戦後、最大のタブーとされてきた日米間の「密約問題」…日本がアメリカにウラ側で結ばされていた「密約」の正体

現代の日本

現在の政府、国会、政治家、官僚も変わっていません。今が、大きく変わるべき時でしょうね!

>「この際、正直に書くべきことは書いた方がいいと思い、意識的に書いた。(略)核について、へんなごまかしはやめて正直ベースの議論をやるべきだ。政府は国会答弁などにおいて、国民を欺き続けて今日に至っている。だって、本当にそういう、密約というか、了解はあったわけだから」

>——90年代末、密約の存在を裏付ける公文書〔『知ってはいけない2』27ページの「討議の記録」のこと:詳しくは71ページ以下を参照〕が米国で開示されたが、日本政府は否定した。

>「政府の国会対応の異常さも一因だと思う。いっぺんやった答弁を変えることは許されないという変な不文律がある。謝ればいいんですよ、国民に。微妙な問題で国民感情もあるからこういう答弁をしてきたと。そんなことはないなんて言うもんだから、矛盾が重なる一方になってしまった」

戦後、最大のタブーとされてきた日米間の「密約問題」…日本がアメリカにウラ側で結ばされていた「密約」の正体(矢部 宏治)
アメリカによる支配はなぜつづくのか?第二次大戦のあと、日本と同じくアメリカとの軍事同盟のもとで主権を失っていたドイツやイタリア、台湾、フィリピン、タイ、パキスタン、多くの中南米諸国、そしていま、ついに韓国までもがそのくびきから脱し、正常な主権国家への道を歩み始めているにもかかわらず、日本の「戦後」だけがいつまでも続く理由とは?

アメリカによる支配はなぜつづくのか?

第二次大戦のあと、日本と同じくアメリカとの軍事同盟のもとで主権を失っていたドイツやイタリア、台湾、フィリピン、タイ、パキスタン、多くの中南米諸国、そしていま、ついに韓国までもがそのくびきから脱し、正常な主権国家への道を歩み始めているにもかかわらず、日本の「戦後」だけがいつまでも続く理由とは?

シリーズ累計16万部を突破した『知ってはいけない』の著者が、「戦後日本の“最後の謎”」に挑む!

※本記事は2018年に刊行された矢部宏治『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』から抜粋・編集したものです。

日本の戦後、アメリカと外交交渉を行った首相

日本の戦後史を振り返ってみると、アメリカとのあいだで国家の根幹に触れるような、本当の意味での外交交渉を行ったのは、次の3人の首相たちだけだったと言えるでしょう。

そしてそのとき日本が手にした成果と、そのウラ側で結ばされたおもな密約は、それぞれ次の通りです。

吉田茂 占領の終結 指揮権密約(1952年と54年)(*1)
岸信介 親米体制の確立 事前協議密約/基地権密約/朝鮮戦争・自由出撃密約(1960年)
佐藤栄作 沖縄返還 沖縄核密約/財政密約(1969年)

これらの対米交渉は、各首相たちの指示のもと、それぞれもちろん、もっとも優秀な外務官僚たちが担当しました。

(*1)一般には「核密約」と呼ばれています

「ミスター外務省」東郷文彦

なかでも『知ってはいけない2』第一章に登場した東郷文彦(1915〜85年)は、岸の安保改定交渉を担当課長(安全保障課)として支え、佐藤の沖縄返還交渉を局長(北米局、アメリカ局)として主導し、その後は事務次官と駐米大使も歴任した、まさに「ミスター外務省」といってもいいような輝かしい経歴の持ち主です。(*2)

その意味では、岸政権のもとで生まれ、佐藤政権の沖縄返還を経て現在までつづく「日米同盟」の“奥の院”について、ただひとり全貌を知る立場にあったのは東郷だけということになります。歴史家たちに、もっとも優秀な戦後の外交官は誰かと投票させれば、おそらく彼が1位となるでしょう。

しかし皮肉なことにその東郷が、結果として密約文書についての解釈と処理を誤り、『知ってはいけない2』第一章で述べたような、現在までつづく大きな政治的混乱を生みだすきっかけをつくってしまったのです。

その経緯を、これからできるだけわかりやすくご説明したいと思います。

村田良平元外務次官の証言——密約は明確に存在した

歴史の資料を読んでいると、突然、幕のうしろから舞台に現れ、驚くほど貴重な証言を残したあと、すぐに姿を消して立ち去っていく人に出会うことがあります。

実はそうした人たちは、自らの死期を悟った人物であることが多い。

日米密約の問題で、歴史上もっとも鮮やかな証言者となったのも、2009年に外務省の“奥の院”の実態についてきわめて率直に語り、翌年の3月には死去された元外務次官の村田良平氏でした。

なにしろ事務次官(1987〜89年)だけでなく、その後、駐米大使(1989〜92年)まで務めた、まさに外務官僚のピラミッド組織の頂点に位置する人物が、長年最大のタブーとされてきた密約問題について赤裸々に真相を語ったのですから、その影響の大きさには計り知れないものがありました。

その村田氏の証言のもっとも重要な舞台となったのが、福岡に本社のある大手ブロック紙、西日本新聞が一面すべてを使って掲載した、次のような大スクープ記事(*3)だったのです。

☆ ☆

——核持ち込みに関する密約はあったのか。

1960年の安保条約改定交渉時、核兵器を搭載する米国艦船や米軍機の日本への立ち寄りと領海通過には、事前協議は必要ないとの密約が日米間にあった。私が外務次官に任命された後、〔その文書を〕前任者から引き継いだように記憶している。1枚紙に手書きの日本語で、その趣旨が書かれていた。それを、お仕えする外務大臣にちゃんと報告申し上げるようにということだった。外部に漏れては困る話ということだった。紙は次官室のファイルに入れ、次官を辞める際、後任に引き継いだ

——昨年〔2008年〕9月に出版した著書「村田良平回想録」(ミネルヴァ書房)で密約に触れている。(*4)ためらいはなかったか。

「この際、正直に書くべきことは書いた方がいいと思い、意識的に書いた。(略)核について、へんなごまかしはやめて正直ベースの議論をやるべきだ。政府は国会答弁などにおいて、国民を欺き続けて今日に至っている。だって、本当にそういう、密約というか、了解はあったわけだから

——90年代末、密約の存在を裏付ける公文書〔『知ってはいけない2』27ページの「討議の記録」のこと:詳しくは71ページ以下を参照〕が米国で開示されたが、日本政府は否定した。

政府の国会対応の異常さも一因だと思う。いっぺんやった答弁を変えることは許されないという変な不文律がある。謝ればいいんですよ、国民に。微妙な問題で国民感情もあるからこういう答弁をしてきたと。そんなことはないなんて言うもんだから、矛盾が重なる一方になってしまった」

さらに連載記事〈なぜ日本だけが「まともな主権国家」になれないのか…アメリカとの「3つの密約」に隠された戦後日本の「最後の謎」〉では、日本が「主権国家」になれない「戦後日本」という国の本当の姿について解説しています。

本記事の抜粋元『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』では、かつて占領下で結ばれた、きわめて不平等な旧安保条約を対等な関係に変えたはずの「安保改定」(1960年)が、なぜ日本の主権をさらに奪いとっていくことになったのか?「アメリカによる支配」はなぜつづくのか?原因となった岸首相がアメリカと結んだ3つの密約について詳しく解説しています。ぜひ、お手に取ってみてください。

(*2)加えて第二次大戦の最末期には、義父である東郷茂徳外務大臣の秘書官として、終戦工作にも立ち会っています
(*3)「米の核持ち込み「密約あった」村田元次官実名で証言」(2009年6月28日)
(*4)すでにこの回想録のなかで村田氏は「「米国が協議して来ない以上〔核兵器の〕持込みは行われていません」との政府答弁は寄港、領海通行、領空については明らかに国民に虚偽を述べたと言わざるをえない」と証言していました

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