
なぜ化石に残らない特徴が化石からわかるのか?生物が海から陸上へと進出した過程と「羊膜類」の出現が「石炭紀」だとわかる理由!
完全な陸上進出を成し遂げた羊膜類
昔、私たちは魚だった。それから長い進化の道のりを経て、私たちは哺乳類になった。そのあいだには、さまざまな出来事が起きたけれど、そのなかで最大の出来事の一つが陸上への進出だろう。

現在の私たちは、完全に陸上で生活することができる。多くの両生類も陸上で生活しているけれど、卵や幼生のときはたいてい水中で暮らしている。でも、私たちには、そういう時期はない。私たちのなかには、大人になるまで海や湖を見たことがない人もいるかもしれない。それでも、生きていくうえでは、とくに不都合はないのである。
ところで、私たちが陸上生活を送れるようになるためには、「羊膜卵」の進化が決定的な役割を果たしたと考えられている(羊膜卵については後述する)。羊膜卵を持つ動物を「羊膜類」といい、現生生物のなかでは爬虫類と鳥類と哺乳類が含まれる。
化石記録によれば、羊膜類は石炭紀(約3億5900万~2億9900万年前)に現れたと考えられている。ところが、羊膜卵はあまり化石に残らないので、化石として羊膜卵が見つかるのは、ずっと後のジュラ紀(約2億100万~1億4300万年前)になってからである。
石炭紀には、まだ羊膜卵の化石が見つかっていないのに、羊膜類が出現したのが石炭紀であることが化石記録からわかるなんて、何だか変な話である。でも、こういうことって、しばしば起きるのだ。
羊膜卵の形成と胚の成長
両生類の卵でも羊膜類の卵でも、発生初期の胚は卵黄を栄養源として成長していく。
両生類の卵では、しばしば大きな卵黄のうえに小さな胚が載っているように見える。両生類の場合は、このまま胚は成長していくのだが、羊膜類の場合は、卵黄を包んでいる膜が胚の左右から盛り上がって、胚の上部で融合して、胚を包んでしまう。
胚を包んだ膜は二重になっており、内側を羊膜、外側を漿膜(しょうまく)という。羊膜の内側は羊水で満たされ、このなかで胚は成長していくことになる。

つまり、羊膜類は、羊膜でできた袋に羊水と胚を入れて、それを袋ごと持って陸上に進出したので、胚は陸上でも乾燥しないで成長していくことができるのだ。
超大陸パンゲアの乾燥した地域と羊膜卵の利点
折しも石炭紀からペルム紀(約2億9900万~2億5200万年前)にかけては、巨大な超大陸パンゲアが形成された時代である。乾燥した地域が広がったことは、羊膜類にとって追い風となっただろう。そうして羊膜類は、両生類を抑えて繁栄していくことになる。
ちなみに、羊膜の外側にある漿膜は、毛細血管を発達させて卵の殻の内側に沿って広がり、酸素と二酸化炭素の交換、つまり呼吸を行う。また、少し遅い段階で現れる尿膜は、排泄物を蓄えるのがおもな役割だが、呼吸も行うことが知られている。
さらに、卵の周囲には卵殻が形成される。卵殻のおもな役割は、卵を乾燥から守ることだが、そのいっぽうで呼吸ができるように小さな穴がたくさん開いている。つまり、羊膜卵は、食料庫やガス交換器、衛生設備などを完備した生命維持システムなのである。

ただし、哺乳類では漿膜が子宮に付着して胎盤となり、尿膜は胎盤を通じて母体と物質をやりとりし、卵殻は形成されない。これらは羊膜卵から二次的に変化したものと考えられるが、羊水のなかで胚が成長するという点に関しては何も変更されていない。
なぜ羊膜類の出現が石炭紀だとわかるのか
それでは、まだ羊膜卵の化石が見つかっていない石炭紀に、羊膜類が羊膜卵を産んでいたことが、どうしてわかるのだろうか。それには、2つの方法がある。
1つ目の方法は、羊膜類における羊膜卵以外の特徴に注目することだ。たとえば、羊膜類にあって両生類にない特徴として、踵骨(しょうこつ)と距骨(きょこつ)に注目するのである。
踵骨というのは、かかとの骨である。足の骨のなかでもっとも大きく、もっとも強い骨で、体重を地面に伝えている。距骨は踵骨の上にある骨で、体重を下腿から足へと伝えている。

距骨の凹面と踵骨の凸面がはまることで距骨下(きょこつか)関節を作っており、この関節のおかげで足首を内側や外側に曲げたり捻ったりすることができる。
この踵骨と距骨は羊膜類に特有なので、化石にこれらの特徴が認められれば、羊膜類だと判断するのである。つまり、羊膜卵を産んでいただろうと推測するわけだ。
また、両生類の頭骨では眼の上に上眼窩骨が複数あるが、有羊膜類ではこの上眼窩骨が縮小して、前頭骨と後眼窩骨と鱗状骨が眼の上から後方に向かって連結している。頭骨のこれらの特徴も、ある化石が羊膜類かどうかを推測するときに役に立つ特徴だ。
2つ目の方法は、現在生きている生物の情報を援用する。現生の羊膜類の羊膜卵を調べると、かなり細かいところまで構造を共有していることがわかる。したがって、羊膜卵の起原は一度だけだった可能性が非常に高い。そのため、現生生物の形態的特徴と化石の形態的特徴を使って、分岐図を作ると、石炭紀の羊膜類に辿り着くのである。
この2つの方法には限界がある!
以上の2つの方法から、おそらく羊膜類の起原は石炭紀だと考えられる。ただし、これらの方法には限界があることも忘れてはならない。
一つ目の方法については、踵骨や距骨の特徴、あるいは頭骨の特徴が、羊膜卵と連動しているとは限らないという問題がある。
2つ目の方法の限界については、簡略化した羊膜類の系統樹を使って説明しよう。

まず、「現生種すべての最終共通祖先」とその「最終共通祖先の子孫すべて」を含む集合を「クラウングループ」と言う。図のクラウングループとステムグループでは、爬虫類と鳥類と哺乳類と最終共通祖先Aがクラウングループを形成する。
一方、「現生種すべての最終共通祖先に至る前に分岐したすべての種」の集合を「ステムグループ」と言う。図では、初期の羊膜類(と推測される生物)と最終共通祖先Bがステムグループを形成する。
さて、現生の羊膜類の羊膜卵を調べて、構造を共有していることがわかったとしよう。それの意味するところは、クラウングループの最終共通祖先であるAが羊膜卵を持っていた、ということだけである。
もしかしたら、羊膜卵が進化したのは、BからAに至る途中だったかもしれない。そうであれば、初期の羊膜類(と推測される生物)は羊膜卵を産んでいなかった、つまり羊膜類ではなかった、ということになる。
ただし、図のクラウングループとステムグループでは、初期の羊膜類(と推測される生物)をステムグループとして位置付けたが、初期の羊膜類(と推測される生物)がクラウングループの中に含まれる可能性もある。その場合は、初期の羊膜類(と推測される生物)は羊膜類ということになり、問題はなくなる。
しかし、ある化石が、クラウングループかステムグループかを判断するのは、不可能ではないけれど、しばしば困難である。もしかしたら、永遠に真実には辿り着けないかもしれない。それでも、証拠を少しずつ積み重ねて、少しずつ真実に迫っていく。それが科学の醍醐味ではないだろうか。
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