「人類は海辺で進化した?」アクア説の「意外に反論が難しい主張」と、提唱者がつらぬいた「科学者としての姿勢」

人類は水中で進化したのか…「アクア説」の主張を、近年発見された化石から検証して見えてきた真実と、提唱した生物学者の科学者としての姿勢を見ていきます。
人類の起源についての仮説「アクア説」
人類の起源を説明する仮説の一つに、アクア説(水生類人猿説)というものがある。これは、「人類の祖先は水生生活を送るようになったので、他の類人猿とは異なる特徴を獲得して人類になった」という説である。
『裸のサル』などの著者として知られるイギリスの動物学者、デズモンド・モリス(1928~)や、やはりイギリスの動物学者でナレーターとしても有名なデイビッド・アッテンボロー(1926~)などの影響力のある人々が、この説を紹介したことで、アクア説は社会に広く知られるようになった。少し前の話だが、日本でも某明治大学教授がベストセラーとなった著書で紹介したりしたため、日本にもアクア説の支持者は一定数いるようだ。
このアクア説を支持する科学者は、現在ではほとんどいないし、私もアクア説は正しくないと思う。しかし、アクア説に反論することは、じつは意外と難しい。良くも悪くもインパクトのある説だし、ある程度は筋も通っているからだ。とはいえ、近年になって、アクア説を根底から覆す化石が発見されたことによって、アクア説が生き残る余地はなくなったといってよいだろう。
アクア説の誕生
アクア説にはいくつかの系統があるが、もっとも有名なものは、イギリスの海洋生物学者であるアリスター・ハーディ(1896~1985)が唱え、イギリスの作家であるエレイン・モーガンが世界中に広めた説だ。
最初、ハーディは、人類に皮下脂肪が多いことを不思議に思ったらしい。通常、陸生哺乳類には皮下脂肪が少なく、水生哺乳類には皮下脂肪が多いからだ。そこからアクア説を思いついたが、それがかなり急進的な説であることは、ハーディも自覚していた。そのため、激しい反対にあうことを恐れて、30年間も発表しなかったらしい。
そして1960年になると、アクア説について英国潜水クラブで講演したり、ニュー・サイエンティスト誌に発表したりしたものの、その後も(短い記事を除けば)本を書いたりすることはなかった。他の研究が忙しかったこともあるし、アクア説を実証する化石が発見されるのを待っていたとも言っている。証拠が少ないというアクア説の弱点を、ハーディは自覚していたわけだ。
そうこうしているうちに、モーガンが1982年に、ハーディのアクア説を紹介する本『The Aquatic Ape』(邦訳は『人は海辺で進化した』どうぶつ社)を出版して、アクア説が有名になったことは前述したとおりである。ちなみにハーディは、その本で序文を書いている。
アクア説の主張
それでは、アクア説の主張を紹介しよう。ハーディによれば、人類の祖先は、他の類人猿との競争に敗れて、木の上から追われた。そして、海岸で貝やウニなどを食べるようになった。そのうちに人類の祖先はだんだんと泳ぎがうまくなり、水生の度合いを高めていった、というのである。
● 長時間の水泳能力
その証拠の一つとして、人類の優れた水泳能力がある。人類は長時間泳ぎ続けることができるし、水中に潜って自由に泳ぐこともできる。真珠を採るために潜る人が、あれほど長いあいだ息を止めていられるのも、過去に水生生活をしていた名残だと考えられる。
● 体毛がないこと
また、体毛がないことも、水生哺乳類の特徴の一つである。クジラやイルカ、ジュゴンやマナティー、そしてカバなどが、その例だ。体毛には、そのあいだに空気を閉じ込めておくことによって、体温を保つための断熱材としての機能がある。しかし、水中ではその機能は働かないし、むしろ体毛があると、泳ぐときに抵抗が増えて邪魔になる。
● 皮下脂肪の蓄積
皮下脂肪が多いことも、人類が水生生活をしていた証拠の一つである。クジラやアザラシやペンギンなどの厚い皮下脂肪は、体温が失われることを防ぐ断熱材として働いている。人類も同じだったと考えられる。
● 二足歩行を始めた
人類が直立二足歩行を始めたことも、水生生活をしていたと考えれば納得がいく。浅瀬を歩くだけなら四足歩行でも問題ないが、深いところへいくときは泳がなくてはならない。少し泳いだら、休んだことだろう。
そうして休むときには、両足を海底につけて、頭を水面から出したはずだ。そうして水中で直立するようになると、海岸に上がったときにも、直立していた方が都合のいいことがわかってきた。両手が使えるからだ。そうして自由になった手で、人類は道具を使うようになったのである。
● 道具を使うようになった
ハーディによれば、人類が道具を使うようになった場所も、海岸だった可能性が高いという。人類以外の哺乳類で、道具を使う数すくない動物が、ラッコである。ラッコは海底に潜ってウニなど捕まえると、水面に仰向けに浮かんだ姿勢で、胸の上で石を使ってウニを叩き割るのである。
海岸には石がいくらでもある。人類もその石を使って、ウニやロブスターの殻を割る方法を思いついたに違いない。そうしていったん道具を使うようになれば、火打ち石で火を起こすことも含めて、どんどん道具を進歩させていったのだろう。
● 化石の空白期間
さらにいえば、人類の化石には空白がある。人類のもっとも古い化石は(ハーディがアクア説を発表した当時は)アウストラロピテクスであった。しかし、アウストラロピテクスの形態は類人猿と人類の中間とはいえず、かなり人類寄りの化石である。人類と類人猿の中間的な化石はまだ発見されていなかった。
そこで、ハーディは、将来の研究に期待する。おそらくアウストラロピテクス以前の人類は、海岸や海の中で暮らし、そこで死んでいったはずだ。それを示す化石はまだ見つかっていない。もしかしたら、ほとんどの遺骸は、海の生物によって食べ尽くされてしまったのかもしれない。それでも、いつの日か、水生生活をしていた証拠となる人類の化石が発見されることを、ハーディは待っていたのである。
アクア説の凋落
しかし、1990年代以降に、アウストラロピテクス以前の人類の化石、とくに約440万年前のアルディピテクス・ラミダスの化石が発見されたことにより、アクア説はほぼ否定された。これらの化石人類は、森林か、あるいは森林周縁部で木がややまばらな疎林で暮らしていたことが明らかになったからである。
さらに最近(2019年~)、1000万年前の前後にヨーロッパに棲んでいた化石類人猿(ダヌビウス・グッゲンモシやルダピテクス・フンガリクス)が発見されたことにより、アクア説は完全に葬り去られた。これらの化石類人猿は、森林の木の上で暮らしていたにもかかわらず、直立二足歩行をしていたのである。
人類が類人猿から分かれたのは約700万年前と考えられている。その少し前から直立二足歩行をする類人猿が現れていたとすれば、それらの類人猿の仲間から人類が進化した可能性は非常に高い。さらに、それらの類人猿が樹上で暮らしていたのであれば、直立二足歩行は樹上で進化したことになる。水中ではないのだ。
考えてみれば、ヒトの幼児も、はいはいの段階からいきなり直立二足歩行を始めるわけではなく、その途中で掴まり立ちの段階を経ることがふつうである。人類の進化においても、掴まれる枝がたくさんある樹上の方が、直立二足歩行が進化しやすいのではないだろうか。
それでも、ハーディが守った「科学的な手続き」
アクア説に関するハーディの主張が、すべて間違っていたわけではない。もちろん、いくつかの主張は間違っているけれど、そのおもな理由はデータ不足だ。
たとえば、哺乳類が道具を使う例としてラッコだけを挙げるのは、おかしな気がする。チンパンジーやオランウータンなどの類人猿の方が、はるかにいろいろな道具を使うからだ。しかし、ハーディがアクア説を発表した1960年には、まだ類人猿が道具を使うことは発見されていなかった。だから、道具を使う哺乳類としてラッコだけを挙げて、その結果、道具の使用は海辺で進化したと考えても仕方がなかったのだ。
アクア説自体は完全に間違っていると私は思う。アクア説を世に広めた多くの人々の考えにも、無責任なところが多々あると思う。とはいえ、一番最初にアクア説を唱えたハーディを責めるのは、少し可哀想な気がする。
彼はアクア説という仮説を立てて、その仮説によればこういう化石が見つかるだろうと、きちんと予測をしたのだ。ちゃんと科学的な手続きを踏んでいるのだ。残念ながら、その予測は外れたけれど、それは仕方のないことだろう。
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