
なぜ物理学者は「数学」を「実生活に役立つ」と説くようになったのか
「自然の神秘」と「人類の叡智」

どうして『いやでも物理が面白くなる』のか
エレクトロニクス文明が急速に開花し、発展した1970年代から1990年代までのおよそ20年間、日本とアメリカで半導体の研究に従事したこともあり、若い頃は、人間が築き上げた科学と技術の力に酔いしれたこともある。
しかし、年を経るにしたがい、折に触れて自然の神秘、不可思議、深遠さを知らされ、自然に対する畏敬の念が強くなった。
自然は時に厳しくもあり、自然現象にはいまだ不可解なことが少なくないが、自然は決して「噓」をつかない。私にとって、自然以上に信頼できる「教科書」は存在しないし、自然以上に私の知的好奇心を駆り立ててくれるものもない。
私が、わが人生の「教科書」である自然に対する「恩返し」の気持ちを込めてまとめたのが、2001年に上梓した『いやでも物理が面白くなる』(講談社ブルーバックス)だった。
長年、物理学を通じて「自然」と接してきた私の、一般読者へのメッセージは「物理をちょっとでも学ぶと日常生活、人生がとても楽しく豊かになる」ということだった。
この3月に上梓した「新版」は「重力波の発見」という大ニュースにつながったアインシュタインの相対性理論に関する章などを新たに書き下ろし、その他の章も加筆・推敲のうえ再編成したものである。
日常生活に直接関係することはないが、ミクロ世界、宇宙、時空の世界まで、ぜひ垣間見ていただきたい。自然界のしくみや神秘にときめいていただけるのではないかと思う。日々煩雑な社会生活を送っている人にとっては、一服の清涼剤にもなるだろう。

大いに役に立つ「外国語」
物理学が対象とするのは自然界に起こっている現象、すなわち自然の実態であるが、〝数〟および〝数学〟は100%人間によって創られたものである。じつに興味深いことに、人間が頭の中で創り上げた数学が、人間とはまったく無関係なはずの自然現象を見事に説明する。私には、そのことが不思議で仕方ない。
私は、数学者でも数学の専門家でもないが、物理学分野の研究者として、きわめて有力な道具の一つである数学の恩恵に浴す中で、数学は人類の叡智の極致だと痛感した。
だから、「自然の書物は数学の言葉によって書かれている」というガリレイの言葉は、注意して読まなければならない。
自然は人間に関係なく存在するが、数学自体が自然界に存在するわけではないからである。
私は、物理学の分野で数学の恩恵にあずかったのであるが、誰にとっても「数学」、あるいは「数学的な考え方」が、日常生活においても大いに役立つものであることを痛感し、人生、「数学の面白さ」と「数学は実生活に役立つもの」ということを知らずに終えるのは、いかにももったいないという確信に至った。
そして、『いやでも物理が面白くなる』の姉妹編として書き上げたのが、4月に上梓した『いやでも数学が面白くなる』である。私の意図は『物理』と同様、「数学をちょっとでも学ぶと日常生活、人生がとても楽しく豊かになる」ということを知ってもらうことである。
私は、数学あるいは数式は、「外国語」の一種だと思っている。外国へ行ったとき、外国語ができなくても何とかなるとは思うが、多少でも外国語が理解できたほうが何かと便利だし、滞在中の楽しみも格段に拡がる。
それと同じように、数学あるいは数式という「外国語」は、自然現象のみならず社会現象を理解するのに大いに役立つのである。
自然の神秘を垣間見る『いやでも物理が面白くなる〈新版〉』と、人類の叡智を身近に感じさせてくれるであろう『いやでも数学が面白くなる』の2冊が、読者の楽しく、豊かな人生への「虹のかけはし」になってくれれば、著者にとって、これ以上の喜びはない。

積み重ねて10冊目に
ところで、ブルーバックスが「科学をあなたのポケットに」という「発刊のことば」とともに登場したのは1963年、私が中学3年生のときだった。以来、現在までのおよそ55年間で、私は少なく見積もっても100冊以上のブルーバックスを読んでいる。
ブルーバックスは、私に「自然の神秘」と「人類の叡智」をわかりやすく教えてくれた。また、自分が科学の分野で仕事をするようになって、ブルーバックスの執筆者は私の憧れにもなった。
ブルーバックスに対し、このような特別の思い入れを持つ私が、専門である半導体から古代技術まで、さまざまな分野でブルーバックス(『数学』がちょうど10冊目になる)を書かせていただいたことを心から嬉しく、光栄に思う。
また、「物理」と「数学」という分野に限れば、私の生涯最後の著書になるだろう2冊をブルーバックスから上梓できることに、特別の感慨を覚える。
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