
No.1420 やなせたかしの贈り物 ~ 幼児はなぜアンパンマンが大好きなのか?
絵本9千万部、アニメ放送37年のアンパンマンに、2,3歳の幼児は何を感じているのか?
■1.9千万部も売れているアンパンマンの絵本
伊勢: 花子ちゃん、小さい頃、アンパンマンは好きだった?
花子: もちろんです。5歳くらいの時まで、2歳下の弟と絵本を取り合いをしていました。
伊勢: そのアンパンマンは9千万部も売れ、アニメも放送37年目に入っている。だから、今の40代以下の日本人は、ほとんどアンパンマンを見て育っているんじゃないかな。作者のやなせたかしさんは、晩年に様々な病気を患って、入退院を繰り返したが、その時のことを自伝に、こんな風に描いている。
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入院するとナースがほとんど子どもの時にアンパンマンを見ていて「アンパンマンの先生が来た」と言って喜ぶ。退院する時はエレベーターのところへ並んで「また来て下さいね」なんて言う。病院なんかへ又来てたまるか、もう二度と来ない、サヨナラだ! とせっかく言ってもまた入院になり、顔ナジミのナースが「いらっしゃい!」と笑っている。
冗談じゃない。こっちはメゲてしまっているのだ。[やなせ、p240]
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花子: なんか、絵本作家らしいユーモアたっぷりの文章ですね。
■2.たくさんある絵本の中でアンパンマンだけがボロボロだった。
伊勢: アンパンマンがどれほど幼児たちに人気があるのか、アンパンマンをアニメ化したプロデューサー・武井英彦氏が語っている。武井さんはアンパンマンのアニメ化を5回も6回も会社の企画会議にかけたけど、却下に次ぐ却下。「アンパンマンが顔を食べさせるなんて気持ち悪い」など全く不評だった。
それでも武井さんは諦めずに、自分で資金集めをし、プロジェクト・チームを作って、幹部に掛け合い、ついにゴーサインを得る。やなせさんが、武井さんに「なぜそんなにアンパンマンのアニメ化に熱心なのか」と聞いてみたら、こんな答えが返ってきた。
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「息子の通っている幼稚園で、手垢まみれのアンパンマンの絵本を見たんです」
五歳の息子の幼稚園の参観日、武井は教室の後ろの本棚にあった、表紙の傷んだ絵本に目をとめる。ページの角はすれて丸くなっていた。タイトルは『あんぱんまん』。
不思議だったのは、たくさんある絵本の中でこれだけがボロボロで、手垢がいっぱいついていたことだった。
先生に、なぜこんなに汚れているのかと聞くと、子どもたちがとにかくこの本が大好きで、何度も読むからだという答えが返ってきた。[梯、p191]
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花子: 幼児たちはなぜそんなにアンパンマンが好きなのでしょう? 私自身も大好きでしたが、自分でも理由が分かりません。
伊勢: それについては、やなせさん自身も、こう語っている。
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幼児向きに書かれていない『あんぱんまん』がなぜ幼児にうけてしまうのか、それは今でもぼくにはよく解らない。[やなせ、p188]
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花子: えーっ、作者のやなせたかしさんは「幼児向けには書かれていない」と思いながら、アンパンマンを描いていたのですか!
伊勢: そこに、アンパンマンの大人気の秘密があると思うんだ。
■3.「私は愛と勇気について語りたかったのです」
伊勢: アンパンマンが「幼児向きには書かれていない」というのは、主題歌の「アンパンマンのマーチ」でも分かる。こんな歌詞だ。
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そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ!
今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
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花子: 小さい頃からなじんだ曲ですけど、改めて歌詞を見ると、よく分からない部分があちこちにありますね。「胸の傷がいたんでも」とか、「なんのために 生まれて なにをして 生きるのか こたえられない なんて そんなのは いやだ!」というあたりは、今なら少し分かる気がしますけど、幼児の頃はまったく気がつきませんでした。
伊勢: やなせさんには、子供を一人の人格と認め、真剣に人間としての生き方を問おう、という姿勢がある。昭和45(1970)年に公開された『やさしいライオン』のあとがきにその姿勢が現れている。
花子: どんな物語なんですか?
伊勢: ある動物園にライオンの子供が生まれたが、母ライオンが死んでミルクが飲めずに、いつもブルブル震えていた。同じ動物園に我が子を亡くした犬がいて、ライオンはこの犬に育てられる。
成長したライオンはサーカス団に売られて人気者になった。月日が流れ、ある夜、母犬の懐かしい子守歌が聞こえてきた。ライオンは檻(おり)をやぶって飛び出した。町外れで見つけた母犬は老いて死にそうになっていた。そこにライフルを手に追いかけてきた警官隊の隊長が「撃て!」と命令した。
花子: なんて悲しい物語でしょう。
伊勢: この絵本のあとがきで、やなせさんはこう書いている。
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この絵本はマンガのセンスでかかれています。しかしその根底にあるものは私の人生に対する痛恨です。私は五才で父をうしない、七才で母とわかれました。そして、養父、養母のもとで成長したのですが、この絵本の主人公ブルブルが警官隊の銃撃にたおされる時、かきながら私は熱涙をおさえることができませんでした。
子どもの読み物として残酷すぎるのではないかといわれる方もいるかとおもいますが、私は人生の悲痛については眼をそむけるべきではないと考えています。単に甘ったるいサッカリンのような「よいこちゃん こんにちは」みたいな童話にこそ害があるのです。(中略)私は愛と勇気について語りたかったのです。[梯、p148]
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■4.「愛と 勇気だけが ともだちさ」
花子: そう言えば、アンパンマンのマーチの二番にも、「愛と 勇気だけが ともだちさ」という歌詞がありますね。
伊勢: 「やさしいライオン」の3年後、昭和48(1973)年に『あんぱんまん』が刊行された。やなせさんはすでに54歳になっていた。この絵本でアンパンマンがまず出会うのは、砂漠で疲れはてて動けなくなった旅人だ。アンパンマンが自分の顔を食べさせると旅人は元気をとりもどし、アンパンマンは顔が半分なくなった姿で飛び去っていく。
次にアンパンマンは、森で迷子になり、おなかをすかせて泣いている子どもを見つける。そして、その子を背中に乗せて家に送り届ける途中で、残りの顔を食べさせる。顔が全部なくなったアンパンマンは、雨にぬれて弱り、ふらふらしながら工場の煙突に落ちる。そこはパン焼き名人のジャムおじさんの工場で、顔を作り直してもらうと、元気が出て、ひもじい人を助けるためにまた飛びたつ。

この頃、テレビではウルトラマンとか、仮面ライダーなど強いスーパーヒーローが活躍していた。そんな中で、顔を食べさせるという残酷で、荒唐無稽だという声が大人の世界から相次いだ。やなせさんも「おそらく奇妙な絵本としてすぐに忘れられるだろう」と思っていた。それでもやなせさんは、どうしてもこの物語を世に出したかった、という。あとがきにこう書いている。
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ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義は行なえませんし、また、私たちが現在、ほんとうに困っていることといえば物価高や、公害、餓えということで、正義の超人はそのためにこそ、たたかわねばならないのです。
あんぱんまんは、やけこげだらけのボロボロの、こげ茶色のマントを着て、ひっそりと、はずかしそうに登場します。自分を食べさせることによって、餓える人を救います。それでも顔は、気楽そうに笑っているのです。[梯、p157]
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■5.ひとつの握り飯を分け合って食べる幼い兄と弟
花子: 飢えている旅人や迷子にアンパンマンが自分の顔を食べさせるという発想はどこから来ているのでしょう?
伊勢: それはやなせさん自身の体験だね。やなせさんは先の大戦中、徴兵されて、中国大陸に行った。あまり戦闘はなかったけど、マラリアにかかって高熱でふらふらしたまま行軍させられたりして、このまま死ぬのではないかと思った。そして、毎日2回薄いおかゆだけの食事に、飢えることの苦しさを知った。
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肉体的な苦痛にはいつしか慣れる。でも、空腹には決して慣れることができない。おなかがすくということが、こんなに情けなくて苦しいなんて。[梯、p82]
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終戦で帰国しても、食べ物がない。やなせさんは食べ物をめぐる争いやだまし合いを何度も見た。一方で、わずかな食糧を分け合う人たちの姿もあった。
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自分は食べずに子どもに食べ物を与える親は多くいた。嵩(たかし)が強い印象を受けたのは、子ども同士で食べ物を分け合う姿だった。ひとつの握り飯を分け合って食べる幼い兄と弟を見たときは、千尋のことを思い出した。[梯、p100]
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この千尋(ちひろ)とは、やなせさんの弟のことだ。兄弟は幼い頃に父を亡くし、母も再婚で去って行った。二人は叔父のもとで仲良く育ったが、千尋は学業優秀、スポーツ万能。京都帝国大学に進み、開戦後は海軍予備学生に志願した。駆逐艦の乗組員となったが、その駆逐艦がアメリカの潜水艦に沈められて、戦死してしまう。
最後に会った時、千尋はやなせさんに「ぼくはもうすぐ死んでしまうが、兄貴は生きて絵を描いてくれ」と言い残して帰って行った。後に、やなせさんは弟の墓標の前で、「きみのかわりにやるとすれば、ぼくは何をすればいいのだろう」と問いかけて、思い出したのが、この最後の言葉だった。
「なんのために 生まれて なにをして 生きるのか こたえられない なんて そんなのは いやだ!」という歌詞には、若くして亡くなった弟への思いが込められているのではないかな。
■6.避難所で、子供たちが「アンパンマン・マーチ」に大合唱
伊勢: 千尋は小さい時に「兄ちゃんと一緒でなければいや」と、いつもやなせさんの後にくっついていた。その頃の千尋は「コンパスで描いたような丸い顔」をしていた。やなせさんは、後にアンパンマンを描いていると、弟を思い出して「ときどき、なつかしいような切ないような気持ちになった」そうだ。
これは意識的にか無意識的にか、「何のために 生まれてきた」のか分からないままに亡くなってしまった弟をアンパンマンとして生まれ変わらせ、飢えている人に自分を犠牲にしてパンを食べさせるという、究極の「愛と勇気」の生き方をさせたのではないか、と僕は勝手に想像している。
花子: じゃあ、アンパンマンの物語は、弟さんに対する鎮魂なのですね。
伊勢: そうだと僕は思う。そして、アンパンマンは強くてかっこいいスーパーヒーローではない。飢えた人に顔を食べさせて、自分はふらふらしながら工場の煙突に落ちる。そこで、ジャムおじさんに顔を作り直して貰って、また元気を出して、飢えた人を助けに行く。そういうふうに、弱いのに「愛と勇気」を振るうのが、本当のヒーローだとやなせさんは考えていた。
そして、そういうヒーローをやなせさんは、東日本大震災のたくさんの被災者たちの中に見た。家族を亡くした悲しみを心に仕舞って、ほかの人のために懸命に働く人々。濁流の中にとびこんで見知らぬ母子を助けたのち力尽きた男性。大人だけではない。地震のショックと恐怖を小さな胸に隠し、避難所で明るくふるまう子供たち。ボランティアの人たちと一緒に水や食べものを運ぶ子供もいた。
やがてラジオ局に「アンパンマンのマーチ」のリクエストが寄せられ、それが毎日のように流れて、避難所の子供たちが大合唱するようになった。「親子で一緒に歌っています」 「子どもに笑顔がもどりました」という声がラジオ局に寄せられた。
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そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
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この冒頭の歌詞が、皆を勇気づけたんだ。当時、やなせさんは92歳。肺炎、腸閉塞、心臓病の3つの病に同時に襲われ、集中治療室に入っていた。しかし、まだまだやることがあると、ペースメーカーをつけたまま、復興をテーマにした映画『それゆけ! アンパンマン よみがえれバナナ島』を作った。飢えた人に自分の顔を食べさせて、ふらふらになるアンパンマンの生き方そのものだね。
■7.2,3歳の子供の思いやりと利他心を引き出す物語
花子: やなせさんの思いは、よく分かりましたが、そういう生き方が、2、3歳の子供にも理解できるのでしょうか?
伊勢: 子供は2歳頃から、他者の感情に共感したり、おもちゃを貸してあげるなどの利他的な行動もとるようになる。そういう時期に、アンパンマンが自分の顔を困っている人に食べさせたりする物語に触れることで、思いやりと利他心をさらに引き出す役割をしているのではないかな。
自分自身の成長は誰にとっても喜びだ。幼児たちもアンパンマンの物語から、その成長の喜びを感じとるのだろう。だから、アンパンマンの絵本が擦り切れるまで、夢中になって読むんじゃないかな。
花子: そうなんですか! 幼児の思いやりや利他心を引き出す絵本が9千万部も売れて、日本中の子供を育てているなんて、凄いことですね。
伊勢: まったくだ。そして、こういう風に育った子供たちが小中学校でまともな歴史教育を受ければ、日本の歴史には「愛と勇気」で自分たちのために尽くしてくれた無数の人々がいたことを学ぶだろう。そこから「だから 君は いくんだ ほほえんで」という生き方をして貰いたいね。
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