「ヒトらしさを決める遺伝子」はいつ生まれたのか?その突然変異はヒトの誕生より70万年も前になる!?

生命科学
「ヒトらしさを決める遺伝子」はいつ生まれたのか?その突然変異はヒトの誕生より70万年も前になる!?(更科 功)
とかく誤解されやすい「進化論」について、楽しく、わかりやすく語り尽くした話題の新刊『世界一シンプルな進化論講義 生命・ヒト・生物』。この本の中から、今回は遺伝子にスポットを当て「ヒトらしさを決める遺伝子」について考えていくことにします。

「ヒトらしさを決める遺伝子」はいつ生まれたのか?その突然変異はヒトの誕生より70万年も前になる!?

「FOXP2遺伝子」がヒトをヒトらしくしている!?

私たちヒト(学名はホモ・サピエンス)は、人類の一種である。人類は約700万年前に現れ、進化の結果、数十種に分岐した。しかし、その多くは絶滅してしまい、現在生き残っているのは、私たちヒト1種だけである。

ヒトは、他のほとんどの人類種とは異なり、いわゆるヒトらしい行動をすると考えられている。洗練された言語を話したり、芸術的な活動をしたりするのは、その例だ(ヒト以外でそういう行動をした可能性のある種は、ネアンデルタール人などごく限られている)。

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このように、ヒトをヒトらしくした原因には、おそらく遺伝子も関係しているだろう。そんな可能性のある遺伝子の一つが、FOXP2(フォックスピーツー)だ。

FOXP2は、言語と関係していることが明らかになった最初の遺伝子である。FOXP2に突然変異が起きた人は、話したり、文法を理解したりすることが困難になることが知られている。

このFOXP2遺伝子をもとにして、FOXP2タンパク質が作られる。ヒト以外のほとんどの哺乳類では、数千万年もの間、FOXP2タンパク質のアミノ酸配列は変化していない。

ところがヒトでは、FOXP2タンパク質のアミノ酸が2個も変化している。他の哺乳類でほとんど変化がないことを考えると、この変化が洗練された言語の誕生に、つまりヒトらしい行動の一端に、関係しているのかもしれない。

ヒトの出現とFOXP2の突然変異の約70万年のズレ?

しかし、ここで慎重になろう。たしかに、FOXP2遺伝子は、ヒトらしい行動に無関係ではないかもしれない。しかし、だからといって、ヒトらしい行動を生み出すのに決定的な役割を果たしたわけでもないようだ。

なぜなら、FOXP2に関する、すべてのヒトの共通祖先は、100万年以上前に生きていたと推定されているからだ。つまり、現在すべてのヒトが持っているFOXP2は、100万年以上前に生きていた一人の祖先から受け継いだものなのだ。

化石の証拠から考えると、ヒトが現れたのは約30万年前だ。当然、ヒトらしい行動が始まったのは、それより後だろう。しかし、30万年前より後にFOXP2に突然変異が起きて、その突然変異がヒトらしい行動を始めさせたのだとすれば、おかしなことになる。

だって、FOXP2がすべてのヒトに広がるのに100万年かかるなら、現在生きているすべてのヒトには、まだ広がっていないはずだからだ。

逆に、現在生きているすべてのヒトに広がるためには、突然変異が、100万年以上前に生きていた共通祖先か、その共通祖先のさらに前の祖先に起きなくてはならない。そうすれば、FOXP2に起きた突然変異は、現在生きているすべてのヒトに広がっているはずだ。

でも、これもおかしな話だ。だって、突然変異が起きてヒトらしい行動が生まれたのが100万年以上前で、ヒトが現れたのが約30万年前、ということになってしまう。ヒトが現れるずっと前から、ヒトらしい行動が存在していたなんて、おかしな話だ。

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では、もう一つの可能性として、現在生きているすべてのヒトのFOXP2が、100万年以上前に生きていた一人の祖先から受け継がれたものだ、という推定が、そもそもおかしいのではないだろうか。

だって、ヒトが現れたのが約30万年前なのだ。だから、FOXP2に関する共通祖先が100万年以上前に生きていたとすれば、それはヒトではないことになってしまう。

じつは、そうなのだ。現在生きているすべてのヒトのFOXP2に関する共通祖先は、ヒトではないのである。

遺伝子の歴史を遡ると

図1は、ある遺伝子が、無性生殖をする集団中を伝わっていくパターンを表している。各世代の個体数は6個体で、遺伝子は子孫に伝わることもあるし、伝わらないこともある。

図1:ある遺伝子が、無性生殖をする集団中を伝わっていくパターン

さて、現在(7世代目)から時間を逆に遡ってみよう。任意の2つの遺伝子を選んで時間を遡ると、2つの系統はある時点で1つの祖先遺伝子へ辿り着く。これを「合祖(ごうそ)する」という。

どの遺伝子を選ぶかによって、合祖するまでの世代数は変化する。

たとえば、遺伝子Aと遺伝子Bは、合祖するのに4世代かかる。一方、遺伝子Bと遺伝子Cは、わずか2世代遡るだけで合祖する。

私たちは有性生殖をする生物なので、遺伝子の伝わり方が、図1とは少し違う。図1は無性生殖を念頭に置いて描かれた図だからだ。

とはいえ「どの2つの遺伝子を選んでも、十分に時間を遡れば、必ず1つの祖先遺伝子に合祖する」という基本は、有性生殖でも無性生殖でも同じである。

祖先遺伝子をもつ個体と集団の起源となる個体に注目すると

合祖を考えるときに注意しなくてはならないことが2つある。

1つ目は、集団中のすべての個体の祖先遺伝子をもつ個体が、集団の起源とは限らないということだ。

図2で考えれば、現在(7世代目)の集団中の、すべての個体の祖先遺伝子をもつ個体は、3世代目の遺伝子Dを持つ個体だ。でも、明らかに、この個体は集団の起源ではない。集団は3世代目よりも前から続いているからだ。

図2:図1をもとに祖先遺伝子をもつ個体と集団の起源となる個体に注目した図。遺伝子Dが祖先遺伝子で、集団の起源はさらに前の個体である

2つ目は、遺伝子によって合祖までの時間が違うということだ。すべてのヒトのミトコンドリア(の遺伝子)は、約16万年前にアフリカに住んでいた一人の女性に由来する。ヒトが現れたのは約30万年前だから、約16万年前はそれより後である。だから、その女性はヒトであろう。

一方、FOXP2遺伝子は、100万年以上前のアフリカに住んでいた一人の人類に由来する。ヒトが現れたのは約30万年前だから、100万年以上前はそれより前である。だから、その人類はヒトではない。100万年以上前には、まだヒトはいなかったからだ。

合祖するまでのプロセスを追っていくと

今までの話で、FOXP2に関する、ヒトの共通祖先がヒトでないことは、頭ではわかった。でも、何となくしっくりこない。どうすれば感覚的に理解できるだろうか。
遺伝子が合祖するまでの時間やパターンは、いろいろな要因に左右される。

たとえば、自然淘汰が働いていると、ある遺伝子の頻度の増加が加速されることがある。遺伝的浮動も、合祖までのパターンにさまざまな影響を与える。だから、決まったパターンはないけれど、比較的よくあるパターンはある。

それは、時間を遡っていくと、初めは急速に合祖していくが、系統が減っていくにつれて合祖する速度が遅くなっていくパターンだ。

時間を遡るにつれて、たくさんの遺伝子が合祖していき、ついに系統が2つだけになった。もう1回合祖が起きれば、すべての遺伝子の合祖が完了する。

ところが、この最後の合祖がなかなか起きない。多くの系統が合祖して2つになるまでの時間より、最後の2つの系統が合祖して1つになるまでの時間のほうが長いことも珍しくない。合祖が完了する前の最終段階は時間がかかるのである。

合祖は、初め急速に進むが、系統が減っていくにつれて遅くなり、最後の2つの遺伝子の合祖は非常に長い時間がかかる

30万年前の初期のヒトを考えると

30万年前の時点で、初期のヒトが何人いたかわからないが、仮に100人いたとしよう。その場合、FOXP2遺伝子は、少なくとも200個あったことになる(一人ひとりが少なくとも母親由来と父親由来の2つの遺伝子を持っているため)。

この時点で合祖が完了していないケースは十分考えられるし、そこからたった1つの遺伝子に合祖するまでには、かなり時間がかかるだろう。そして、その時間は、ヒト以前の人類種の中で、時間を遡りながら経過していくことになる。

したがって、現在生きているすべてのヒトのFOXP2に関する共通祖先が、ヒトでなくても不思議ではないのである。

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もしもFOXP2に突然変異が起きて、そのためにヒトらしい行動が進化したとすれば、それは100万年以上の時間をかけて、ゆっくりとヒト全体に広がっていったはずだ。

だから、ヒト以前の人類、たとえばホモ・エレクトゥスやホモ・ハイデルベルゲンシスから、すでにヒトらしい行動が始まっていなくてはおかしい。さらに、ヒトが現れた30万年前以降についても、ヒトらしい行動をしないヒトが長いあいだ存在しなくてはおかしい。

ヒトらしい行動が進化した原因は?

でも実際には、ヒトらしい行動は、数万年前に急速に進化している。

これは、1つあるいは少数の遺伝子の突然変異では説明しにくい現象だ(ほとんどの遺伝子の共通祖先は10万年以上前に存在していたと推定されている)。

では、ヒトらしい行動が進化した原因は何なのだろうか。はっきりとはわからないが、遺伝子の組み合わせが大きな役割を果たした可能性はある。ヒトらしい行動に必要な遺伝子(の変異)はすでに存在していて、それらがうまく組み合わせられた遺伝子セットが、自然淘汰によって急速に増加した場合などだ。

あるいは、必要な遺伝子セットはずっと前から存在していて、ヒトらしい行動が進化した引き金は環境的なものだったのかもしれない。

ラスコー洞窟の壁画(gettyimages)

ヒトの行動が1つあるいは少数の遺伝子によって決定されているという話は魅力的だ。つい飛びついてしまいたくなる。でも、そういう話には慎重になったほうがよい。皆無ではないかもしれないが、あったとしても非常に稀な現象だろう。

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