意外な事実。飛べない鳥がいるのに、「飛べないコウモリがいない」謎…「飛べないカラダに進化」する道筋が、通れなくなってしまったわけ

進化には「通れない道」がある!? 飛べなくなった鳥はいるのに、なぜ飛べなくなったコウモリはいないのか。
前回、発達した生物の特徴は、必ずしも進化とは言えない、ということを、鳥の飛翔能力から検証してみました。
ところで、コウモリは飛翔能力をもつ哺乳類で、立派な翼を持っています。しかし、鳥に「翼を持ちながらも飛ぶことをやめた」ものがいるのに対して、コウモリに「飛ぶことやめた」仲間はいません。飛べるコウモリから飛べないコウモリへの道は、進化的に通れない道なのでしょうか。
なぜ飛べないコウモリがいないのか
地球にはさまざまな生物が生息しており、その多様性には目を見張るばかりである。まるで生物の進化には無限の可能性があるかのように思える。しかし、そのいっぽうで、その多様性には欠落があるように思えることもある。
その一つの例がコウモリだ。
コウモリの仲間は、完全な飛翔能力を持つ唯一の哺乳類である。そして不思議なことに、飛べないコウモリというものはまったくいない。
たとえば、鳥の仲間も完全な飛翔能力を持っているけれど、飛べなくなった鳥はたくさんいる。ダチョウやエミューやキーウィなどはその例だし、そもそも世界中で一番個体数が多い鳥は飛べない鳥だ。それは、220億羽と推定されるニワトリである。
飛べる鳥から飛べない鳥へは進化できるが、飛べるコウモリから飛べないコウモリへは進化できないのだろうか。進化には通れない道というものがあるのだろうか。
創造論者の論理
飛べないコウモリがいない理由を考えるときに、参考になるのが創造論者の論理である。
創造論にはいくつもの流派があるが、その多くは進化を否定し、それぞれの生物は優れた設計者(神である場合も、そうでない場合もある)によって作られたと考える。その論理を(反面教師的にではあるが)参考にしながら考えてみよう。
創造論者が使う有名な議論に「半分できた眼が何の役に立つのか」というものがある。創造論者の言い分は、だいたい以下のようなものだ。
人間の眼は優れた性能を持つ複雑な器官だが、進化論者によれば、眼はゆるやかに少しずつ変化することによってできたものだと言う。ということは、眼は中間段階を通って進化してきたことになるけれど、半分できた眼が何の役に立つというのか。そんな中途半端な眼を持った生物がいたと考えることはナンセンスであり、生物が進化することなどあり得ない
自然選択で「眼」は誕生するのか?
こういう議論に反論する一つの方法は、進化には複数の道筋があると主張することだ。模型を組み立てるように、パーツを付け加えて人間の眼を作っていく道筋はたしかにあり得ないだろうが、進化の道筋はそれだけではないのである。
たとえば、体の表面に明るさを感じる視細胞を持つだけで、生物が生き延びる確率は高くなるかもしれない。捕食者が明るいところにいるとすれば、暗いほうへ移動することによって食べられないですむからだ。
さらに、視細胞がある体の表面が少し凹めば、光が来る方向によって、強く反応する視細胞の場所が変わってくる。その場合、光の来る方向も知ることができる。そうすれば、さらに生き延びる可能性が高くなるだろう。
実際に、クラゲには前者のような眼を持っているものがいるし、カサガイには後者のような眼を持っているものがいる。
このように、単純だが役に立つ眼というものは存在するし、それらが少し変化することによって生き延びる確率が少し高くなる状況も十分にあり得ることだ。そういう道筋を通って、眼が少しずつ複雑になっていくことは可能であろう。
進化には通れない道
このように、創造論者の主張は全体としてはナンセンスだが、その主張のなかにはもっともなところもある。それは、進化の道筋のなかには「通れない道筋もある」というところだ。
哺乳類のなかで、コウモリの仲間は翼手目というグループに分類されるが、これはネズミの仲間である齧歯目に次いで大きなグループである。
翼手目には1000種を超えるコウモリが含まれるが、そのなかで飛べなくなった種が一つもないことは不思議なことだ。前回、取り上げたように、飛べなくなった鳥がたくさんいることと比べると、飛べるコウモリから飛べないコウモリへ進化する道筋は、進化的に通れない道なのではないかと疑いたくなる。
それを検討するために、まずは鳥の翼について考えてみよう。
鳥の翼と「飛ばない」という選択
鳥は前肢が翼になっていて、それを使って飛翔する。この翼は鳥にしかないすばらしい構造で、コウモリにはない。その翼は、羽毛でできている。
羽毛(のなかで飛翔に使用される正羽)というのは、かなり頑丈なもので、中心を通る羽軸はかんたんには曲がらない。また、羽軸の両側には羽枝が生えているが、この羽枝が近くの羽枝と噛み合ったり滑ったりすることによって、強靭でしなやかな翼を作りだしている。
そのため、羽毛でできた翼は、前肢だけで支えることができる。羽毛でできた翼はかなり堅い構造なので、翼の前側を前肢で支えるだけで、羽ばたいても折れ曲がったりしないのである。
その結果、鳥の後肢は、飛翔の役割から解放されて自由になった。前肢とは別に、後肢は独自の進化を遂げることができるようになった。たとえば、速く走ったり飛び跳ねたりできるように進化することも可能になったのである。
速く走れるようになった鳥のなかには、もはや飛ばなくても生きていけるようになったものもいたかもしれない。あるいは逆に、体が大きくなったりして飛べなくなった鳥のなかにも、速く走ることによって生き残れたものもいたかもしれない。
ともあれ、飛翔能力を持ったまま、飛ばない生活へも適応することができた。そういう進化の道筋を通れば、飛べない鳥が進化することは可能だと考えられる。
飛ばない生活に適応しがたい、コウモリの翼の構造
コウモリも前肢が翼になっているが、鳥の翼とは構造が大きく異なる。コウモリの場合は指が長く伸びて、そのあいだに飛膜と呼ばれる膜が張られている。水かきの付いた指が長く伸びて、翼になったようなイメージだ。
膜でできた翼は柔らかいので、翼の前側だけを前肢で支えて羽ばたけば、折れ曲がってしまって役に立たないだろう。そのため、指の骨は翼の後端まで延びているし、前肢だけでなく後肢も翼を支える支柱になっている。つまり、コウモリの翼は、前肢と後肢のあいだに飛膜が張られているのである。
*参考画像:鳥の翼の構造は、こちら
そのため、コウモリは歩くのが下手である。腿の付け根から足首まで膜に繋がっているのだから、それも無理はないだろう。
その結果、コウモリの後肢は、飛翔の役割から解放されることはなく、速く走ったり飛び跳ねたりできるように進化しなかったのだろう。コウモリは鳥と違って、飛翔能力を持ったまま、飛ばない生活に適応することが難しいのである。
歩くコウモリもいるけれど…とても、鳥には及ばない
ただし、1000種を超えるコウモリのなかで、歩くコウモリが2種確認されている。ツギホコウモリとナミチスイコウモリだ。
ツギホコウモリはニュージーランドに生息する8センチメートルほどのコウモリである。おもに果実や花粉を食べるが、落ち葉の上を少し飛び跳ねるように敏捷に動いて、昆虫なども食べる。
現在のツギホコウモリの生息地には天敵がいない。そのため、地上を歩く行動が進化したと考えられている。
ナミチスイコウモリは、メキシコから南アメリカの熱帯地方に生息する吸血性のコウモリである。
夜間に眠っているウシやウマが獲物だが、人間の血を吸うこともあるらしい。獲物の近くで地上に降りると、ゆっくり歩いて接近し、獲物に噛みつく。そして、流れ出る血液を舌で舐めるのである。
とはいえ、これらのコウモリも、飛翔能力を失ったわけではない。両者とも完全な飛翔能力を持っているし、今後、飛翔能力を失う方向に進化するとも限らない。
それに、ツギホコウモリが比較的すばやく地上を移動するといっても、多くの鳥が(飛翔能力があるものも、ないものも含めて)地上を歩く素早さに比べれば、見劣りがすることは否めない。



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