外交の要である、外務省にも課題があるようです。
>これは複数の外務官僚の方たちから聞いた話ですが、外務省には日米安保や北朝鮮問題といった重要な機密については、「次官、局長、担当課長」の三人だけが知っていればいいという伝統があるそうです。
>しかしその伝統には、非常に重大な欠陥がある。当然の結果として、外務省内での情 報の共有がまったく行われていないというのです。
>とくに深刻なのは、過去の歴史的事実の共有がないということ。省内の重要なポストはどれもほぼ2年で交代するため、そのポストにいるときだけは最高の情報が集まる。
>しかし、ほかの時期のことはわからない。局長や次官といえどもそれは同じで、自分がそのポストにいないときの知識は、基本的に持っていないというのです。

アメリカによる支配はなぜつづくのか?
第二次大戦のあと、日本と同じくアメリカとの軍事同盟のもとで主権を失っていたドイツやイタリア、台湾、フィリピン、タイ、パキスタン、多くの中南米諸国、そしていま、ついに韓国までもがそのくびきから脱し、正常な主権国家への道を歩み始めているにもかかわらず、日本の「戦後」だけがいつまでも続く理由とは?
シリーズ累計16万部を突破した『知ってはいけない』の著者が、「戦後日本の“最後の謎”」に挑む!
本記事では〈戦後、最大のタブーとされてきた日本とアメリカの「密約問題」…日本がアメリカにウラ側で結ばされていた「密約」の正体〉にひきつづき、日米間に存在する密約について、くわしくみていく。
※本記事は2018年に刊行された矢部宏治『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』から抜粋・編集したものです。
「東郷メモ」という超極秘文書
けれどもこの「外務次官になると必ず渡される引き継ぎ文書」の話を知ったとき、私はむしろホッとした思いがしたのでした。
「やっぱりそうだったのか。権力の“奥の院”には、そうした密約についてのきちんとしたマニュアルがあって、これまで何十年もずっと受け継がれてきたんだな」と。
『知ってはいけない2』第一章の冒頭でお話ししたとおり、日本の高級官僚に対する信頼感がまだかなり残っていた昭和世代の私は、単純にそう思ったのです。
日本には古くから、顕教(オモテの教え)よりも密教(ウラの教え)の方が上位にあるという社会的な伝統があり、その「密教」にアクセスできるものだけが、組織において真の権力を握る。
戦後、日米間で結ばれた軍事上の密約こそは、まさしくその密教そのものであり、エリート中のエリートである外務省の幹部たちによって、これまで厳重に管理されてきたのだなと。
けれどもその後、村田元次官の証言がきっかけとなって行われた民主党政権下の密約調査で、解禁されたその「極秘文書」を見たとき、今度は大きな失望を味わうことになったのです。
というのも、村田元次官がその遺言ともいえるメッセージのなかで触れていた、歴代の外務次官が引き継ぎ、それをもとに何十年も外務大臣や首相に「ご進講」が行われていたという問題の文書とは、かなり不格好なものだったからです。(*実際の資料はぜひ本書でご覧ください)
これこそが、本章の冒頭で紹介した「ミスター外務省」東郷文彦が、いまから半世紀前の1968年1月27日、混乱をきわめた「核密約問題」に終止符を打つべく書き残した渾身の極秘文書、いわゆる「東郷メモ」だったのです。
北米局長が管理していた密約文書
「この文書は北米局長が預かっていたのです。北米局長室に金庫がありまして、その金庫に保管したのです。(略)外務大臣、総理が代わりますと、次官は北米局長にあの書類を持ってきてくれと言う。〔言われた〕北米局長がその書類を次官に渡して、局長が同席した場合もあるし、(略)次官が単独で大臣、総理に説明をしたこともある」
「「東郷メモ」の欄外にずらっと政治家の名前がありましょう。(略)歴代事務次官がいつ、どの大臣、総理にこの中身を説明したかがずっと欄外に書いてあるわけです」
これは村田氏の次に事務次官となり、その後、やはり駐米大使も務めた栗山尚一氏の証言です(『沖縄返還・日中国交正常化・日米「密約」』岩波書店)。
たしかに東郷メモの欄外の書き込みは、東郷北米局長自身による「三木大臣 御閲読済 東」という1968年(昭和43年1月30日)の書き込みで始まり、有馬(龍夫)北米局長による「三塚大臣へ口頭にて説明済(村田次官より)」という1989年(平成元年6月15日)の書き込みで終わっています(*1)。
けれども私がこの文書を見て驚いたのは、なにより文面があまりに乱雑だということでした。文字が読みにくいうえに欄外に書き込みがあり、内容にもいくつも間違いがある(→『知ってはいけない2』275ページ)。
「これが本当に外務省一のエリート官僚が書いた最高機密文書なのか?」
「この文書を本気で後世に引き継ぐつもりがあったのか?」
と思ったのです。
*
(*1)その次に次官となった条約局出身の、やはり超エリート外務官僚である栗山氏が、この「東郷メモ」の要点を簡潔にまとめた「栗山メモ」(全文→277ページ)をつくり、「東郷メモ」に添付しています。「栗山メモ」には、一九八九年八月に栗山がメモの内容を中山太郎外務大臣と海部俊樹首相に説明したことが書かれています。しかしその後は非自民党政権(細川護煕内閣)の誕生やアメリカの核戦略の変更(「ブッシュ・イニシアティブ」→32ページ)もあり、「次官が必ず首相と外務大臣に説明する」という慣例は姿を消したようです
外務省には「過去の歴史の共有がない」
戦後の外務省最大のスターである東郷に対してこういう表現をすると、気分を害する人もいるかもしれません。
けれどもひとつはっきりと言えるのは、この日本を代表する外務官僚が書いた、しかも40年間も北米局の金庫に隠されていた究極の「極秘文書」をめぐる歴史のなかに、日本の外務省ひいては霞が関全体の欠点と、冷戦の終結後、なぜ日本という国がこれほどまでに進路を見失い凋落しつづけているかの原因が、凝縮されているということです。
これは複数の外務官僚の方たちから聞いた話ですが、外務省には日米安保や北朝鮮問題といった重要な機密については、「次官、局長、担当課長」の三人だけが知っていればいいという伝統があるそうです。
しかしその伝統には、非常に重大な欠陥がある。当然の結果として、外務省内での情 報の共有がまったく行われていないというのです。
とくに深刻なのは、過去の歴史的事実の共有がないということ。省内の重要なポストはどれもほぼ2年で交代するため、そのポストにいるときだけは最高の情報が集まる。
しかし、ほかの時期のことはわからない。局長や次官といえどもそれは同じで、自分がそのポストにいないときの知識は、基本的に持っていないというのです。
そもそも村田元次官でさえ、引き継ぎ文書に関して「1枚紙にその趣旨が書かれていた」(→『知ってはいけない2』52ページ)と述べており、この全8ページの「東郷メモ」ではない、なにか別の「まとめのメモ」を見て首相や大臣に説明していたことがわかります。
北米局長や条約局長を経由せず、経済局長から次官になった村田氏に対し、「東郷メモ」を管理していた有馬北米局長がその内容をどこまで説明していたかさえ不明なのです。
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さらに連載記事〈なぜ日本だけが「まともな主権国家」になれないのか…アメリカとの「3つの密約」に隠された戦後日本の「最後の謎」〉では、日本が「主権国家」になれない「戦後日本」という国の本当の姿について解説しています。
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本記事の抜粋元『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』では、かつて占領下で結ばれた、きわめて不平等な旧安保条約を対等な関係に変えたはずの「安保改定」(1960年)が、なぜ日本の主権をさらに奪いとっていくことになったのか?「アメリカによる支配」はなぜつづくのか?原因となった岸首相がアメリカと結んだ3つの密約について詳しく解説しています。ぜひ、お手に取ってみてください。
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