この世から戦争がなくならない真の理由は、戦争で金儲けをする人たちがいるからです。そういう人たちが世界各地で仕組む紛争や戦争のパイプラインを止めない限り、この世から戦争がなくなることはないでしょう。そして、戦争を放棄して平和憲法を掲げる我が国は、本来、そのパイプラインを止める重要な役割を担った国として戦後80年近い歩みを進めてきたはずでした。その象徴的な存在が、武力による問題解決を真っ向から全否定してアフガニスタンの地に半生を捧げた中村哲氏のような人でしょう。それが短期間のうちに一変し、今や国内で武器の見本市を開催し、海外に殺傷能力のある武器輸出ができる国に様変わりしてしまいました。
死の商人が世界各地で仕組む争いのパイプライン。この世から戦争がなくならない真の理由
第2次世界大戦の終結から79年。今年も各地で終戦に関する行事が開かれましたが、1945年の8月15日に何が起きたかを知らない若い世代が存在するのも現実です。今回のメルマガ『『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中』~時代の本質を知る力を身につけよう~』では『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』等の著作で知られる辻野さんが、戦争の記憶を風化させないため自身の両親から聞いた戦時中のエピソードを紹介。さらに本来であるならば戦争を止める役割を担うべき日本が、武器輸出ができる国に様変わりしてしまったことを批判的に記しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:戦争体験世代の両親から聞いた戦争の話
プロフィール:辻野晃一郎(つじの・こういちろう)
福岡県生まれ新潟県育ち。84年に慶応義塾大学大学院工学研究科を修了しソニーに入社。88年にカリフォルニア工科大学大学院電気工学科を修了。VAIO、デジタルTV、ホームビデオ、パーソナルオーディオ等の事業責任者やカンパニープレジデントを歴任した後、2006年3月にソニーを退社。翌年、グーグルに入社し、グーグル日本法人代表取締役社長を務める。2010年4月にグーグルを退社しアレックス株式会社を創業。現在、同社代表取締役社長。また、2022年6月よりSMBC日興証券社外取締役。
戦争体験世代の両親から聞いた戦争の話
先週は広島と長崎の原爆記念の週でした。また今週は、昨日15日がいわゆる終戦記念日でした。毎年8月は、「8月ジャーナリズム」などと日本メディアを揶揄する言葉もありますが、新聞やテレビなどで戦争や平和に関する特集が組まれることの多い月です。
しかし今や日本では戦争を知らない世代がほとんどとなり、人々の実体験としての戦争の記憶はどんどん風化していってしまっています。10代20代の若者に8月15日が何の日かを聞いても知らない人が増えていて、中には、かつて日本がアメリカと戦争をしたことすら知らない人もいるそうです。
一方、世界に視野を広げると、ロシアとウクライナの戦争が長期化する中、さらに加えてイスラエルとパレスチナが戦争を始め、戦争というよりもガザの人たちの大量虐殺のような残酷な状況が続いています。ネットでは連日とても正視できないようなむごたらしい写真や映像が流れてくるので、そのようなものも通じて世界の人たちは戦争の悲惨さを目の当たりにしているはずですが、国際社会は無力でこれらの戦争を止めることが全くできずにいます。この先は、イランによるイスラエルへの報復攻撃も想定されていて、さらなる戦禍の広がりが懸念されます。
ところで、私自身も昭和32年生まれで、戦争を知らない世代ですが、小さい頃に街中に出ると、手や足を失った傷痍軍人が路上でアコーディオンを弾いたりしながら物乞いをしている光景に出くわすことがまだありました。両親の世代はまさに戦争を体験した世代ですから、戦争中の話を聞かされることもありました。今回は、私の両親から聞いた戦争の話を書き残しておきたいと思います。
まず、母からは、昭和20年6月の福岡大空襲の時の話を聞いたことがあります。米軍のB29爆撃機から大量に投下された焼夷弾で、博多や天神を中心に福岡市の大半が焼け野原と化したのですが、6人兄弟の母の家族は、当時両親(私からすると祖父母)と共に博多の鳥飼という地区に住んでいました。家に火が付き、祖父を筆頭に家族でバケツリレーをしながら消火に当たっていたそうですが、そのうち焼夷弾の一発が庭石に当たって辺り一面が一瞬で火の海になったそうです。
祖父は建てたばかりの家を何とか守りたかったようですが、それどころではなくなり、次女だった母が「死ぬときはみんな一緒よ!」と叫びながら小さな弟たちを叱咤激励しつつ、全員で命からがら近くの防空壕に逃げ込んだそうです。まさに誰も欠けることなく助かったのは奇跡のようなものですが、空襲が収まった後で、長男(私からすると叔父)がうっかり不発弾を拾ってしまい、それが手の中で爆発して大けがをし、右手の指を2本ほど失っています。
父からはあまり戦争の話を直接聞いた記憶がありませんが、何かの雑誌に掲載されていた父の随筆を読んだことがあります。父は大学在学中に学徒出陣したのですが、農家の長男で一人息子だったこともあってか、すぐに戦地には送られずに内地に残り、陸軍航空学校の教官をさせられていたそうです。ある日、やはり空襲にあって学校や兵舎が全焼し、その責任を取って自決しようとしていたところ、それを察した上官が自室に父をしばらく泊め置いたそうなのですが、ちょうどその時に終戦を迎えて自決を思い留まった、というようなことが書いてありました。
また、父は左耳が不自由だったのですが、それは軍隊に入隊した直後に上官から殴られて鼓膜が破れてしまい、その後の処置が悪かったため、と聞いています。
戦後79年の歳月が流れたとはいえ、戦争は決して遠くにあるものではありません。こうして両親から聞いた話を思い出してみても、我々の世代のほんの一世代上の人たちは皆戦争体験者です。そして前述の通り、今現在もウクライナやイスラエルでは毎日戦争で大勢の人たちが犠牲になっています。
ちょうどここまで書いたところで、岸田首相が来月の自民党総裁選への出馬を断念するというニュースが入ってきました。このメルマガでも何度も取り上げてきましたが、安倍政権から菅政権を経て岸田政権に至る流れの中で、日本はすっかり国の形が変わってしまいました。核兵器禁止条約にも未だ参加せず、対米追従一辺倒で、防衛予算を大幅に積み増して軍拡にひた走ってきた現政権の危うさについては、前号も含めて何度も指摘してきました。
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この世から戦争がなくならない真の理由は、戦争で金儲けをする人たちがいるからです。そういう人たちが世界各地で仕組む紛争や戦争のパイプラインを止めない限り、この世から戦争がなくなることはないでしょう。そして、戦争を放棄して平和憲法を掲げる我が国は、本来、そのパイプラインを止める重要な役割を担った国として戦後80年近い歩みを進めてきたはずでした。その象徴的な存在が、武力による問題解決を真っ向から全否定してアフガニスタンの地に半生を捧げた中村哲氏のような人でしょう。それが短期間のうちに一変し、今や国内で武器の見本市を開催し、海外に殺傷能力のある武器輸出ができる国に様変わりしてしまいました。
岸田氏の次を狙う候補と言われる人たちの顔ぶれを見回しても、この人なら、と思わせるような人物は一人もいません。しかし、岸田首相の退陣が一つの節目となって、日本が正気を取り戻す動きが出てくることを切に願いたいと思います。私自身も、祖国が再び戦争の当事者になるようなことにならないよう、引き続き目を光らせていきたいと思っています。
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