残念ながら、原始地球の大気に「メタンありき」は、思い込みだった…衝撃的だった「ミラーの実験」が残した「1つの功績と2つの罪」

生命科学
残念ながら、原始地球の大気に「メタンありき」は、思い込みだった…衝撃的だった「ミラーの実験」が残した「1つの功績と2つの罪」(小林 憲正)
「地球最初の生命はRNAワールドから生まれた」しかし、生命が存在しない原始の地球でRNAの材料が正しくつながり「完成品」となる確率は、かぎりなくゼロ。ならば、生命はなぜできたのでしょうか? そのスリリングな解釈をわかりやすくまとめたのが、アストロバイオロジーの第一人者として知られる小林憲正氏の『生命と非生命のあいだ』です。本書からの読みどころを、数回にわたってご紹介しています。「ミラーの実験」と、その影響についての解説をお届けします。

残念ながら、原始地球の大気に「メタンありき」は、思い込みだった…衝撃的だった「ミラーの実験」が残した「1つの功績と2つの罪」

アミノ酸は簡単にできる!

1953年にミラーの論文が発表されたときの話に戻りましょう。この論文は多くの科学者の興味をひきました。化学進化の実験が数日でできるなんて、誰も考えていなかったからです。

このあと、ミラーをお手本に化学進化の実験を始めるグループが続々と現れました。まず、材料については、原始地球大気は二酸化炭素を多く含むとする説と、メタンを多く含むとする説が対立していたと述べましたが、ミラーの結果を受け、多くの人がメタン派となりました。

しかし、ミラーと同じことをしても論文にはなりません。そこで、ミラーが考えた雷による放電とは別のエネルギーを考えてアミノ酸をつくろうとする実験が、1970年くらいまで続々と報告されました。

まず考えられたエネルギーは、火山の熱でした。マイアミ大学の原田馨(1927〜2010)とシドニー・フォックス(1912〜1998)は、放電の代わりに熱を使った反応装置をつくりました。とはいえ本物の溶岩の温度は約1000℃で、こんな温度で熱するとほぼすべての有機物はこわれてしまいます。しかし、大気が溶岩に触れたあと、すぐに冷やされたとしたらどうだろうか?

それを見るために原田とフォックスは、図「原田とフォックスの加熱実験」のような装置を組みました。

原田とフォックスの加熱実験

大きなフラスコに入ったメタン・アンモニアと水蒸気を混ぜたガスは、右下の約1000℃に加熱した高温炉の中を通ったあと、すぐに炉から出て、左下の小さいフラスコに溜まっていきます。このときに生成物も溜まります。このようなサイクルを繰り返したあと、小さいフラスコ中の液体を分析すると、アミノ酸ができているのが見つかったのです。

この実験でわかったのは、高温の溶岩によってエネルギーがもたらされたあとは、混合ガスを急冷してやるのがミソだったということです。実はミラーの実験でも、火花の中では高温になりますが、そこから少し外れれば急冷されるところは共通しています。

太陽光を想定したカール・セーガンの実験

次に考えられたエネルギーは、太陽光です。原始地球上で最も大きいエネルギー源は、太陽でした。

太陽はスペクトル型ではG型星に分類される、宇宙でありふれた星で、核融合により巨大なエネルギーを生みつづけています。そのほとんどは可視光と赤外線で、これらは大気の分子の反応には、ほとんど寄与しません。反応に関係するのは主に紫外線ですが、そのエネルギー総量は雷や火山のエネルギーをはるかに凌駕します。

コーネル大学のカール・セーガン(1934〜1996)たちは、ミラーの実験などに使われたのと同様の混合ガスに紫外線を照射して、アミノ酸をつくろうとしました。しかし、アンモニアは紫外線を吸収しますが、メタンや水蒸気は紫外線をほとんど吸収しません。つまり、メタン・アンモニア・水だけでは、紫外線を当ててもあまり反応しないのです。

そこでセーガンたちは、紫外線を吸収する硫化水素を混合ガスに加えて、反応させてみました。その結果、やはりアミノ酸を合成することに成功したのです。

カール・セーガン photo by gettyimages

このほかのエネルギー源としては、地殻中に含まれる放射性元素から出る放射線や、隕石が衝突したときに生じる衝撃波などを模したエネルギーを同様の混合ガスにぶつけて、アミノ酸ができたという報告もありました。

なんのことはない、アミノ酸は意外にも簡単にできることがわかってきたのです。

ミラーの実験の「功罪」

ミラーの実験の意義はなんといっても、アミノ酸という生命に直結する分子が、単純なガスを混ぜて火花を飛ばすだけでできてしまうこと、つまり、化学進化が実験室で再現できることを示した点にあります。

オパーリンやホールデンが生命の起源を考えはじめた1920年代には、それが実験科学になりうるなどとは、考えられてもいませんでした。いうなればミラーの実験は、一種の「コロンブスの卵」であり、それを知った多くの科学者たちを、生命の起源研究に誘い入れました。これがミラーの最大の功績といえるでしょう。

しかし、その一方では、「罪」もありました。メタン・アンモニアを使った実験がうまくいったため、「原始地球大気にはメタン・アンモニアが多く含まれていたはずだ」という思い込みに多くの科学者がとらわれたのです。

原始大気の組成についてはミラーの実験のあともさまざまな議論が続いていたにもかかわらず、化学進化実験においては以後、およそ30年間も、メタンを多く含むガスを使うのが常道となりました。これがミラーの実験の1つ目の罪です。

原始大気の組成は、メタンを多く含むガスを使うのが常道となった photo by gettyimages

ミラーの実験「もう1つの罪」

その後、ミラーはユーリーとともに、さらに放電実験を続けます。彼らは化学者だったので、アミノ酸がどのような反応によってできたのかも明らかにすべきだと考えました。そこで、放電実験ではアミノ酸以外にどのようなものができているかを調べました。

その結果、放電を始めるとまず、ホルムアルデヒドと、シアン化水素という分子が増え、そのあとアミノ酸ができてくることがわかりました。このことからミラーらは、この2つの分子とアンモニアが反応して、まず、アミノアセトニトリル(NH₂CH₂CN)という分子ができたと考えました。

この分子に水(H₂O) が作用すると、CNがCOOHに変わって、グリシン(NH₂CH₂COOH)になります(図「ストレッカー合成」)。この反応は、化学者の間ではよく知られているもので、発見者の名前をとって「ストレッカー合成」と呼ばれています。火花放電では熱、光、衝撃波などが発生して化学反応が引き起こされ、非常に多種類の分子が生成するのですが、ことアミノ酸に関しては、こうした既知の化学反応式をあてはめることができると、ミラーらは主張したのです。

ストレッカー合成

このため、その後のアミノ酸合成研究ではほとんどの研究者が、それが原始地球上のものであれ、宇宙であれ、まずはストレッカー合成を持ち出すようになりました。でも、ミラーの実験でアミノ酸が本当にストレッカー合成でできたのかどうかは、実はいまだに証明されていないのです。

アミノ酸合成も実際には非常に複雑な反応となることが多いにもかかわらず、単純な化学式で書き表せるという思い込みを与えたこと、これがミラーの実験がもたらした2つめの、そして最大の影の部分だと私は思います。

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