「古代アメリカ文明」は日本の歴史教科書において質量ともに不十分に扱われてきた。
しかし、古代アメリカ文明を構成するメソアメリカ文明とアンデス文明は、世界で4つしか誕生しなかった「一次文明」(もともと文明がないところに独自に生まれた文明)の2つを構成する。つまり、古代アメリカ文明は、人類の文明の起源と形成を知るうえでたいへん重要な位置を占めるのだ。
そのように重要にもかかわらず多くの日本人がよくわかっていなかったメソアメリカ文明とアンデス文明を一冊にまとめた初の新書、青山和夫編『古代アメリカ文明 マヤ・アステカ・ナスカ・インカの実像』がこのたび刊行される。
最新の研究の成果をもとにそれぞれの専門家が文明の「実像」をわかりやすくまとめたという本書では、具体的にどのようなことが書かれているのか。編・著者の青山和夫氏が本書を紹介してくれた。
【※本記事は、青山和夫編『古代アメリカ文明 マヤ・アステカ・ナスカ・インカの実像』(12月14日発売)から抜粋・編集したものです。】
「文明は大河流域に生まれる」説は間違い
本書の目的は、古代アメリカのメソアメリカ文明とアンデス文明を一緒に解説する日本初の新書として、学問的な謎を解いて最新の研究の成果や魅力を読者にわかりやすく伝えることである。
私たちは、学術研究と一般社会のもつ知識の隔たりを少しでも小さくできればと強く願いながら本書を執筆した。
ただし本書は、アメリカ大陸の多様な先スペイン期社会を網羅するのではない。メソアメリカを代表するマヤとアステカ、アンデスで最も名前が知られているナスカとインカの実像に迫る。それぞれ日本を代表する専門家が、自らの研究成果や現地の経験を織り交ぜながら、高校生にもわかるように平易な表現を心がけた。
なお増田・青山『古代アメリカ文明―アステカ・マヤ・インカ (世界歴史の旅)』(2010年)のメインタイトルは本書と同じであるが、メソアメリカとアンデスの主要遺跡の旅行案内書であり、本書とは目的と構成が異なる。
公共祭祀建築に注目
本書は、公共祭祀建築(神殿ピラミッドや基壇など)、公共広場、図像、メソアメリカ文明の場合は文字にも注目して、それらが社会を動かす仕組みとして果たした役割を見ていく。
メソアメリカとアンデスでは、支配層と民衆のせめぎ合いが社会を動かす仕組みを更新させていった。このせめぎ合いの中心となる場が、公共祭祀建築や公共広場であった。公共祭祀建築とそれに伴う図像は「見る」人びとを突き動かし、より巨大な公共祭祀建築を建造して社会を動かす仕組みを編み出した。
マヤ文明のティカル遺跡(撮影:青山和夫)
メソアメリカでは、文字が使われた。マヤ文明(前1100年頃~16世紀)は、先スペイン期アメリカ大陸で文字(4万~5万)、算術、暦、天文学を最も発達させた。それは、スペイン人が侵略する直前に発展したメソアメリカのアステカ王国(後1428~1521年)や南米のインカ国家(1400年頃~1532年)より2500年ほど前に興った(図)。
マヤ文明とアステカ文明
第一章では、公共広場と公共祭祀建築からマヤ文明の起源と形成を見ていく。それは、ユカタン半島を中心にメソアメリカの南東部で展開した、主要利器が石器の都市・文字文明であった。
マヤ文明最古(前1100年頃)かつ最大の公共祭祀建築が見つかったメキシコのアグアダ・フェニックス遺跡の最新の調査成果についても紹介しよう。古典期(後200~1000年)には、公共祭祀建築と神々の図像に加えて、一握りの支配層が読み書きしたマヤ文字とそれに伴う権力者の図像が、「語り」を物質化し「見せる」ことによって、社会を動かす新たな仕組みを提供した。
第二章では、考古学と絵文書と呼ばれる歴史文書からアステカ王国の実像に迫る。アステカ人はメキシコ盆地の主都テノチティトラン(現在のメキシコ市)、テツココ(テスココ)、トラコパンの三都市同盟を中心にメソアメリカ最大の王国を築いた。公用語はナワトル語である。テノチティトランは、マヤ地域から1000キロメートル以上も離れている。アステカ文字はマヤ文字ほど精緻ではなかったが、宗教や暦、天文から租税まで記録された。
ナスカの地上絵の最新研究
一方でアンデスは、インカのような巨大な社会が最終的に成立したにもかかわらず、文字を必要としない無文字文明であった。アンデス文明のキプ(キープ)では、縄の結び目の位置、数や色によって、人口、兵力、作物や家畜などを記録した。
アンデスでは前3500年頃から神殿が建設され、後に地上絵で有名なナスカなどの社会が開花した。第三章では、前400年頃に製作が始まったナスカの地上絵について詳しく解説する。
GettyImages
地上絵が描かれたナスカ台地は、ペルー南海岸に立地する。地上絵だけでなく、神殿、居住遺跡や土器などの遺物の研究を通じて、ナスカ社会の通時的な変遷を論じる。そしてリモートセンシング(遠隔探査)技術や人工知能(AI)を用いた地上絵の現地調査の最新の成果を紹介して、地上絵はなぜ制作されたのかに迫る。
「インカ帝国」は「誤解」
侵略戦争で「勝者」となったスペイン人は、インカを一枚岩的なローマ帝国に由来する都市的古代社会イメージで「理解」し、一方的に「インカ帝国」と解釈した。
第四章では、この誤解がインカを実像から遠ざけていることを詳説する。
考古資料、スペイン人の歴史文書、16世紀の先住民の語りがケチュア語で綴られた「ワロチリ文書」や民族誌から、無文字社会のインカの実像に迫る。
インカ王はあらゆる者の頂点に君臨する「帝国」の絶対的な支配者ではなく、宇宙の揺るぎなき支配者・権力者である山の神々を怖れ敬い、その超大な力との関係を維持しながら統治した。
インカのマチュピチュ遺跡(撮影:青山和夫)
マチュピチュ遺跡は、日本で最も有名なユネスコ世界遺産の一つであろう(図)。それはインカの主都クスコの北西にあり、パチャクティ王と王族の王領であった。
「文明は大河流域に生まれる」という考え方は…
古代アメリカの二大一次文明の研究は、両文明の特徴をより明らかにするだけでなく、人類の文明とは何かをより深く考えるうえでも重要である。
例えば、比較的乾燥したメソポタミアやエジプトの低地では、「文明が生まれる条件」として大河が強調される。
ところが高地と低地のきわめて多様な自然環境で文明が発達したメソアメリカとアンデスでは、大河がない場所が多い。大河どころか、河川がほとんどない場所でも文明が栄えた。したがって、「文明は大河の流域で生まれた」という中学歴史教科書の記述は、時代遅れの間違った考え方である。
青銅器・鉄器や文字は文明の指標?
旧大陸のいわゆる「四大文明」では、青銅器・鉄器や文字が文明の指標として用いられる。
しかし、メソアメリカとアンデスでは基本的に石器が主要利器であり、鉄器は用いられなかった。また上述のように、文字は、無文字文明であったアンデス文明には当てはまらない。
古代アメリカは文字、技術や自然環境をはじめとして、西洋中心史観や旧大陸中心史観を相対化するデータが生み出されてきた地域である。本書一冊で、マヤ、アステカ、ナスカ、インカの四つの実像について知ることができる。
本書を通して、まだ日本であまりよく知られていないメソアメリカ文明とアンデス文明について少しでも興味関心を深めていただければ、執筆者一同にとって大きな喜びである。
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ヨーロッパ人「発見」以前の新大陸の歴史を私たちは軽んじていないか?
人類史の常識に再考を迫る最新知見がおもしろい!
「多くの人が生贄になった!? 」「大河の流域でないと文明は生まれない!? 」「 無文字社会にリテラシーは関係ない!?」「 王は絶対的な支配者だった!?」
――「常識」の嘘を明らかにし、文明が生まれる条件を考える。青山和夫編『古代アメリカ文明 マヤ・アステカ・ナスカ・インカの実像』は12月14日発売です!
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