2024-02-08

日本の文化

日本における道理の伝統 「道理」とは、人と人との対話の中から発見される。

「道理」に関連して、聖徳太子の憲法十七条にはこういう一文がある。「然(しか)れども、上和らぎ、下睦びて事を論(あげつら)ふに諧(かな)ひぬるときは、則(すなは)ち事理自ずから通ふ。何事か成らざらむ。」(地位や年齢の上下はあっても、和気藹々(あいあい)と議論を尽くせば、物事の道理が自ずから明らかになる。そうなれば、出来ない事などあろうか)「道理」とは、日常の会話を含め、議論や裁判、宗教論争など、人と人との対話の中から発見されるもののようです。我が国は、専制を嫌い、衆議を重んずる伝統があったからこそ、合理的思考が発達したのです。布教のためにやってきたフランシスコ・ザビエルは、キリスト教の不合理な面をつく日本人に悩まされた。日本における道理の伝統■1.「日本へ行けば、人々は理性豊かである」 1547年12月、キリスト教の東洋への布教のためにマレー半島のマラッカにやってきたフランシスコ・ザビエルは、日本人・池端彌次郎と出会う。彌次郎は武士であったが、商売の争いから殺人を犯してしまい、かねて交渉のあったポルトガル商人に頼んで、マラッカに逃れてきたのだった。 自分の犯した罪に苦悩していた彌次郎は、...