「辺野古沖・抗議船転覆死亡事故」から2ヵ月以上…未だに踏み込んだ報道をしないオールドメディアの「闇」

現代の日本
「辺野古転覆死亡事故」いまだにメディアが踏み込んだ報道をしない理由
辺野古沖での船転覆事故から2ヵ月が経過したが、メディアの報道は著しく少ない。事故で女子高生2名が亡くなり、14人が負傷したにもかかわらず、主要メディアはほとんど取り上げていない。安全基準を無視した運航や教育側の責任も浮き彫りになっているが、報道は依然として限定的で、政治的な圧力やタブーが影響しているとの指摘がある。SNSでの情報拡散が進む中、オールドメディアの立場が問われている。

「辺野古沖・抗議船転覆死亡事故」から2ヵ月以上…未だに踏み込んだ報道をしないオールドメディアの「闇」

事故から2ヵ月以上経つのに

辺野古沖の船の相次ぐ転覆で21人が海に投げ出され、同志社国際高校の女子高生ら2人が亡くなり、14人が怪我を負った深刻な事故が発生してから2ヵ月以上になる。起こった事故の重大性からすれば、連日大きく取り上げられてしかるべきこの事件について、なぜかメディアにおいては、産経新聞をほぼ唯一の例外として、ほとんど扱われないという異常事態が続いてきた。

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4年前に知床の遊覧船「カズワン」が、船内浸水により沈没した死亡事故については、連日すさまじい報道がなされていたのとは、好対照の扱いである。「カズワン」の事故を通じて海上運送法が改正されたことはよく知られているが、今回の辺野古沖の事故はその改正された海上運送法のルールが全く守られていなかったことが発覚した重大事案であった。

この間、南丹市で起こった小学生の行方不明事件や、北越高校の男子ソフトテニス部のマイクロバスの事故が、メディアによって大きく取り上げられたのは言うまでもない。辺野古沖の事件では、北越高校の事件と同様に17歳の高校生の命が失われたものだが、テレビにおける報道時間は1/10以下しかなかったと指摘されている。

そしてこの辺野古沖の事故が抱えている闇は、北越高校の事件以上に深い。高校生たちが乗せられたのは、観光用の遊覧船ではなく、基地反対運動に使われている抗議船だった。そのため、事故発生当初には、高校生たちが抗議活動に参加していたような誤解に基づいた報道までなされた。

高校側が開いた記者会見では、生徒たちが乗る船が抗議船であることを知らなかったとされていたが、文部科学省の調査によって、抗議船であることを認識していた教員が多数いたこともわかった。辺野古基地移設に関して、生徒に対して反対運動側の見解のみを示し、多様な見解を提示せず、教育基本法が求める政治的中立性を守っていなかった。

生徒たちの悲鳴

問題はそれだけではない。安全に対する配慮は殆どなされていなかったと言われても仕方ないものだった。

船には掴まれる手すりもろくになく、椅子もなかった。船は過去に危険行動によって辺野古の漁民の命を危険に晒したこともあり、辺野古の漁港を利用することも許されなくなっていた。そこで平均台のような細い防波堤を進み、そこから岩場に降りて乗船することが行われていた。海上運送法に違反して船自体が登録されておらず、したがって運行規定も出航基準も定められていなかった。救命胴衣は渡されたが、付け方の指導も「不屈」では一切なされず、「平和丸」でも一部の生徒たちだけになされただけだった。船には非常用無線も衛星標識もついていなかった。

引率の教員が1人も乗らなかったどころか、高校側は船や海上を確認するための下見さえも、今回に限らず、一度もしていなかった。過去に抗議船が警備中の海上保安庁の船から注意を受けていたことを認識し、生徒からも危険性や不安の指摘があったにもかかわらず、高校側が見直さなかった実態も明らかになった。万が一に備えて保険に入ることさえ行われていなかった。

波が荒くなって不安が高まる中で、「不屈」の船長はなぜかスピードを上げて航行しはじめ、その様子に生徒たちから悲鳴が上がっていたこともわかった。天井よりも高い波が船を襲い、船が転覆して海に投げ出された中で、海上保安庁にスマホから電話をかけたのは、生徒たちであった。港に戻る際に全員いるかの確認を行わなかったため、亡くなった女子高生がまだ現場に取り残されていることに気づいたのは、港に戻ってからのことだった。船の運航団体である「ヘリ基地反対協議会」の側が、ご遺族に対して直接謝罪する行動に出ていなかったことも明らかになった。

報道はほとんどされない

これほどまでに深刻な問題をいくつも抱えた重大な事件であるにも関わらず、オールドメディアは総じて、この報道を避け続けてきたのである。彼らが政治的立場を優先したわけではないというなら、こうした様々な諸問題は、わざわざ報道するに値しないちっぽけなものだと判断したということになる。

北越高校の事件では、テレビ局は事件の検証CGまで作って、その杜撰なあり方を叩きまくり、事故を起こした運転手は逮捕前から実名報道がなされていた一方で、辺野古沖の事件では、事故後2か月が経過したにも関わらず、存命の「平和丸」の船長の実名報道すら全くなされていない。産経新聞とデイリー新潮だけが、船長が日本共産党公認で沖縄県内の地方選挙(今帰仁村議選)に出馬していたことまでは報じたが、こうした報道の後追い報道すら、他のメディアは事実上していない。

「平和丸」の船長はなぜか未だに逮捕もされておらず、さらに国土交通省の聞き取り調査を拒否していることも明らかになった。良心の呵責から自殺する可能性もあり、また口封じのために消される可能性もないとはいえないことからすれば、早々に逮捕して身柄を確保すべき事案ではないかと思われるが、にも関わらず、警察の動きもなぜか鈍いのである。こうした問題を取り上げることは、日本社会ではタブーになっていることがわかる。

なお、国交省の聞き取り調査を拒否しているのは、「平和丸」の船長だけでなく、船を運航していた「ヘリ基地反対協議会」も同様である。

遺族が上げた声を

こうした背景も絡めた場合には、むしろ北越高校の事件とは比べ物にならないくらいの深刻さを持つ事件だと言えるだろう。にも関わらず、というよりも、そうであるからこそ、報道が及び腰になっているではないか。ここに、公正中立を建前としながら、それとは全く違ったメディアの闇が見え隠れするのである。

こうした中、亡くなった女子高生のご遺族が、メディア報道のありかたに疑問を感じ、こみあげる怒りを抑えながら、事故についてできる限り感情的にならないように心を配った投稿をnoteに上げてくれている。それによってこの事件を巡って何が起こっていたのかを、私達も具体的に知ることができるようになった。

亡くなった女子高生は「お友だちときれいな珊瑚礁を見る方が楽しそうじゃん」と語って、この辺野古のコースを選んでいたのであり、基地反対運動に参加するつもりでこのコースを選んだわけではないということも、このnoteの記事によって明らかにされた。

ご遺族は安全管理不備が指摘される同志社国際高校に対しても、決して批判一色の記事を書いているわけではない。同校の自由な校風を高く評価もしているし、過去の同校の平和学習で講演をされていた、元ひめゆり学徒隊の故・宮城喜久子氏について、政治的な思想や発言を極力避けながら、悲惨な戦争体験をありのままに生徒に伝えてくれていたとして、その講演内容を高く認めてもいる。

こうしたnoteになされた投稿内容が、SNSを介して広がり、多くの人のもとにその情報が届くようになっている。

だが、こうしたSNSを介した情報伝達のあり方が気に入らない基地反対派の動きもある。その代表格は元同志社大教授の浅野健一氏だ。浅野健一氏は同志社大教授になる前は共同通信の記者だった人物で、報道と人権の専門家だとされている。その浅野氏がご遺族によるnoteの記事について「たとえ親子でも別人格であり、親が亡くなった娘の意思を代弁すべきではないのではないか」などと苦言を呈していたことが明らかになった。

公開されたnoteの記事で、親が亡くなった娘の意思を代弁していると見られる箇所は、「お友だちときれいな珊瑚礁を見る方が楽しそうじゃん」と本人が語っていたことを伝えたところくらいしかなく、これにしても娘の言葉をそのまま表現しただけにすぎない。娘の思いを勝手に推測して断定したというものではないだろう。

身勝手な論理で

さて、反基地派として知られる地元紙の沖縄タイムスは「辺野古事故 デマは許されず」との読者投稿を掲載し、「天国から二人の声が聞こえてくる。『誹謗中傷にめげず、抗議活動を続けてほしい』と。」と記した。亡くなった女子高生が、抗議活動を応援する立場から船に乗ったわけではなかったことが既に明らかになっているのに、事実に明らかに反したこうした投稿が掲載されたことが問題視されて、沖縄タイムスは謝罪に追い込まれた。

だが、この部分について浅野氏は、「メディアが作り上げた“世間”の圧力に屈したのではないでしょうか」と反論したという。あたかも事実に基づかない「世間の圧力」なるものが醸成され、それによって正しい立場の報道が歪められたかのように扱う、実に「見苦しい身びいき」を行ったのだ。仲間内の会合の中での話だったので、バレないと思ったのかもしれないが、この話はSNSを通じて一気に拡散された。

社民党の服部良一幹事長(現在は代表幹事)は、3月19日に辺野古での滑走路建設について「いつまでも続けるのが悪いんです。海を埋め立てるのが悪いんです。こんなことをしなかったら事故も起こらなかったわけですから、本当に悔しくてたまりません」と発言したことが、SNS上で炎上した。危険を承知の上で行う自分たちの妨害行動を英雄的に美化しながら、他方でそれが原因で問題が発生したら、それをすべてを「権力のせい」に転嫁する運動側の身勝手な論理が、ここでも展開された。

船の運航団体の「ヘリ基地反対協議会」の浦島悦子共同代表は、「荒れた海に出たというのは間違い。それがすごく流布されている」「悪意に基づく虚偽情報が本当に山ほど流されている」と反論したが、これまた身勝手な論理だと言われても仕方ないだろう。確かに出航段階では海は穏やかだったのだろう。生徒たちがスマホで撮影した海上の様子を見ても、比較的穏やかそうに写っているものもある。だが、その後に荒れる可能性があるから、波浪注意報が出ていたのだろうし、海上保安庁から注意勧告を受けていたのだろう。それを無視して出航し、実際にその後海は荒れだして、事故が発生した。

彼らは事故を起こしたのが一般企業の船であれば、企業が資本主義に基づいて営利主義に走り、安全をおろそかにした結果だ、人を乗せる以上は安全に安全を重ねた対応を取るのが当然だと、鬼の首を取ったかのように語っていたのではないか。

亡くなった金井船長の友人で、以前は抗議船の運航を行っていた仲宗根和成氏は、「事故が起きた現場は(船が)通るような場所ではないことはもう金井さんもわかっていたと思うんですが、なぜそこに近づいたのかも不明、分からない状況ですよ」と語っている。辺野古の海の中でも危険性が高いとわかっている場所に、なぜか海が荒れだしてから金井船長は、乗っている生徒たちから悲鳴が上がるほどスピードを上げて近づき、事故を起こしたのだ。言い訳のできない人災だったのは、明らかだろう。

SNSによる情報の民主化が

SNS上では、これだけ様々な問題を抱えた重大な事件をなぜメディアが扱わないのかということが、多くの人達によって疑問として呈されてきた。テレビを全く見ない私のような人間でも、テレビが全く扱ってこなかったことを知ることになった。最近になってオールドメディアにおいてもようやくまともに扱われるようになったのは、亡くなった「不屈」の金井創船長の刑事告発が近いとか、文部科学省による同校に対する調査結果の公表が近いという情報が流れるなど、この事件を巡る動きが生じることを察知してのアリバイ行動ではないかと疑わざるをえない。

SNSあればこそ、私達は真実に近づくことができたのである。かつてはメディアが取り上げなければ、事件そのものは存在しないに等しかった。だが、今は情報が民主化した。メディアが報じない裏側が、メディアを介さないところで流通するようになった。誰もが発信できるSNSでは、独りよがりの解釈なども流れているから、情報の質は玉石混交だが、多様な情報が流通することで、何を正しいと考えるかを、各人が取捨選択していくことになる。当然この結果として人によってまちまちな判断が生まれることになるが、そのあり方こそ、民主主義には望ましいのではないか。

SNSによる情報の民主化を前に、常に情報コントロールを行ってきたオールドメディア側は窮地に追い込まれている。その自覚を持って報道のあり方を抜本的に変えない限り、オールドメディアは国民から完全に見捨てられることになるだろう。

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