
じつは、多くの人が「生命のシステムは1種類」だけと思っている…「地球外生命」の存在をも左右しかねない「驚愕の生命観」

地球外生命体はいるのか
地球外生命体は、いわゆる「観測可能な宇宙」にいるのでしょうか。
小林憲正氏(以下、小林):私も含め、アストロバイオロジーの研究をしている研究者は、長らく「観測可能な宇宙」の中に地球外生命体がいるか否か、実験や議論を重ねてきました。
観測可能な宇宙には、10²³個ほどの星があります。宇宙空間に膨大に存在する星の中で、太陽もその周りを公転している地球も、ありふれた星に過ぎません。
特別ではない太陽系の珍しくもない衛星である地球に生命が存在しているということは、広く見渡せば、宇宙のどこかに複数の地球外生命が存在していても不思議ではないと思います。
東京大学大学院教授の戸谷友則氏は「観測可能な宇宙に地球外生命が存在している可能性は極めて低い」「ただし観測可能な宇宙の外まで考慮すると地球外生命が存在する可能性は高い」という説を発表しています。
小林:「観測可能な宇宙に生命が存在しているか」という問題に対する考え方は、研究者によってまちまちです。
生命の起源をどう定義するか、地球外生命をどのようなタイプと捉えるか、という点について、どういった立場をとるのかにも依存します。
私たちが知っている生命システムは、タンパク質を触媒として代謝を行い、DNAを用いて複製をする、地球生命のシステムのみです。ですから、地球外生命も同様の生命システムを有しているのではないかと考えがちです。どうしても地球以外の星でもDNAとタンパク質を用いる生命が誕生するシナリオを描きたくなってしまいます。
戸谷説では「地球外生命の生命システムは、地球生命のそれと類似している」という前提にのっとっています。生命システムを1種類に限定しているため「観測可能な宇宙に地球外生命が存在している可能性が低い」と言いたくなってしまう。これはこれで、仕方がないことだと思います。
けれども、私は地球生命とは異なった方法で代謝や複製を行う生命がいてもいいのではないかと思っています。そう考えると、観測可能な宇宙に地球外生命が存在している可能性は、格段に高くなるのです。
そもそも「生命」を定義できるのか
著書『生命と非生命のあいだ』(講談社)には、そもそも生命を定義すること自体が非常に難しい、と書かれていました。
小林:「犬」と言われたら、私たちは的確に「これは犬だ」「あれは犬じゃない」と身近な生物を選別することができます。これは、私たちがたくさんの「犬」の種類を知っているからこそできる芸当です。
地球には、わかっているだけで約175万種の生命が存在しています。未知のものを含めれば生物種は1億を超えるとも言われています。
しかし、その多様な種の生命システムは1種類に限定されます。タンパク質を触媒として代謝を行い、DNAを用いて複製をしています。
つまり、私たちが知る生命システムは1種類のみです。その1種類の生命システムを持つものだけを生命としていいのか、それとも、他の生命システムを持つものも「生命」としていいのか、私たちは知る由がありません。
ここで、代謝と複製の材料という枠を取っ払って、生命の定義を「自律的に化学反応をして自分の身体を作り、運動をするもの」であり、且つ「その過程で自己複製をし、進化していくもの」にしたとしましょう。
すると、ウイルスは生命か非生命か、という議論が生じます。この問題は、長らく多くの研究者の頭を悩ませており、未だに結論は出ていません。
というのも、ウイルスはDNAやRNAからできていますが、自己複製することはできません。他の生物の細胞に寄生しない限りは、増殖できないのです。
自己複製できないウイルスを生命として良いのかという問題に対してすら、私たちはまだ答えを出しかねています。

また、ロバとウマをかけあわせたラバは繁殖能力を持ちません。自己複製する、ということを生命の定義に入れた場合、ラバは「生命ではない」ということになります。
増えるか進化をするか定かではないけれども、自分の身体を維持しながらもぞもぞ動いている「何か」が地球外で見つかったとき、私たちはそれを「生命」とも「非生命」とも判断しかねて、途方に暮れてしまうでしょう。
タンパク質以外の物質を代謝の触媒としている地球生命は、全く存在しないのでしょうか。
小林:少なくとも現段階で地球上で発見されている生命のほとんどは、代謝の触媒としてタンパク質を使用しています。ただ、それ以外の生命システムが過去に存在したとする考え方があります。
1982年に、ある特定のRNAが自己複製と触媒の2つの機能を併せ持つことが明らかになりました。これは、タンパク質やDNAが無くても、RNAのみで代謝と複製が可能である、ということを示唆しています。
タンパク質やDNAという物質ができる以前の時代、地球生命の生命サイクルはRNAのみでまかなわれていたのではないか。これが「RNAワールド仮説」です。
RNAも含め、タンパク質以外の物質を触媒に、DNA以外の物質で複製を行う生命システムのパターンがあっても全くおかしくない、と私は考えています。
生命と非生命は切り分けられない
小林先生は「生命と非生命のあいだ」を「スペクトラム(連続的)」と表現していました。
小林:「スペクトラム」自体は、もともと光学の分野で用いられる用語です。
日本では、虹は7色だと言われていますが、赤、橙(だいだい)、黄、緑、青、藍(あい)、紫、ときれいに7つに区切られているわけではありません。
赤からちょっとずつ黄味が増していき橙になり、更に黄色になり……というように、色と色の間を区切る仕切りのようなものはありません。
生命を「1」、非生命を「0」として、その間に仕切りがある、と考えてみましょう。「0」から「1」を生み出すことは、とにかく難しい、ということがイメージできるかと思います。仕切りを乗り越えて「0」から「1」になるためには、神のような万能の存在を求めたくなります。
私は、できれば神ではなく、化学反応が生命を創ったと考えたい。これは、化学者の性でしょう。
そこで、先ほどの「生命の定義は難しい」という話にも関係しますが「ここまでは非生命」「ここからは生命」というように切り分けて考えるのではなく、生命と非生命のあいだはグラデーションである、とすると面白いかもしれない、という着想を得ました。
進化するに伴い、「0」が「0.01」になり、「0.1」になり、「0.5」になり、、、と次第に生物っぽさが増していく、と私は考えています。これが「生命と非生命のあいだはスペクトラムである」ということです。

生命と非生命のあいだの壁を取っ払うと「地球外生命はいるのか」という議論をする際に、「地球外生命」を定義することも難しくなるのではないでしょうか。
小林:例えば、近い将来、火星で「生命っぽい」ものが見つかったとしましょう。その「生命っぽい何か」の生命システムは、地球生命と同じものである可能性もありますが、違うものである可能性のほうが高いのではないか、と私は思っています。
「生命っぽい何か」は、地球生命ほどしっかりはしていないけれども、自律性を保ち、動くことができる、となった場合、それを「生命」と言っていいのか否か。
私は、それは「地球の『1』レベルの生命よりも低いレベルの生命」ではないかと思います。
生命らしさが生まれた「がらくたワールド」
小林先生は原始地球上に存在したと考えられる雑多な有機物から成る「がらくたワールド」で非生命が徐々に生命らしさを獲得していった、という説を提唱しています。
小林:私が博士課程を修了し、米国のメリーランド大学化学進化研究所で博士研究員として生命の起源の研究を始めたのは、1982年。40年以上、「生命っぽい何か」を合成するため、様々な実験をしてきました。
当初は、タンパク質やRNA、アミノ酸など、生命に直接関係のある物質の合成実験が主でした。しかし、そういった実験をしていると、タンパク質やRNAに全く関係なさそうながらくたのような有機物が副生成物として多くできてしまうことが気になり始めました。
そしてそのがらくたのような有機物こそが、生命の起源なのではないか、と考えるようになったのです。これが、がらくたのような有機物、すなわち、がらくた分子から構成される「がらくたワールド」のスタート地点です。
がらくた分子は、どのようにして生成するのですか。
小林:原始地球の大気には一酸化炭素や窒素が含まれていた、と考えられています。
この2種類の物質の混合気体に宇宙線を模した陽子線を、加速器を用いて照射したところ、驚くほど多くの種類の有機物が得られました。その中には、アミノ基を複数有する比較的分子量の大きい有機物もありました。もし、これが、アミノ基だけがきれいに繋がっていたのであれば、それは洗練されたペプチドのような分子になります。
けれども実際に得られた分子は、炭素、窒素、酸素などが適当に結合した無骨なものでした。そんな分子でも、うまく使えばそれなりの働きをするのではないか、と考えたのです。

※参考記事:なんと、原始の大気に陽子線をあてたら「がらくた分子」ができた…! じつは、これこそが「生命のはじまり」かも、という「驚きの仮説」
「がらくた分子」が生命を獲得していくストーリー
「がらくた分子に含まれるアミノ基が何らかの拍子につながるという偶発的な出来事が複数回起こり、ペプチドが生成した」というストーリーががらくたワールドの考え方なのでしょうか。
小林:がらくた分子からペプチドが生成した、と言うよりも、がらくた分子が機能を獲得していった結果、ペプチドができた、と言うほうが適切かもしれません。
獲得した機能の順番としては、まずは代謝のための触媒機能ではないかと、私は考えています。
もちろん、アミノ酸ができてペプチドができて、そのペプチドの中で特に優れたものが初めて触媒になった、と考える研究者もいます。
ただ、私は最初の触媒はペプチドでもRNAでなくてもいい、と思っています。そんな立派な分子ではなく、がらくたワールドの中にある雑多ながらくた分子のどれかが触媒機能を獲得し、洗練されていったのではないでしょうか。
光合成のメカニズムの発見によってノーベル化学賞を受賞したメルヴィン・カルヴィン氏は、1969年に上梓した本の中で「最初の触媒は鉄だったのではないか」と述べています。
鉄であれば、原始地球でも容易に入手できます。ただ、鉄だけでは触媒としての機能が弱いため、鉄の周囲に有機物が複数結合した錯体こそが、最初の触媒として使われたのではないか、というのがカルヴィン氏の考えです。
私自身は、鉄の錯体でも、鉄を含まないがらくた分子でも、最初の触媒になりうる、と考えています。いずれにせよ、はじめはがらくたであっても、そこから次第に洗練されていき、アミノ酸が結合したタンパク質ができたのではないでしょうか。
他の触媒と比較して、タンパク質の性能が良ければ、代謝のための触媒物質として地球上で主流になった、と考えることができるのです。
(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)
◇ ◇ ◇
ここまで読んで、「生命と非生命のあいだ」をスペクトラムと考えると、地球外生命は以外に簡単に見つかるのではないかという印象を受けたかもしれない。
しかし、問題はまだまだ山積している。実は、地球生命が用いているアミノ酸は、宇宙に存在しているアミノ酸と比較して、少し「特別」なのだ。地球生命のアミノ酸の何が特別なのか、なぜ、地球生命はそのようなアミノ酸を用いるようになったのか。インタビュー後半では、引き続き小林氏に語っていただいた。
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