日本古来からの自然観をベースとし、自然との共生を実現する新しい科学技術を世界に積極的に提案し、提供していくことが、日本のこれからの世界史的使命であるかもしれない。
地球を救う自然観
■1.日本は世界第2位の森林大国■
1980年からの10年間、世界で毎年韓国の面積に匹敵する森林が失われてきた。このままのペースが続くと、あと100年後には、地球上には樹木が一本もなくなってしまう計算だという。[1]
森林保護に関しては、我が国は世界でもトップクラスの優等生である。その緑被率(森林が国土に占める割合)は67%と、フィンランドの69%に続いて世界第2位。我が国の人口密度が1平方kmあたり332人と、フィンランドの16.7人の約20倍である事を考えれば、少ない面積をいかに森林の為に残しているか、よく理解できる。
ちなみに、お隣の中国は人口密度129人と、我が国の2/5の水準にも関わらず、緑被率はわずか14%。緑のダムと言われる森林が少ないため、水不足と洪水に悩まされている。一人あたりの水資源は世界平均の1/3以下であり、また91年の洪水では2623人が死亡、533万ヘクタールの耕地が水没している。 [2]
国土の荒廃で、耕地面積も減少を続けており、中国の科学アカデミーは、2030年の穀物輸入量は4億トンになると推計している。
世界の穀物総輸出量は約2億3千万トン(’92年)しかないので、世界規模の食糧不足が危惧されている。[3]
うつくしく森をたもちてわざはひの民におよぶをさけよとぞおもふと、昭和天皇が詠まれた通り、森林を守ることは、また人間が森林から守られるということなのである。
■2.自然に対して申し訳ない■
我が国の豊かな森林は、長い歴史を通じて、国民が森を大切に守り育ててきた結果である。
たとえば、住友家は江戸時代初期から、銅を掘り出すために別子銅山を切り開いたが、「禿げ山のままにしておいては、自然に対して申し訳ない」として、明治28年から昭和42年までに、1億1千万本以上もの植林を敢行した。そこから取れる莫大な木材を処理する所から、今日の住友林業が設立されたほどである。[4,p215]
禿げ山を見て、「痛ましい」とか「申し訳ない」と思うのは、日本人には自然な感情なのであろう。この感情は外地においても発揮された。
たとえば、朝鮮統治時代においては大正10年までに1億4千万本の植樹を実施し、各地に砂防林、水源涵養林を造成した。また焼畑農耕で森林が焼かれないよう、耕地を与えて、定住農業を行うよう指導した。[5,p415]
中国では、支那事変当時の戦車連隊長として活躍した吉松喜三大佐が、英霊は緑の木に宿ると信じて、作戦が終わると、日支両軍の戦歿者の慰霊標をたて、その周囲に木を植えた。昭和15年から、復員する21年まで、400万本もの植樹を行い、蒋介石総統からも感謝されている。[5,p696]
■3.木の二つのいのち■
このように遺伝的とも言えるほどの日本人の植林への執念は、いったいどこから来たのだろうか。
法隆寺は千三百年前に建てられた現存する世界最古の木造建築である。代々法隆寺に仕えた宮大工・西岡常一氏が、数冊の著作を残しており、古代の日本人がどのような心持ちで木に接していたかを語られている。
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それもただ建っているといふんやないんでっせ。五重塔の軒を見られたらわかりますけど、きちんと天に向って一直線になっていますのや。千三百年たってもその姿に乱れがないんです。
おんぼろになって建っているというんやないですからな。
しかもこれらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです。塔の瓦をはずして下の土を除きますと、しだいに屋根の反りが戻ってきますし、鉋(かんな)をかければ今でも品のいい檜の香りがしますのや。これが檜の命の長さです。」[6,p26]
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西岡棟梁によれば、木には二つの命があると言う。自然の中で生育している間の樹齢と、用材として生かされている間の耐用年数である。
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こうした木ですから、この寿命をまっとうするだけ生かすのが大工の役目ですわ。千年の(樹齢の)木やったら、少なくとも千年(用材として)生きるやうにせな、木に申し訳がたちませんわ。[6,p27,()内編者]
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森林を「環境」と呼び、用材を「資源」と呼ぶのは、自然を人間が生活するための舞台、人間が利用するだけの対象としてしか考えていない、いかにも人間中心的な発想なのである。
■4.木も人も自然の分身■
木が命を持ち、その命を大切にしようという姿勢は、木も人も、自然の中で生かされている「生きとし生けるもの」の同じ仲間だという考え方に基づく。
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木は物やありません。生きものです。人間もまた生きものですな。木も人も自然の分身ですがな。この物いわぬ木とよう話し合って、生命ある建物にかえてやるのが大工の仕事ですわ。
木の命と人間の命の合作が本当の建築でっせ。
わたしたちはお堂やお宮を建てるとき、「祝詞(のりと)」を天地の神々に申上げます。その中で、「土に生え育った樹々のいのちをいただいて、ここに運んでまいりました。これからは、この樹々たちの新しいいのちが、この建物に芽生え育って、これまで以上に生き続けることを祈りあげます」という意味のことを、神々に申し上げるのが、わたしたちのならわしです。
[7,p53]
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こうした大工達によって、法隆寺として生まれ変わった檜は、1300年以上もの長きにわたって、人々から仰ぎ見られ、仏教学問の中心として活躍したわけである。檜もさぞや本望であろう。
それに比べ、現代の車やテレビは、せいぜい10年、ビルなども、数十年程度で壊され、廃棄物として土中に埋めてられてしまう。人間の勝手次第で、どれだけの自然の命が粗末にされている事か。
■5.神々の立ち並ぶ姿■
巨大な木造建物には、大きな檜がいる。薬師寺の伽藍を再建した時にも、直径2メートル、長さ15~20メートルの原木が必要となった。これだけの大きさになるには、樹齢2千年以上を要する。
西岡棟梁は言う。
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今から二千年、二千五百年前といいましたら神代の時代でっせ。
こんな樹齢の檜は、現在では地球上には台湾にしかありませんのや。実際に台湾の樹齢二千年以上という檜の原生林に入って見ましたら、それは驚きまっせ。それほどの木が立ち並ぶ姿を目にしますと、檜ではなく神々の立ち並ぶ姿そのものという感じがして、思わず頭を下げてしまいますな。
[6,p25]
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おそらく、古代の日本もこのような姿であったのだろう。我々の祖先達は、棟梁と同様に、神々しい檜の原生林に頭を垂れ、同様に祝詞をあげて、法隆寺や伊勢神宮、出雲大社などの建設にかかったに違いない。
最近、縄文時代の巨木遺跡が各地で発見されて話題となっている。
縄文の人々が、単に木の実や貝を拾って食べていたというイメージは大きく転換され、巨木建築を中心に大規模な集落を作り、また遠地との交易も発達していたことが明らかになってきた。
考えてみれば、法隆寺や出雲大社のような高度な木造建築が出現するには、数百年、数千年という長年の技術蓄積があったはずである。縄文時代の巨木文化が、そのまま継承されて、法隆寺などの木造建築に生かされ、さらに現代日本人の自然観のバックボーンともなっていると考えてよさそうである。
■6.地球を救う自然観■
世界有数の近代科学技術大国が、同時に世界第二位の森林大国であり、同時に古代からの自然観をいまだに根強く持っている、という事は、世界史における奇跡と言ってよい。
しかし現代日本においては、この奇跡にも一つの抜け穴がある。
それは我が国が、国内木材消費量の約7割を輸入に頼っているという点である。穿った見方をすれば、日本人は他国の森林を犠牲にして、自国の森林を守っている、とも言えるであろう。
実態は、発展途上国が安く木材を供給してくれるので、それを買っているだけなのであるが、国内の森林を大切にしようという同じ感情が、他国では働かないようだ。おそらくこれは日本人が自分たちの自然観は特殊なもので、外国には通用しない、という、いつもながらの「引っ込み思案」があるからではないか。
人類に未来があるとしたら、自然との共生を実現した新しい文明を創造した時であろう。そういう新しい文明の建設に向けて、日本古来からの自然観をベースとし、自然との共生を実現する新しい科学技術を世界に積極的に提案し、提供していくことが、日本のこれからの世界史的使命であるかもしれない。
それが実現した暁には、我々は自然に対して西岡棟梁のような敬虔な姿勢を取り戻し、20世紀の人間が車やパソコンなど次々と新製品を出しては、旧製品を廃棄していた事は、自然に対する野蛮な行為として考えるようになっているだろう。ちょうど、今日の人間が、半世紀前までの人種差別を大変な野蛮と見るように。
[参考]
1. 1990森林資源評価プロジェクト最終報告書、
国連食糧農業機関、1993年
2.「中国の環境、地球的課題に」、明日香寿川、日経新聞、H7.05.01朝刊
3.「転機の中国」、日経新聞、H7.03.27朝刊
4.「伊庭貞剛物語」、木本正次、朝日ソノラマ、昭和61年
5.「日韓2000年の真実」、名越二荒之助編著、
国際企画、平成9年
6.「木のいのち木のこころ(天)」、西岡常一、草思社、平成5年
7.「法隆寺を支えた木」、NHKブックス
■おたより スーザン・小山さん(米国・コロラド州)より
これを読んで、日本人の心をふたたび見直しました。我田引水になりますが、私はアメリカン・インディアンについて学んでいます。
彼らについて学べば学ぶほど、その心はここに述べられている日本の心と同じだとわかります。
たとえば、平原部族はサンダンスという儀式を行ないます。そこで儀式の中心になるのは、宇宙を象徴する巨木です。儀式は巨木を切り倒さなくてはなりたたないのです。そこで命ある樹木を倒すことには当然良心の呵責が生じます。そこで儀式の第一の手続きは、この木に謝罪する祈りから始まります。また彼らは狩猟民族でした。
動物を殺さねば生きて行けませんでした。だから殺されて行く動物に詫びるための儀式をつねにおこたりませんでした。
それは究極的に、それらを造って人間を生かしてくれる、創造主への感謝となりました。無駄な殺生はしない、そして殺したものを無駄にしない、それが生活哲学の根本でした。大地から来たものを、感謝のこころをもって扱うという心は日本人と同じです。
こういう感謝の心をいつか失ってしまったのが、欧米産業主義消費文化なのです。そのへんをついて行くことが、日本人の優秀さを羅列するより大切のように思うときがあります。
■編集部より
日本では、昔から鯨を捕るとき、神事を行い、ひげの先まですべて使い、その上で鯨塚というお墓まで作って供養していました。
古代の民はどこでも、このような謙虚な世界観を持っていたと思われます。先進諸国の中で、それをいまも濃厚に持ち続けている所に、日本文化の世界的使命があると思われます。
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