
進化は進歩ではない!?複雑になる生物と単純になる生物……ダーウィンは「進化」をどのようにとらえていたのか?

進化=Evolutionは、進歩という意味を含んでいる
数人の友人と夕食を食べていたときのことである。少し酔っていた一人が突然、「向上心のない、進化しないやつは、ダメだっ」と、やや大きめの声で言った。彼は大学の先生で、同僚や学生に対する不満が溜まっていたのかもしれない。
たしかに、向上心があるのはよいことなので、それがない人はダメな人間だという意見はもっともだろう。私などは、向上心がまったくないわけではないが、あんまりないので耳が痛い。人は努力して、向上していく。進歩していく。そういうときに「進化」という言葉が使われるのを、よく聞くようになった。
「進化」という言葉を「進歩」の意味で使うことは、以前からあった。しかし最近、とくに増えたように思う。

スポーツ選手が進化する。カメラが進化する。「進化」と言ったほうが、「進歩」とか「改良」とか言うよりカッコよく聞こえる。なかなか「進化」って、いい言葉だ。それなのに学校では、生物の「進化」は「進歩」ではありません、と習う。それって本当だろうか。
『種の起源』の前に使われた「進化」を意味する言葉
そもそもダーウィンの『種の起源』より前に使われていた「進化」を意味する言葉は、進歩という意味を含んでいた。19世紀のイギリスで広く使われていた「進化」を意味する言葉は、「転成」(transmutation)である。
「転成」は生物の種が変化することだが、もともとは錬金術で卑金属が貴金属に変化することを意味していた。したがって「転成」という言葉には、進歩のイメージがあっただろう。
『種の起源』が出版されたのは1859年だが、それより15年前の1844年に、ロバート・チェンバーズ(1802‐1871)の『創造の自然史の痕跡』が出版されている。
チェンバーズは、生物だけでなく、宇宙や社会などの万物が進歩していくと考えていた。そのような万物の進化を、チェンバーズは「発達」(development)という言葉で表した。つまり、明らかに「進化」を進歩と見做していた。
ハーバート・スペンサー(1820‐1903)も『種の起源』が出版される前から進化論を主張しており、1862年の『第一原理』以降は進化を意味する言葉として、有名なエボリューション(evolution)を使い始めた。
進化の意味で「エボリューション」を使ったのはスペンサーが初めてではないが、彼が使ったことで、この語は広く普及したのである。
スペンサーもチェンバーズと同様に、生物だけでなく宇宙や社会など万物が進歩していくと考えており、その進歩を「エボリューション」と呼んだ。したがって「エボリューション」や、その日本語訳である「進化」には、本来進歩という意味があるのである。
一方、ダーウィンの『種の起源』では、進化を意味する言葉として「世代を超えて変化が伝わっていくこと」(decent with modification)がよく使われている。この言葉には進歩という意味合いはない。

しかし、この言葉は広まらなかった。広まったのは「エボリューション」のほうだ。ダーウィンの『種の起源』でも、第5版までは「エボリューション」は使われていなかったが、第6版では「エボリューション」も使われている。進化を示す言葉として「エボリューション」が定着しつつあったということだろう。
本当に「進化」は「進歩」ではないのか
でも、言葉だけの問題ではないかもしれない。なぜなら、生物の進化の歴史を振り返ると、本当に生物の進化って、進歩して向上していくことのように思えるからだ。たとえば、脳に注目すると、こんな感じだ。
おそらく生物は、約40億年前に誕生した。そのころの生物は、細菌のように単純なものだった。脳なんて、まったくない。それから細菌が進化していくにつれ、だんだんと複雑な生物も現れた。
カンブリア紀(約5億3900万年前‐約4億8500万年前)には、中枢神経の前部が発達して単純な脳を作ったミロクンミンギアのような魚やアラルコメネウスのような節足動物が進化している。
中生代(約2億5200万年前‐約6600万年前)になると恐竜が現れた。以前、恐竜は体が大きいだけで、バカでノロマな生き物と誤解されていた。しかし、実際には知的で活発な生き物だった。
恐竜時代の終わりごろに進化したトロオドンは、もっとも知的能力が高かった恐竜の一つである。

もしもトロオドンの子孫が絶滅しないで、今日まで生き延びていたとしたら、高度な知性をもったディノサウロイド(恐竜人間)になったのではないかと言う人もいるくらいだ。
トロオドンをはるかに上回る知的能力をもった哺乳類
新生代(約6600万年前‐現在)になると哺乳類が繁栄し、トロオドンをはるかに上回る知的能力をもった哺乳類が現れた。イルカである。
人類が約700万年前に現れてからも、長きにわたってイルカは地球上でもっとも知的能力の高い生物だった。

しかし、約150万年前になると、ついに人類が知的能力でイルカを抜いた。それから人類は、この地球上でもっとも知的能力の高い生き物として君臨し、現在にいたるのである。
脳に注目して、ざっと生物の進化の歴史を振り返ってみた。やっぱり、脳は進化の過程で向上・進歩してきたように思える。
そもそも細菌のように単純だった生物が、進化の結果、高度な知的能力をもつヒトになったのだ。それこそが、進化が向上・進歩である有無を言わさぬ証拠である。これのどこが間違っているというのか。いや、やっぱり間違っているのである。
「進化」をゲームにたとえてみると
こんなゲームを考えてみよう。
ゲームの参加者1000人に、それぞれ1000円ずつを渡す。そして参加者は、1分ごとに近くの人とペアになって、ジャンケンをする。負ければ、相手に100円を渡さなければならない。つまり、勝てば相手から100円貰えるわけだ。このようなルールでゲームを始めると、10分後にはどうなっているだろうか。
確率的に考えれば、10回全部勝ち続けた人が1人ぐらいはいそうだ。その人は所持金が2000円に増えている。9回勝って1回負けた人は所持金が1800円だが、そういう人も10人ぐらいはいるだろう。

一方、損をした人もいる。全部負けて、所持金が0円になった人も1人ぐらいはいるはずだ。でも、多くの人は、だいたい勝ち数と負け数が同じくらいで、それほど得も損もしていないだろう。
進化は、このゲームのようなものだ。
進化で複雑になる生物と単純になる生物
このゲームですごく儲かる人もいるように、進化ですごく複雑になる生物もいる。
たとえば、私たちヒトがそうだ。ヒトの脳は、ものすごく複雑だ。でも、そういう生物は一部にすぎない。逆に、ゲームで損をする人もいるように、進化で単純になる生物もいる。あまり単純になりすぎると、もはや生物でなくなってしまうが、それがウイルスかもしれない。
たしかに、私たちヒトのことだけを考えれば、進化は進歩のように思える。でも、私たちのように複雑化した生物は、ほんの一部なのだ。
ほとんどの生物は昔と変わらず、それほど複雑にも単純にもなっていない。その代表が、現在の細菌だ。数で考えれば、地球上の生物の大部分は細菌なのだ。彼らはジャンケンで、大儲けも大損もしなかったのだ。
このゲームで、忘れてはいけないことが2つある。
1つ目は、すごく儲けた人がいる反面、すごく損した人もいるということ。
2つ目は、ジャンケン自体には、勝つ傾向も負ける傾向もないということだ。進化の結果、生物が複雑になることもあるけれど、だからといって複雑になる傾向があるわけではないのである。
私たちは、つい自分を中心にして、ものごとを考えてしまう。私たちはヒトなので、つい「進化」を「進歩」と考えてしまう。でも、もし私たちがウイルスだったら、どうだろうか。「退歩」が当たり前の世界に住んでいる彼らには、きっとこの世界がまったく違って見えている。
そして、ウイルスたちの学校では、先生が生徒にこう言っているに違いない。
「ほとんどのみなさんは、『進化』のことを生物が『退歩』することだと思っているでしょうね。でも、違うのです。たしかに『進化』によって、私たちウイルスのように、生物が単純になることもあるけれど、複雑になることだってあるのですよ」
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