国語力があるのとないのとでは、他の教科の理解力が大きく違ってきますからねえ。数学でも物理でも、深く踏み込んで、テーマの真髄に近づいていこうとする、前に進もうとする力こそが“学ぶ力の背骨”であり国語力だと思います。
社会に出て『自分はこんな人間だ』とか、『ここでこんなことをしたいんだ』と表現する力も国語ですから。国語力は“生きる力”と置き換えてもいい。
どんなに時代や環境が変わっても、背骨がしっかりしていれば、やっていけるんです。だから、まず中学に入学したら、何を差し置いても、生徒には国語を好きになってほしかったんです。
「国語はすべての教科の基本です。『学ぶ力の背骨』なんです」
生きる力を引き出す授業(下)~ 国語を通じて生徒は「共に生きる力」を伸ばしていく
■1.「たつみ」とはどの方向ですか?
1冊の薄い文庫本を中学の3年間で読み上げる、という聞いたこともない国語の授業のやり方に、初めは「大丈夫なんやろうか?」と顔を見合わせていた生徒たちも、2週間もするとその心配が杞憂であることに気がついた。
「丑(うし)」というたった一文字から、十干十二支という古代中国の話に飛び、それが年号に使われると「甲子園」やら「還暦」という言葉につながる。それも単に先生が解説するのではなく、研究ノートにこんな設問があって、生徒に考えさせるのである。
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【第十問】百人一首に「わが庵(いほ)は都のたつみしかぞすむ 世をうぢ山と人はいふなり」(喜撰法師)という歌がありますが、「たつみ」とはどの方向ですか?
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国語辞書で「たつみ」を引くと「東南」と出ているが、「たつみ=東南」と頭に詰め込んでも何にもならない。十二支が方角を表すのに使われる場合は、北が「子」で、あと30度づつ時計回りに「丑」「寅」「卯(東)」、「辰」「巳」「午(南)」、、、となる。
「辰巳」はちょうど東南となる。「うじ山」とは「宇治山」で、京都の東南にあたる。「うぢ」は「世を憂(う)し」も掛けている。
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【第11問】 「草木も眠る丑三つ時」とは何時頃のことですか?
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十二支が時刻を表す場合は、24時間を12等分して、真夜中の午前0時が「子」、午前2時が「丑」、、、となる。その2時間ずつを「時」と呼び、「時」を四等分して、「一つ」「二つ」「三つ」「四つ」と数える。したがって、「丑三つ時」とは午前2時から1時間半後、すなわち午前3時半を指す。
ちなみに「午」が午後12時となり、そこから12時ちょうどが「正午」、その前が「午前」、後が「午後」となる。今まで何気なしに使っていた言葉の陰にある文化的な背景を学ぶことを、生徒たちは楽しいと感じ始めた。
■2.「国語が好き」が5%から95%に
橋本先生は毎回、刷り上がったばかりの研究ノートのプリントを抱えて教室に現れる。その量が多くて、両手一杯に抱えて登場すると、クラス全員で拍手して迎えることもあった。
橋本先生は述懐する。
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この年、新入生たちにアンケートをとったんですよ。「国語が好きですか」という質問に、入学直後に「好き」と答えたのは全体の5パーセント程度でしたが、1年後の同じ質問では95パーセントの生徒が国語が好きと答えてくれたんです。
成績があがるかどうかより、まず国語好きになってほしいと始めた授業でしたから、「間違っていなかった」と、とりあえず安堵しましたねえ。[1,p98]
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こんな授業なら、生徒の知的好奇心を刺激して、国語が好きになるのも当然だろう。
■3.「壁を階段にする力」
橋本先生は「国語はすべての教科の基本です。『学ぶ力の背骨』なんです」と言う。[1,p77]
[1]の著者・伊藤氏高さんは高校で20年近くも英語の教師をしていた。その学校では、多くの生徒が高校3年の夏休み以降、英語の受験勉強を始めるが、急激に伸びる生徒とそうでない生徒がいるという。その違いは何なのか?
調べて見ると、「英語が急激に伸びる子」は、「国語ができる」もしくは「本好きである」という明らかな共通点が見つかった。
たとえば、英語の試験での長文問題。分からない単語が出て、一文の意味がつかめない。こうした「壁」に出会うと、国語力のない生徒はその壁の前で立ち止まり、うずくまってしまう。
国語力のある生徒は違う。
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そんな「壁」を前にした時“何とか乗り越えてやろう”、と腕まくりするのが読書量の多い生徒だ。
単語がわからなくても、文法が難解でも、前後の文脈から類推しようとする。意味のわからない一文があっても、とにかく読み進めて行き、後の文章からヒントを探そう、結論から逆算してみよう、などとあれこれ方策を練る。
押してみたり引いてみたり、下から見たり、離れて見たりと、「壁」を何とかして「階段」にすることで乗り越えようとするのだ。[1,p78]
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この「壁を階段にする力」こそが、橋本先生が『銀の匙』の授業で、生徒たちに授けた力なのだろう。
■4.「前に進もうとする力こそが“学ぶ力の背骨”であり国語力」
国語力について、橋本先生自身はこう語る。
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国語力があるのとないのとでは、他の教科の理解力が大きく違ってきますからねえ。数学でも物理でも、深く踏み込んで、テーマの真髄に近づいていこうとする、前に進もうとする力こそが“学ぶ力の背骨”であり国語力だと思います。[1,p79]
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「前に進もうとする力」とは、「壁を階段に変えて乗り越える力」である。
前号で『銀の匙』の授業を受けた約200人の卒業生のうち、112人が現役で東大に合格し、「平常の力さえ出せば、東大なんてへっちゃらだ」と言っていたのも、この学ぶ力の背骨がしっかりしていたからこそであろう。
国語力は、受験の後も人生を左右する。
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社会に出て『自分はこんな人間だ』とか、『ここでこんなことをしたいんだ』と表現する力も国語ですから。国語力は“生きる力”と置き換えてもいい。
どんなに時代や環境が変わっても、背骨がしっかりしていれば、やっていけるんです。だから、まず中学に入学したら、何を差し置いても、生徒には国語を好きになってほしかったんです。[1,p80]
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■5.「還暦過ぎても、みんな前を向いて歩いている」
前号[a]では『銀の匙』授業を受けた二人の卒業生が登場した。フランスに留学して、アフリカ諸国で海外経済協力基金の一員として活躍した畑中邦夫。
海外のラジオ放送が周期的に波打つことに興味を抱いてから、通信工学を学び、伊藤忠で11年もかけてケニアの大平原に通信網を張り巡らせるプロジェクトを完成させた吉川健太郎。
この二人とも多くのの難問の壁を一つずつ階段にして乗り越え、成果を上げていったのだろう。銀の匙の授業を通じて得た国語力が、「前に進む力」として発揮されたのである。
橋本先生も「一緒に『銀の匙』を読んだ生徒がねえ、還暦過ぎても、みんな前を向いて歩いている。それが何よりも嬉しい」と語っている。[1,p210]
■6.他と共に生きる力
橋本先生の授業で、もう一つ特徴的なのは、何かとグループで学習させることである。
例えば『銀の匙』の研究ノートには【表題】という設問がある。『銀の匙』は新聞連載された作品なので、各章が2ページと短い。各章ごとのタイトルはなく、数字が記されているだけだった。生徒たちは、それぞれの章に自分で表題をつけることが求められる。
たとえば“愛するって耐えることなの”とか“恋の大決闘”とか、後で読み返すと恥ずかしくなるような表題をつける生徒もいる。
こうしてクラス50人がそれぞれの個性で、多彩なタイトルをつけるのだが、さらに、それを各自が発表し、議論して、最終的に一つの表題にこぎ着ける。個性も大事にしながら、ディスカッションしてみんなの結論を出す。
自分の感じた所を語るのも国語力だし、他の生徒の発表を聞いてその生徒の感じ方を理解するのも国語力である。国語力が伸びていけば、人の思いを理解するという生きる力がついていく。
高校では3~4人のグループで一つの古典を取り上げ、4カ月をかけて共同研究を行う。授業で扱った小倉百人一首や徒然草をさらに深めようとするグループもあれば、全く未知の分野に進もうと『日本霊異記』や井原西鶴を取り上げるグループもある。
高校生になると、受験が避けて通れなくなる。とかく受験では競争、ライバル、孤独といった面のみが強調されがちだが、橋本先生は「受験こそ生徒みんなで助け合って突破してもらいたい」と考えて、この共同研究を始めたのだ。
生きる力とは「一人だけで生きる力」ではない。社会に出れば、一人でできる仕事などほとんどない。前編で登場した吉川健太郎はケニア、ウガンダ、タンザニアにまたがる大通信網を完成させたが、それも専門の異なる多くの人々と力を合わせて初めて実現できたのである。
人々と心を通わせ、知恵と力を合わせて、壁を階段にして乗り越えて前に進んでいく、それこそが「他と共に生きる力」である。
■7.古人と共に生きる力
「他と共に生きる力」とは、同時代の人だけではない。古典を読むことで古人たちと心を通わせ、その知恵や経験を使わしてもらうことでもある。
後に『銀の匙』授業の二回り目の学年が卒業した後、卒業生たちが橋本先生の自宅に集まって、こんな思い出話をした。
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最初は単なる東京の甘ったれ坊主の話しやと思っていたのが、どんどん自分の話しになっていって、最後に、よぼよぼになった伯母さんと再開するシーンなんか、あかんわ、涙止まらへんかった。[1,p115]
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そんなやりとりをうれしそうに眺める橋本先生は、生徒一人一人の言葉は、実は自分へのねぎらいの気持ちを込めて発せられていることも理解していた。「他人の気持ちがわかるように、みんなよう成長してくれたなあ」
主人公の少年の思いを「自分の話し」として共感し、またクラスでいろいろに議論していくうちに、生徒たちは「他人の気持ちがわかるように」成長したのである。
前篇では卒業生・畑中邦夫が、海外で月のきれいな晩に、安倍仲麻呂の「天の原ふりさけみれば」の百人一首の歌を歌ってフランス人を驚かせたが、これなども古人と心を通わせ、今の自分の生活を豊かにする「古人と共に生きる力」である。
国語力とは、生徒が一人で壁を乗り越える力を与えてくれるだけでなく、同時代の人々や過去の人々と「共に生きる力」を与えてくれるのである。
■8.真の「心のゆとり」とは
橋本先生の『銀の匙』授業は、従来のゆとり教育のどこが間違っていたかを如実に示している。橋本先生の教え子で、『銀の匙』授業を最初に世に紹介した黒岩祐治さんは、こう述べる。
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教育の中身を薄くし、時間をゆるくして、学力の低い子供にレベルを合わせて、甘やかせて、それで「心のゆとり」が得られると、文部官僚は本当にそう思ったのだろうか。
心のゆとりとは安易に実現できるものではなく、がんばって、がんばって上り続けなければ到達できない精神の高みの世界である。高い山に登った時、頂上で感じるあのゆったりとした満足感こそ心のゆとりである。[2,p191]
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勉強もせず、毎日ダラダラと日を送っているのは「ゆとり」ではなく「ゆるみ」である。クラスの皆でわいわい言いながら一生懸命勉強して、「平常の力さえ出せれば、東大なんてへっちゃらだ」と言う生徒たちこそ本当の「ゆとり」を表している。
あるいは月を見てはフランス人に“天の原ふりさけみれば”の歌を聴かせたり、還暦を過ぎてからルワンダの大使をするのも「ゆとり」ある生き方であろう。
橋本先生の『銀の匙』授業は、我が国の教育や社会のあり方に重要な示唆を投げかけている。
『銀の匙』のような授業に出会えなかった生徒たちも、あるいはすでに社会に出た人々でも、国語力を通じて生きる力を伸ばす手立てはある。自分の興味あるテーマについてとことん追求すること。それを周囲の人々に語っていくこと。
そういう「共に生きる力」を持った国民がどんどん前に進んでいけば、わが国もますます立派な、幸福な国になっていくだろう。
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