
まさか…生命と非生命が「区別できない」とは…! それでも地球型生命に2つの「絶対必要な分子」があった
「地球最初の生命はRNAワールドから生まれた」
圧倒的人気を誇るこのシナリオには、困った問題があります。生命が存在しない原始の地球でRNAの材料が正しくつながり「完成品」となる確率は、かぎりなくゼロに近いのです。ならば、生命はなぜできたのでしょうか?
この難題を「神の仕業」とせず合理的に考えるために、著者が提唱するのが「生命起源」のセカンド・オピニオン。そのスリリングな解釈をわかりやすくまとめたのが、アストロバイオロジーの第一人者として知られる小林憲正氏の『生命と非生命のあいだ』です。本書からの読みどころを、数回にわたってご紹介しています。
これまでの記事で「生命はどこから生まれたか」という議論の変遷を見てきましたが、今回は「生命はどう定義されようとしてきたのか、そしてどう定義できるかを考察してみます。

*本記事は、『生命と非生命のあいだ 地球で「奇跡」は起きたのか』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
生命を定義することの難しさ
生命を定義しようとする試みは、多くの研究者によってなされてきました。いま述べたように生化学系の研究者は、生体内で反応が進行すること、ひとことでいうと「代謝」を重視することが多いようです。一方、分子生物学者は、DNAを重んじることから「自己複製」を重視する傾向があります。ほかには、オパーリンのように外界との「境界」の存在を重視する人もいます。
また、前回の記事でご説明したようにシュレーディンガーは、エントロピーという物理量から生命を定義しようとしました。

シュレーディンガーは、エントロピーという物理量から生命を定義しようとし
近年では、「進化」を重視するようになってきている傾向があります。米国ソーク研究所のジェラルド・ジョイス(1956〜)は、RNAの試験管内分子進化の研究で有名ですが、生命を「ダーウィン進化しうる自立した分子システム」と定義しました。これはNASAの「生命の定義」に採用されています。
一方、20世紀の終わりには、生命を定義すること自体の問題点も指摘されてきています。
私たちは、生命の「ごく一部」しか知らない
英国の生化学者ノーマン・ピリー(1907〜1997)は「生命という言葉の無意味さ」という論文の中で、生命と非生命は連続的なものであり、境界線を引くことはできない、としています。ノーベル化学賞を受賞したライナス・ポーリング(1901〜1994)も「生命は定義するより研究するほうがやさしい」と述べています。
なぜ、生命の定義がこれほど難しいのでしょうか。それは、私たちが1種類の生命しか知らないからです。たしかに地球上には、既知のものだけで175万種(環境省ウェブサイトより)、未知のものも考えればおそらく1億種をはるかに超える生物がいるのですが、これらはすべて、共通の祖先から進化してきたものであることがわかっています。
つまり、すべてはタンパク質と核酸(DNA、RNA)、そしてリン脂質の膜を使う生命形態であり、私たちはほかの形態の生命を知らないのです。
もし、私たちが第2、第3の生命を他の惑星あるいは地球深部などで見つけることができれば、私たちの生命に関する知識は大幅に増すことでしょう。
ガチに定義する前に「特徴」を整理してみよう
ここで、これから生命について議論していくために、とりあえず「定義」にはこだわらず、私たちの知っている地球生命の「特徴」を述べておくことにしましょう。
- 地球生命は水と有機物に依存したものです。これが大前提です。
- 地球生命は外界と区別する「細胞膜」を持っています。細胞膜はおもにリン脂質でつくられています。
- 地球生命は細胞膜の中で化学反応を行います。これは「代謝」とよばれます。代謝は、酵素というタンパク質が触媒となって、コントロールされています。
- 第四に、地球生命は「自己複製」を行うことにより、増殖します。
- 地球生命は環境の変動に応じて「進化」(変異)します。

最後の2つ(4と5)が可能になるのは、核酸のおかげです。
以上のことから、「地球型」生命の誕生には、リン脂質、タンパク質、そして核酸が必要であることがわかります。
とりわけタンパク質と核酸は、両者がともにそろわなければ生体内でつくることができないものであり、地球生命の根源をなす分子と考えられます。そのため生命の起源研究では、タンパク質と核酸の起源が最重要課題と考えられてきたのです。
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