シリアのアサド政権崩壊でトルコはロシアを裏切ったのか、両国は連携したのか

バシャール・アル・アサド一家はロシアへ到着したと伝えられている。ロイターは12月8日、アサド大統領を乗せた航空機が墜落したと伝えていたが、ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官はそれを誤報だと主張し、撤回を求めていた。
2021年8月にアフガニスタンの首都カブールが陥落した際にはアメリカ軍を含めて大混乱だったが、今回のアサド政権崩壊は穏やかに推移しているように見える。ダマスカスを制圧したハヤト・タハリール・アル・シャム(HTS)だけでなくシリア政府側も落ち着いているようだ。HTSが攻め込んだ際、シリア軍は戦わなかったとも伝えられている。政権が「崩壊するスピードの速さ」を生み出した原因はそこにあるのだろう。
アメリカ軍は油田地帯を含むシリア東部をクルドと共同で支配しているが、ロシア軍も地中海沿岸にタルトゥス海軍基地とフメイミム空軍基地を置いている。HTSはこうしたロシアの基地を攻撃する動きは見せていないだけでなく、防衛態勢に入っている。
HTSはアル・カイダ系のアル・ヌスラ戦線を改名した組織だとされ、そのアル・ヌスラはシリアで活動を始める前はAQI(イラクのアル・カイダ)」と呼ばれていた。
アル・カイダとはCIAがアフガニスタンでソ連軍と戦わせるために訓練した戦闘員の登録リストである。イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックも05年7月、「アル・カイダ」についてCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストだと説明している。この指摘をした翌月、2005年8月6日にクックは休暇先のスコットランドで散歩中に心臓発作で急死した。
この流れから考えてHTSはアメリカの影響下にあると推測できるが、アル・カイダは傭兵の登録リストだということも忘れてはならない。現在の雇い主はトルコ政府だと言われている。HTSの内部にトルコ軍の兵士が含まれている可能性もある。
そのトルコの大統領、レジェップ・タイイップ・エルドアンはアサド政権崩壊する際に興味深いことを口にしている。現在、世界に存在する真の指導者はロシアのウラジミル・プーチン大統領と自分だけだというのだ。エルドアンがプーチンを裏切ったという見方もあるのだが、エルドアンの発言を素直に受け取ると、そうした見方は適切でないということになる。
エルドアンが敵視しているクルドは2015年10月以降、アメリカの手先として活動してきた。今後、HTSがクルドを攻撃する可能性がある。アサドを倒したという点はアメリカ政府にとって喜ばしいことなのだろうが、クルドを攻撃するとなると状況は変わる。
アメリカのバラク・オバマ政権は2011年3月、ムスリム同胞団やサラフィ主義者を主力とする戦闘集団を使い、シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒す工作を始めた。同年2月から同じような工作が始められたリビアは2011年10月にムアンマル・アル・カダフィ政権が崩壊、カダフィ本人は惨殺されているが、シリア政府は倒れない。
そこでオバマ政権はリビアから戦闘員や兵器を移動させるだけでなく支援を強化、2014年にはダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)を生み出した。ダーイッシュは残虐さを演出、アメリカ/NATOの軍事介入を正当化しようとし始めたのだが、2015年9月30日にロシア軍がアサド政権の要請で軍事介入、ダーイッシュを一掃してアメリカのプランを壊した。こうした支援が有効だったのはアサド大統領が毅然とした態度をとっていたからだ。
しかし、東部の油田地帯をアメリカ軍に支配され、アメリカ主導の経済封鎖でシリア経済は回復しない。シリアで稼ぐために傭兵集団の戦闘員になる人もいたようだ。苦境の中、シリア政府は国民の税負担を増やし、国民の離反を招いたと言われている。これは欧米支配者の計算通りだったのだろう。
ロシアにとってシリアはアフリカへの中継地で、重要な国だと指摘されている。ロシアからそうした国を奪うことも欧米支配者がシリアを侵略する目的のひとつだったはずだ。
アメリカ政府が火をつけた戦乱を避けるため、シリアから約400万人の難民がトルコへ逃れたと言われているが、その難民をトルコの情報機関が管理していると見られている。それ以上の難民がEUへ移動しているが、さらに難民を移動させるとトルコ政府はEUを脅したこともあった。そうした事態になれば、ヨーロッパは今以上の大混乱だ。経済が破壊され、資金源の油田をアメリカ/クルドに占領されているシリア政府にとっても難民の問題は深刻だった。
すでに本ブログでも書いたことだが、2020年にプーチン露大統領、トルコのエルドアン大統領、イランのハッサン・ロウハニ大統領がビデオ会議を開き、シリアでの戦争に軍事的な解決はなく、政治的プロセスを通じてのみ解決しなければならないという「確信」を3カ国は共同声明で表明した。今回のアサド政権崩壊は「政治的プロセス」だったという見方もできる。このプロセスには勿論、アサドも含まれていたのだろう。
2011年には侵略に断固として立ち向かった彼が今回はあっさり退いて亡命した。2011年にシリア侵略を始めたアル・カイダ系武装勢力はキリスト教徒を虐殺、それをアサド政権が守っていたのだが、今回、HTSはキリスト教徒と話し合う姿勢を見せている。2011年と現在では何か違うことが起こっている。
こうした見方が正しいかどうかは西側諸国が今後、どのように反応するかで推測できるだろう。現在、西側諸国はHTSを「自由の戦士」として扱っているが、とりあえず、アメリカ政府がHTS体制を認めるかどうかが注目されている。
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