戻ってこないと思っていた5700億円がなんと一括で返ってきた!「アンチ財務省」高市政権が終止符を打った「自賠責特会ネコババ」問題の深層

財務省にお茶を濁されてきた
自動車ユーザーが加入する自動車損害賠償責任保険(自賠責)の運用益を管理する「自動車安全特別会計」(自賠責特会)から一般会計に貸し付けられていた5700億円超が一気に繰り戻されることになった。
財務省(当時は大蔵省)が約30年前、平成バブル崩壊後の大幅な税収減を穴埋めする目的で、この特会の資金を「拝借」したのが始まりだが、これまではいつまでに「完済」するのか、時期さえ示されていなかった。
このため、自動車・損害保険業界関係者らの間では「ネコババされるのではないか」と懸念する声さえ出ていた。特会を管理する国土交通省は再三、一括繰り戻しを求めてきたが、霞が関で「格上」の財務省に歯が立たず、財政逼迫などを理由に毎年度少額の繰り戻しでお茶を濁されてきた。
ところが、アンチ財務省の高市早苗政権になって一転、長年の要望が瓢箪から駒のごとく実現。業界も国交省も「歴史的な出来事」などと沸き立っている。
一括繰り戻しは、高市政権が11月に閣議決定した総合経済対策に唐突に盛り込まれた。毎年のように永田町で陳情活動を続けてきた自動車総連幹部は「今回、特別な働きかけをしたという意識はない。まさに青天の霹靂だ」と驚きを隠せない様子だった。
実際、自動車総連は経済対策が決定される直前まで、「毎年の繰り戻し額を最大限増額するとともに、全額繰り戻しに向けた道筋を明確にしてほしい」などと控えめな要求をしたためた陳情書に、有識者の署名を集める活動に奔走していた。
バブル崩壊の余波
自賠責特会からの流用のきっかけは、1990年代はじめのバブル崩壊後の財政難だった。景気が好調で赤字国債を発行しなくても予算を組めていたバブル期から一転、税収の大幅な落ち込みで歳出を賄えない歳入欠陥が生じた。何らかの手段で穴埋めしなければ、国が約束した支払いを履行できなくなるデフォルト(債務不履行)さえ危ぶまれた。
一方で、当時、自民党から政権交代した細川護熙内閣は「後世代に大きな負担を残さないことが我々の責務だ」などと意気込み、赤字国債の発行を封印した。財務省(当時は大蔵省)は苦肉の策として、特別会計ですぐに使う必要のない積立金を取り崩して一般会計を補う方針を打ち出し、資金が比較的潤沢と見られていた自賠責特会から94年度と95年度に計1兆1200億円を繰り入れた。
関係筋によると、当初は「一時的な資金繰りの手当て」が建前で、大蔵省と運輸省の間では、2000年度をめどに全額繰り戻すことが想定されていたという。当時は永田町や世論が特別会計の余剰金を「霞が関埋蔵金」などと問題視する風潮もあり、運輸省側も数年程度で繰り戻されるなら問題はないとして抵抗しなかったようだ。
しかし、その後、日本経済は本格的なデフレ不況に突入。税収が低迷する中、財務省は住宅ローンのように長期間かけて返済する方針に態度を変えた。2003年度までに約6900億円を特会に繰り戻したものの、それ以降は多額の赤字国債の発行が常態化したため、04年度から17年度まで繰り戻しを見送った。
財務省の渋ちん姿勢
特会の資金は、ひき逃げ・無保険車による事故被害者の救済や重度後遺障害者の支援など、公共性の高い事業の原資となってきた。それだけに、自動車関連団体だけでなく、被害者団体からも「借りたまま返さない『借りパク』は許されない」などと批判の声が高まった。
これを受けて18年度からは繰り戻しが再開され、23年度(補正予算分も含む)は73億円、24年度(同)は100億円と返済額が少しずつ上積みされてきた。ただ、未返済分はなお5700億円超に上り、財務省と国交省・業界の綱引きが続いてきたのが実態だ。
景気回復とインフレを追い風に税収の過去最高更新が続く近年においても、財務省の姿勢は頑なだった。22年11月には当時の鈴木俊一財務相が「今の財政事情を考えると、1回ですべてを返すのは無理」と言明。基礎的財政収支(プライマリーバランス=PB)の早期黒字化という政府の財政健全化目標も盾に、渋ちん姿勢を続けていた。
業界は「このままのペースでは完済まで80年以上かかる」と懸念。識者からは「国債は60年償還ルールがあるのに、特会からの流用はいつまで借りても構わないというのでは理屈に合わない」などと財務省批判も強まっていた。
それが一転、全額完済にいたったのはなぜか。後編記事『財務省「自賠責特会ネコババ」解消の背景にある高市総理の「政治的な思惑」と国交省が抱えた「新たな悩みのタネ」』でその真相を明らかにする。



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