
まさか…工場の煤煙で起こった自然選択。人類が「史上初めて目にした進化」という驚愕の事実と、まったく予想外だった「否定論者の素性」

工業暗化は嘘なのか
嘘か本当か、疑問に思う話がある。そういう話のなかで、進化に関するものとしては、オオシモフリエダシャクという蛾の工業暗化の話が有名である。

工業暗化というのは、工場から出る煤煙のために樹木の幹が汚れて黒くなり、それにともなって、その付近で暮らす蛾の色も黒く変化する現象である。
蛾が黒くなった理由は、保護色で説明される。蛾が黒く汚れた樹木に止まっているときは、黒い個体のほうが鳥に見つかりにくく、捕食されにくい。そのため、同じ種のなかに黒い個体と白い個体がいた場合、自然淘汰によって黒い個体が選択されて増えていくというわけだ。
これは、多くの教科書にも掲載されている有名な話だが、こんな話は嘘だ、あるいはでっち上げだという意見もあるのである。
マンチェスターにおける産業革命
中世には貴族の荘園を中心とした町だったイギリスのマンチェスターは、14世紀にオランダから織物職人が移住してきたことにより、商業都市に発展した。そして、1785年に紡績機に蒸気機関が導入されたことによって産業革命が起こり、18世紀後半から19世紀にかけて人口が爆発的に増加した。
マンチェスターの綿工業を支えた蒸気機関は、石炭を動力に使うため、膨大な量の煤を吐き出し続けた。あまりにも空気が汚れたため、風のない日には、通りの向こう側にいる人の顔さえわからなかったという。

そうして吐き出された煤の粒子は、あらゆるものに付着した。都市の建物や道路を黒く汚しただけでなく、周辺の田園地帯の樹木まで黒くしていった。オオシモフリエダシャクという蛾の黒い個体が見つかったのは、そんなときだった。
オオシモフリエダシャクの黒い変異体
オオシモフリエダシャクは温帯に生息する蛾の一種で、体や翅には白地に黒い斑点を散らした模様がついているが、全体的には白っぽく見える。こういうオオシモフリエダシャクを明色型と呼び、これが本来の姿である。
しかし、19世紀になると、マンチェスターの周辺で、黒いオオシモフリエダシャクが見られるようになり、1848年には科学的な文献に正式に記載された。オオシモフリエダシャクが黒い理由は、煤で汚れたからではなく、もともと体色が黒いのである。これは明色型から生じた変異体と考えられ、暗色型と呼ばれている。

この暗色型は、19世紀を通じて急速に増加していった。1860年代のマンチェスターでは、明色型より暗色型が多い地域も現れ、1870年代には、マンチェスターの外側へも暗色型は広がっていった。そして、19世紀の終わりには、イギリスのほとんどのオオシミフリエダシャクが暗色型になってしまったのである。
ヒトが進化を目撃したはじめての例なのか?
この、暗色型が増加したメカニズムは自然淘汰であると考える者もいた。つまり、進行中の進化を見ているというわけだ。1859年には、生物が自然淘汰によって進化することを主張した、ダーウィンの『種の起源』も出版されており、19世紀の終わり頃のイギリスでは、すでに生物が進化することが広く受け入れられていたのである。

しかし、進化はゆっくりと進むため、生物の形が変化するには莫大な時間がかかる。そのため、人間が進化を目撃することは難しい、とも考えられていた。もしも、オオシモフリエダシャクの暗色化が進行中の進化であれば、人間が進化を目撃した初めてのケースとなる。しかし、それを示すには証拠が必要だった。進化が人間にも目撃できることは、まだ一般には受け入れられていなかったのである。
ケトルウェルの実験
イギリスの医師で遺伝学者のバーナード・ケトルウェル(1907~1979)は、このオオシモフリエダシャクの暗色化の問題に取り組んだ。1950年代のことである。
ケトルウェルは、煙突から出る煤をたっぷりと浴びているカドベリー野鳥保護区を選び、そこで約3000匹のオオシモフリエダシャクを使って、観察や実験を行った。
まずケトルウェルは、野鳥がオオシモフリエダシャクを食べることを、実際に観察した。これは重要なことで、じつは野鳥がオオシモフリエダシャクを食べるところは、それまで観察されたことがなかったのだ。ちなみに、初めて野鳥がオオシモフリエダシャクを食べるところを観察したのは、バーナードの妻のヘイゼル・ケトルウェルであった。
次にケトルウェルは、朝にオオシモフリエダシャクを放して、煤で汚れた木に止まらせた。そして、夕方まで同じ木に止まっていたオオシモフリエダシャクの数を数えたのである。オオシモフリエダシャクが活動するのは夜なので、昼間は木に止まったまま動かない。それなのに夕方にはいなくなった個体は、昼間に野鳥に食べられたのだろうと推測したわけだ。
実験の結果が示したものは
実験の結果、夕方まで同じ場所に止まっていた個体の割合は、明色型が46パーセントで、暗色型が63パーセントであった。この結果は、煤で汚れた樹木に止まっている場合、明色型より暗色型のほうが野鳥に食べられにくいことを示している。
また、ケトルウェルは、2種類のトラップも仕掛けた。一つは水銀灯で、もう一つはメスを入れたガーゼの袋である。オスのオオシモフリエダシャクは、どちらにも誘因される。それから、個体識別したうえで、630匹のオスのオオシモフリエダシャクを放したのである。

実験の結果、回収されたオスのオオシモフリエダシャクは、明色型が13パーセントで、暗色型が28パーセントであった。
この結果は、明色型より暗色型のほうが生き残りやすいことを示している。そして、その理由は、野鳥に食べられにくいからと解釈された。
また、ケトルウェルは、煤で汚れていない森でも実験を行い、そこでは反対に、暗色型より明色型のほうが生き残りやすいことも確認している。
このケトルウェルの実験により、オオシモフリエダシャクの暗色化が、自然淘汰による進行中の進化を示していることが、広く受け入れられるようになった。そして、ほとんどの生物学の教科書で取り上げられるほど有名な現象になったのである。

ケトルウェルの実験への批判
しかし、その後、ケトルウェルの実験について、いくつかの批判が提出された。たとえば、オオシモフリエダシャクは本当にいつも木に止まるのか、という疑問だ。暗色型の個体が黒っぽくない場所にも止まるのであれば、自然淘汰による進化という解釈は成り立たないことになる。
また、オオシモフリエダシャクは夜間に活動するので、おもな天敵は鳥ではなくコウモリではないのか、という疑問も提出された。コウモリは視覚ではなく超音波を使って獲物を見つけるので、色は関係ない。そのため、明色型も暗色型も同じように食べるはずである。したがって、もしコウモリがおもな捕食者であれば、自然淘汰による進化という解釈は怪しくなる。

さらに、ケトルウェルは、多数のオオシモフリエダシャクを放して実験したが、これでは個体密度が自然界より高くなってしまう。個体密度が高過ぎれば、オオシモフリエダシャクが好む場所は真っ先に占有されて、あぶれた多くの個体は、ふだんは行くことのない望まない場所に止まらなくてはならないかもしれない。それが木の幹だった可能性はないだろうか、という批判もあった。
進化を否定する創造論者たち
もっとも、これらの批判はまっとうな批判であり、科学の研究には不可欠なものである。しかし、アメリカのジャーナリストであるジュディス・フーパー(1949〜)は違った。
彼女は2002年にケトルウェルを批判する本を出版し、ケトルウェルが格上の人々を満足させるために結果を歪めていると、痛烈に批判したのだ。とはいえ、彼女はケトルウェルが不正を働いた具体的な証拠を挙げていないので、真偽のほどはわからない。
それにもかかわらず、フーパーの意見はアメリカの創造論者たちに歓迎された。すべての生物種は神によって創られたと考え、進化を否定する創造論者たちは、フーパーの本に書かれていることを、進化を否定する根拠としたのである。
このころ、つまり2000年前後は、オオシモフリエダシャクの暗色化の問題にとって、受難の時期だった。新聞や雑誌には否定的な論調の記事が載り、多くの人々もこの問題について疑問を持っていたのである。
ケトルウェルの復権
しかし、その後の研究によって、オオシモフリエダシャクの暗色化は自然淘汰によって引き起こされたことが明らかになり、ケトルウェルの名誉は回復されることになる。
新しく行われたいくつかの研究により、ケトルウェルの実験における不備は解消された。オオシモフリエダシャク自身が止まる場所を選べるようにしたり、多くの野鳥がオオシモフリエダシャクを食べていることを確認したりしたのである。
それに加えて、暗色化の遺伝的な仕組みも明らかにされた。オオシモフリエダシャクの暗色化にはコーテックスという遺伝子が関与しており、1819年ごろのイングランド北部で起きた遺伝子の変化に由来するらしい。
こうして現在では、産業革命時代におけるオオシモフリエダシャクの暗色化は、自然淘汰による進行中の進化の例として、正当な地位を取り戻した。その原因は、工業による環境汚染だったので、「オオシモフリエダシャクの工業暗化」とも呼ばれている。
さらに、現在のオオシモフリエダシャクには、産業革命の時代とは逆に、明色化が進行していることも明らかにされている。環境問題は複雑なので油断はできないけれど、明色化が進行していること自体は喜ばしいことであろう。

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