真空に埋まっている「何か」の正体がわかれば…宇宙の起源に結びつく「素粒子に残されたナゾ」

右巻き粒子と左巻き粒子
1個の素粒子に注目したとき、右と左はどう定義すればよいでしょう。静止した1つの点には右も左もありません。しかし、現実の素粒子は、「スピン」という重要な性質をもちます。
スピンとは、素粒子がもつ、あたかもスピン(自転)しているかのような性質のことです。量子論の一般的な制限によって自転の速さには最小単位があって、多くの素粒子はその最小の大きさのスピンをもって自転しており、決して止まることはありません。
では、その回転は、どっち向きなのでしょう。1個の素粒子にとって北極と南極はどっちか、という問題です。
もちろん、何もない空間には北も南もありません(磁場があれば別ですが、今は磁場のない空間を考えることにします)。方向のない空間に置かれた素粒子ですが、ここに1つ基準となる方角があります。その素粒子自身が走る方向です。その方向に沿って自転の向きを区別することができるでしょう。進行方向に向かって時計回りに回転する素粒子は右巻き、反時計回りは左巻き、という具合です(「図:素粒子のスピンの向き」)。

粒子の進行方向に右手の親指を突き出し、残りの4本の指先が回る向きと同じ向きに回るのが「右巻き粒子」、同じことを左手で行ったときに4本の指が回るのと同じ向きに回るのが「左巻き粒子」です。
「弱い力」が働くのはどっち?
こうして定義した素粒子の右巻きと左巻き。弱い力は、これらのうち左巻きの粒子だけに働くことがわかっています。驚いたことに、弱い力は、右と左を完全に区別しているのです。
ここで、ある重大な問題が残ります。素粒子が走る方向を基準に右巻きと左巻きを定義できると述べましたが、では静止した素粒子ではどうなるのでしょうか。もはや右と左は区別ができないではないか。そのとき、弱い力は働くのでしょうか、働かないのでしょうか。

ここに質量が関わってきます。そもそも素粒子が静止できるということ自体が、質量の存在を意味しています。質量と静止エネルギーは比例しているので、質量ゼロの粒子の静止エネルギーはゼロ。その存在すらなかったことになってしまいます。
実際には、質量ゼロの粒子は静止することはなく、必ず光速で飛びます。特殊相対性理論には、どんなに速く走る観測者が見ても光速は光速のままで一定値になるという原則があります。光速で飛ぶ粒子(光、つまり光子もそうです)は、誰が見てもやはり光速で飛ぶのです。そこでは右巻きと左巻きを、あいまいさなく区別することができます。弱い力は、このうちの左巻きだけに働くということです。
すべての素粒子はもともと質量ゼロ
右巻きの素粒子と左巻きの素粒子は、弱い力を考えると、まったくの別物だということがわかりました。これらをあいまいさなく区別できるということは、そもそもこれらの素粒子は質量ゼロだったからということです。
現在の宇宙では、ほとんどの素粒子は質量をもっていますが、これは何らかの理由で右巻きと左巻きの粒子が常にかつ瞬時に入れ替わり続けているためなのです。弱い力が働くのは、そのうちの左巻きになった瞬間にだけ。なんとも不思議な感じがしますが、こう考えるより他にないのです。
質量の起源が問題にされる理由が、ここにあります。もともと質量ゼロだった素粒子に、いったい何が起こって質量をもつに至ったのでしょうか。

ここまでの中に、すでにヒントがあります。クォークと反クォークが真空に埋まる、という話です。
真空を走るクォークが真空に埋まった反クォークと対消滅し、その瞬間にもう1個のクォークをたたき出す。それが質量の源だという話でした。この真空中の玉突き衝突ですが、もう少し正確に言うと、クォークが真空で玉突きを起こすたびに、その右巻きと左巻きが入れ替わるようになっているのです。右巻きと左巻きの入れ替わりと質量の生成は、こうして密接に対応しているのです。
電子は強い力を感じないので、真空中に埋まったクォーク・反クォーク対は電子の質量には無関係です。しかし、真空中に他の何かが埋まっていて、電子の右巻きと左巻きを入れ替えてくれれば、本来は質量ゼロだった電子に質量をもたせることができるでしょう。真空にはクォーク・反クォーク対の他にも何かが埋まっているのか。それは何でしょう?
真空に埋まった「もう1つの何か」
2012年、欧州合同原子核研究機構(CERN)から「ヒッグス粒子発見」のニュースが伝えられました。ヒッグス粒子は「素粒子標準理論の最後のピース」あるいは「神の素粒子」などともいわれましたが、いったいどういうことでしょう。そう、このヒッグス粒子こそ、真空に埋まっているもう1つの何かに関係しているのです。

質量があれば、右巻きと左巻きの入れ替えが生じてしまいます。自然界に弱い力があり、弱い力が左巻き粒子にしか働かないということは、弱い力に関わる素粒子は質量がゼロでなければならないことになります。実際には、多くの弱い力に関わる素粒子には質量があります。そこで、素粒子に質量をもたせて右巻きと左巻きの粒子を入れ替えるために、真空中に右巻きと左巻きを入れ替える何かが埋まっていないといけないことになります。
苦肉の策として導入されたのが「ヒッグス場」だったのです。ヒッグス場は、量子色力学の場合の真空中に埋まったクォーク・反クォーク対の役割を果たすように導入されました。
ヒッグス場が真空中に凍りついて埋まっていると、他の素粒子がそこで玉突きを起こして右巻きと左巻きが入れ替わります。クォーク・反クォーク対の場合と異なるのは、それがクォークだけでなく電子などの粒子にも働くことです。おかげで電子が質量をもつことができました。
とうとう「ヒッグス粒子」の出番!
では、電子の質量の大きさは、どうやって決まっているのでしょう。これはある意味単純で、電子とヒッグス場との結合の強さというパラメータとして、理論の中に入っているのです。結合が強い粒子は重く、結合の弱い粒子は軽いのです。
実は、クォークもこのヒッグス場との結合をもつために、ヒッグス場を通じても質量を得ています。その大きさは電子よりも10倍程度大きいですが、それでも陽子・中性子の質量を説明するには小さすぎます。クォークは、真空中のヒッグス場にぶつかり、さらにクォーク・反クォーク対にもぶつかり、いわば多重衝突によって質量を得ているのです。そのうちほとんどはクォーク・反クォーク対によるもの、ということです。
質量が生まれる仕組みはこうして説明することができますが、それでも真空中に埋まったヒッグス場の正体はいったい何かという問題は残ります。クォークのように物質をつくっている何かではなさそうです。では、どんな性質をもったものなのか。さらに調べるには、その何かを真空からたたき出して測定するのがよいでしょう。

それが始まったのが2012年、CERNの大型ハドロン衝突型加速器(LHC)実験でした。ヒッグス場は、素粒子に質量を与える役割を担っているだけあって、ほとんどの粒子と結合をもちます。結合の強さは、それぞれの粒子の質量の大きさに比例しているはずです。それを確認できれば、ヒッグス場が質量を生み出していることの動かぬ証拠になります。
2012年以降、この測定は目覚ましく進展し、いくつかの軽い粒子を除いては、この比例関係が確認されました(軽い粒子はヒッグス場との結合が弱いので、測定するのも難しいのです)。素粒子に質量を与えているのは真空中に埋まったヒッグス場。この理解は、これで確立したと言っていいでしょう。
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