
「近親交配」によって自分の遺伝子をより多く残すことができる!?……ハプスブルク家にみる「進化の法則」をめぐるジレンマ

ヒトもまた進化の法則に支配されている
生物は進化する。そして、私たちヒトは生物である。したがって、もちろん私たちも進化する。だから、私たちも進化の法則に支配されていて、それから逃れることはできない。
私たちは、しょせん進化の手のひらの上で踊っているに過ぎないのだ。だから、進化の法則を私たちに当てはめれば、私たちの体の形や行動についての理解が深まるはずである。
以上に述べたことは正しい、と私は思う。ということで、進化の法則を私たちヒトに当てはめてみたのが、以下の話である。でも、この話の結論は正しいだろうか(ちなみに以下の話では、「子がいないより、いるほうがよい」といった表現が出てくるが、これは何らかの価値観ではなく、進化のメカニズムとしての話なのでご了承ください)。
配偶相手は兄弟姉妹のほうがよい?
生物は、自分の遺伝子をなるべく増やそうとする。つまり、なるべくたくさんの子を残そうとする。ヒトの場合は結婚したりして子を残すわけだが、さて、どうすれば自分の遺伝子をたくさん残せるだろうか。
ヒトは有性生殖をして子を作る。つまり、自分のDNAと配偶相手のDNAを、両方とも子に渡す。でも、そのまま渡したら、子のDNAは、自分や配偶相手のDNAの2倍になってしまう。そこで、子に渡す前に、DNAを半分にしておく必要がある。
この、DNAを半分にする操作を「減数分裂」という。ヒトは減数分裂によって精子や卵を作るので、精子や卵のDNAは半分になっている。その精子と卵が受精すれば、DNAの量はもとに戻って、ちょうど良くなるわけだ。
さて、あなたのDNAには遺伝子がたくさんあるが、その中のある遺伝子の遺伝子型をAAとしよう。そして、配偶相手が血縁関係にない人だとすると、あなたとは遺伝子型がたいてい異なるので、配偶相手の遺伝子型をBBとしよう。
すると産まれた子は、あなたからAを受け継ぎ、配偶相手からはBを受け継ぐので、遺伝子型はABとなる。つまり、子の遺伝子の半分は、あなたの遺伝子と同じというわけだ。

ところで、もしも配偶相手が兄弟姉妹だったらどうなるだろうか。兄弟姉妹のDNAなら、その半分は、あなたのDNAと同じはずだ。そこで、兄弟姉妹の遺伝子型をACとしよう(あなたの遺伝子型はAAだ)。すると産まれた子は、あなたからAを受け継ぎ、配偶相手(あなたの兄弟姉妹)からはAかCを受け継ぐ。したがって、子の遺伝子は、それぞれ2分の1の確率でAAかACになる。
AAの場合は、子の遺伝子とあなたの遺伝子は100パーセント一致し、ACの場合は50パーセント一致する。つまり、平均的に考えれば、子の遺伝子の75パーセントがあなたの遺伝子と同じになる。
つまり、自分の遺伝子をたくさん残すためには、配偶相手に赤の他人より兄弟姉妹を選んだほうがよいことになる。しかも、この考えを後押しする別の条件もある。
ヒトの社会背景史を考えてみても理にかなっている!?
現在でこそヒトは80億人を超える人口に膨れ上がっているけれど、かつては人口が少なかった。あまりに人口が少ないと、配偶相手がなかなか見つからずに苦労をすることになる。
しかし、兄弟姉妹のような家族を配偶相手に選べば、一緒に暮らしていることも多いので、見つけるのに苦労することも少ない。とにかく、配偶相手が見つからなければ、子を一人も残すことができないのだ。たとえ兄弟姉妹でも、配偶相手がいて子を残せるだけで、ずっとよいと考えられる。
以上の考察から、赤の他人と結婚するよりは、血縁関係にある人と結婚したほうがよいと結論される。赤の他人よりは、いとこのほうがよいし、いとこよりは兄弟姉妹のほうがよい。自分と配偶者の血縁関係が近いほど、自分の遺伝子をたくさん残せることになるからだ。したがって、ヒトでは近親交配を好むような進化が起こるはずである。

さて、進化の法則を私たちヒトに当てはめた話というのは、これで終わりである。この話に論理的な間違いはない。事実関係(昔の人口は少なかったとか)も正しいだろう。では、結論も正しいのだろうか。
スペイン帝国の凋落と「呪われた人」
時は16世紀、ハプスブルグ家はスペインを支配下におき、その勢力を急速に拡大していた。このハプスブルグ家の出身であったカルロス2世がスペイン国王に即位したとき、スペイン帝国は世界最強の帝国だった。
しかし、その黄金期は終わりに近づいていた。カルロス2世は4歳で王位についたが、いくつもの先天的な異常を持っていた。顎が大きすぎてうまく咀嚼(そしゃく)できず、いつも涎(よだれ)を垂らしていて、はっきりとしゃべることもできなかった。8歳になるまで歩くことができず、正規の教育を受けることも能力的に難しかった。つねに下痢と嘔吐に苦しめられ、30歳のころには、すでに老人のようだったらしい。

しかし、最大の問題は、カルロス2世に後継ぎをつくる能力がないことだった。これらの症状は魔術をかけられたせいだと当時は信じられていたので、カルロス2世は「呪われた人」とも呼ばれていた。
カルロス2世の治世下でスペインの国力は衰えた。そして、1700年にカルロス2世が亡くなると、スペイン継承戦争が起こり、スペインは敗北した。そして、スペインに代わって、イギリスが世界最強の帝国へと歩みはじめたのである。
ハプスブルグ家と近親交配
もちろん、スペインの凋落のような大きな歴史の流れを、1つの要因だけで説明することはできない。しかし、その最大の要因の一つが、ハプスブルグ家において繰り返された近親交配であったことは確かだろう。ハプスブルグ家では、いとこ同士の結婚は珍しくなく、叔父と姪が結婚することさえあった。
このような近親交配の果てに生まれたカルロス2世は、兄弟姉妹のあいだに生まれた子よりもさらに近親交配の度合いの強い遺伝的構成を持っていたと推測されている。そのため近親交配の悪い影響が、非常に強くカルロス2世に現れたのであろう。

でも、さきほどの、進化の法則を私たちヒトに当てはめた話によれば、近親交配ってよいことだったはずだ。でも、カルロス2世のことを考えれば、近親交配がよいこととは、とても思えない。進化の法則を私たちヒトに当てはめた話のどこがおかしかったのだろうか。
有害な遺伝子が自然淘汰で除かれるとはかぎらない
ところで、遺伝子の中には有害なものもある。そういう有害な遺伝子は、自然淘汰によってすぐに除かれてしまいそうだが、残念ながら必ずしもそうではない。
有害な遺伝子が、顕性の場合と潜性の場合に分けて考えてみよう。
まず、有害な遺伝子が顕性対立遺伝子の場合は、有害な遺伝子は自然淘汰によってすぐに除かれてしまうだろう。有害な遺伝子を持つ個体には、有害な表現型がかならず現れるからだ。

しかし、有害な遺伝子が潜性対立遺伝子の場合は、そうはいかない。有害な遺伝子を持つ個体に、有害な表現型が現れるのは、遺伝子型がホモ接合体(aa)のときだけで、ヘテロ接合体(Aa)のときは有害な表現型は現れないからだ。
とくに、有害な遺伝子の割合が少ないときは、有害な遺伝子同士が1つの個体に集まって、ホモ接合体になることは滅多にない。有害な遺伝子の大部分はヘテロ接合体の形で存在しているので、表現型に現れないため、自然淘汰によって除かれない。
そのため、有害な遺伝子がある程度まで少なくなると、そこから先はなかなか数が減らなくなり、いつまでも存在し続けることになる。このため、有害な遺伝子は、潜性対立遺伝子の形で存在していることが多いのである。
さきほど述べたように、ハプスブルグ家では近親交配が多かった。近親交配が行われると、両親の遺伝子が似ているために、滅多にない有害な遺伝子を、父からも母からも受け継ぐ可能性が高くなる。
通常、有害な遺伝子は潜性なので、片方の親から受け継いでも表現型には現れない。しかし、両親から受け継ぐと、生まれた子は有害な遺伝子についてホモ接合体になり、有害な効果が表現型に現れてしまう。不幸にして、その典型的な例になってしまったのが、カルロス2世だったのだろう。
正しい説はたくさんある
ここでは、おもに2つの説を紹介した。
一つは、「近親交配をすると、自分の遺伝子をより多く増やすことができる。だから、近親交配が増えるように進化するはずだ」という説で、もう一つは、「近親交配をすると、有害な遺伝子の効果が表現型に現れやすくなる。だから、近親交配が減るように進化するはずだ」という説だった。
この説は両方とも正しい。近親交配には良い面もあれば、悪い面もある。そのどちらが強く影響するかは、条件によって異なる。つまり、生物ごとに異なる。だから、近親交配を好む生物もいれば、近親交配を避ける生物もいるのである。

私たちは、進化の知見をヒトの行動に当てはめて、ヒトの行動を解釈することが好きである。そういう解釈を読んだり聞いたりすることは、よくある。しかし、ある行動に関係する進化の知見はたくさんあり、それらを総合的に捉えたうえで適切な解釈を導き出すことは(もちろん可能だとは思うけれど)なかなか難しい。
説が正しいからといって現実には当てはまらない
今回の例から考えても、不十分な知識から、私たちヒトに近親交配を勧める人が現れないともかぎらない。しかも、その根拠となる説(近親交配によって自分の遺伝子が増える)は正しいのだ。

根拠となる説が正しいからといって、それを現実に適用することも正しいとは限らない。ある現象に関連する説はたくさんあることがふつうなので、その中の1つだけに注目して、他を無視すれば、正しい論理を使っておかしな結論に導くこともできる。正しい論理を使って、私たちに近親交配を勧めることだってできる。でも、やっぱりそれはおかしいだろう。
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