法隆寺などの古刹が創建以来、何度か解体を含む修理を経て今日に至っていることからもわかるように、木組みを主として構築される木造建造物は、解体・修理が可能である。そして、腐朽した部材の交換によって、新たな命が吹き込まれる。
しかし、近年の鉄筋コンクリートの建造物は、一度建てたら破壊されるまで、解体・修理などは不可能だ。古代日本の匠の智慧と経験によって実現した五重塔に代表される木造建築は、いわば永遠の命を吹き込まれた永続的な建造物なのである。
近年、人間の経済活動や社会活動の持続可能性を重視する「SDGs: Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」という概念が流行しているが、古代日本の匠たちは、1000年以上も前からそのような考え方に立脚していた。その思想の根幹をなす日本の文化・文明の本質が、「自然との永続的な調和」を志向する姿勢にあったからである。

「宙吊りにするのが一番いいんです」…超高層建築に「ことごとく活かされている」古代日本の超技術
「宙吊りにするのが一番いいんです」
前回までに繰り返し述べたように、五重塔が地震や大風で倒壊しないのは、歴史的事実である。
五重塔はなぜ倒れないのか。
地震や大風に、五重塔はどのように“対応”するのであろうか。
高層の建造物である限り、五重塔が地震や大風による物理的な“力”を受けるのは不可避である。五重塔が、そのような“力”に倒されないのは、“力”に対する“対応”が巧みだからであり、その秘密が五重塔の構造に隠されているはずである。
私は、“宙吊り心柱”の構法で青森・青龍寺の五重塔を建てた大室勝四郎棟梁に、「なぜ心柱を宙吊りにしたのですか」と伺(うかが)ったことがある。答えは簡単明瞭で、「地震や大風に強い五重塔を造るには、心柱を宙吊りにするのが一番いいんです」ということだった。

「耐風性」にも「耐震性」にも効果が
青龍寺五重塔が創建された1996年当時、92歳を越えていた大室棟梁は13歳のときから大工の仕事をし、小さい頃、やはり大工だった父親に、乾燥する板の積み上げを手伝わされ、小遣銭をもらっていたそうである。せっかく積み上げた“井桁の塔”が風で倒され、くずれてしまうことがしばしばあった。そうすると、努力が徒労に終わり、小遣銭をもらえない。
ところが、誰に教わったのか、図「宙吊り錘」に示すように、錘(おもり)(あるいは「錘石」おもりいし)を縄でくくり、それを横棒に吊るして“井桁の塔”の上にかけると、相当の風が吹いても“塔”が倒れないことに気づいたのである。図「宙吊り錘」に示す宙吊りの錘が、風に対してのみならず、地震の揺れに対しても大きな効果、つまり「耐風性」のみならず「耐震性」にも大きく貢献するのは明らかだ。

大室棟梁の子ども時代のこの経験が、それから八十余年後の1996年、青森・青龍寺五重塔落慶につながったのである。
大室棟梁は、「心柱を宙吊りにすれば、塔ができあがった後、何年かして部材が乾燥したり変形したりしても、塔が壊されないからいいんです」とも付け加えた。
200年後を見越した建築
木材は基本的に、乾燥すれば収縮する。また、荷重によって変形する。収縮や変形は木材の軸方向(繊維方向)では小さいが、繊維に直角の方向では大きい。つまり、木造の五重塔は建てられた後、完全に落ちつくまでの間に必ず縮み、変形するのである。
薬師寺西塔は1980年、約450年ぶりに再建されたが、塔の高さは東塔より33センチメートル高く、また屋根の反(そ)りも東塔に比べるとかなり偏平に造られている。西塔を建てた西岡常一棟梁によれば、およそ200年後に、西塔は東塔と同じ高さ、同じ形になるという。つまり、新しく建てられた西塔の木材は、およそ200年間にわたって変形し続けるわけだ。
ところが、繊維方向に伸び、塔の荷重を支えていない心柱の収縮・変形は、非常に小さいので、心柱が固定されていると、五重屋根との間には大きな隙間ができて、激しい雨漏りを招き、ひいては木材を腐らせる原因になる。これを防ぐには、心柱を持ち上げて下部を切り詰めるほかはないが(最初から心柱と五重屋根を接触させなければよいが、そうすると最初から雨漏りが起こることになる)、それは大変な作業である。
心柱が宙吊りになっていれば、前回の記事で掲載した図「青龍寺五重塔の宙吊り心柱」(c)に示したように、下部と礎石の間に隙間があるので問題ない。よしんば心柱が下降し、隙間が狭められても、心柱下部を切り詰めるのは簡単である。

高度の耐震性能を誇る心柱の「閂(かんぬき)作用」
話を五重塔の耐震・耐風性に戻す。
宙吊り心柱が五重塔の耐震・耐風性に果たす役割は、一種の「振り子作用」で説明できる。しかし、現存する五重塔の中で、宙吊り心柱をもつものはむしろ例外的であり、法隆寺五重塔をはじめ多くの塔は心礎、あるいは初重天井の上に立つ心柱をもっている。立つ心柱の耐震・耐風性は「振り子作用」では説明できない。どう考えればよいのか。
建築学者の石田修三氏は、図「振動実験模型の概念図」に示すような振動実験模型を作り、3つの型の心柱(b)〜(d)が五重塔の耐震性に与える影響について調べた。******

その結果によれば、耐震性を示す一つの要素である“倒壊に要する地動速度”において、最も優れているのが(b)の貫通型(心礎の上に立つ)心柱であった。貫通型よりは劣るものの、(c)の梁上型(初重天井の上に立つ)心柱、(d)の懸垂型(宙吊り型)心柱は、心柱なしの(a)の場合に比べ、2倍以上の耐震性を示した。
いずれの型であれ、心柱が五重塔の耐震性向上に及ぼす効果が、実験的にはっきりと示された。しかも、圧倒的多数の五重塔に採用されている、心礎の上に立てられた貫通型心柱が耐震性において、最も有効であることが科学的に示されたのである。東京スカイツリーの心柱は、この貫通型である。
石田氏は、「心柱は、首振りを含め、一般に層変位の集中を抑制する」と結論し、五重塔の心柱はちょうど観音開きの扉を固定する閂(かんぬき)のようなはたらきをするので「心柱の閂作用(効果)」とよんでいる。そして、その「心柱の閂作用(効果)」が多重塔の高度の耐震性能を決定づける、という「心柱閂説」を提唱している。
伝説の棟梁の証言
五重塔の耐震・耐風性を考えるうえで、もう一つ忘れてはならないのが、前述の「キャップ構造」である。五重塔は鉛筆のキャップ、あるいは帽子が順に重ねられたような通し柱のない構造をしており、建物全体は構造的につながってはいない。したがって、地震による横振動が上層に伝わりにくい。
西岡常一棟梁は、地震の際の五重塔の揺れについて、
「法隆寺の金堂を調査しているときに地震がありまして、揺れましてん。塔、どないなるかとすぐ外へとんで出て見たんですわ。そしてじっと見ていたら、そりゃ器械ではかったわけやないからはっきりとはいえんけれども、初重がこう右に傾けば、二重が左に傾く。二重が左に傾けば、三重は右に傾く。たがいちがい、たがいちがいに波を打つようになった。各重がたがいに、反対に反対に動きよる。ということは中心は動いとらんわけでしょう。側だけが動いてる。ああいうので塔が地震には強いのじゃないかと思います。そしてあんまり大きなのが来たときには、心柱がこんどは止める役をしよるんです。とにかくビルでもこのごろは軟構造ということがいわれますけれども、もう千三百年前にちゃんと塔は、いまでいう軟構造にできてるということですわ。各重ごとにうまいこと動くようにできてますわ」
西岡常一・高田好胤・青山茂著、寺岡房雄写真『蘇る薬師寺西塔』(草思社、1981)
というきわめて興味深いことを述べている。
五重塔の耐震性について、西岡棟梁の、この言葉以上の証言はないだろう。
科学的に立証された古代の匠の智慧と経験
1996年10月、奈良国立文化財研究所(現・独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所)などによる解析調査結果が、西岡棟梁の証言に数値的裏づけを与えた。法隆寺五重塔の基壇と各重の梁の上などに計16個の微動計を設置し、1000分の1〜100分の1ミリメートルの“常時微動”を測定し、揺れの方向や振動数などを調べたのである。
塔本体は0.9ヘルツで水平に揺れながら、同時に2.5ヘルツの振動数で弓形にしなる動きをしていた。一方、基壇の振動数は2〜5ヘルツで、基壇と塔本体の振動数に最大5倍以上の差があることになる。
つまり、振動周期の違いによって共振することなく、揺れる力を緩和し、分散させているのである。
五重塔が地震や大風に強いのは、心柱の「振り子作用」や「閂作用」、そして各重の「キャップ構造」によるものと考えて間違いないだろう。
古代の匠(たくみ)の智慧と経験には、つくづく畏敬の念を抱かざるを得ない。

現代の超高層建築に活かされている「柔構造の思想」
関東地方一円に壊滅的な打撃を与えた大正12(1923)年の「関東大震災」の後、日本の建築・土木学界では、耐震性の建築物は「剛構造」であるべきか、あるいは「柔(軟)構造」であるべきかの論争が続いた。
剛構造とは、建築物をできるだけ剛、堅固に設計したほうが地震に対して安全であるという耐震設計思想に基づく構造方式である。剛構造は常識的でわかりやすい。設計手法も力学的に単純であるため、1960年代後半に超高層ビルが出現するまで、すべての建物に耐震壁や筋違(すじかい)を設けて、地震力に対する変形を極力少なくしようとする剛構造設計思想が取り入れられていた。
しかし、超高層ビルはどうしても柔構造でなければダメなのである。事実、現代の日本の超高層ビルはすべて柔構造で建てられている。“柔構造”の思想が、具体的には、数々の免震・制振構造として、現代の超高層ビルに取り入れられているのである。
現代の免震装置に柔構造が具体的にどう取り入れられているかは、拙著『古代日本の超技術〈新装改訂版〉』に解説したので、ご一読いただきたい。ここでは、現代の超高層ビルに取り入れられている柔構造の原理も、最先端の免震・制振装置も、すべて、はるか1300年以上前の古代日本の匠の智慧と経験に、その原点を求めることができる、ということを述べるにとどめておこう。
柔らかくしなやかな五重塔は、長い揺れの固有周期をもち、耐震・耐風性が大きいこと、また、五重塔の木組みの柔軟性、接合部の隙間や変形によって地震や風のエネルギーが吸収されること、これらすべての五重塔の特性と、それを生んだ“柔構造”の思想が、現代の超高層建築に、ことごとく活かされているのである。

さらに、木造建築のすばらしさについてもう一言、付記しておきたい。
法隆寺などの古刹が創建以来、何度か解体を含む修理を経て今日に至っていることからもわかるように、木組みを主として構築される木造建造物は、解体・修理が可能である。そして、腐朽した部材の交換によって、新たな命が吹き込まれる。
しかし、近年の鉄筋コンクリートの建造物は、一度建てたら破壊されるまで、解体・修理などは不可能だ。古代日本の匠の智慧と経験によって実現した五重塔に代表される木造建築は、いわば永遠の命を吹き込まれた永続的な建造物なのである。
近年、人間の経済活動や社会活動の持続可能性を重視する「SDGs: Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」という概念が流行しているが、古代日本の匠たちは、1000年以上も前からそのような考え方に立脚していた。その思想の根幹をなす日本の文化・文明の本質が、「自然との永続的な調和」を志向する姿勢にあったからである。
コメント