
JOG(1470) 近代西洋文明への「言挙げ」 ~ 内村鑑三、新渡戸稲造、岡倉天心
英文で日本を語った3冊の名著は、欧米人たちに西洋近代文明への自省を迫るものだった。
■1.「三大日本紹介名著」はなぜ欧米で反響を呼んだのか?
伊勢: 花子ちゃん、明治時代に日本人が英語で書いて欧米読書界で話題になった本が3冊ある。「三大日本紹介名著」と言われているけど、知ってるかな?
花子: いえ、知りませんけど、どんな本なんですか?
伊勢: 内村鑑三の『代表的日本人』、新渡戸稲造の『武士道』、岡倉天心の『茶の本』の3冊だ。『代表的日本人』はケネディ大統領が愛読し、その中の上杉鷹山を最も尊敬する日本の政治家だと答えたという逸話が残っている。
『武士道』はアメリカでベストセラーとなり、ドイツ語、フランス語などいくつもの外国語に翻訳された。ルーズベルト大統領が読んで感激し、数十冊も購入して子供たちや友人に配ったという。岡倉天心の『茶の本』は、欧米読書界で日本文化理解の必読書との定評を確立した。
花子: なぜそんなに反響を呼んだのですか?
伊勢: これらの本は単なる日本紹介ではなく、日本の文化伝統を語ることで、欧米人に自らの近代思想を反省させる、日本からの「言挙げ」の書として受けとめられたからだと思う。
花子: 「言挙げ」って、どういう意味ですか?
伊勢: 言葉によって、はっきりと主張を打ち出すことだ。つまり、この3冊は欧米の人たちに「あなたたちの近代的な考え方を、もう一度見直してみなさい」と問いかけた本として読まれたんだ。
花子: それって私たち現代の日本人にも関係あるんですか?
伊勢: 大いに関係ある。我々戦後の日本人も日本の伝統文化を忘れて、今や欧米近代思想に染まっている。だから、この3つの日本伝統文化からの言挙げを学ぶことは、我々自身の「根っこ」を思いだし、現在の生き方をもう一度問い直すきっかけになる。

■2.キリスト教と日本人の「固有の理想」
伊勢: まず内村鑑三の『代表的日本人』から見ていこう。鑑三は若い頃にアメリカに渡り、ペンシルバニアの知的障害児擁護院で看護人として働いた。そこでアメリカ社会の底辺で盗みや拝金主義が横行している実態を見て、「日本以上にキリスト教から遠い社会」と感じたんだ。鑑三は自伝『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』でこう述懐している。
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中国人も日本人も、自分たちに与えられた孔子の戒めを守りさえすれば、欧米のどんなキリスト教国よりも立派なキリスト教国になれるのだ。・・・我々がキリスト教を受け入れるのは、キリスト教が我々を助けて我々に固有の理想に近づけてくれるからである。
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花子: 「我々に固有の理想」って、どんな理想なんでしょう?
伊勢: 日本人が元々持っている理想的な生き方のことだ。鑑三はその「我々に固有の理想」を『代表的日本人』に登場する5人の生き方を通じて描いた。その1人が上杉鷹山だ。
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鷹山が藩主になったときには、上杉家は、十五万石の大名でありながら、昔のままの百万石の家臣を抱え、当時の慣習やしきたりをことごとく踏襲していたのです。
したがって新領では藩の維持が難しく、負債は何百万両にものぼりました。税とそのきびしい取り立てにより住民は土地を追われて減り、貧困が全領を覆ったと聞いても不思議に思いません。
藩主になる日のこと、鷹山は次の誓文を、一生の守護神である春日明神に送って献げました。
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二、民の父母となるを第一のつとめとすること
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伊勢: 鷹山は一生をかけて藩を立て直した。そしてこんな最期を遂げた。
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この勤勉な節制家の人生は、健康に恵まれた七〇年でありました。若き日の希望は、ほとんどかないました。藩は安定し、民は物に富み、国中が豊かに満たされました。全藩あげても五両の金を工面できなかったのに、今や一声で一万両も集めることができるようになりました。・・・
(葬儀の際)民は、自分の祖父母を失ったかのように泣いた。階層を問わず悲しみ、その様は筆につくしがたい。葬儀の日には、何万人もの会葬者が路にあふれた。
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花子: 鷹山は長年「民の父母」として振る舞い、民も「自分の祖父母」のように鷹山を慕っていたんですね。
■3.キリストの説いた愛を本当に活かすのは
伊勢: キリスト教的に言えば、鷹山は領民を愛し、彼らのために一生を捧げた。ケネディ大統領もこの点に感動して鷹山を尊敬したのだろう。鷹山はキリスト教をほとんど知らなかったが、鷹山の治めた米沢藩は、当時のアメリカ社会などよりもはるかによくキリストの説いた愛を実現していたのではないかな。
花子: でも、教会とか聖書とか、キリスト教らしいものは何もなかったんですよね。
伊勢: そう、そこがポイントだ。鑑三が言うには、キリスト教には西洋で2千年かけて発達した「重い外飾」がある。教会組織や神学理論、礼拝儀式などだ。そういうものはキリストの愛の教えの本質ではない、と鑑三は考えた。
実は大陸から伝来した仏教も「重い外飾」をつけていたが、鎌倉仏教にいたってそれらがことごとく純化され、各自の生き方に理想が求められるようになった。
一方、近代西洋社会では、キリスト教会と信徒の間では神の愛は「重い外飾」の下でしか語られず、それ以外の人々はまったく信仰に見向きもしない。キリストの説いた愛を実際に日常生活に活かせるのは、純化の力を持つ日本人ではないか、と鑑三は問いかけているんだ。
花子: 日本人の生き方そのものが、キリストの説く愛に近いかもしれないということですね。現代でも、外国人が日本人の思いやりや親切さを称賛するのは、その一端かも知れませんね。
■4.フリードリッヒ大王と上杉鷹山の「同一の宣言」
伊勢: 次は新渡戸稲造の『武士道』を見てみよう。この本は明治33(1900)年にアメリカのフィラデルフィアで出版された。「義」「仁」「礼」「誠」「名誉」などの徳目を、西洋の事績も豊富に引用しながら説明し、武士道こそが日本人の道徳を形成したものだと述べている。たとえば「仁」の章にはこんな一節がある。
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フリードリッヒ大王が「朕は国家の第一の召使いである」と書いたとき、法律学者たちは、自由の発達が新しい時代に到達したのだ、と正しくも信じた。
あたかも時を同じくして日本の東北の山間部にある米沢では、上杉鷹山はまさに同一の宣言をしていたのだ。「国家人民の立てたる君にして、君のために立てたる国家人民にはこれ無く候。」
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花子: また上杉鷹山が出てきましたね。そして欧州の王様と同じことを言っていたんですね!
伊勢: そうなんだ。ちょうどその頃、明治37、8年の日露戦争で日本は大国ロシアを破った。その原動力として、日本人の国家への忠節と勇武の精神に世界の関心が集まっていた。この本は外国人にも分かりやすく武士道を説いた本として、多言語に訳されて世界中で広く読まれたんだ。
■5.祖国を忘れた行き過ぎた個人主義では、、、
伊勢: ルーズベルト大統領もこの本を読んで感動し、5人の子供たちにこう言った。「日本の武士道の高尚な思想はアメリカ人も学ぶべき。ただし、主君への忠誠はアメリカ国旗への忠誠と読み替えて」とね。この発言から考えると、大統領は「忠義」の章のこんな一節に感動したのかも知れない。
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アリストテレスや何人かの現代の社会学者のように、武士道では個人よりも国がまず存在すると考えている。・・・
『クリトン』の読者はソクラテスが彼の逃走の問題について、国家の法律が彼と議論している弁論を思い起こすだろう。ソクラテスは法律、あるいは国家に次のようにいわしめている。
「汝は我が下に生まれ、養われ、かつ教育されたのであるのに、汝と汝の祖先も我々の子および召使でないということを汝はあえていうか」と。
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花子: ソクラテスの「逃走の問題」って何ですか?
伊勢: ソクラテスは青年たちとの問答により、彼らを堕落させたという罪で死刑判決を受けた。友人クリトンが脱獄を勧めたが、ソクラテスは自分を生み育ててくれた国家の法を破るのは正しい生き方ではないと言って、自ら毒杯をあおいだんだ。
ルーズベルト大統領が「アメリカ国旗への忠誠」と言ったのも、国民は国家の子であり召使いであるという生き方を「高尚な思想」と捉えたからだろう。行き過ぎた個人主義が、自分を養い育ててくれた祖国の恩を無視して、個人の人権や利益を主張するのは正しくない。これは西洋ではギリシャ以来の思想伝統であり、武士道も同じだと新渡戸は説いたんだ。
花子: 武士道と西洋の思想が根っこでは繋がっているんですね。
伊勢: その通り。この指摘は、個人主義が行き過ぎて国家の存在を忘れるような近代思想の広まりに対する警告となった。
■6.大々的殺戮をする国が文明国なのか?
伊勢: 最後は岡倉天心だ。1904年、日露戦争が始まった頃、天心はボストン美術館で講演した。会場は超満員だった。そこで天心は日本人とは思えない流暢な英語でこう語った。
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西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。[岡倉、p19]
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花子: えっ、それって西洋文明への皮肉ですよね。
伊勢: その通り。聴衆は息を飲んだに違いない。そして天心は続けてこう言った。
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もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。[岡倉、p20]
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伊勢: 当時、日露戦争での日本将兵の勇気と規律ある戦いぶりは欧米人の賛嘆を呼んでいた。ただ、日本文化が勇気と規律の武士道だけでなく、平和な「芸術および理想」である茶道をも持っていることを天心は主張したんだ。この講演をもとに、翌々年に『茶の本』がニューヨークで出版された。すぐに大きな話題をさらい、いくつもの言語に訳されて、天心の名声は欧米に鳴り響いた。
■7.「絵画、彫刻、骨董品のおびただしい陳列」では、、、
伊勢: 天心は茶道を通じて東西文化の違いを語っている。西洋の教会や貴族の屋敷では、絵画や彫刻、柱や壁の模様が隙間なく並べられている。それに対して日本の茶室は「余白」がある。生け花や掛け軸など、特別な美術品を一つだけ飾ることはあるが、その他のものはすべてその美しさを増すように選択・配合される。天心はこう書いている。
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人はいろいろな音楽を同時に聞くことはできぬ、美しいものの真の理解はただある中心点に注意を集中することによってのみできるのであるから。・・・
日本人の目には、絵画、彫刻、骨董品のおびただしい陳列で永久的に満たされている西洋の屋内は、単に俗な富を誇示しているに過ぎない感を与える。[岡倉、p53]
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それに対して、茶室ではこんなふうに生け花が飾られることもある。
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晩冬のころ茶室に入れば、野桜の小枝につぼみの椿の取りあわせてあるのを見る。それは去らんとする冬のなごりときたらんとする春の予告を配合したものである。[岡倉、p75]
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伊勢: 主人はただ「野桜の小枝につぼみの椿の取りあわせ」を提示するだけだ。そこから「冬の名残」と「春の予告」を思い描くのは客自身なんだ。そのような主人と客との共同作業によって、一つの美の空間が完成する。
花子: 客が想像力を発揮できる余白を残しておかないと、その共同作業ができないんですね。
伊勢: まさにそうなんだ。ごたごたとたくさんの美術品を隙間なく並べて「俗な富を誇示」するのは、主人の「俺が俺が」の個人プレーに過ぎない。そこには主人と客との共同体はない。天心が欧米人に伝えたかったのは、まさにそういう日本の共同体による芸術だったんだ。しかも、茶室では武士も商人も身分は関係なかった。茶室とは平等な人間どうしの平和的な付き合いの場だったんだ。
■8.近代世界の荒波に漕ぎ出した明治日本の「言挙げ」
伊勢: 今回は、3人の名著のごく一部だけ、西洋人が自分たちの近代文明を日本人の視点から指摘されて、おそらくはっとしただろう、と思われる部分を紹介してみた。
内村鑑三は「キリスト教の外飾」などなくとも、互いへの愛が通う共同体こそ、キリストの説いた愛の社会だと主張した。新渡戸稲造は「共同体への忠義」を忘れた個人主義は、ギリシャ人の理想からかけ離れていると指摘した。そして、岡倉天心は「俺が俺が」の自己中心主義、壁に隙間無く美術品を並べる物質中心主義では、主人と客人との協同作業での芸術的創造にはならないと警告した。
宗教的「外飾」に惑わされて日常生活で忘れられた他者への愛、自己を生み育ててくれた国家への忠節を忘れた個人主義。そして自己中心主義、物質中心主義、、、
これらが近代西洋思想の大きな問題であることを、3人の著書は西洋人自身に気づかせた。それは鎖国を解いて、近代世界の荒波に漕ぎ出した明治日本の「言挙げ」だった。そして、それは近代西洋思想に染まってしまった我々に対する「言挙げ」でもある。
花子: 物質的には圧倒的に豊かだった当時の西洋文明に対して、私たちの先人は屈せずに人間の本当の生き方を問うたのですね。その先人たちに恥ずかしくない生き方を私たちもしたいです。


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