス」と呼ばれるハイテク機器、赤外線探知機、さらに大型の切断器具などの最新鋭装備だけでなく、発見された遺体に敬礼を...
世界各国の歴史

台湾で最も尊敬される日本人。命がけで東洋一のダムを作った男がいた

台湾で最も尊敬される日本人。命がけで東洋一のダムを作った男がいたimage by: Wikimedia Commons大正時代、台湾の人々の生活を豊かにしようと奮闘した日本人がいました。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、台湾に東洋一とも言われるダム建設をした日本人技師「八田與一(はった よいち)」の感動秘話が紹介されています。今も語り継がれる八田氏の人情味溢れる活躍ぶりは、台湾と日本の固い絆、そして日本人としての誇りを再確認させてくれます。戦前の台湾で東洋一のダムを作った日本人台湾南部の古都・台南市から東北にバスで1時間20分ほど行くと、台湾第2の烏山頭ダムに着く。湖畔にはホテルが建ち、満々と水をたたえた湖水にはボートも浮かぶ観光地になっている。このダムを見下ろす北岸に、日本式の墓があり、「八田與一、外代樹之墓」と刻まれている。墓の前には作業着姿で腰を下ろし、片膝を立てた八田の銅像が建っている。墓も銅像も、このダムを造った八田與一を敬愛する地元農民が作ったものだ。1996年、地元の農民たちと日本人が集まって、墓前で50回目の慰霊祭を行った。...
日本の歴史

6千人のユダヤ人を救った杉原千畝と難民を温かく迎えた誇るべき日本

この記事の内容は有名な話なので、ご存知の方も多いと思います。主人公である「杉原千畝氏」は諜報外交官としての高い手腕と崇高な志をもたれていたようです。「自分がどう動くことが国益に叶うのか」を自問自答して行動されていたという事実は今の日本に必要な「志」を示しているように思います。6千人のユダヤ人を救った杉原千畝と難民を温かく迎えた誇るべき日本みなさんは、6000人ものユダヤ難民にビザを発行し多くの命を救った「杉原千畝(ちうね)」という人物をご存知ですか? 日本のシンドラーとの異名をもつ彼は、諜報外交官としても一流だったそうです。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、そんな杉原の情報収集能力にも注目し紹介しています。杉原ビザは、諜報外交官としての手腕と国益への志から生まれた先の大戦前、バルト三国の1つ、リトアニアの領事代理となり、ソ連のポーランド侵略から逃れてきたユダヤ人難民約6,000名に日本通過ビザを発給して命を救った杉原千畝(ちうね)の功績が国際的に知られつつある。シカゴ近郊で、ユダヤ人受難の記録を展示するイリノイ・ホロコースト博物館の教育委員...
日本の歴史

日本人も驚き。「英語ができないのは、幸福な国の証」だった

歴史のある国、民族の文化的基盤は「母国語」にあります。人類は、数万年前の「言葉」のない時代に「世界観」「文化」を共有、継承するために、集団、民族の中で「言葉」を生み出してきました。しかし、近世の植民地化=支配により宗主国の「言葉」や「文化」を強要され、長い歴史の中で育まれれきた「文化」「民族の基盤」を破壊された国は少なくありません。日本はこのようなことがなく、現在も自国の文化が継承されています。このような恵まれた環境にある事に感謝し、自覚と自信を持つことが重要ではないでしょうか。英語力のグローバルなテスト、TOEICの2010年の平均点で、日本はアジアの30カ国中27位と低迷している。しかし、アジアの上位5位を見るとシンガポール、インド、マレーシア、パキスタン、フィリピンとなっている。この5カ国の共通点はイギリスやアメリカなど英語国の植民地になっていたことだ。これらの国では前節で述べたように、大学教育は英語で受けるというばかりでなく、今でも旧宗主国が政治、経済、文化的な影響力を持っている。だから英米に留学したり、移住したり、英米企業の現地法人に勤めたり、という事で、英語を使わざるを得な...
日本の歴史

ユダヤ人難民と北海道を守った樋口季一郎とは。旧陸軍中将の生涯

太平洋戦争時の日本や当時の大日本帝国軍に対しては否定的な面の情報ばかりが取沙汰されているように思います。今回は「ユダヤ人難民と北海道の分断をソ連から救った、旧陸軍中 将樋口季一郎」の記事を紹介します。当時の日本を取り囲む世界状況や国内状況をしっかり把握したうえで、事実を掴むことが必要ですね。又、歴史を学ぶ上でも、このような事実は重要ではないでしょうか?2020(令和2)年9月、北海道石狩市に1人の旧陸軍中将を称える記念館が開館。彼の名前は、樋口季一郎(ひぐちきいちろう)。1938(昭和13)年、多数のユダヤ人難民を救出しました。ユダヤ人難民救出と言えば、「命のビザ」を発行した外交官・杉原千畝が有名ですが、樋口はその2年前に救出を行っています。また1945(昭和20)年、終戦後に関わらず千島列島の占守(しゅむしゅ)島に侵攻したソ連軍と戦い、北海道を守りました。今回はそんな彼の生涯を紹介します。樋口季一郎記念館長に伺う、設立への思い樋口季一郎記念館は、北海道石狩市内にある「古民家の宿Solii」(古民家の一棟貸しを行う宿泊施設)内の、蔵を再生して開館。館長の江崎幹夫さんに、記念館を立ち上げ...
日本の歴史

トルコと日本の交流の歴史と長きにわたる友好関係

世界有数の親日国として知られているトルコ。明治次第から現在まで友好関係は続いています。このような関係に関する記事の紹介です。トルコは世界有数の親日国として有名です。トルコに旅行をしたら、みんな親切でフレンドリーに接してくれ、日本語を話せるトルコ人も多い、という評判もよく耳にします。実は、トルコと日本の交流の歴史はとても長く深いのです。本記事では、日本とトルコが深い関係になった出来事や日本とトルコの交流のきっかけとなった歴史的エピソードなどについてご紹介します。トルコと日本の交流のはじまりは?絆が深まった理由トルコと日本の最初の交流は1873年にまで遡ります。当時、フランスに滞在していた岩倉具視率いる総勢107名の使節団「岩倉使節団」が、立会裁判諸制度の視察にイスタンブールに訪問したのが最初の交流です。岩倉使節団には、かの有名な大久保利通や伊藤博文も参加していました。その後も日本は度々トルコを訪問し、当時の外相や皇帝スルタン・アブデュルハミト2世に面会するなどの交流を図ってきました。トルコと日本の交流が更に深まったきっかけは、1890年に起きたトルコ船の日本での遭難事件です。この時の日本...
日本の歴史

日本は何度もベルギーに助けられていた。2国の知られざる「絆」の歴史

日清戦争、第1次世界大戦、関東大震災から現在にまで続く、日本とベルギーの関係の記事を紹介します。国、民族の関係は、歴史の中に様々な出来事があって、現在はあまり知られていないこともたくさんあります。歴史を学ぶには、このような関係を読み解くことも重要なことではないでしょうか。今年で友好150周年を迎える日本とベルギー。先日、首都ブリュッセルで起きた連続テロ事件で悲しみに包まれるベルギーの人たちに、私たちが力になれることはないのでしょうか? 無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、日本とベルギーが古くは大正時代から、お互いの苦難を何度も支え合って乗り越えた「絆」の歴史を紹介しています。日本・ベルギー交流史東京墨田区にある東京都復興記念館には、有島生馬が描いた1枚の絵が掲げられている。どす黒い煙が上がる暗い色調の中で傷ついた人々がうごめき、地面には多くの死体が横たわり、キャンバスの右脇には1台の車が停車。その側に双眼鏡を手にした山本権兵衛首相が描かれている。この絵は言うまでもなく関東大震災を描いたものだが、山本首相の傍らに白い夏服を着た外国紳士と赤い服の...
日本の歴史

杉山龍丸 インドで緑地化に献身したグリーン・ファーザー

インドには二人の偉大な父親がいると言われる。一人は、英国からの独立に力を尽くした「独立の父」ガンジー。もう一人は、日本人ながらインドの国土緑地化のために命がけで奔走した「緑の父」杉山龍丸。この偉業を伝える記事の紹介です。インドで緑地化に献身したグリーン・ファーザー インドには二人の偉大な父親がいると言われる。一人は、英国からの独立に力を尽くした「独立の父」、ガンジー。そしてもう一人は、日本人ながらインドの国土緑地化のために命がけで奔走した「緑の父」、杉山龍丸である。 大正8年(1919年)、福岡市で三人兄弟の長男として誕生した龍丸の人生を語るには、彼の祖父と父の存在が欠かせない。祖父の茂丸は、政財界で活躍。アジアの国々の独立に向けた運動を助け、人々が豊かに暮らすために働いた。また幻想文学の第一人者「夢野久作」として知られる父の泰道は、文学を究めながらも「これからはアジアの時代。アジアの国々が独立した後に必要となる農業指導者を養成するため、農園をつくりたい」という茂丸の思いに従い、4万6000坪の敷地を得て農園を営んだ。そんな祖父と父の姿を見ながら育った龍丸にはおのずと「アジアの人々のた...
世界各国の歴史

海の武士道!戦時中に敵兵を救った「工藤俊作」の物語!

日本人の価値観、世界観は他国と比較して特殊なモノなのかも知れません。戦時中であっても、敵であっても、規範や秩序を重視し、他者にも思いを寄せることが出来る。このような実例の記事を紹介します。今回の記事は、偉人のお墓巡り特集です。そして、長い記事ですが本当に日本人なら知っておくべき内容なので、最後まで読んでいただくようお願いいたします!!!やってきたのは、埼玉県川口市にある薬林寺というお寺。恐らく地元の人しか知らないような寺だと思うこの寺に、多くの日本人に知ってほしいとある偉大な男が眠っています。その男の名は、「工藤俊作」。山形県の出身で、広島県の江田島にある海軍学校を卒業し、駆逐艦「雷(いかずち)」の船長になった方です。私の家は神奈川県の川崎市ですが、工藤俊作のお墓参りをすべく、埼玉県の川口市までやって来ました。そして、こちらが工藤のお墓。先人として立派なことをして下さった工藤俊作に、祈りを捧げてきました。では、工藤はどんなことを成し遂げたのか?それは、日本人の誰もが知らなかった、世界の海軍史の中でも歴史に残る感動の物語だったのです。その物語を以下で紹介したいと思います。1941年12月...
世界各国の歴史

親日国の紹介 ブルネイ 統治時にブルネイの発展に力を注いだ

太平洋戦争時、日本が統治していた国、ブルネイの紹介です。日本の統治中は、現地の人々の生活の向上を重視して見事な統治を行いました。原油や天然ガス、ゴムなどの天然資源を開発し日本へ輸出すると共に地元のインフラ整備を実施しています。搾取するだけの欧米諸国と現地と共に発展を目指す日本、現在親日国が多いと言われる所以が良くわかります。親日国ブルネイブルネイは、石油や天然ガスなどの資源が豊富で、東南アジアではシンガポールの次にGNPが高い国です。資源のうちの約四割の輸出先が日本であるというつながりがまずあります。第二次世界大戦でアメリカから石油などの輸出禁止措置を受けた日本は、それまでブルネイを支配していたイギリス軍に勝って追い出し、日本国ブルネイ県として、木村強という人を県知事として送りました。木村知事は、石油を確保することだけを考えるのではなく、典型的な日本人のスタイルである、現地の人々の生活の向上を重視して見事な統治を行いました。天然資源をイギリスのようにただ単に自国に持っていくのではなく、その利益は現地のインフラ整備などに振り向けました。原生するゴムの木にも着目、ゴム製造工場を設立してそこ...
世界各国の歴史

親日国の紹介 ポーランド シベリアのポーランド人孤児救出

戦争という究極の状況で人間の本質が出るのかも知れません。欧州のポーランドは、第一次世界大戦時も第二次世界大戦時も悲惨な体験をした国です。そのポーランドと日本との関係を紹介する記事です。親日国ポーランドポーランドは、実は驚くほど親日的だった。剣道など日本の武道がブームで、ポーランドきっての名門ワルシャワ大学の人気学科は、日本学科。その倍率は30倍を超える。大学生は日本語がペラペラ、日本人顔負けの俳句を詠んでいた。さらに学生の家を訪ねると、食事は白いご飯に冷凍餃子、スーパーでは日清や味の素の即席麺が大人気で、食品メーカーの進出ラッシュだという。(ライター:okei)1920年、孤児を助けた体験が語り継がれる。 第一次世界大戦後、ロシア革命の内戦中、多くのポーランド人はシベリアに抑留されていた。極寒の地で次々と命を落とす中、ポーランドは両親を失った子どもたちだけでも救おうと、救命嘆願書をアメリカやイギリスへ助けを求める手紙を出した(詳細はこのページの下部にあります)。しかし返事は来ず、唯一返事をしたのが日本だった。そして1920年から22年にかけて計5回、765人の孤児たちが船で日本へ運ばれ...
世界各国の歴史

親日国の紹介 世界で最も親日度が高い国 パラオ

日本人が本来持っている「肯定性」や「規範性」「秩序性」「他者を想う心」「世界観」は特筆すべきモノがあります。親日国の一つ「パラオ」の紹介です。この中から「日本人」を読み解けると思います。このような「歴史的事実」こそ教育の中に盛り込むべきでしょうね。親日国パラオ1885年、約200の島々からなるパラオはスペインの植民地となり、圧政と虐殺、天然痘などによって、約6万人いた人口は10分の1の約6千人まで激減しました。人口の90%が亡くなってしまったのです。いかにひどい植民地政策が行われたかが想像できます。1899年にはドイツに売却されましたが、ドイツも搾取と略奪を続けました。教育を与えず、インフラ整備も一切行わずに搾取するだけの統治でした。そして第一次世界大戦で戦勝国のひとつとなった日本は、1919年(大正8年)に、ドイツ講和条約(ヴェルサイユ条約)が結ばれることによって、パラオを含むドイツ領南洋諸島の委任統治権を得えました。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、数万人の日本人がパラオに移り住み、公立学校や医療施設を建設すると同時に稲作やパイナップルの生産を行ないました。パラオのハイスクールで...
日本の歴史

2月11日は「建国記念の日」

歴史を学ぶとは、その時々の現象事実、史実を知ると同時に、当時に生きた人々の意識や認識に同化すること、さらには、縄文の時代から脈々と続いている「世界観」を感じ取ることだと思います。私たちも今の若い人たちも、日本人には、そういうことをしっかり学び、感じて生きて欲しいです。日本国、日本人としての誇り、世界観を失わないで生きて欲しい、と思います。2月11日は「建国記念の日」日本の祝日は、「国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)」で定められています。この中で「建国記念の日」は「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と記述され、日付については「政令で定める日」とされています。この「建国記念の日となる日を定める政令」については、「昭和四十一年政令第三百七十六号」で「建国記念の日は、二月十一日とする」と記され、1966年昭和41年に制定されました。古事記・日本書紀の記述より天孫降臨高天原にいた天照大御神は、地上を治めるために孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を地上に降ろします。瓊瓊杵尊は日向の高千穂峰に降り立ち、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)との間に鵜葦草葦不合尊(うがやふきあえずのみ...
日本の文化

日本における道理の伝統 「道理」とは、人と人との対話の中から発見される。

「道理」に関連して、聖徳太子の憲法十七条にはこういう一文がある。「然(しか)れども、上和らぎ、下睦びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、則(すなは)ち事理自ずから通ふ。何事か成らざらむ。」(地位や年齢の上下はあっても、和気藹々(あいあい)と議論を尽くせば、物事の道理が自ずから明らかになる。そうなれば、出来ない事などあろうか)「道理」とは、日常の会話を含め、議論や裁判、宗教論争など、人と人との対話の中から発見されるもののようです。我が国は、専制を嫌い、衆議を重んずる伝統があったからこそ、合理的思考が発達したのです。布教のためにやってきたフランシスコ・ザビエルは、キリスト教の不合理な面をつく日本人に悩まされた。日本における道理の伝統■1.「日本へ行けば、人々は理性豊かである」 1547年12月、キリスト教の東洋への布教のためにマレー半島のマラッカにやってきたフランシスコ・ザビエルは、日本人・池端彌次郎と出会う。彌次郎は武士であったが、商売の争いから殺人を犯してしまい、かねて交渉のあったポルトガル商人に頼んで、マラッカに逃れてきたのだった。 自分の犯した罪に苦悩していた彌次郎は、...
日本の文化

江戸の子育てに学ぶ 「我に『育てよ』との天命なり」

幕末から明治の欧米からの来訪者は、日本の子供を見て以下のような見解を残しています。「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」「日本人は自分の子弟を立派に薫育する能力を持ってゐる」日本の子育て規範の真髄は・・・「我に『育てよ』との天命なり」「わが子なりと思い、勝手するは、人欲の私なり」「わが子と雖(いえど)も天の子にして、我に『育てよ』との天命なり。天命を重んずる心からは、子に慈愛をつくさずんばあるべからず」現代の教育論に見られる「ゆとり教育」「子供の権利」「個性尊重」などといった主張は、ルソーやマルクス、エンゲルスの影響を受けた底の浅い机上の空論によるものです。幕末に来日した欧米人は、江戸の子育てに眼を見張った。江戸の子育てに学ぶ■1.「子どもの天国」と「最も教育の進んだ国民」「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」 明治10(1877)年に来日して、大森貝塚を発見したアメリカの動物学者エドワード・モースの言葉である。その一例としてモースは祭りの光景を次のように記している。________...
日本の文化

江戸時代の庶民は幸福だった

外国人から見て、江戸時代の日本人は「皆よく肥え、身なりもよく、幸福であった」「だれもかれも心浮き浮きとうれしそう」「思いやりと助け合いにあふれていた」「礼儀作法のきまりからはずれることがけっしてない。喧嘩や口論を見たことがない。」貧しくとも、思いやりと助け合いの中で人々は幸福に暮らしていた。江戸時代の庶民は幸福だった■1.「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである」 黒船によって武力でむりやり日本を開国させたアメリカが、初代駐日公使として送り込んだのが、タウンゼント・ハリスだった。ハリスは安政4(1857)年11月、初めての江戸入りをすべく、下田の領事館を立った。東海道を上って神奈川宿を過ぎると、見物人が増えてきた。その日の日記に、彼はこう書いている。__________ 彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。----これが恐らく人民の本当の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。 私は質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけ...