>日本の解決すべき課題は、
「新安保条約・第6条の一部削除」
「日米地位協定の改定」
「日米安保の問題については憲法判断しないとした砂川裁判・最高裁判決の無効化」
>この3つさえおこなえば、在日米軍を日本の国内法のコントロール下におくことが可能となり、現在の歪んだ日米関係は必ず劇的に改善する。
国家間の不平等な条約、協定は早く解消することが、より友好で協調的な関係を築く唯一の道だと思います。
同じ敗戦国のドイツやイタリアにできたことを、なぜ私たち日本だけができないのかーー。先日沖縄県が「他国地位協定調査について」という報告書を公表すると、そんな疑問の声が上がった。たしかに第2次大戦後、ドイツとイタリアは、日本と同じくアメリカとの軍事同盟のもとで主権を失っていた。しかし、米軍機の事故をきっかけとした国民世論の高まりを背景に、両国は正常な主権国家の道を歩んでいるからだ。「横田空域」「日米合同委員会」「日米地位協定」……アメリカによる〝支配〟はいったい、いつまで続くのか? いまから5年前、衝撃のベストセラー『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』で、対米従属の法的な構造をあきらかにした矢部宏治氏が、同書の文庫化を機にその解決策を提示する。
日本の戦後史には、いくつかの盲点がある。
今回、自分が書いた本の解説を書くという、めったにない機会をあたえてもらったので、私が過去8年間にわたっておこなってきた日米密約研究のまとめを、日本の戦後史に存在する「3つの盲点」という観点から、できるだけ簡潔に説明してみたい。
「横田空域」「日米合同委員会」「日米地位協定」など、私がこれまでずっと本に書いてきた、あまりに異常な「戦後日本」と米軍の関係は、いまでは地上波のTV番組でも取り上げられ、かなり多くの人に知られるようになってきた。
しかし、ではいったいなぜ、世界で日本だけがそうした異常な状況にあるのか。
5年前に書いた本書では、その問いが『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』というタイトルによって表現されている。以下、当時の自分に向かって報告書を書くようなつもりで、その問いに答えることにしたい。
安保条約はアメリカの軍部が書いた
まず、問題は大きく2つに分かれる。
(1)なぜ、これほど異常な状況が生まれたのか
(2)なぜ、これほど異常な状況が続いてしまったのか
この(1)の問題をあっけなく説明してしまうのが、下の人物だ。カーター・B・マグルーダー陸軍少将。彼が日本の戦後史における第1の盲点である。
おそらく彼の名前を聞いたことがある人は、ほとんどいないだろう。だが「戦後日本」という国家にとって、実はこれほど重要な人物もいない。というのはこのマグルーダーこそが、現在まで続く、日米安保条約と日米地位協定の本当の執筆者だからである。
ではなぜ他国との条約を、本来の担当であるアメリカ国務省ではなく、軍人が書くことになったのか。その理由は旧安保条約が調印された1951年の、前年(1950年)6月に起きた朝鮮戦争にあった。
この突如始まった戦争で米軍は当初、北朝鮮軍に連戦連敗する。その後も苦戦が続くなか米軍は、それまで一貫して拒否していた日本の独立(=占領終結)を認める代わりに、独立後の日本との軍事上の取り決め(安保条約)については、本体の平和条約から切り離して軍部自身が書いていい、朝鮮戦争への協力を約束させるような条文を書いていいという、凄腕外交官ジョン・フォスター・ダレスの提案に合意したのだった。
なので先の(1)への答えは非常に簡単だ。日米安保条約や地位協定は、もともとアメリカの軍部自身が書いたものだった。しかも平時に書いたのではなく、戦争中に書いた。だから米軍にとって徹底的に都合の良い内容になっているのは、極めて当然の話なのだ。
その取り決めの本質は、下の旧安保条約・第1条のなかにすべて表現されている。
旧安保条約・第1条(1951年9月8日調印)(要約)
「アメリカは米軍を、日本およびその周辺①に配備する②権利を持つ」
この②の部分が日本の国土の「自由使用」、①の部分が「自由出撃」(日本の国境を自由に越えて行う他国への攻撃)を意味している。その2つの権利を米軍は持つということだ。
そしてこの短い条文が意味する具体的な内容を、さまざまな状況別に条文化したものが、安保条約と地位協定(当時は行政協定)、そして無数の密約なのである。
いうまでもなく、そうした国家の主権を完全に他国に明け渡すような条約を結んでいる国は、現在地球上で日本以外にない。つい最近、21世紀になってからアメリカに戦争で負けたイラクやアフガニスタンでさえ、米軍がそれらの国の許可なく、国土の「自由使用」や「自由出撃」をおこなうことなど絶対にできない。いくら戦争でボロ負けしようと、占領が終われば国際法上の主権国家なのだから、それが当然なのである。
インチキだった安保改定
ところが日本だけはそうなっていない。その理由もまた、ひとことで説明することができる。安保改定がインチキだったからだ。
1960年に「対等な日米新時代」をスローガンにして岸首相がおこなった安保改定により、旧安保時代のような事実上の占領状態はなくなったと日本人はみんな思っている。ところが岸は安保改定交渉が始まる前年、訪米しておこなったアイゼンハワーとの首脳会談で、次の内容に合意していたのである。
「日本国内の米軍の配備と使用については、アメリカが実行可能な場合はいつでも協議する」(部分)(会談後の共同声明 1957年6月21日)
前ページの旧安保条約・第1条に書かれた、「日本の国土の自由使用」と「自由出撃」という植民地同然の権利。それが安保改定後もそのまま存続することが、このとき確定した。というのも岸による安保改定の目玉は、米軍の自由な軍事行動に日本側が制約をかける「事前協議制度」の創設にあったのだが、その「事前協議」の本質が「米軍がやりたくない場合はやらなくていい」ものだということが、ここで合意されてしまったからである。
その後結ばれた新安保条約、日米地位協定と、その他無数の密約は、やはりこの共同声明の1行を、細かく条文化する形で生まれたものといってよい。そしてその過程で、日本の戦後史における2つ目の盲点が生まれる。下の漫画の2コマ目にある「討議の記録」という名の「密約中の密約」である。
これはいわば先の共同声明の内容(事前協議制度の空洞化)を、ABCD4つの具体的な密約条項に書き換えたものといえる。漫画にあるように、AとCが日本の国土の自由使用、BとDが日本の国土からの自由出撃についての密約である。新安保条約調印の約2週間前(1960年1月6日)に藤山外務大臣によってサインされている。
冒頭の「(2)なぜ、これほど異常な状況が続いてしまったのか」という問いへの答えは、この密約文書ひとつですんでしまう。ひとことでいうとこの密約は、旧安保時代の米軍の権利は、ほぼすべてそのまま引き継がれるという内容の密約だからだ。
ところがこの「日米密約の王様」ともいうべき最重要文書のことを、やはり日本の官僚もジャーナリストも、ほとんど知らない。その理由は外務省が長らくこの文書の存在を否定し続け、2010年にようやくその存在を認めたあとも、一貫して文書の効力を否定し続けているからだ。
新たに切り出された2つの密約
昨年、この「討議の記録」について改めて調べ直したとき、非常に重大な発見をしたのでここで報告しておきたい。それが本稿最後の「3つ目の盲点」である。
この「討議の記録」というあまりに重大な密約文書を、岸が次の池田政権に引き継がなかったため、その後、池田政権の大平外務大臣と外務省は大混乱におちいることになるのだが、その説明は別の機会に譲る。
ここで注目すべきは、上の漫画の3コマ目にあるように、外務省がこの密約文書を北米局長室の金庫にしまい込んでその存在を隠蔽する一方、アメリカはそこからAとCの内容を切り出した「基地権密約」と、BとDの内容を切り出したような「朝鮮戦争・自由出撃密約」という2つの密約文書をあらかじめ別につくっておき、同じ1960年1月6日に藤山外務大臣にサインさせていたということだ。
その後、それら新たに切り出された2つの密約が、漫画4コマ目のとおり、安保改定後の「日米合同委員会」と「日米安保協議委員会(現在の「2+2」)」の議事録に、それぞれ編入されたことがわかっている。だが、なぜそんなことをする必要があったのか。
誰もきちんと安保条約を読んでいなかった
その間の経緯をくわしく検証するなかで気づいたのが「3つ目の盲点」、つまり「新安保条約・第6条後半」の持つ異常性だ。まず次のページの条文を読んでほしい。
旧安保条約・第3条(要約)
「日本における米軍の法的権利は、両政府間の行政上の協定で決定する」
↓
新安保条約・第6条後半(要約)
「日本における米軍の法的権利は、日米地位協定及び、合意される他の取り決めで決定する」
自戒を込めて告白するが、たった5条しかない旧安保条約と、たった10条しかない新安保条約、その条文を私を含めてこれまで日本人は、誰もきちんと読んでいなかったのだ。
上側の旧安保条約・第3条の下線部分は、外務省訳の日本語の条文では「両政府間の行政協定で決定する」と書かれている。だから研究者もみんな、これを条文化された正規の「日米行政協定(the Administrative Agreement)」のことだと、ずっと疑わずに思っていた。
ところが英語の原文は「政府間の行政上の協定(administrative agreements)で決定する」
つまり国会を関与させずに、政府と政府の合意(政府間協定)だけですべて決定すると書かれている*。
加えて最大の問題は、日米安保の規定(行政協定第26条、地位協定第25条)では、その「政府間の合意」をおこなうのが、日本政府とアメリカ政府そのものではなく、日本の官僚と在日米軍の幹部、そう、あの密室の協議機関「日米合同委員会」だということなのだ。
その結果、日本がまだ占領下にあった朝鮮戦争で、米軍が日本の官僚組織に直接指示をあたえて戦争協力させていた体制が、独立後もそのまま温存されることになってしまったのである。
ここまでが旧安保時代の話だ。そしてここからが、問題の新安保条約の話になる。
上の新安保条約・第6条後半を見てほしい。在日米軍の法的権利は、
「日米地位協定及び、合意される他の取り決めで決定する」
と書かれている。実はこの「合意される他の取り決め」という言葉のなかに、新安保条約の締結後、日米合同委員会でおこなわれることになる密室合意と、加えて安保改定で新設された「日米安保協議委員会」(およびその下部組織)でおこなわれることになる密室合意が、すべて含まれるということなのだ。
この新安保条約の基本構造がわかると、なぜ「討議の記録」という密約の原本から、わざわざ2つの独立した密約(「基地権密約」と「朝鮮戦争・自由出撃密約」)を新たに切り出して、藤山外務大臣にサインをさせ、安保改定後の日米合同委員会と日米安保協議委員会の議事録に編入する必要があったかがわかる。
まず「基地権密約」とは「旧安保時代の米軍の権利は、安保改定後も変わらず続く」という密約だ。その文書が安保改定後の日米合同委員会の議事録に編入された結果、それまで旧安保時代に同委員会でおこなわれてきた膨大な秘密合意がすべて、先の「日米地位協定及び、〔今後〕合意される他の取り決めで決定する」という条文にもとづき、国会で批准された日米地位協定の条文と同じ法的効力を持つことになってしまったのだ。
次に「朝鮮戦争・自由出撃密約」とは「朝鮮戦争が起きたときは米軍の自由出撃を認める」という密約だ。その文書が安保改定で新設された日米安保協議委員会の議事録に編入された結果、それまで主に米軍基地の使用(基地権)についておこなわれていた、日本の国会を関与させない形で米軍が日本の官僚に直接指示を与えるシステムが、朝鮮戦争の再開を前提とした米軍と自衛隊との共同軍事行動(指揮権)の分野にまで拡大されてしまった。
事実その後、国会がまったく関与しないうちに、日本国憲法の規定を超えるような内容を含む第1次・第2次・第3次のガイドライン(「日米防衛協力のための指針」)が、この日米安保協議委員会の下部組織で作られていくことになったのである。
*―アメリカでは条約締結権は大統領にあるが、上院の3分の2以上の賛成を必要とするため、大統領が立法府の承認なく他国と政府間協定(executive agreement)を結ぶ権限が慣例として幅広く確立している。米軍部の考えた日米安保は、この形を使って日本の国会を一切関与させずに日本を軍事利用する体制だった。
輝ける未来のためにすべきこと
このような構造を知ると、せっかく盛り上がりつつある地位協定の改定運動に水をかけるようで大変申し訳ないのだが、いくら地位協定の条文を変えても、新安保条約・第6条後半の「及び、合意される他の取り決め(で決定する)」という部分を削除しないかぎり、なんの意味もないことがわかる。この短い文言のなかにはすでにご説明したとおり、日米合同委員会だけでも(安保改定以前と以後をあわせて)1600回を超える、密室での秘密合意の内容がすべて含まれているからだ。
だから地位協定を本気で改定しようとするなら、必ず新安保条約・第6条から上の下線部分を削除したうえで、改定をおこなう必要がある。つまりそれは非常にミニマムな形ではあるが「安保再改定」にならざるをえないということだ。
「いや、地位協定の改定だけでもハードルが高いのに、安保再改定なんて絶対無理だよ」
とあなたは思うかもしれない。けれどもそんなことは、まったくないのだ。
国会で正式に批准された「日米地位協定の条文」と、過去70年にわたって密室で蓄積された秘密合意が、法的に同じ効力をもつことを定めたこのメチャクチャな条文。まともな親米政権をつくって「ここだけは占領期の取り決めが継続してしまったものなので、変えることに同意してほしい」といえば、断ることのできるアメリカの官僚も政治家も絶対に存在しない。
いま東アジアでは、世界史レベルの変化が起こりつつある。昨年(2018年)3月から韓国の文在寅大統領がスタートさせた入念かつ大胆な平和外交が、その巨大な変化を生んでいるのだ。
それに比べて日本の解決すべき課題は、なんとちっぽけなことだろう。
「新安保条約・第6条の一部削除」
「日米地位協定の改定」
「日米安保の問題については憲法判断しないとした砂川裁判・最高裁判決の無効化」
この3つさえおこなえば、在日米軍を日本の国内法のコントロール下におくことが可能となり、現在の歪んだ日米関係は必ず劇的に改善する。
だからこの「最小限の安保再改定」と「地位協定改定」と「砂川裁判・最高裁判決の無効化」の3つで、まず野党の指導者が合意し、それに自民党の良識派も足並みをそろえてみてはどうか。そして国家主権の喪失という大問題を解決したあと、またそれぞれの政治的立場に帰って議論を戦わせればいい。
逆に、ここまで私が説明してきた法的構造を理解した上で、それでもなお、上の3つに怖くて手をつけられないという政治家は、日本という国の政治指導者の座から、すぐに退場させるべきだ。
この本当に小さな変更さえおこなえば、その先に、われわれ日本人が望んでやまない、
「みずからが主権をもち、憲法によって国民の人権が守られる、本当の意味での平和国家としての日本」
という輝ける未来が、訪れることになる。
そのことが、現在の私が、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を書いた5年前の私に報告したいことなのである。
(以上、詳しくは『知ってはいけない2』講談社現代新書 参照)
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