「植民地支配者は痴呆化、野獣化する」 詩人エメ・セゼールの『植民地主義論』が問う西洋文明化の偽善
欧州植民地主義の残虐
フランス政府は3日、アフリカのマダガスカル政府との協議で、植民地支配当時にマダガスカルから持ち去った王の頭蓋骨を返還する方向で作業を進めることを明らかにした。マダガスカル政府もこの日、フランスで可決された遺骨返還法がアフリカ諸国に人骨を返還するための手続きの第一歩となったと表明している。
マダガスカルの王の頭蓋骨は、1897年にフランスの植民地軍によって斬首されたメナベ地方のサカラバ族の王トゥエラのものだとされる。フランスは当時、マダガスカルで植民地化に対する先住民の反乱を「平定作戦」によって虐殺で抑え込んださい、二人の首長とトゥエラ王の首を戦利品として切り落として奪い去った。その頭蓋骨は今も、パリ自然史博物館に保管されている。
マダガスカルは幾多の武装蜂起を経て1960年に独立を達成したが、フランスで今なお正当化される植民地主義の抑圧のもとにある。斬首された王らの頭蓋骨の返還は、2020年にマダガスカル最後の女王の天蓋・王冠を返還したことに続く作業となる。今回のフランスとマダガスカル政府の発表は、イスラエルによるガザでのジェノサイドがヨーロッパ中心の植民地主義の残忍さを赤裸々にしたことと重ねて、その根を断ち切るうえでの一つの契機となると見られている。
マダガスカルでは第二次世界大戦後、民族自決、強制労働の廃止などを掲げた反植民地運動が発展した。植民地行政府がこれを激しく弾圧し、1947年には民衆の蜂起が起こったが、このとき9万人近くのマダガスカル人が虐殺された。これに対して、サルトルなど一部の知識人が問題にしたものの、マスコミを含めて大半の言論機関が沈黙を続けた。
イスラエルの非道と酷似
フランスの植民地であったマルティニーク(現在フランスの海外県)の詩人エメ・セゼール(1913年~2008年)が「植民地主義論」を著したのは、フランスにこうした空気が覆っていた1950年のことだ(『帰郷ノート・植民地主義論』所収、砂野幸稔・訳)。
セゼールはそこで、当時フランスの植民地支配下で独立のたたかいが発展していたインドシナ、アフリカ、アンティル諸島とともに、マダガスカルに目を向けている。そして、植民地を正当化する者は「文明化」を掲げるが、「植民地化と文明化の間には無限の隔たりがある」ことを事実をもって次のように暴いた。
「植民地化とは、福音伝道でも、博愛事業でも、鞭や病気や暴政の支配を後退させる意志でも、神の領域の拡大でも、法の支配でもない」「決定的な行為は、山師と海賊、香辛料問屋と船主、金探しと商人、欲望と暴力によってなされたのであり、その背後には、その歴史のある時点で、経済的に対立する諸国間の競争を世界規模にまで拡大することが内的事情ゆえに不可避となった、ひとつの文明形式の不吉な影があったのだ」
セゼールはそのうえで、そうした「文明」は、「ヴェトナムでひとつの頭が切り落とされ、ひとつの目がえぐりとられ、フランスでそれが容認されるたびに、ひとりの少女が強姦され、フランスでそれが容認されるたびに、マダガスカル人が一人拷問され、フランスでそれが容認されるたびに、自らの重みに沈みこむ」と、みずから衰滅の過程をたどると指摘していた。
アルジェリアを「征服」した軍人たちが「時折つきまとう想念を振り払うために、私はいくつか首を切り落とさせた。……本物の人間の首をだ」「確かにわれわれは、友軍敵軍を問わず、囚人たちから一組ずつ集めた耳を樽いっぱいもち帰る」と平然と語るが、だれもこれを咎めない。セゼールはこのような現実から、「植民地化とはひとつの文明における野蛮の橋頭堡だ」として、それが「文明の純然たる否認」「宗主国の非文明化」へと通じることを強調し、次のようにのべていた。
「(植民地化が)植民地支配者を非文明化し、痴呆化/野獣化し、その品性を堕落させ、もろもろの隠された本能を、貪欲を、暴力を、人種的憎悪を、倫理的二面性を呼び覚ます」「ヨーロッパはますます偽善のうちに逃げ込もうとしているが、その偽善がますます人を欺きえないものになってきただけに、いっそう醜悪である」
セゼールが「植民地主義論」を書いた当時は、欧米の為政者・知識人の間で第二次世界大戦におけるヒトラー、ナチズムへの弾劾が猖獗を極めていたときであった。その批判自体はある意味で間違ってはいない。しかし、セゼールがそこに真実を覆い隠す偽善を見てとり、次のように指摘していたことは、今日意義深いものがある。
ヒトラー非難者の犯罪
「彼らは真実に目を閉ざす。……自分たちは、その犠牲者である前にまず共犯者であったという真実に。このナチズムというやつを、それが自分たちに対して猛威をふるうまでは、許容し、免罪し、目をつぶり、正当化してきた――なぜなら、そいつはそれまでは非ヨーロッパ人に対してしか適用されていなかったからだ――という真実に。このナチズムというやつは自分たちが育んだのであり、その責任は自分たちにあるという真実に」
「彼がヒトラーを罵倒するのは筋が通らない。結局のところ、彼が赦さないのは、ヒトラーの犯した罪自体、つまり人間に対する罪、人間に対する辱めそれ自体ではなく、白人に対する罪、白人に対する辱めなのであり、それまでアルジェリアのアラブ人、インドの苦力(クーリー)、アフリカのニグロにしか使わなかった植民地主義的やり方をヨーロッパに適用したことなのである」
ヒトラーがユダヤ人を人間扱いせず強制的に収容所に閉じ込め虐殺したことに眉をひそめて非難する者たちの多くが、ヨーロッパの強大な武力を持つ国々の利益のために、ヨーロッパ以外の諸民族に対して「公共の利益のための一種の強制収容」と虐殺をおこなうことを正当だと見なし、事実そのように語り振る舞ってきたのだ。
「植民地化する者は、自らに免罪符を与えるために、相手のうちに獣を見る習慣を身につけ、相手を“獣として”扱う訓練を積み、客観的には自ら獣に変貌していく」
セゼールが75年前に発したこれらの言葉は今、広島・長崎への原爆投下を正当化し、「反ナチズム」「反ユダヤ主義」を隠れ蓑にして、ガザ住民を「人間動物」とみなすイスラエルの野蛮・残虐に沈黙し、それを糾弾する多くの人々を逆に抑圧する欧米の為政者にそのまま突き刺さるものだ。
昨年10月来のパレスチナ情勢の進展は、今や世界史が植民地主義、資本主義の腐朽と衰弱を示す西洋中心の文明にとってかわる新しい時代の胎動を高めていることをはっきりと示すことになった。そのことは、セゼールが欧米為政者の植民地主義をめぐる「ブルジョワ的野卑」について、次のようにのべていたことと重なって迫ってくる。
「それは、バスティーユ襲撃に立ち上がったあの勇猛果敢な階級が行き詰まっている表徴(しるし)であり、その階級が自らの滅びを予感している表徴、自らが屍にすぎないことを感じている表徴なのである」
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