
高市の歓喜、麻生の暗躍、吉村の翻意、玉木の嘆息。急転直下「自維連立」真の“黒幕”と、明かされた緊迫の数日間“全シナリオ”

急転直下とも言うべき日本維新の会との「閣外協力」により、発足にこぎつけた高市政権。しかし各々の利害と思惑が蠢く自維の連立には、大きな不安があるのもまた事実です。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、高市“エセ連立”の実態を詳述。さらに背後で糸を引く麻生太郎氏の思惑を読み解きつつ、「権力という甘い蜜」がもたらす高市政権の危うさを指摘しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:連立とは名ばかり。「閣外協力」の危うさをかかえる高市政権
「連立」ではなく「閣外協力」。高市「名ばかり」政権が抱える大きな不安要素
日本維新の会を連立相手として抱き込み、NHK党の参院議員まで自民会派に引き入れて、涙ぐましい多数派工作を展開したすえ、自民党の高市早苗総裁はやっとのことで総理大臣の座についた。
日本初の女性総理。ようやくそういう国になったかという感慨と、親分子分、義理人情のムラ型政治から脱け出してくれそうな期待感…さまざまな思いが交錯する。
だがこの政権、「連立」と名前はついていても、きわめて危うい。厳密には「閣外協力」であって連立ではない。
憲法には「内閣は行政権の行使について国会に連帯して責任を負う」と定められている。「連立」というのなら、維新は大臣を出すこと、すなわち内閣の一員になることによって、全国民を代表する国会に対して連帯責任を持つべきなのである。
ところが、維新は首相補佐官に連絡調整役の1人を送り込むだけで、政策を決定する閣議には誰一人参加しない。自民党が気に入らない法案や政策を出してきたら閣外から都合よく批判的見解を表明し、自らの政策を実現するためだけに連立の立場を利用できるのだ。政権内に“野党”をかかえているかのような“エセ連立”が長く安定的に機能するとは思えない。
高市政権のもう一つの危うい特徴は、総裁選の経過、党役員人事からもうかがえるように、キングメーカー・麻生太郎副総裁の支配下にあるということだ。
高市氏を首相に当選させるための多数派工作で、無所属議員7人で構成する衆院会派「有志・改革の会」に低く頭を下げて頼みに来たのは麻生氏だった。大物の来訪に感激したのか、維新を離党して同会派に所属していた守島正、阿部弘樹、斉木武志の三氏が高市氏に票を投じることを決め、同会派はあえなく分裂した。
高市氏は237票を得て当選したが、自民・維新の会派は合わせて231議席なので、6票が上乗せされている。そのうち3票がこの三人ということになる。
維新との連立工作においても、麻生氏が真っ先に乗り出したフシがある。西日本新聞(10月17日)に維新との接触を示すこんな記事が掲載された。
永田町に激震が走る中、維新幹部の携帯電話が鳴った。自民総裁選で高市早苗氏を押し上げた自民重鎮からだった。「小泉陣営との交渉は、どういう条件だったんだ?」(中略)維新幹部は小泉陣営に持ちかけていた“条件”となる政策協議の十数項目を説明した。「なるほど…」とうなった重鎮は本題に入る。「一緒にやれないか。細かい話は今後だ」。
「永田町に激震」とあるから、公明党が連立離脱を表明した後の動きと思われる。高市早苗氏を押し上げた自民党重鎮とは、まぎれもなく麻生氏のことだろう。
維新は総裁選期間中から、小泉進次郎氏の選出を見込み、小泉陣営の幹部と水面下で連立交渉を重ねていた。高市氏が総裁になり思惑が外れた形になっていたが、いったん自民との“連立モード”に入った維新幹部たちには政権への未練があった。
思いがけなく飛び込んできた公明連立離脱の「吉報」
自公連立に維新が近づきにくかったのは、公明党が維新を加えることを嫌がっていたからでもあった。公明にとって維新は大阪で激しく選挙戦を繰り広げた宿敵だ。維新の看板政策「副首都構想」に対しても慎重姿勢だった。
そこに思いがけなく飛び込んできた公明連立離脱の報。チャンスがめぐってきたと感じた吉村洋文代表は自民党への根回しを遠藤敬国体委員長に指示していた。
麻生氏が乗り出してきたことはさらに維新を勇気づけた。麻生氏と国民民主との良好な関係、そして麻生氏が維新と親密な菅義偉氏を嫌っていることからみて、高市自民党と組むのは、かなり難しいと維新は考えていたのだ。
ここからとんとん拍子に話は進んでいく。朝日新聞(10月17日)で、高市総裁の動きが以下のように報じられた。
公明の連立離脱表明から一夜明けた11日、高市は維新の遠藤敬国体委員長の携帯を鳴らした。「国民民主はもう来ないと思う。協力してほしい」両氏は旧知の仲。遠藤は「政策をしっかりやってくれるなら、いいですよ」と助け舟を出した。
遠藤氏は、ふだん東京にはいない吉村氏から他党との折衝についていわば“全権委任”を受けた立場。高市氏とは今年の夏ごろ、ひそかに会食していた。電話を受けた遠藤氏は即座に高市氏からの協力要請を藤田文武共同代表に伝えた。
その日、藤田氏は大阪市内にいたため、さっそく吉村代表の耳に入れることができた。むろん、維新とすれば“渡りに船”だ。自民側について“高市首相誕生”に協力したら、その代わり、念願の「副首都構想」を実現する道が開かれると思うからだ。
維新側から色よい返事を受けた高市氏周辺は「うちと組んでくれるなら、副首都なんて丸のみでいい」と欣喜雀躍。その後、高市氏から直々に電話をもらった吉村氏は「本気で話を聞きます」と声を弾ませた。
高市氏は14日、東京都内での講演で「自民党総裁になったけれど『総理にはなれないかもしれない女』と言われている、かわいそうな高市早苗です。…こういう時も諦めない。首相指名のその瞬間まで、あらゆる手を尽くす」と語ったが、その時にはすでに維新から確かな手ごたえをつかんでいたのだ。
同じ日、梶山国対委員長が遠藤氏と都内某所でひそかに会談。翌15日午前にも二人が会って、その日のうちに自民と維新の党首会談を開くことが一気呵成に決まっている。吉村氏は大阪でテレビ出演したあと急きょ上京し、夕方になって高市氏と会談した。
15日の午後といえば、立憲、維新、国民の3党首が首相指名選挙に向け野党候補一本化について協議している最中だった。その場にいた玉木氏は後になって維新の秘密裏の動きを知り、自身のYouTube番組で、こう語った。
「野党の統一候補を目指して、けっこう藤田さんも真剣に議論していただいてたなと思っていたんですけど、なんだそれはもう自民党と連立で握ることが決まってたのか、みたいな感じで、ちょっとなんか、二枚舌みたいな感じで扱われて、我々としては残念だなと思いました」
この率直さは玉木氏の美徳だが、いつものことながら脇が甘い。自民と立憲のどちらにつくのが有利かと、二股かけて逡巡しているうちに政治状況が一変。政局の“主役”は維新に移っていた。
公明党が連立を離脱した10月10日以降、政局は激動した。立憲、維新、国民の主要野党3党がまとまれば、政権交代も可能な情勢になったからだ。三党そろって玉木氏に投票し政権交代を実現しようという立憲の提案に、維新はいかにも関心があるかのような素振りを見せていた。しかし、他の野党が知らぬ間に、維新は自民に急接近していたのである。
「霞が関文学」の表現を用いて維新の要求を処理した自民
新たな連立相手として高市氏が真っ先に声をかけたのは、意中の国民民主だった。だが、玉木代表は「自民と連立しても衆院で過半数に届かない。少数与党のままだ」と消極姿勢を見せた。支持母体「連合」が連立に強く反対していることもあり、高市氏は国民民主に早々と見切りをつけた。
維新の懸念は、連立によって独自色が失われ、自民の補完勢力になりさがったまま消滅へ向かうのではないかということだ。しかし、このまま野党であり続けても全国政党に脱皮できる見込みは薄い。それならむしろ、“大阪ファースト”の政党として生きるほうが、強さを発揮できる。そのためにも大切な政策は、悲願の大阪都実現につながる「副首都構想」だ。大阪が副首都に位置づけられれば、国から巨額資金を呼び込むことができる。
だが、国政政党としての建前上、これまで国会で主張してきた政策を引っ込めるわけにはいかない。維新は15日の党首会談で12項目の政策を要求、そのうち社会保険料引き下げ、企業団体献金の禁止、そして「副首都構想」を絶対条件の政策として要求した。
これが自民党にとってハードルの高い注文であることは誰にでもわかる。そもそも金権体質の自民党が企業団体献金の廃止に応じられるはずはない。
そこで吉村代表は素早く前言を翻した。絶対条件として「国会議員定数削減」を掲げ、これを約束したら他の政策についても信頼できるという謎の論理を展開し始めた。もちろん「国会議員定数削減」は“身を切る改革”として以前から言い続けているという釈明も忘れない。
「これ約束してくれるなら、社会保険料引き下げや副首都構想、企業団体献金の禁止も実現してくれるという信頼感が生まれる。すべての政策を前に進めるためのセンターピンだ」(吉村氏)
要するに「連立ありき」で、合意が成立するように運んでいるだけのことである。
両党が交わした「連立政権合意書」を見ると、「検討を行う」など実現が不確かな文言が並ぶ。肝心の「国会議員定数削減」の合意内容にしても、こうだ。
1割を目標に衆院議員定数を削減するため、25年臨時国会において議員立法案を提出し、成立を目指す。
衆院議員定数削減法案を提出することはこれで決まったといえる。が、その中身は維新の主張する「1割削減」ではなく、あくまで「1割削減目標」だ。そもそも定数削減には自民党の議員の多くが反対しているし、比例が削られるという見通しから公明党、共産党、その他小政党からの反発が強い。客観的に見て、法案の成立はきわめて難しい。
だからこそ、自民党がこの難題をすんなり受け入れ、「検討」「目標」「目指す」といった“霞が関文学”の表現を用いて維新の要求を“処理”したとみることができるだろう。
維新はもともと自民党の大阪府議が中心になって立ち上げた政党だ。保守的な政治理念では高市氏と近いが、行政のスリム化や民営化、規制緩和などを重視する新自由主義的な政策志向を持っている点では、積極財政を旨とする高市氏とは異なっている。高市氏を支持する保守言論人のなかには維新を「親中」と決めつける向きもある。
存亡の危機に瀕した二つの政党を結びつけたのは、「権力」という甘い蜜にほかならない。そこには大阪に国の資金を大量に取り込みたい維新の思惑と、麻生副総裁ら“長老”たちの利害が複雑にからみついている。維新と手を組んだとはいえ、少数与党には変わりない高市政権がさまざまな利害対立をくぐりぬけて“成果”を国民に示すのは並大抵のことではないだろう。



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