海を“戦没者の遺骨”が混じっている土砂で埋め立てて米軍に上納。戦後80年を経ても続く「日本国の沖縄差別」

日本の歴史
海を“戦没者の遺骨”が混じっている土砂で埋め立てて米軍に上納。戦後80年を経ても続く「日本国の沖縄差別」 - まぐまぐニュース!
多くの民間人を巻き込み、実に沖縄県民の4人に1人が犠牲となった第2次世界大戦末期の沖縄戦。今年で大戦終結から80年となりますが、沖縄戦は終わってなどいないと人気ブロガーのきっこさんは言います。今回の『きっこのメルマガ』では、住民たちが蹂躙されたこの戦いの全貌を詳しく紹介。さらに沖縄戦が未だ継続中としか考えられ

海を“戦没者の遺骨”が混じっている土砂で埋め立てて米軍に上納。戦後80年を経ても続く「日本国の沖縄差別」

多くの民間人を巻き込み、実に沖縄県民の4人に1人が犠牲となった第2次世界大戦末期の沖縄戦。今年で大戦終結から80年となりますが、沖縄戦は終わってなどいないと人気ブロガーのきっこさんは言います。今回の『きっこのメルマガ』では、住民たちが蹂躙されたこの戦いの全貌を詳しく紹介。さらに沖縄戦が未だ継続中としか考えられない理由を記しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:終わらない沖縄戦

日本本土での唯一の地上戦から80年。終わらない「沖縄戦」

今日3月26日は、第二次世界大戦末期の「沖縄戦」が始まった日です。ちょうど80年前の今日、米軍を主体とする連合国軍が沖縄諸島の慶良間に上陸したことで、日本本土での唯一の地上戦「沖縄戦」が始まったのです。慶良間諸島を制圧した米軍は、4月1日、沖縄本島の読谷(よみたん)から北谷(ちゃたん)にかけて上陸しました。

沖縄に来襲した米軍の戦艦や輸送船は約1,500隻、米兵は約55万人です。これに対して、沖縄に配備されていた日本兵は約11万人、圧倒的に劣っていました。沖縄の住民らは「ガマ」と呼ばれる鍾乳洞や防空壕に隠れていましたが、米軍が上陸する前から食糧不足が起こっていて、すでに栄養失調で亡くなる子どもも出始めていました。

兵力の劣る日本軍は、沖縄の14歳から17歳の子どもたちまで戦場へ駆り出しました。しかし、米軍は兵力だけでなく火力でも日本軍を圧倒しました。米兵はガマを1つ1つ火炎放射器や手榴弾で攻撃し、隠れていた住民らを虐殺して行きました。中には、米兵による虐殺を恐れて集団自決する人たちもいましたし、逃げて来た日本兵にガマから追い出されて米兵に射殺された人たちもいました。

「沖縄戦」も末期になると、追い詰められて極限状態に陥った日本兵は、沖縄の住民をスパイだと決めつけて射殺し始めたのです。久米島住民虐殺事件や渡野喜屋事件など、日本兵による住民虐殺が数多く行なわれました。元沖縄県知事の大田昌秀氏の調査によると、その犠牲者は1,000人を超えると見られています。

この沖縄戦では、当時の沖縄県の人口の4分の1に当たる約15万人の民間人を含む約20万人が犠牲になりました。そして、3月26日の開戦日から約3カ月後の6月23日、牛島満(うしじま みつる)司令官が自決したことで、この日が沖縄戦の終わった日とされています。

しかし、実際には、米軍の司令官に対して日本側が「南西諸島の全日本軍の無条件降伏」の文書に署名をした9月7日が、名実ともに沖縄戦が終結した日なのです。つまり、日本で「終戦日」と言われている8月15日を過ぎても、沖縄戦は終わっていなかったのです。そして、冒頭に「今日3月26日は沖縄戦が始まった日」と書きましたが、こちらも「この日が沖縄戦の始まった日とされている」だけで、実際には前年の1944年8月から「沖縄戦」は始まっていたのです。

森山良子さんなどの歌唱で知られる寺島尚彦さん作詞作曲の『さとうきび畑』では「むかし海の向こうから いくさがやってきた」と歌われていますが、第二次世界大戦末期の1944年7月、日本の宝とも言える沖縄のエメラルドの「ちゅら海」の向こうから、恐ろしい戦が近づいて来たのです。

米軍による「対馬丸事件」というジェノサイド

そして、すでにサイパンが陥落して戦況の悪化が著しかった日本軍は、迫り来る沖縄での決戦に向けて、足手まといになる沖縄の児童の本土への疎開を促し始めました。厳しい食料事情もあり、日本軍は戦争の役に立たない小中学生を沖縄から減らしたかったのです。そのため日本軍は、半ば強制的に沖縄の児童の本土への疎開を進めました。

そして8月21日、多くの疎開児童を乗せて沖縄から長崎へ向けて出港した貨物船「対馬丸」は、翌22日、米軍の潜水艦「ボーフィン」からの魚雷攻撃を受けて沈没したのです。この船には1,788人が乗船しており、そのうち小中学生780人を含む計1,485人が犠牲になりました。しかし日本軍は、疎開が進まなくなることを恐れ、箝口令を敷いてこの事実を隠蔽したのです。

戦争中なのですから、米軍の潜水艦が日本軍の戦艦に魚雷を発射するのは分かります。しかし、いくら敵国の船舶とは言え、民間人の乗った一般船舶を攻撃し、これほど多くの犠牲者を出したのですから、これは後に本土各地で行なわれた大空襲や原爆投下と同じくジェノサイドであり、完全に戦争犯罪です。さらに言えば「対馬丸」の犠牲者の多くは沖縄県民だったのですから「沖縄戦」はすでに始まっていたのです。

また「沖縄戦」を語る上で忘れてはならない「ひめゆり学徒隊」も、日本軍の命令によって強制動員されたのは1944年12月です。日本軍に見捨てられて多くの女子学生が残酷な結末を迎えたのは1945年6月ですが、「沖縄戦」が始まった日とされる1945年3月26日の4カ月も前から、200人を超える女子学生たちの「死への旅路」は始まっていたのです。

こうして時系列で全体像を見てみると、「沖縄戦」の始まった日を米軍が沖縄に上陸した1945年3月26日とするのは「戦争の矮小化」であり、「対馬丸事件」や「ひめゆり学徒隊」に関する日本側の責任をうやむやにすることに他ならないと思います。どこからどう見ても沖縄は、当時の国によって本土防衛のための防波堤にされたことが明白であり、この「国による沖縄差別」は、戦後80年が過ぎた今も1ミリも改善されずに続いているのです。

戦後の日本は、全国の米軍施設の70%以上を沖縄に押し付けただけでなく、在日米兵によるレイプや殺人などの凶悪犯罪も日本の法律で裁くことのできない不平等な「日米地位協定」を改定せず、それどころか米軍にアジアの前線基地を上納するために、ジュゴンの餌場だった美しいサンゴの海を戦没者の遺骨が混じっているかもしれない土砂で埋め立てる始末。

これでは、80年が過ぎた今もなお「沖縄戦」は終わっていないのではないかと錯覚してしまいます。そして、この国は、数えきれないほどの民間人が犠牲になった先の戦争から何も学ばず、また同じ轍を踏もうとしているように見えてしまうのです。

あまりにも愚かで学習能力が欠落した日本政府

何故なら、2日前の3月24日、これまで陸海空が分離されていた自衛隊の司令系統を一元化した「統合作戦司令部」が発足したと報じられたからです。これは2022年に当時の岸田文雄首相が、国会の審議を経ずに閣議決定だけで決めたものですが、当時、このコーナーでも厳しく批判したように、これはアメリカからの命令だからです。

これまで日本の自衛隊が在日米軍との共同作戦を行なう時には、在日米軍側の指揮権を持つ調整窓口はハワイの司令部でした。しかし、それでは有事の際にスムースに連携できないため、アメリカは日本政府に「自衛隊の司令系統の一元化」を指示するとともに、在日米軍の指揮系統を再編成して日本に「合軍司令部」を設け、自衛隊の「統合作戦司令部」と直結させる計画なのです。

これが何を意味するのかと言うと、たとえばアジアで有事が発生して在日米軍が出動することになった場合、米軍の司令官は米軍と同じく日本の自衛隊も自由に使えることになるのです。防衛省は「自衛隊が在日米軍の指揮下に入ることはない」と言い続けて来ましたが、米軍が日本に創設する「合軍司令部」の「合軍」という文言を見れば、防衛省の嘘は一目瞭然です。

つまり、安倍晋三首相がアメリカの命令で、国会の審議を経ずに閣議決定だけで決めた「集団的自衛権の容認」という戦争への予行演習が、岸田文雄首相によって「戦争への第一歩」へと進化したわけです。80年前に日本人を大量虐殺したアメリカの子分となって、今度はよその国の人々の虐殺に加担することになるのです。

第二次世界大戦というあれほどの悲劇を経験したというのに、あまりにも愚かで、あまりにも学習能力が欠落した日本政府には、そろそろ気づいてほしいです。本当の国防とは「軍備拡大」ではなく「外交」であり「食料とエネルギーの自給率アップ」だということに。そして、日本政府がこれに気づき、沖縄から米軍基地が無くなった時こそ、初めて「沖縄戦」は本当の意味での終わりを告げるのです。

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