青山学院大学教授・福井義高氏の12月5日産経新聞正論欄「情報とは誰かの意見である」(下記要旨)

(要旨)
規制を求める声は大きくなっているが、SNSの負の側面はSNS特有のモノではない。むしろ、既存メディアには一定の信頼があったため、朝日新聞の慰安婦報道などその負の影響はSNSとはけた違いに大きかった。
人間社会において、意図的に悪意ある噂を流して、自分に有利に事を運ぼうとするのは普遍的で人間の性に根差した行動といえる。
本当の情報と誤った情報を一体どう見分けるのか?
例えば既存メディアは人為説を陰謀論と断罪し、フェイスブックなども人為説の投稿を削除していたが、人為説の検閲を中止し、世界で最も権威ある医学誌の22年9月の報告で、コロナ人為説の可能性を明記した。
研究所流出説は陰謀論に基づく偽情報から考慮に値する科学仮説に「昇格」したのである。医学者ジョン・ヨアニディス教授が論文「なぜほとんどの発表された研究成果は誤りなのか」で示したように、第一線の研究者が提出し、別の研究者がチェックしたはずの学術論文でさえ、ほとんどが誤った情報だったのだ。
問題は情報伝達手段の相違ではなく、既存メディアが取り上げる意見の幅の狭さだ。ニューヨーク・タイムズの科学記事を執筆してきたウェイド氏ですら、既存メディアでは発表の場を与えられず、インターネットを通じてしか人為説を発表できなかった。
ウクライナ戦争に関し、サックス教授やミアシャイマー教授といった、エスタブリッシュメントのエリート知識人でさえ、既存メディアのウクライナ一辺倒と距離を置いた意見は、これまでネットでしか発表できなかった。
ところが、SNSによって、既存メディアの許容範囲から外れる意見であっても、無視できない影響力を及ぼすようになった。
情報はすでに誰かの解釈を経た2次情報であって提供者の主張が含まれている。
情報とは基本的に誰かの意見である。
結局、純粋に客観的な情報というものはあり得ず、適切な判断を行うには、さまざまな立場から多様な情報が提供されることが不可欠で、憂慮すべきはSNSの弊害ではなく、既存メディアによるソフトな言論統制なのだ。



コメント