思いやりに満ちた世界が、つい数十年前までは日本のどこにでもあった。
日本人の忘れもの ~ 思いやりの行き交う国
■1.定期券を拾ってくれた車掌さん
清水優子さん(51歳、東京都、主婦)は、小学1年の頃、当時東京都内を走っていた都電で通学していた。夏の初めの頃、のんびりと走る都電の窓から外を眺めていて、手に持っていた定期入れをうっかり落としてしまった。定期入れはひらひらと後方に飛んでいった。
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悲しくなって、しくしくと泣き出した私に、セーラー服のお姉さんが声をかけてくれた。理由を話すと、すぐに車掌さんに言ってくれ、電車は停車。車掌さんは来た道を走って戻り、定期入れを拾ってきてくれた。
その間、乗客は口々に優しい声をかけてくれ、車掌さんが戻ると拍手がおこった。急ぐ方もいたでしょうに。恥ずかしくて、嬉しくて、申し訳なくて、私はただ泣いていたのだけど・・・。[1,p10]
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こんな心温まる、思いやりに満ちた世界が、つい数十年前までは日本のどこにでもあったのだ。
「探そう! ニッポン人の忘れもの」という呼びかけに賞金も賞品も出ないのに、2640もの作文が寄せられ、その一部が本になった[1]。これはそのうちの一つである。この本の中から、現代の日本人が忘れてしまったものを探してみたい。
■2.お豆腐屋のおばあちゃん
この本に出てくる逸話の中で、特に心に響くのは、子供たちに注がれる周囲の大人の思いやりである。
佐藤美由紀さん(42歳、宮城県、歯科衛生士)は幼稚園児だった頃のある日、夕飯の支度中のお母さんから、豆腐を買ってくるように頼まれた。いつもは6つ上のお姉ちゃんと一緒に行くのだが、この時は一人で豆腐屋さんに行った。右手に20円をしっかり握りしめて。
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近所のおばちゃんたちに、「ひとりでおつかい? えらいね」と言われて嬉しかった。お豆腐屋さんの重いガラス戸をあける。
大きな桶の中に、お豆腐が入っていた。おばあちゃんに「一丁ください」と言うと、おばあちゃんは冷たい桶に手を入れて、お豆腐をきれいに切った。
手渡されたお豆腐の袋をしっかりと握って家に戻る途中、砂利道の石につまずいた。お豆腐はもちろんぐじゃぐじゃ。泣きながら家に向かって歩いていると、お豆腐屋のおばあちゃんが走ってきて、「はいよ。おつかい、頑張って」と言って、きれいなお豆腐を渡してくれた。
私は、恥ずかしくて、もっと泣いた。[1,p13]
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■3.「お馬の公園」のおじちゃんたち
山口好美さん(45歳、神奈川県、会社員)は、小さい頃、父親と手をつなぎ、散歩しながら、よく大井競馬場に連れて行って貰ったことを覚えている。
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「お馬の公園でも行くか?」「うん!」
私は馬が見たいのではなく、「おでん」が目当てだった。「パパが戻るまでここにいるんだぞ。動いちゃダメだぞ」。そう言っていつも私におでんを1本持たせてくれた。場所は藤棚の下のベンチ。
おじちゃんたちが目の前を通りすぎて、「おっ、父ちゃん待ってんのか? えらいな」「動いちゃダメだぞ。迷子になるからな」。そう言いながら頭をなでてくれたりもした。今では考えられないが、皆が優しく見守ってくれている感じだった。
いつから人を疑う殺伐とした世の中になったのだろう。
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子供たちを「皆が優しく見守ってくれている」というのは、以上の3編に共通して言えることだろう。
そして、子供の時に大人たちから受けたちょっとした思いやりが、数十年後まで心に残っているという点が印象深い。こうした思いやりを注がれて育った子供は、また思いやりのある大人に育つだろう。
「子供は社会で育てる」というのは、こういう事だ。単に子ども手当をばらまくだけでは、子供たちに思いやりの心は育たない。
■4.「ばっちゃん、ゆっくり渡んな」
交差点は、 文字通り、人が行き交う場所。そこに人と人のふれあいが生まれる。
小川雅美さん(61歳、神奈川県、主婦)は、年老いたお母さんと散歩や買い物に出かける。信号のない横断歩道脇に並んで立つと、たいていの車はすぐに停まってくれる。運転席に目を向けると、皆一様に優しいまなざしで、二人が無事に横断し終えるのを見守ってくれる。
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その日停まってくれたのは、車高の低い車。暗い色の窓ガラスに秋の陽が反射しているせいか、運転手さんの表情が見えない。地響きのようなエンジン音を立てているし・・・怖い。
私は急いで母を渡らせようと焦った。
すると車の窓が開き、坊主頭の若者が顔をのぞかせて、
「ばっちゃん、ゆっくり渡んな」
と、ひと言。目を合わせると微笑んでくれた。
安心して、私たちはありがたく、ゆっくりと道路を渡らせていただいた。[1,p35]
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■5.一礼した男の子
武田美穂さん(30歳、鹿児島県、会社員)は、ある寒い朝、渋滞で少し焦りながら運転をしていた。左折しようとしたら、小学生の男の子が横断歩道を渡ってきた。
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正直、心の中で「もう、急いでいるときなのに! 早く渡ってよ」とつぶやいていた。すると、渡り終えた男の子が、私の方を見て一礼したのである。
その瞬間、私の中に忘れていた何かが帰ってきたような気がした。
私が小学生だった当時も、同じことを当たり前のようにしていた。あの頃は、親や先生のような大人にそうするよう教えられたと思うが、それは自然と自分の身につき、習慣となっていた。
どんなに学校に急いでいても、運転手の方に「止まってくれてありがとう」という意味を込めて、一礼をしていた。それが、人を思いやるということにつながっていたのだろう。[1,p65]
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交差点で相手に道を譲っても、せいぜい数秒の差である。しかし、その数秒の思いやりから、相手の心には感謝が、自分の心には善いことをしたという心地よさが生まれる。
■6.争い合う社会になるか、譲り合う社会になるか
交通マナーは地域内で伝染するものだ。同じような車で、同じような道を走っていても、ある地域では争い合い、ある地域では譲り合う。こんな事に、アメリカをあちこち車で旅行した時に気づいた。
ロサンゼルスでは、高速で走っている時に、前の車両と数メートルの間隔しかないのに、突然、割り込まれてヒヤリとした。そんな他人の迷惑を顧みない乱暴なドライバーが多い。
ところが中西部の田舎町などに行くと、運転マナーはがらりと変わる。たとえば4ウェイ・ストップという交差点があって、混んでいる時は、縦方向と横方向で互いに一台づつ順番に渡っていく。
ある時、横からの一台が通りすぎたので、今度は私の番だと思ったら、横からもう一台の車が続いて渡ってしまった。すると、後部座席に座っていた娘さんたちが窓越しに、「エクスキューズ・アス(ご免なさい)」と声をかけてきた。運転している父親がついうっかり、譲るのを忘れたようだった。私も「気にしないで」と、笑顔で手をあげて応えた。
隙を見ては割り込むようなドライバーが多いと、自然に自分もそうしなければ損をすると思うようになる。逆に、周囲が譲り合う運転をしていると、その快さを味わって、自ずと自分も思いやりのある運転をするようになる。
争い合う社会になるか、譲り合う社会になるかは、ちょっとした心がけの違いから生まれてくるものだ。
■7.「なんとかしてみます」と答えた車掌さん
人は、仕事を通じて、他の人々との関わりを持つ。そこでも、思いやりをもって仕事をするかどうか、で大きな違いが生まれる。
長井弥生さん(49歳、神奈川県、主婦)が、お祖父さんと一緒に、両親の家に向かっていた時のこと。北海道の富良野駅で乗り換えて、金山駅まで行き、そこからバスで峠を越える。
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無事に乗り換え、一息ついたところで大変なことに気づきました。なんとその電車は急行だったのです。急行は金山には止まりません。戻ってくる頃にはバスは終わっています。
困り果てた祖父は、車掌さんに相談しました。車掌さんはしばらく何か考えていたのですが、「なんとかしてみます」と言って、何やらあわただしくあちこちに連絡をしだしました。
そして、私と祖父をドア近くに呼び、「金山で30秒ほど停車します。その間に降りてください。金山駅には連絡を入れてありますから」。そう言って金山駅で降ろしてくれたのです。[1,p22]
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急行を金山駅で止めるという事は、規則を逸脱していたかもしれない。また、そのためにあちこち連絡して、余計な手間もかかったろう。しかし、この車掌さんの思いやりのお陰で、弥生さんには、忘れがたい感謝の思いが残ったのである。
■8.保健師さんの一言
中條ていさん(53歳、三重県、主婦)が、22年前、息子を3歳児検診に連れて行った時のことである。かんしゃく持ちの息子は、保健所に入るなり、「帰る!」と叫んで暴れ出した。なだめすかしながら、一つひとつ検診場所を巡り、ようやく最後の保健師面談にたどり着いた時には、泣き出したいような気分だった。
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ところが、一刻も早く不機嫌な息子を連れて帰りたい私に、ベテランの保健師は穏やかに言った。「お母さん、よく頑張ったわね。途中で帰っちゃうかと思っていたのよ。感心感心。今、手を焼く子は、大きくなったらいい子になるわよ」。
心にずっしり重く抱きかかえてきた息子を、「お疲れさま」と一瞬抱き取ってもらったような言葉だった。本当だったら息子をしかったかもしれない私は、帰り道、一緒にソフトクリームを食べた。
あの小さなねぎらいの言葉は、それからの私の子育てをずっと励まし、私を優しい母になるように導いてくれた。[1,p70]
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ほんの一言の思いやりの言葉が、人の心を永く支え続ける、ということがあるものだ。
社会は、いろいろな仕事で成り立っている。それぞれの人が、自分の仕事を、生計のためだけでやっているのか、あるいは、人のために思いやりを込めてやっているか、によって、大きな違いが生まれる。本人にとっても、社会にとっても。
■9.深夜の間違い電話
高原早苗さん(47歳、滋賀県、主婦)は、中学生だった頃、警察官だったお父さんから、こんな話を聞いた。
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事件が発生し、大至急上司の指示を仰がなければならなかった父は、午前3時という、とんでもない時間に、上司のお宅に電話をした。しかし、気をつけていたつもりだったが、やはり焦りがあったのか、電話はまったく違うお宅につながってしまった。
恐縮して謝る父に、電話に出た見知らぬ婦人は、こう言ってくださったそうである。
「お巡りさんこそ、こんなとんでもない時間に、市民のために働いてくださってありがとうございます」[1,p62]
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それぞれの人が、自分の仕事を通じて、世のため人のために尽くしている。それに感謝することで、その人はやり甲斐を感じ、いっそうの思いやりを込めて仕事に向かう。こうして、思いやりの心は社会の中で増幅し、広まっていく。
高原さんは、こう結んでいる。
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この話を聞いたとき、私は、見ず知らずの人にまで思いやりの心をもてる、この婦人のような人間になろう、と心に決めたはずだった。なのに、30余年が過ぎた今、私は、自分の不愉快さをはっきりと示すオトナになっている・・・忘れものを取りに行かねば。[1,p63]
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以上の話に感じる所があったら、あなたの心の中で「忘れもの」はまだ失われていない。思い出して、取りに行けば良いだけである。そして、一人ひとりが「忘れもの」を思い出せば、幸福な社会が実現するのである。
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