「生命は自然に発生する!」ありえないとされた説が息を吹き返して提唱された「生命の一歩手前」の衝撃の姿

生命科学
「生命は自然に発生する!」ありえないとされた説が息を吹き返して提唱された「生命の一歩手前」の衝撃の姿(小林 憲正)
「地球最初の生命はRNAワールドから生まれた」圧倒的人気を誇るこのシナリオには、困った問題があります。生命が存在しない原始の地球でRNAの材料が正しくつながり「完成品」となる確率は、かぎりなくゼロに近いのです。ならば、生命はなぜできたのでしょうか? 「生命はどこから生まれたか」という議論の変遷を見ていきます。進化論によって始まった「生命起源」の探求は、どのように深まっていくのでしょうか。なんと、議論は地球外に目が向けられていきます!

「生命は自然に発生する!」ありえないとされた説が息を吹き返して提唱された「生命の一歩手前」の衝撃の姿

オパーリンの『生命の起原』

1917年、ロシアでは十月革命が起こり、ソヴィエト連邦が誕生しました。この年にモスクワ大学を卒業したアレクサンドル・イヴァノヴィッチ・オパーリン(1894〜1980)は、大学に残って生化学の研究を続けていました。

アレクサンドル・イヴァノヴィッチ・オパーリン photo by gettyimages

1922年、オパーリンは、ロシア植物学会モスクワ支部で、生命の起源に関する発表を行います。そして1924年には、その内容をまとめた70ページほどの小冊子『生命の起原』を発表しました(やはり「起源」ではなく「起原」と訳されています)。その後、オパーリンは生命の起源についての本を何冊も書いていますので、それらと区別して、1924年版を「小冊子」とよびます。

この小冊子でオパーリンはまず、アリストテレスからニーダムに至る自然発生の考えが、パストゥールによって否定されたことにより、「生命がいかに地球上で生じたか」という問題が生じたことを述べています。

次にパンスペルミア説を紹介し、その可能性は否定できないとしていますが、パンスペルミアは「地球生命の起源の問題には答えるが、生命の起源一般の問題にはまったく答えていない」(アン・シングの英訳を和訳:以下同様)とも指摘しています。

次に彼は、「生物界と無生物界」の違いを考察します。以前は、生物を構成する物質である有機物と、それ以外の無機物には本質的な違いがあると考えられていました。しかし1828年にフリードリッヒ・ヴェーラー(1800〜1882)が、シアン酸アンモニウム(無機物)から尿素(有機物)を合成したことにより、両者の間に生気などの神秘的なものは関わっておらず、「同じ物理化学法則に従っている」ことがわかりました。

では、生物と無生物の違いはどこから来るのでしょうか。これについてオパーリンは、生物にあって無生物にないものとして、「特別な形態あるいは構造」と、「自分自身をつくりだす代謝能力と、刺激に対応する能力」を考えました。そして特別な構造として「コロイド」に注目しました。

生命に直結するコロイド

牛乳は、水の中にタンパク質のような比較的大きい(しかし肉眼では見えない)粒子が分散していますが、このような状態のものをコロイドといいます。彼はコロイドが細胞の原形質をつくるものであり、生命に直結すると考えたのです。

オバーリンは、コロイドが細胞の原形質をつくるものであり、生命に直結すると考えた photo by gettyimages

コロイドについては1861年、スコットランドの化学者トーマス・グレアム(1805〜1869)が化学物質を晶質とコロイドに分類し、後者を扱う領域として「コロイド化学」を創始しています。

もしもコロイドが生命につながったとすれば、地球で最初のコロイドはどのようにしてできたのでしょうか。オパーリンは、原始地球上にはメタンなどの炭化水素とシアンが多くあり、これらが原料となってさまざまな有機物ができたと考えました。

当初、隕石の激しい衝突によって高温となり、灼熱状態だった地球の温度が下がると、生成した有機物どうしが反応して、複雑な有機物の混合物ができます。これらの中には、炭水化物やタンパク質の性質を持ったものもあったでしょう。それらの有機物がコロイドとなり、そうしたコロイド液の中に、生命のもととなるような沈殿やゲルが生じたりしたのであろうとオパーリンは考えたのです。

「ゲルが沈殿したり、最初の凝塊が生じたりした瞬間、生命の自発的な発生の極めて重要な段階となった」

とオパーリンは述べています。

ホールデンの「生命の起原」

オパーリンの小冊子刊行から5年後の1929年、イギリスの生物学者J・B・S・ホールデン(1892〜1964)が、『ラショナリスト・アニュアル』という雑誌に、オパーリンと同じ「生命の起原」というタイトルの論文を発表しました。

オパーリンの小冊子はロシア語で書かれていたので、西側の科学者には知られていませんでしたが、ホールデンもオパーリンとは別に、生命起源の問題に立ち向かっていたのです。

ホールデンの論文はオパーリンの小冊子の5分の1ほどの短いものでしたが、まず自然発生説から書きはじめ、原始地球でどのように有機物が生成し、そこからどのように生命の誕生に至ったかについて述べているところは、オパーリンの小冊子とよく似ています。

とはいえ、ホールデンとオパーリンの考えには、いくつかの相違点もありました。

オパーリンは原始地球で生成した有機物の材料として、炭化水素とシアンを考えました。一方、ホールデンは二酸化炭素・アンモニア・水を含む大気と、そこに降り注ぐ紫外線により有機物が生成したと考えました。

また、そのような有機物を溶かし込んだ海を「熱くて希薄なスープ」と呼びました。この「スープ」という命名は、生命誕生前の有機物を含む海や湖の呼称として今日までも定着していて、生命の起源の研究者は図「ホールデンと原始スープ」で挙げたような缶詰のスライドを使うのが大好きです。

ホールデンと原始スープ(右) photo, J.B.S. Haldane by gettyimages

なお、生命の起源研究の先駆となった二人、オパーリンとホールデンが出会うのは、1963年の国際生命の起源会議まで待たねばなりませんでした。

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ほぼ同じ時に「生命の起源」について探究していた二人の研究者。二人の投げかけた問いはどのように進展していくのでしょうか。

近代における生命論の変遷を、さらに見ていきましょう。19世紀に「進化論」が種の起源のさらにその先の「生命の始まり」という問題を生みましたが、徐々に明らかされてくる「遺伝のしくみ」も、生命起源の問題に大きく影響していきます。

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