「お母さん」の語源は「太陽」だった

日本の文化

日本人の世界観を具体的に表現しているのが「言葉」=「日本語」です。
その象徴が「お母さん」「お父さん」という名称や「今日は」「さようなら」と言う挨拶の言葉、「日本」という国名「日の丸」という国旗です。

特に「お母さん」の語源が「太陽」で有るという分析には誰もが納得するのではないでしょうか?

特に母親は明るく温かく子どもを産み育て、一家の世話をしてくれる事から、太陽そのものだ、ということで「お日身(カミ)さん」と呼ばれるようになった。それが「カカさま」や「おっカア」や「おかあさん」になった。日本の子どもは母親を「太陽さま」と呼んで敬っていたのである。
 ちなみに父親は「トト様」で、「(太陽のように)尊い人」という意味である。ただ「カカ(太陽)様」「お日身(カミ)さん」の存在感に比べると、やや抽象的で陰が薄い。天照大御神が女性神であったように、日本の古代の家庭は女性が中心だったのである。

「今日は、お元気ですか」「はい、おかげ様で元気です」「さようなら、ご機嫌よう」という日本人の挨拶の言葉にも「太陽」や大自然に対する畏敬の念や感謝の念、そしてそれを皆で共有したいという思いが詰まっています。

「今日は、お元気ですか」「はい、おかげ様で元気です」「さようなら、ご機嫌よう」
これが、わたくしたちの挨拶の基本だったのですね。
「今日は」も「さようなら」も、現代の我々は意味も分からず使っているが、もともとは互いを太陽の分け命とする荘厳な人間観に基づく挨拶であったのである。

「日本」という国名や「日の丸」という「国旗」も象徴的ですね。

太陽の運行と人間の生命を結びつけて、太陽を崇拝した国は、日本のほかにもたくさんあります。ただし、太陽が人間の生命の根元のエネルギーであることを、「日の本」、つまり「日本」という国名にまでしたのは、わたくしたちの国だったということは、日本人としてどうかお忘れになりませんように・・・。

さらに「元始女性は太陽であった」という言葉も現代の私達に対する強力なメッセージのように思います。
日本はもちろん人類の最適な有り様は「母系集団」ではないでしょうか?
西欧の父系集団という有り様が「争い」「支配」の元凶のように思います・・・。

「元始女性は太陽であった」・・・この言葉は、女性解放運動の先駆者として知られる作家、平塚らいてうが、雑誌『青鞜』の出発にあたって、創刊号(一九一一・明治四十四年九月発行)に寄せた発刊の辞の題名です。

元始、女性は実に太陽であった
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に寄って生き、他の光によって輝く病人のような蒼白い顔の月である。私共は隠されて仕舞った我が太陽を今や取戻さねばならぬ。」 元始、女性は実に太陽であった 「元始女性は太陽であった」・・・この言葉は、女性解放運動の先駆者として知られる作家、平塚らいてう(一八八六・明治十九年~一九七一・昭和四十六年)が、雑誌『青鞜』の出発にあたって、創刊号(一九一一・明治四十四年九月発行)に寄せた発刊の辞の題名です。 以下に巻頭の辞としてはかなり長い全文を掲載します。作者の意図をどのように読み解くかは、その時代背景を含めて考える必要がありますが、読者に委ねられているようにも思います。 ただ、この文章には、現在の薄っぺらい、自身の権利を主張するだけの「男女同権論」や「フェミニズム」には無い、深さや広さを感じます。 全ての存在、生命は独立して存在しているのではなく、お互いが密接に絡み合い共存しているのが事実です。人類の男女も同じで、陰と陽、凹と凸に例えられるように、上下関係や主従関係はない、お互いの存在が不可分であり、不可欠である、一体とな...
No.933 「お母さん」の語源は「太陽」だった
「今日は」も「お母さん」も太陽が語源となっている日の本の国。 ■転送歓迎■ H28.01.10 ■ 44,663 Copies ■ 4,127,042Views■ ■1.「こんにちさま。日の神様」  今年の元日は天気もよく、美しい初日の出を拝むことができた。山や海でご来光を拝んだ方も少なくないだろう。新年最初の日の出に両手を合わせると、なんとも清々しい気持ちになる。

「今日は」も「お母さん」も太陽が語源となっている日の本の国。

「お母さん」の語源は「太陽」だった

■1.「こんにちさま。日の神様」

 今年の元日は天気もよく、美しい初日の出を拝むことができた。山や海でご来光を拝んだ方も少なくないだろう。新年最初の日の出に両手を合わせると、なんとも清々しい気持ちになる。

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 実は我々の先人たちは元日に限らず、毎朝、日の出を拝んでいた。明治23(1890)年に来日したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、出雲の地での朝の光景を次のように描いている。

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 それから今度は私のところの庭に面した川岸から柏手を打つ音が聞こえて来る。一つ、二つ、三つ、四つ。四回聞こえたが、手を打つ人の姿は潅木の植え込みにさえぎられて見えない。

しかし、それと時を同じゅうして大橋川の対岸の船着き場の石段を降りて来る人たちが見える。男女入り混じったその人たちは皆、青い色をした小さな手拭を帯にはさんでいる。彼等は手と顔を洗い、口をすすぐ。これは神式のお祈りをする前に人々が決まってする清めの手続きである。それから彼等は日の昇る方向に顔をむけて柏手を四たび打ち、続いて祈る。

長く架け渡された白くて丈の高い橋から別の柏手の音がこだまのようにやって来る。また別の柏手がずっと向こうの三日月のようにそり上がった華奢な軽舟からも聞こえて来る。それはとても風変りな小舟で、乗り込んでいるのは手足をむき出しにした漁師たちで、突っ立ったまま黄金色に輝く東方にむかって何度も額ずく。

今や柏手の音はますます数を加える。パンパンと鳴るその音はまるで一続きの一斉射撃かと思われるほどに激しさを増す。と言うのは、人々は皆お日様、光の女君であられる天照大神にご挨拶申し上げているのである。「こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しくあられませ。世の中を美しくなさいますお光り千万有難う存じまする」

 たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心がそんな祈りの言葉をささげているのを私は疑わない。[a,1,p102]
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■2.「今日様」は「太陽」

 ハーンの文章にある「こんにちさま。日の神さま」の「こんにちさま」とは「太陽」を意味していた。境野勝悟氏は著書『日本のこころの教育』[2]でこう説明してる。

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 いまでも、太陽のことを「今日様」と呼ぶ地方はたくさんあります。高知の土佐では「こんにちさん」、新潟の刈葉では「こんにっさん」、岐阜ではこれがなまって「コンニッツァマ」と呼びます。これらはいずれも太陽の意味なのです。

 夏目漱石の小説『坊っちゃん』の中にも、「そんなことをしたら今日様(太陽)へ申し訳ないがなもし」というようなセリフがありますね。[2,p122]
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 この「今日様」が、現代の挨拶で使われる「今日は」の語源だという。

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 昔は、どの地方でも太陽のことを「今日様」と呼んだのですから、「今日は」という挨拶は、「やあ、太陽さん」という呼びかけであったのです。[2,p222]
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■3.「男は日子(ひこ)=彦、女は日女(ひめ)=姫」

 なぜ相手のことを「太陽さん」と呼んだかについては、もう少し説明が必要だろう。

 西暦280年前後に書かれたと言われる中国の『三国志』の「魏志東夷伝」の中に、古代日本にやってきた魏の使いによる日本見聞記が載っている。そこには「人々は物ごしがやわらかで、人をみると手を搏(う)って拝んであいさつをした」とある。我々が初日の出に向かって柏手を打つのと同じである。

 これを日本画家で『『「日本の神話」伝承館』館長をされていた出雲井晶氏は、こう説明している。

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 すべての人は神のいのちの分けいのちであるから、命(いのち)とかいて命(みこと)と呼びあった。男は日子(ひこ)=彦であり、女は日女(ひめ)=姫であった。つまり、太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)のむすこであり、むすめであるとみたのである。[a,3,p124]
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 すべての人は太陽神である天照大御神の命を引き継いでいる。だから、相手に対して、我々が初日の出にするように柏手を打ち、「太陽さん」と呼びかけたのである。

■4.「太陽さんと一緒にあかるく生きていますか」

「今日は」の後に「お元気ですか」と続けるのが、昔の挨拶だった。境野氏はこう続ける。

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「元気ですか」の元気とは、元の気という意味ですから、太陽の気をさすことになります。つまり、「今日は、元気ですか」とは、あなたは太陽のエネルギーが原因で生きている身体だということをよく知って、太陽さんと一緒にあかるく生きていますか、という確認の挨拶だったのです。

 それを受けて、「はい、元気です」と答えます。つまり、「はい、太陽さんと一緒に元気に生きていますよ」と応答するわけです。[2,p123]
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「さようなら」も同様の文脈で続く。

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 それから、「さようなら(ば)、ご機嫌よう」となります。「機嫌」とは、「気分」とか、「気持ち」という意味です。したがって、「さようなら、ごきげんよう」の意味は、「大陽さんと一緒に生活しているならば、ご気分がよろしいでしょう」となります。

「今日は、お元気ですか」「はい、おかげ様で元気です」「さようなら、ご機嫌よう」

これが、わたくしたちの挨拶の基本だったのですね。[2,p123]
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「今日は」も「さようなら」も、現代の我々は意味も分からず使っているが、もともとは互いを太陽の分け命とする荘厳な人間観に基づく挨拶であったのである。

■5.「おかあさん」は「太陽さん」

 「おかあさん」の語源も太陽だったと境野氏は説く。「おかあさん」は、古くは「カカさま」と言ったり、庶民は「おッカァ」と呼んだ。また一家の主人は「うちのカミさん」とか「うちのカカア」と呼んだ。

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「力」は古い言葉では「力力」といいました。もっと古い言葉では「力ア力ア」といった。さらに古い言葉では「カッ力ッ」といったんです。「力力」「力ア力ア」「カッ力ッ」。これが「力」となるんですね。

「ミ」というのは、わたくしたちの身体という意味です。・・・

 「カッ力ッ」というのは、太陽が燃えている様を表す擬態語でした。・・・「力ア力ア」「力力」という音も同様です。つまり、わたくしたちの体、わたくしたちの命は太陽の命の身体であるということを、「日・身(力ミ)」(太陽の身体)と言つたんです。[2,p104]
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 特に母親は明るく温かく子どもを産み育て、一家の世話をしてくれる事から、太陽そのものだ、ということで「お日身(カミ)さん」と呼ばれるようになった。それが「カカさま」や「おっカア」や「おかあさん」になった。日本の子どもは母親を「太陽さま」と呼んで敬っていたのである。

 ちなみに父親は「トト様」で、「(太陽のように)尊い人」という意味である。ただ「カカ(太陽)様」「お日身(カミ)さん」の存在感に比べると、やや抽象的で陰が薄い。天照大御神が女性神であったように、日本の古代の家庭は女性が中心だったのである。

■6.「昇る太陽の出てくるところの国」

 かほどに太陽を崇拝してきた我が国に、「日本」という国名はいかにもふさわしい。そう命名されたのは、689年に公布された飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)とされており、その意味について自由社版の中学歴史教科書は次のように記している。

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「日本」は、「日」と「本」という2つの言葉(文字)から成り立っています。
「日」は、太陽のこと。太陽は地球上のあらゆるものに光と熱を与え、命をはぐくみます。古代の日本人は、太陽の恵みを自覚していました。・・・
「本」は、「・・・の元」ということです。ですから、「日本」という国名は、607年の遣唐使の国書に「日出づる処」と書かれていたように、「昇る太陽の出てくるところの国」という意味になります。[b,4,p60]
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「607年の遣唐使の国書」とは、聖徳太子が随の皇帝にあてたもので「日出(ひい)づる処(ところ)の天子、書を日没(ぼっ)する処の天子に致(いた)す。恙無(つつがな)きや」というものだった。当時の超大国・隋に対して対等に、しかも天日を共にしている間柄という親しみを込めて、外交を申し入れたものであった。

 ちなみに、英語名の”Japan”は、「日本」を中国人が「ジッポン」と呼んでいたのを西洋人が耳で聞き取った所からきている。

 日本という国名について、境野氏はこう語る。

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 太陽の運行と人間の生命を結びつけて、太陽を崇拝した国は、日本のほかにもたくさんあります。ただし、太陽が人間の生命の根元のエネルギーであることを、「日の本」、つまり「日本」という国名にまでしたのは、わたくしたちの国だったということは、日本人としてどうかお忘れになりませんように・・・。[2,p44]
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■7.「あのさわやかな輝き出ずる太陽の光を以て」

 その「日本」の国旗が「日の丸」である。日の丸が最初に文献に登場するのは、これまた701年と1300年以上も前の事である。日の丸が国旗となった経緯は[c]に記したが、ここでは境野氏の本にある逸話を紹介しておこう。

 幕末に日本船の船印を決める際、幕府の役人は源氏の旗印である中黒(白地に黒の横一文字)を押したが、薩摩藩主・島津斉彬は日の丸を提案した。斉彬は鹿児島湾の桜島に上がる朝日を見て、こう言ったそうだ。

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 あのさわやかな輝き出ずる大陽の光を以て、鎖国の夢を覚まさなければならぬ。日本の将来は古代から日本人がいのちの恩として愛してきたかがやく太陽のようでなければならぬ・・・[2,p61]
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 そして水戸藩主・徳川斉昭が「長い間日本人が用いてきた日の丸こそ日本を代表するに相応しい」として、日の丸を「日本総船印」とするよう決断したのである。

■8.「そしたら、『私の子だから』といってくれました」

 境野氏の本は、高校生に講演した内容である。自分たちが日頃何気なく使っている「今日は」や「お母さん」の語源が太陽に因んでいる事を知って、高校生たちは2時間も真剣に聞き入っていたという。

 この本の後半には講演を聴いた高校生たちの感想文がいくつも収められているが、その一つに次のような感想がある。

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 私は前まで、生まれなきゃよかったっていつも思っていました。・・・友達関係でもめたり、テストの点が悪かった時、親を苦しめていた。

 そんな自分が嫌いだった。生きている自分さえ嫌でピークに達した時、泣いて親の所へ向かった。「こんな子どもでごめんね。頭悪くてごめんね。わがままでごめんね」

 そしたらお母さんが、「そんなことはない。大丈夫だよ」
 思わず、「なんでそんなにやさしいの」
そしたら、「私の子だから」といってくれました。

 お母さん、お父さんは、いつでも私のことを考えてくれていた。私が悩んでいるときは、自分のことのように悩んでくれていた。
そう思っていた私は、さっきの(境野)勝悟先生の講演を聞いて、いま深く感じた。

「生きていることに対して感謝しよう」「一日一日を生きている時間を大切にしよう」そして、いまの高校生活をenjoyしようと思った。
そして、なによりも親を大切にしていきたい。(1年、鹿野雪恵)[2,p160]
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 まさに太陽のようなお母さんである。

「お母さん」の語源が太陽であることを知ったら、こんな太陽のような母親も増えるだろう。子供たちも太陽のようにお母さんに感謝するだろう。

 そんな家庭が増えれば、国全体が太陽に照らされたように明るく、温かくなる。それこそ「日本」である。

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