課題を共有する人達が「情報を共有し戦略を練る」・・・何であれ実現のための基本であると思います。
>けれども過去の正確なデータは、同じく数人が独占する「情報断絶状態」にあったため、きちんと収集・分析することができないし、また彼ら自身もあとには伝えない。
>それでは、きびしい交渉に勝てるはずがないのです。
アメリカによる支配はなぜつづくのか?
第二次大戦のあと、日本と同じくアメリカとの軍事同盟のもとで主権を失っていたドイツやイタリア、台湾、フィリピン、タイ、パキスタン、多くの中南米諸国、そしていま、ついに韓国までもがそのくびきから脱し、正常な主権国家への道を歩み始めているにもかかわらず、日本の「戦後」だけがいつまでも続く理由とは?
シリーズ累計16万部を突破した『知ってはいけない』の著者が、「戦後日本の“最後の謎”」に挑む!
『知ってはいけない』の著者が、「戦後日本の“最後の謎”」に挑む!
本記事では〈なぜ日本はこんなにも歪んでしまったのか…その原因は「極秘文書」をめぐる歴史にあった!〉にひきつづき、核密約をめぐる日米のドタバタ劇をみていく。
※本記事は2018年に刊行された矢部宏治『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』から抜粋・編集したものです。
「アメリカン・フットボール」対「騎馬戦」
ここに現在、混迷を深める日本の社会と外交を立て直すための、大きなカギが隠されているような気がします。過去の歴史的事実がきちんとわかっていなければ、もちろん現状について分析することも、未来についての対策をたてることもできない。
加えてなによりも、これほど明らかな弱点を持つ交渉相手に対し、アメリカの外交担当者がその弱点を徹底的に分析し、利用してこないはずがないのです。
この核密約をめぐる日米のドタバタ劇を冷静に眺めていくと、アメリカ側が一見困惑した顔をしながらも、日本側の最大の弱点である情報の歴史的断絶状態につけこんで、自分たちに必要な軍事特権をどんどん奪いとっていった様子がよくわかります。
アメリカの外交を表現する言葉として、よくそれは「アメリカン・フットボール型」だと言われることがあります。
つまり、フィールドの上には多くのプレイヤーがいて、フォーメーションに従って陣形を組んでいる。さらにバックヤードには戦況を分析する多くのスタッフがいて、過去のデータに基づいて作戦を立て、次の「最善の一手」を無線で指示してくる。
事実、重要な外交交渉の前には、驚くほど緻密な調査レポートがいくつも作成されていきます。
一方、日本の外交はといえば、非常に残念ですが記録を読むかぎり、それは「騎馬戦型」だと言わざるをえないのです。
もちろん個人の能力としては非常に優秀な人たちなのでしょうが、つねにトップの方のほんの3〜4人だけが騎馬を組んで戦う。高度な情報はすべて彼ら数名が独占し、その他のスタッフたちとも共有せず、密室で作業する。
けれども過去の正確なデータは、同じく数人が独占する「情報断絶状態」にあったため、きちんと収集・分析することができないし、また彼ら自身もあとには伝えない。
それでは、きびしい交渉に勝てるはずがないのです。
ジョン・F・ダレス国務長官やマッカーサー駐日大使など、日本の交渉相手だったアメリカの最高の外交官たちは、アメリカン・フットボールというよりも、むしろそのモデルとなった「戦争」そのものとまったく同じ感覚で、相手国を分析し、作戦を立てています。
その彼らに対して、正確な地図も過去のデータも、後方支援部隊との通信手段も、なにも持たずに立ち向かっていっても百戦百敗になるのは当たり前の話なのです。
“日米同盟の御神体”
もっともよく考えてみると、なぜ重要な機密については「次官、局長、担当課長」の3人だけが知っていればいいという伝統が外務省に生まれたかといえば、それは二度の「日米安保」をめぐる密室での交渉が原因であり、なかでも安保改定時に交わされたこの核密約が、直接の原因となった可能性が非常に高いのです。
外務省北米局の金庫に保管され、北米局長が金庫のカギを管理し、次官が新しい総理大臣と外務大臣には必ずその内容を説明するという「密室の儀式」を生んだ極秘文書。
この「密教」にアクセスできる立場にあった北米局と条約局のエリートたちが、その後長らく外務省の権力構造のなかで、次官や駐米大使といった最高ポストを手にしつづけたことは事実です。
けれども「幽霊の正体見たり 枯れ尾花」ではありませんが、祠の扉を開いてみれば、なかに安置されていたその“日米同盟の御神体”は、かなりお粗末なものだったと言わざるをえないのです。
公文書公開の重要性
ともあれ、ここまでの説明で私たちは、戦後の日米外交の「最大の闇」であるアメリ カとの核密約について、
○1963年4月の「改ざん文書」〔第一回大平・ライシャワー会談の記録〕
○1968年1月の「東郷メモ」〔外務省北米局が管理する「密教の経典」〕
という、ふたつの最重要文書の原本を目にすることができました。(*資料はぜひ本書でご覧ください)
これはまちがいなく、2009年9月から翌年3月にかけて行われた、民主党政権下における密約調査の非常に大きな成果です。
その結論となった「有識者委員会による調査報告書」は、あとで触れるように非常にお粗末なものでしたが、そうやって不完全でも本物の公文書が公開されていけば、歴史の解明は着実に進んでいくのです。
そしていま、私たちには最後にもうひとつ、どうしても原資料を見なければならない最重要文書が残されています。それはもちろん、右のふたつのような外務官僚の書いた報告書ではなく、日米の代表がサインをかわした「密約の原本」そのものです。
けれどもみなさんにはその前に、もうひとつだけ回り道をしていただきます。
このあまりに重要な、「密約のなかの密約」とでもいうべき超極秘文書のもつ意味を正しく知っていただくためには、
「そもそも改定前の旧安保条約とは、いったいどんな取り決めだったのか」
ということを、簡単におさらいしておく必要があるからです。
難解な条文
私は安保条約についての本を書くようになってから、いわゆる「六〇年安保」世代の方たちと、ときどき対談させていただくようになりました。
そうしたときに、みなさん口をそろえておっしゃるのは、
「安保反対運動は激しかったけれど、安保条約の条文なんか、誰も読んでなかった」「ただ元戦犯容疑者の岸が変なことをやろうとしていたので、全力で反対してたのだ」
ということです。
その雰囲気はとてもよくわかります。条文というのは難解で、最初は読んでも意味がまったくわかりません。私も8年前に沖縄の基地問題について調べ始めるまで、安保条約の条文など、生まれてから一度も読んだことがありませんでした。
けれども少し視点を変えて、私たち日本という国に住む人間の基本的人権が、なぜ現在、米軍に対して失われてしまっているのか。
なぜ21世紀のいま、米軍は自分たちの国では絶対できない危険な低空飛行訓練を、他国である日本の上空では行うことができるのか。
いったい、いつ私たちは、そうした権利を彼らに与えてしまったのか。
そうしたシンプルな疑問をいくつも頭に思い浮かべながら読んでいくと、日米安保の条文の持つ本当の意味が、少しずつ理解できるようになったのです。
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さらに連載記事〈「明らかな憲法違反」なのに、日本で「米軍の危険な軍事訓練」が行われている「驚愕の理由」〉では、日米安保条約の解説とともに、日米合同委員会という“最大の病根”についてくわしくみていきます。
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本記事の抜粋元『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』では、かつて占領下で結ばれた、きわめて不平等な旧安保条約を対等な関係に変えたはずの「安保改定」(1960年)が、なぜ日本の主権をさらに奪いとっていくことになったのか?「アメリカによる支配」はなぜつづくのか?原因となった岸首相がアメリカと結んだ3つの密約について詳しく解説しています。ぜひ、お手に取ってみてください。
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