こうした手法を駆使した小泉氏や竹中氏は、良くも悪くも政治家だったということになるが、PBという魔法の杖が成立するためには、低金利時代の継続が大前提であった。しかし安倍政権下の大規模緩和策の結果、日本経済はインフレに転換しており、日銀が正常化に向けて本格的に舵を切らない限り、当分の間、物価上昇が継続する。
インフレが進めば経済の原理原則として金利は上がらざるを得ず、結果として利払い費が増大し、財政収支も簡単には改善しない状況が続く。過度なインフレが進めば、実質的な負債額は減少することになり、財政健全化が実現できる可能性もあるが、インフレによる財政健全化というのは、国民の預金に莫大な税金をかけたことと同じである(インフレ税)。増税が嫌で国債を発行しているにもかかわらず、結果として事実上の大増税が行われるというのは、まさに本末転倒といえるだろう。

ニュースは報じない…「プライマリーバランス黒字化の見込み」、じつは「ほとんど無意味」だった
政府が基礎的財政収支(プライマリーバランス:PB)黒字化の試算をまとめる。黒字化試算は初めてであり、良いことのように思える。だが、インフレが進む経済下においてはPBそのものの意味が失われており、仮に黒字化を達成できたとしてもあまり意味はない。
PBは「利払い費」を除いた収支
プライマリーバランス(PB)は、税収などで政策経費をどの程度、賄えているのかを示す指標である。政府は2002年からPBを目標値として導入しており、毎年、1月と7月に収支見通しを公表しているが、黒字試算が出るのは初めてのことである。
PB黒字化については、国債発行の是非に絡んで常に議論の的となっており、自民党内でも侃々諤々のやり取りが続いてきた。つい最近も、骨太の方針にPB黒字化方針が3年ぶりに復活したことで、積極財政を主張する自民党内のグループから反発の声が上がっている。

均衡財政を是とするならばPB黒字化の試算は良いことのように思えるが、そうともいえない。現実問題としてPBそのものが意味をなくしつつあり、PBを用いた財政収支目標を掲げる効果も剥落しているのが現実だからである。その理由は、インフレ経済下においては金利上昇が確実となり、利払い費の急増が予想されるからである。
冒頭でも説明したように、PBというのは政策経費などが税収などで賄われているのかを示す指標であり、国債の利払い費用は含まれていない。
過去30年間、日本経済はデフレが続き、金利はほぼゼロに近い状態で推移してきた。このため政府は国債の利払いについて気にする必要がなかった。だが日本経済は本格的なインフレ・モードに入っており、今後、継続的に物価や金利の上昇が続く可能性が高まっている。
こうした状況においては利払い費が急激に増える可能性があり、利払い費を除いた指標で議論しても、意味がなくなってしまうのだ。
金利が上昇して起きること
日本政府は現時点ですでに1000兆円を超える借金を抱えている。これまでは金利がほぼゼロに近い状態だったため、政府の利払い費はごくわずかで済んでいた。だが10年債の金利はすでに1%を超えており、ここからさらに金利が上がり、平均金利が2%まで上昇した場合、政府の最終的な利払い費は年間20兆円に達する。
これまで年間5兆円だった防衛費を10兆円に倍増するだけでも大騒ぎになった現実を考えると、平均金利が2%になる(つまり利払い費が年間20兆円になる)ことのインパクトがいかに大きいのか想像していただけるだろう。同時に、こうした環境下では、利払い費を抜いた財政収支に意味がないことも、すぐにお分かりいただけるはずだ。
本当の意味で財政が健全化するというのは、順調に経済が成長して税収が増え、利払いを行っても収支が安定する状態のことを指している。今後、成長率よりも金利上昇幅が大きい状態では、利払いも含めた指標を導入しなければ意味がない。
仮に話をPBに限定したとしても、黒字化に向かって進み始めているのはむしろ当然の結果であり、特段、喜ぶような話ではない。その理由は、インフレによって見かけ上の税収が増えているからである。
インフレになれば100円だったものが105円、110円、120円と上昇していく。その分だけ生活費などのコストも増えているので、物価が上がっただけでは実質的には何の変化もないが、少なくとも名目上の金額は大きくなる。
そうなると消費税収など、各種税収も増えるので、政府の歳入も自動的に増加する。ここで政府の支出を物価上昇分ほどに増やさなければ収支は好転するが、それはとりもなおさず、支出を抑制したことと同じであり、単なる予算の削減にほかならない。
PB導入は絶妙な政治的レトリックだった
政府はPBを基本的な財政目標として位置付け、メディアや多くの論者もそれを大前提に話を進めてきたが、そもそもPBというのは政治的な意図で導入されたものであり、財政健全化の指標としてふさわしいのかについては疑問の余地がある。
PBが財政健全化目標となったのは小泉政権下における2002年度の「骨太の方針」からであり、当時の経済財政担当大臣は竹中平蔵氏だった。両氏によるPB採用はある種の政治的なレトリックだったと言える。
当時、小泉政権は構造改革を掲げ、従来の予算や権限を維持したいと考える自民党内グループ(旧田中派など)と権力闘争を繰り広げていた。小泉氏は対立するグループのことを「抵抗勢力」と呼び、改革を拒む人たちと位置づけ、世論を喚起していたのである。こうした中、財政健全化の道筋を示し、改革を進めていくアピールを行うと同時に、一定程度は予算拡大を望むグループとの妥協を図る必要もあり、このために採用されたのがPBという指標である。
当時から、日本経済は低金利が慢性化した状態となっており、当分の間は利払い費について気にする必要がなかった。政府の財政健全化目標に利払い費を除いたPBを採用すれば、表面的には財政健全化目標をしっかりと掲げ、財政規律を重視しているというメッセージを市場に送りつつ、利払い費を気にせずに国債の増発が可能となる。
低金利を背景に、見えにくい形で、従来の財政収支目標よりも甘い数字を設定できるところがPB導入最大のメリットということになるだろう。市場を味方につけると同時に、予算拡大を望むグループとの妥協を図れるという点で、PBはある種、魔法の杖であった。
こうした手法を駆使した小泉氏や竹中氏は、良くも悪くも政治家だったということになるが、PBという魔法の杖が成立するためには、低金利時代の継続が大前提であった。しかし安倍政権下の大規模緩和策の結果、日本経済はインフレに転換しており、日銀が正常化に向けて本格的に舵を切らない限り、当分の間、物価上昇が継続する。
インフレが進めば経済の原理原則として金利は上がらざるを得ず、結果として利払い費が増大し、財政収支も簡単には改善しない状況が続く。過度なインフレが進めば、実質的な負債額は減少することになり、財政健全化が実現できる可能性もあるが、インフレによる財政健全化というのは、国民の預金に莫大な税金をかけたことと同じである(インフレ税)。増税が嫌で国債を発行しているにもかかわらず、結果として事実上の大増税が行われるというのは、まさに本末転倒といえるだろう。
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