歴史教育最前線(0) 歴史教育のあるべき姿 ~ 実証性と共感性を持つ「来歴」の学びを

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JOG(1431) 歴史教育最前線(0) 歴史教育のあるべき姿 ~ 実証性と共感性を持つ「来歴」の学びを
歴史教育は、実証され、かつ先人への共感をもたらす「来歴」を伝えることで「国家及び社会の形成者」を育てること。 ■転送歓迎■ R07.07.27 ■ 85,152 Copies ■ 9,219,293Views■ 過去号閲覧: 無料受講申込み: __________ ■■■ YouTube版国際派日本人養成講座 最新の公開動画 ■■■ ■伊勢雅臣、「新し…

JOG(1431) 歴史教育最前線(0) 歴史教育のあるべき姿 ~ 実証性と共感性を持つ「来歴」の学びを

歴史教育は、実証され、かつ先人への共感をもたらす「来歴」を伝えることで「国家及び社会の形成者」を育てること。

■1.昭和53(1978)年頃から大きく左旋回した歴史教育

伊勢: 花子ちゃん、今日はまた歴史教育について話そう。最近、読んだ本で、歴史教科書が昭和53(1978)年頃から、大きく変わってしまった、ということが書いてあった。大月短期大学の小山常実教授の『歴史教科書の歴史』のあとがきでは、こう書いている。私なりに読み砕いて、要約するとこうなる。[小山、p292]
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 この本を書き終えて、改めて驚いたことがある。昭和53年(1978年)以降の歴史教科書が、急に変わったことだ。
 まず、明治政府が定めた「四民平等」、つまり武士・農民・職人・商人の区別をなくすことを「新しい身分制度を作った」と書き、また、天皇については「すべての権力を一人で握った独裁者だった」と描くようになった。
 次に、昭和57年(1982年)に起きた教科書問題の後から、日本が外国と戦った戦争をすべて「侵略戦争」と書くようになった。
 つまり、明治時代から昭和時代までの日本の歴史を、すべて悪いものとして教えるようになったのである。
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花子: えーっ、歴史教科書がそんな風に、ある時、急に変わっちゃったんですか? 歴史学の研究が大きく進展したんでしょうか?

伊勢: それが逆なんだ。小山教授はこう指摘されている。こちらも私なりに易しく言い換えると: [小山、p292]
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「天皇が独裁者だった」などという考え方は、今の歴史学者の間では、ほとんど支持されていない。また、日清戦争と日露戦争を「侵略戦争」とするのは完全に間違いで、多くの学者もそうは考えていない。
 ところが、この20年の間に、歴史教科書は、少数の学者だけが信じている歴史の見方に支配されてしまった。そして、この少数派の考える歴史が、中学生たちに教え続けられているのである。
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花子: 歴史学界の研究もまったく無視して、少数派の人たちが歴史教科書を大きく変えてしまった、ということですか? なぜ、そんな不思議なことが起きるのでしょう。

■2.歴史教育を牛耳る第二世代ゾンビたち

伊勢: 小山先生は、その理由を2点、指摘されている。

 第一に敗戦後、GHQの支配の下、共産党系の歴史学者が羽振りを利かせた。そして日本共産党は、世界の共産主義化を目指すソ連主導の国際組織「コミンテルン」の日本支部として作られたので、その指導に従って、ソ連製の歴史の見方を唱えていた。この辺の小山教授の意見を要約すると、こうなる。[小山、p231]
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戦争に負けた後、日本の歴史学界では、戦争前の歴史学が「悪いもの」として捨てられた。その結果、「明治維新は独裁的な改革だった」「天皇制は独裁体制だった」という考え方が、学界の主流になった。
 この考え方で教育を受けた人たちが日教組を作り、どの教科書を使うかを決める、採択の権力を握った。その結果、昭和53年(1978年)以降の教科書は、明治時代から昭和時代までの日本の政治や社会の仕組みを、すべて悪いものとして書くようになったのである。
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花子: それでは戦前のソ連に洗脳された学者たちが戦後に教えた第二世代の人々が、教科書執筆や採択を牛耳って、昭和50年代に急に教科書を左巻きに変えてしまったということですか。

伊勢: そう、学界自体は、第一世代が昭和50年代には引退して、かなり実証的な傾向に戻ったんだけどね。教育界では戦後育ちの第二世代が昭和50年代には40歳代となり、教科書執筆や採択の第一線で活動して、第一世代の考えで教科書を急旋回させた。

花子: ということは、国際社会ではソ連も滅びて、共産主義なんか過去のものになったのに、日本の教育界ではゾンビみたいに戦前の共産主義による歴史観が生き残っていたんですね。私たちがいまだに、そのゾンビに教えられていると考えたら、ぞっとします。ゾンビの第三世代なんかになりたくありません。

■3.「中国と韓国による実質上の検定」

伊勢: 昭和50年代に急激な左旋回が起きたもう一つの原因として、小山先生が挙げているのが、「中国と韓国による実質上の検定」だ。これは教科書誤報事件でできた近隣諸国条項のことだね。

花子: 教科書誤報事件って、どんな事件なんですか?

伊勢: 昭和57年6月に、朝日新聞が「教科書検定で、中国への『侵略』を『進出』と書き直させた」と誤報を流した事件だ。文部省は「そういう事実はありません」と明らかにしていたんだけど、それを黙殺して、日本のマスコミが大騒ぎをして、中国政府までが日本政府に抗議した。

 その誤報は狙いすましたように鈴木善幸首相の訪中の直前に起こった。宮沢喜一官房長官は事態を沈静するために、慌てて「教科書記述については、中国、韓国など近隣諸国の批判に耳を傾け、政府の責任において検定を是正する」という談話を発表してしまった。これが「近隣諸国条項」で、一国の教科書の内容に他国のご意見を聞くという独立国としてあるまじきルールができてしまった。
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JOG(44) 虚に吠えたマスコミ
 朝日は、中国抗議のガセネタを提供し、それが誤報と判明してからも、明確に否定することなく、問題を煽り続けた。
https://note.com/jog_jp/n/ndd708afca34c
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花子: ということは、今、私たちが習っている歴史教科書は、戦前の共産主義のゾンビと、戦後の中国や韓国などの反日の呪いが二重に込められたものだということですか。

伊勢: 極言すれば、その通りだね。その呪いを払拭しようと、「新しい歴史教科書をつくる会」、そして実際に真っ当な教科書を発行している数社の努力が続いているんだ。

■4.国民的な一体感を育てるための「国民の物語」

花子: 私はそんな呪いのこもった教科書で学ぶのはまっぴらです。どうすれば、呪いを払拭して、まともな歴史教育に戻れるのでしょう? 

伊勢: 以前の号では、歴史教育を立て直すと決意したつくる会の趣意書に基づいて、真っ当な歴史教育はどうあるべきか、を論じたね。
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JOG(1427) 伊勢雅臣、「新しい歴史教科書」づくりに参加します
「新しい歴史教科書をつくる会」が目指している「歴史教育立て直し」とは、そして今までの貢献は?
https://note.com/jog_jp/n/n4e3e4f00dd10
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「立て直し」のためには、歴史教育とはそもそもどうあるべきか、について、考える必要がある。それには、つくる会結成の呼びかけ人でもある故・坂本多加雄・学習院大学教授の著書『歴史教育を考える』が参考になる。坂本先生は歴史教育が国民国家の形成にどのような役割を果たしてきたかについて、こう述べている。
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 欧米の主要な国においても、十九世紀後半から国民国家が形成されていくが、民衆レベルの政治参加が進行するにつれて、民衆における国民的な一体感の育成が課題となってきた。欧米で初等、中等の歴史教育が整っていくのは、この時期からである。・・・

 このように、この時代においては、人々の心に「われわれ」=「国民」という意識の層が成立することが必要とされ、そうした「われわれ」のアイデンティティを支えるもののなかで最も重要なものとして「国民の歴史」が浮かび上がってきたのである。

こうした「国民の歴史」とは、「国民」を形成した人々が、過去から何を継承してきたか、今後それをどのように積極的に活かしていくかということを反省的に捉えて、物語として再構成されたものに他ならない。[坂本、p46]
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■5.「自分の家がどんな家か」の来歴を語る

伊勢: ちょっと、抽象的な議論で難しいかな。花子ちゃんの家を例に考えよう。花子ちゃんは、自分の家がどんな家か、小学生の弟さんにどんなふうに話すかな?

花子: 私ならこんな風に話します。「私たちのお父さんは学校の成績は良かったんだけど、卒業した時がちょうど就職氷河期で、就職先が見つからず、お母さん方のおじいちゃんが経営していた蕎麦屋でアルバイトをしていた。お父さんは一生懸命働いて、おじいちゃんに認められ、お母さんと結婚して、蕎麦屋を継いだのよ。

 おじいちゃんは蕎麦一筋の職人気質の人で、お父さんはおじいちゃんから職人技を引き継ぎ、さらに信用一筋の商売で、近所の多くの人もひいきにしてくれているわ。」

伊勢: そう、そういう物語を通じて、弟さんもお父さんと「家族としての一体感」を感じとるよね。そういう物語を坂本先生は「来歴」という言葉で呼んでいる。そうした来歴を通じて、我々は「過去から何を継承してきたか、今後それをどのように積極的に活かしていくか」を考えていくんだ。

 今の花子ちゃんの話を聞いた弟さんも、自分もお父さんのように与えられた仕事を一生懸命やって、周りの人に信頼される大人になろうと、考えるだろう。歴史教育とは、それを国の次元で行うことなんだね。

■6.「国民の一体感」をもたらす来歴には実証性と共感性が必要

伊勢: これは私の個人的意見だけど、「国民の一体感」をもたらす来歴には、実証性と共感性の二つが不可欠だと思う。

 まず、実証性とは、来歴は実証された事実に基づくものでなければならない、ということだ。たとえば、花子ちゃんのおじいちゃんがどれほど凄い蕎麦打ち職人かを誇張して、「江戸時代から代々、将軍様に蕎麦を献上してきた家だ」なんて嘘をついてはいけないよね。

花子: もちろんです。そんな誇張した嘘なんかつかなくとも、昔から近所の人々にひいきにされて繁盛してきた蕎麦屋、という事実をそのまま話せば、家族の一体感を育てる物語としては十分です。

伊勢: 第二に、共感性がある。その来歴は家族や国家という共同体の中で、共感を呼び、それによって皆がお互いに「我々意識」を持てるようなものでなければならない。たとえば、今の花子ちゃんの語った来歴で、お父さんが一生懸命、おじいちゃんの店で働いて認められたというのは、家族みんなが共感しうる事実で、それを教わってお父さんに感謝することで、家族の一体感が育つ。

 それに対して、たとえば、お父さんが大学を出たのに、就職先が見つからなかったのは面接が下手だったから、などと言うのは、たとえ事実だとしても、家族の一体感には関係ない。歴史研究では、共感性に関係なく、実証性のある史実を発見すれば良いけど、そんな史実は無数にあるから、共感性に関係ない史実は、歴史教育では持ち出すべきではない。

■7.奈良の大仏での実証性と共感性

伊勢: ちょっと話が理屈っぽくなっちゃったね。前回、とりあげた奈良の大仏を例に、実証性と共感性を考えてみよう。

 たとえば、奈良の大仏に関しては、左翼偏向教育が盛んな頃は、中学生の修学旅行を引率してきた教師が大仏殿に来て「先生は入らないが君たちは二百万人もの人民を酷使してつくった大仏をよく見て来い」といって、出口で待つといった光景が伝えられていた。

 しかし、「二百万人もの人民を酷使してつくった大仏」という主張には実証性が欠けている。文学博士で東大寺別当をされた森本公誠氏は東大寺の記録文書から、次のように述べている。
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 造寺に貢献した人々は、まず材木等寄進者が5万1590人、労働奉仕者が166万5071人、金銭寄進者が37万3075人、公的な使役で参加した役夫が51万4902人となり、集計すると260万3638人という、まさに膨大な数にのぼる。延べ人数であろうが、260万人は当時の日本の人口からすると、およそ半分にあたるとも言われている。[森本、p350]
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 これだけの多くの寄進者や労働奉仕者の協力で大仏が造られた、というのが東大寺の記録文書から実証された史実だね。

 もう一つ、聖武天皇の大仏造立発願の詔の次の一節は、共感性をもった史実だね。
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 もし一枝の草、一把(つかみ)の土という、わずかなものであっても、すすんで造像事業に参加しようとする者があれば みな許そう。国司・郡司の役人たちは、この事業を理由として民の財産を侵害したり、租税を収奪したりしてはならない。[森本、p274]
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花子: この言葉に比べれば、ある教科書に注釈として記載されている次の一節などは、実証性はあっても、共感性がまるでないことがよく分かりますね。
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[8] (奈良市 高さ14.98m)大仏は1180年、1567年の2度焼け落ちており、現在のものは1691年に再建されたものですが、台座の一部は奈良時代のまま残っています。[東書、p45]
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■8.豊かな共感性ある来歴が国民を育てる

伊勢: そうだね。260万人もの寄進者・労働奉仕者があったという実証性と、聖武天皇の詔に示された共感性によって、大仏づくりの来歴が語られ、我々は、こうした国の一員だった、という「国民の一体感」を持てるんだね。

花子: その号では女子中学生のこんな感想文が紹介されていました。
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聖武天皇は、たくさんの人で大仏を作らせることで力を合わせることの大切さを教え、国民が一つになったより良い国を目指したのではないかと思いました。
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 こうした共感性に満ちた来歴に触れて、自分たちがどんな国の一員だったのか、感じとれた喜びがにじみ出ていますね。そして、そういう国の一員だったという来歴が心の内に響けば、「過去から何を継承してきたか、今後それをどのように積極的に活かしていくか」が分かって、次のような言葉も出てくるんですね。
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 今私が当たり前だと思っていることも、誰かが周りのためにしてくれていると言うことを、忘れないようにしたいなと改めて感じました。・・・しっかり責任を持ち、周りのために頑張れるような人になりたいなと思いました。
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伊勢: そう、こういう学びを通じて教育基本法の第1条で語られている「平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育てるという目的の実現にも、つながっていくんだね。

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