
「日本の居心地の悪さ」はどこから来るのか?…養老孟司が戦後「政治的・社会的なことは一切信用しないほうがよい」と感じてきた《日本のひずみ》について語った

どうして変な事件が起きるのか? なぜ生きにくい世の中なのか? その答えは外国文化を取り入れ発展したことで生じた「ひずみ」にあるかもしれない――碩学ふたりが日本の限界と可能性に迫る。
天変地異しかないのか
茂木 今の日本社会には様々な「ひずみ」が現れつづけています。それは日本の近代化が様々な無理を重ねて行われてきたからではないか―。
そんな意識から、養老先生と批評家の東浩紀さんと3人で、近代日本について討論した『日本の歪み』(講談社現代新書)をこのたび刊行しました。日本を考えるには、「ひずみ」が一つのキーワードとなると思ったからです。
最新刊では敗戦、天皇、税金などが語り尽くされる
養老 「日本社会のひずみ」という問題は、私も生涯を通じて意識してきたことです。最初にひずみを感じたのは終戦の日で、ただ本当に膝の力が抜けていくようでした。その経験があるから、政治的・社会的なことは一切信用しないほうがよいという態度になったのだと思います。
茂木 養老先生は7歳のときに終戦を迎えられていますよね。爆撃機は見ましたか?
養老 B29はしょっちゅう見ました。住んでいた鎌倉は爆撃を受けませんでしたが、夜は横浜への空襲で空が明るかった。藤沢も平塚も燃えました。だから、30歳まではずっと、避難訓練などでサイレンが鳴ると不安になりました。あのときの気分が蘇るんです。
天変地異が日本を動かす
茂木 養老先生はこの本の中で、非常に重要な指摘をされました。それは、日本の近代史に地震などの天変地異が極めて大きな影響を与えているということです。敗戦へと突き進んだ昭和の軍国化の道も、関東大震災の影響が大きかったと指摘されています。
養老 さらに遡れば、武家社会が成立したのも、天変地異の影響が大きい。『方丈記』に書かれているように、平安時代が終わる前に京都で地震が続きました。東南海地震も起こり、全国的な規模で被災した。
そういう大変な天変地異が日本全体を襲うと、地方から都への物流が寸断されて、公家たちの生活が成り立ちません。その物流を確保するために公家が頼ったのが、地方の武士たちでした。その結果、武家の力が強くなり、鎌倉幕府が成立したわけです。
茂木 振り返ってみると、’09年に民主党政権が誕生したものの、たちまち自民党政権に戻り、安倍政権、菅政権を経て、現在の岸田政権に代わった。もし東日本大震災が起きてなかったら、この形も違っていたでしょう。政治や社会の問題を自然災害と結び付けて複合的に見る視点は、とても新鮮でした。

養老 武家社会の終焉にも、地震が大きな影響を与えています。ペリーの黒船来航は1853年ですが、翌年には南海トラフ巨大地震(安政東海地震、安政南海地震)、次の年には首都直下型地震(安政江戸地震)が起こりました。
黒船来航ばかりが注目されますが、日本全体が成り立たなくなるような大きな災厄によって、何百年も続いた武家政権が消えてしまったわけです。次の大きな地震がいつ来るのかはわかりませんが、今の社会を立て直すきっかけにもなりうるのではと私は思います。
外圧と天変地異でしか変われない国
茂木 もちろん、ペリー来航のような外圧も日本を変えましたよね。
養老 過去を辿ると、田中角栄元首相の収賄が問題になったのも、結局は外圧からでした。
茂木 政治家と話をすると、いわゆる裏金が、見て見ぬふりをしながら半ば常識的に使われていることが多いんですね。ジャニーズ事務所創業者の性加害問題について、何十年も存在しないことになっていたのと似ています。これが明るみに出た発端は、全世界に放送された英国BBCのドキュメンタリーでした。
養老 日本は外圧がないと、変わらない社会なんですよ。
茂木 高度経済成長期以降、日本では構造改革が叫ばれた。また、イデオロギーに基づく学生運動などもありましたが、日本が大きく変わることはなかった。社会が本当に変わるきっかけは、天変地異と外圧だったのですね。

養老 その通りです。戦後みんなが一生懸命考えてつくった日本のシステムは、戦後の学生運動のように「革命だ!」と叫んだところで、ぶっ壊すことはできませんでした。でも、災害や外圧によって勝手に壊れる可能性があるのです。そのとき、何が壊れて何が残るのかを、きちんと仕分けしておく必要があると思います。
表出する「ひずみ」
茂木 外圧で言うと、日本は近代の短い間に2度、国家の再建設を経験しています。1度目が明治維新、2度目が敗戦後です。急激な価値観の転換を行い、少なくとも表面上はあまりにもうまくいってしまいました。しかし、「日本特有の文化」が、社会のあちこちにひずみとして現れている。そのひずみをずっと解消できずにいるのが、現在の日本です。
養老 そんなひずみに関連して、気づいたことがあります。私は解剖という変な仕事をしていたのですが、世間の常識が私の常識とだいぶズレていました。
たとえば、ミスター検察と呼ばれた元検事総長の伊藤栄樹さんは『人は死ねばゴミになる』という著書を出しましたが、これは死体を実際に扱ったことのない人の言い方です。何千体という死体を扱ってきた私からすれば、死体がゴミに見えたことは一度もありません。
茂木 先生ご自身が生きづらかった理由を書かれた『バカの壁』が、なぜ450万部を超すベストセラーになったのかを考えると、日本のひずみを突いていたからではないかと気づきました。先生は「大江健三郎のような戦後のリベラル知識人は自分とは関係ない人たちだと思っていた」と仰っていますね。そう言われるような「分裂」が日本にはあった。

養老 たしかに、分裂に近いものはありますね。私が何を言っても、人文系の専門家と称する人たちには全然通じない。共通の土台のようなものがないのです。
戦後の日本人は暗黙の了解として、生活の中に自然を置きませんでした。だから、部屋にゴキブリが出ると、常軌を逸した行動に出るわけです。同様に、死体がその辺に転がっていることは許されないから、ゴミとして直ちに片づけてしまいます。
後編記事『「今の日本は『言葉』と『政治的な正しさ』を優先させすぎている社会」だが、本来は「ひずみ」を受け入れてきた「稀有な国」だった…養老孟司が思う「日本人が今気づくべきこと」』に続く。
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